Be My Sugar Baby





「今度の土曜日って、ギルベルト兄さん、何か予定はありますか」
朝の食卓。焚き立ての白い御飯の乗った茶碗を前に置いて、菊がそう切り出した。 醤油をかけて納豆を練りながら、ギルベルトは暫し思案して。
「…いや、何もねえけど」
「じゃあ、一緒に映画へ行きませんか」





まあ、どうせ暇だし、急ぎの何かがある訳でもなかったし。 映画の一本や二本、義理の妹にお兄様が付き合ってやっても良いかな。 ギルベルトはそんな軽い気持ちで、彼女からのお誘いを了解した。
しかしそれが休日の朝一、上演よりも二時間前、 ぐるりと映画館の周囲を回る長蛇の列に並ばされる羽目になるとは、流石に思いもしなかった。
どうやら菊が目当てにしていた映画は、今日が公開初日であったらしい。 その企画の一環で、本日のみ、映画館にて先着順に粗品が配布される。 つまり、菊の狙いはそれなのだ。
「だって先着1000名で、一人ひとつ限定だったんですよ」
このグッズは非売品で、ここでしか手に入らなくて、レアなんですよ、超レア。 ぐっと拳を握って力説する菊に、ギルベルトは脱力する。ああもう、今更だけどな、今更。
「でも、ギル兄さんのお陰で、ばっちり二つゲットできました」
すっごく嬉しいです。へらへらと緩んだ頬を見下ろしながら。
「同じものなんだろ、なんで二つもいるんだよ」
「こっちは永久保存用ですから」
二個ゲットは基本です。欲を言うならもう一つ、出来れば布教用で計三つ欲しかったんですけどね。 そんな菊の言葉は、全く以ってギルベルトには理解できない。
映画は、テレビアニメの劇場版であったらしい。 内容はイマイチ判らなかったが、あれだけの人が列を成すほどの動員があったのだ、 それなりに人気があるものなのだろう。 子供向けのロボットアニメのようではあったが、観客の年齢層がやたらと高かったのは気の所為ではあるまい。 日本はオタクの年齢層が幅広いとの噂は、真実であるようだ。
休日と言うのになんだ、この疲労感と虚脱感は。小さく溜息をつくが。
「ギルベルト兄さん、本当にありがとうございましたっ」
隣からこちらを見上げるのは、それはそれは満足そうな笑顔。 小さな子供や犬猫が、欲しいものを貰って喜ぶシルエットが、その背後に透けて見える。
「…ま、優しい俺様に、思う存分感謝しやがれ」
ケセセと高笑うと、ギルベルトはわしゃわしゃとその黒髪を撫でた。
痛いですよ、うるせえ、乱暴です、てか腹減ったな、そうですね何か食べましょうか、 お前他に寄る所はねえのか、特には、兄さんに付き合いますよ、そんな会話を続けながら。
「あ、ギルベルト兄さん」
お昼の前に、ちょっと、あとひとつだけ寄ってもらっても良いですか。
通り過ぎようとするアーケードの一角、 指で示して向かった先は、ビル一つが本屋になった大型書店だった。 誘われるままに入り口の自動扉を潜り、正面に設置されていたエスカレーターに乗る。 フロアに到着して、開いた扉の向こう側は。
「…アニメショップかよ」
いや、そんな予感はしていたけれどな。てか、日本のオタク産業って、ホントすげえのな。
広いフロアに展開されるアニメグッズ専門階に、菊は嬉々として足を進める。 うきうきしたその後ろについて行きながら。
「おまえさあ、彼氏作るなら、同じ趣味の奴が良いぞ」
やっぱ同じ映画とかアニメショップ巡りとかを一緒に楽しめる奴じゃねえと、長続きしねえんじゃねえか。
「普段は来ないですよ」
一応私、隠れオタクなんですから。学校でも、本当に極一部の友人しか知らないんです。 それに普通の映画を観ない訳じゃないし、アニメショップ以外のお店に行かない訳でもありません。 それ、オタクに対する偏見です。差別です。
「今日は特別です。ギルベルト兄さんと一緒だから、来れるんです」
えへへと無邪気に笑う菊に、意味無くギルベルトは赤面した。 なんだこいつ、可愛いじゃねえか。
「そう言うギル兄さんこそ、彼女さん居ないんですか」
「いねえな」
じゃなきゃ、折角の休日、朝からこうして妹になんか付き合ってねえっての。 歯を剥いて言ってやると、それもそうかと納得する。
「ギル兄さん、カッコ良いのに」
贔屓目で無く、それだけは確かだ。 欧米系特有の彫りの深い端正な顔立ちに、射抜くような切れ長の目、 がっしりとした体躯は長身でバランス良く、 何より眩いほどに見事なプラチナブロンドと、見た事もないルビー色の瞳。 その目を奪われうような諸々に、一番最初に対面した時は、菊も本当に驚いた。 同時に、何処の二次元キャラだ?とも思ったけれど。
「そうだろ、そうだろ、俺様のカッコ良さを、もっと褒め称えやがれ」
「きっと、そんな所が原因なんですね」
「んだと、コラ」
大きな掌に、わし、と上から頭を押さえつけられる。 やめて下さいとその手を振り切り、逃れようとそのまま角を折れた所で、ぼすんとそこに立つ人にぶつかった。
「あ、すいません…」
ぶつかった鼻の頭を押さえながら、慌ててぺこりと頭を下げる。 こちらを見下ろしてくるのは、健康的に日焼けをした肌と、暖かそうな若草色の瞳。 そしてその隣は、無造作にひとつに纏めた金の髪と、深みのある青い瞳。
判りやすく異国の香り漂う顔立ちの二人組に、思わず菊は目を丸くした。
うわあ、テライケメソ―――――――――で、どっちが受け?
「菊ちゃんやん」
くるりと緑の瞳がこちらを映す。にこりと向けられたのは、太陽を連想させる満開の笑顔。 ひょいと寄せられたその距離の近さに、どきりと身を引く。
「菊?」
背後からの兄の声に振り変えると。
「あっれー、ギルもいるやん」
「ちょっと、何してんのこんな所で」
「げっ、トーニョ、フランシス」
それぞれがそれぞれを指さすその間で、菊はきょろきょろとそれぞれを見比べた。





バーガーショップのテラス席、丸いテーブルに腰を下ろして、菊は改めて彼らを見つめた。
長めの金髪が綺麗なフランス人のフランシスは、文化学専攻。 東西の文化比較の研究をしていて、予てより興味を持っていた日本にやって来たらしい。 小麦色の肌に白い歯が眩しいスペイン人のアントーニョは、海洋生物学専攻。 研究対象の海水魚が日本近海に最も多く生息しており、その調査の為に来日。 それぞれ専攻は全く違うのだが、同時期に同じ大学に編入した縁で、何かと一緒につるむ事が多いようである。
「いやあ、今日はほんまにラッキーやわあ」
フランシスに付き合って来てんけど、こんな所で菊ちゃんに会えるなんてなあ。 身を乗り出してにこにこと向けられる笑顔に、ついこちらもつられてしまう。
「俺な、菊ちゃん見たことあんねんで」
「そうなんですか?」
「俺と大学に行った事があっただろ」
編入して一番最初。そん時、俺と一緒にいたのを見かけたんだとさ。
注文したハンバーガーが乗せられたトレイを手に、ギルベルトは空いた席に腰を下ろす。 てかお前ら、なに菊の両サイドを陣取っているんだ。しかも椅子。ちゃっかりそっち寄りに移動しているし。
「同じ大学に通ってんのかなーって、ずっと捜しとってんで」
そしたら、ギルの妹って話やろ。紹介してって言っても、この男ちっともしてくれへんし。 もー、親分我慢の限界やってん。
「でも、こうして再会できたもんなー」
むっちゃ嬉しいわ。眩しそうに目を細め、頬杖をついてこちらを窺う。
流石はラテン人。ナチュラルな口説き文句に、思わず菊は赤面してしまう。 誤魔化す様に手元の和風シェイクのストローを咥える様子さえ、 ほんまに菊ちゃん可愛いなあ、アントーニョは御満悦で眺めていた。
ところでさ、とフランシスはちらりと菊の背後、背凭れと背中の間に置いた紙袋を見遣る。
「さっきから気になっていたんだけどさ、その映画見て来たの?」
笑顔の指摘にぎょっとする。先程の映画館で受け取った粗品の紙袋はシンプルな物だが、 隅に小さく映画タイトルが入っている。しまった、一見するだけは判らないと油断していた。
背中に汗をかきながら言葉を探す菊に。
「今日公開日だったんだよね。菊ちゃん達、観て来たんだ」
良いなあ、実はお兄さんも観たかったんだよ。でもさっき映画館に行ったら、 本日の上演分のチケット、全て売り切れたって言われてね。 それで不貞腐れて、あそこのアニメショップに行ったんだ。
「こいつもオタクだとよ」
ハンバーガーを齧りながらのギルベルトの言葉に、フランシスはにっこりと頷く。
「そ、コミケには毎回行ってるよー」
ちなみに連日一般参加ね。
「…そうなんですか?」
信じられない、というような菊の目に、ずいとフランシスが身を乗り出した。
「ギルから聞いたよー、菊ちゃんジャンルは何?本とか出してる訳?」
お兄さんに詳しく教えてよ。もし良かったら次のイベント、一緒に行かない? 映画の影響もあるし、きっとこの夏はそのジャンルが盛り上がると思うんだよね。 好きな何人かの作家さんも新刊を考えているみたいだし、一人で回るのはきついかなーって思っていたのよ。 それにしても、しくったなあ。俺も菊ちゃん見習って、並ぶ覚悟で朝早く家を出れば良かったんだよな。
「あの…よろしかったら、これ、どうぞ」
良かったら、貰って下さい。
差し出すのは、先程映画館で受け取った限定グッズの紙袋。 え、おい、ちょっと待て。その為に二時間も列に並んだんじゃなかったのか。
「良いの?」
大切なものなんでしょ。
「私、もう一つありますから」
そりゃそうだろう、だって、俺が一緒に並んでゲットしたんだっつーの。
「ありがとう、菊ちゃん。俺、大切にするよ」
これからは菊ちゃんの事、ライバルと書いて、心の友とよんでいい?
「フランシスさん…」
「今度、御礼をさせてね」
ちなみに俺、手先器用だから。ベタもトーンもばっちりオッケーだよ。
「ありがとうございます」
包み込むように手を取られ、きゅん、と菊は高鳴る胸を抑える。 感動に目を潤ませる二人を、何やら目に見えないオーラが優しく包み込んでいた。
「ええなあ、仲良しさんで」
トマトの入ったハンバーガーにかぶりつきながら、 なあ、と声をかけるアントーニョに、ギルベルトは知らねえよと珈琲を啜った。

















「トーニョさんとフランシスさん、とっても良い方ですね」
優しいし、楽しいし、カッコ良いし、眼福です。
「いや、アホだろ」
お調子者のマイペースと、無駄にフェロモンの多い変態だ、ありゃ。
結局あの後、四人で一緒に街を巡る羽目になってしまった。 そのまま一緒に夕食を食べようと誘う二人に、ギルベルトは菊は徹底的に拒絶した。 あの二人が一緒となれば、アルコールの量が半端無い。 その場に未成年の菊を参加させるのは、日本での彼女の保護者として許可できない。
「ヨーロッパの男の人って、ホント皆さん素敵です」
「お前、面食いだよな」
「男の人が美人が好きなのと一緒です」
悪いですか、文句ありますか、美しさは罪ですか。
「でも、楽しそうですね」
あんな方達と一緒に大学生活を送れたら。
「…まあ、あいつらと一緒なら、飽きねえよな」
ぐだぐだ言いながらも、結局うまが合うのだろう。 慣れない外国生活の中、馬鹿ばっかり言い合える相手が出来たのは幸運だった。
ふと、じいっととこちらを見上げる視線に、ギルベルトは眉を潜める。 によっと笑うその顔。あ、今こいつ、絶対碌なこと考えていないぞ。
「あんな素敵な人たちと一緒なら、彼女さんを作る暇もないですよね」
「…ある意味、そうかもな」
てか、あいつらの馬鹿に巻き込まれて、不本意ながら現状に甘んじているだけであってだな。
「ドイツって、同性愛者が多いんですよね」
「お前、何が言いたい」
「私、お相手が誰であっても、ギル兄さんを応援します」
兄さんを、変な目で見たりはしません。絶対です。
「だから頑張って下さいっ」
きらきらと見上げてくるそれは、確かに決して変な目ではないけれど、妙な期待に満ちた輝きを湛えていた。
「何をだ、何をっ」
一体何を考えてやがる。
碌でもない妄想が詰まった小さな頭を、ギルベルトはぐりぐりと拳骨で挟んだ。




end.




ハンバーガーショップは某モとスのつくお店
未だかつて無いほど、少女漫画を意識したシリーズ
女の子総受けって、書いててなんかこっぱずかしいです
2010.10.14







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