Be My Milky Baby





寝起きの未だ覚醒し切れていない頭で、ギルベルトはずずっとじゃが芋とワカメの味噌汁を啜る。 独特の風味に慣れるまでに少々時間はかかったが、 最近では白いご飯にはこれがつかないと物足りない気もするから不思議だ。
テーブルの斜め前には、蓋の開いた弁当箱が二つ。それぞれ、菊とギルベルトの物である。 そうか、今日のメインのおかずは煮込みハンバーグか。
恐らく菊は、料理が上手いのだろう。
日本食に慣れないこちらへの配慮もあるかもしれないが、 今のところ、彼女の作った料理で口に合わなかったものは無い。 先日遊びに来たルートヴィッヒも、随分と褒めていた。
以前面白半分にじゃが芋でフルコースを作れるか?と言ってみた所、 ポタージュスープから始まり、肉じゃが、ポテトグラタン、芋餅、ニョッキ、コロッケ、タラモサラダ、 じゃが芋パン、ついでにデザートとしてノンフライポテトチップスまで、 もっと作りますか?と不思議そうな顔でテーブルに並べた。どれも美味かった。
朝食だってそうだ。彼女より少し遅れて起きてくると、大抵きちんとテーブルに準備されている。 今朝は味噌汁にアジの開き、オクラの和え物と、昨日の夕食の残りのカボチャの煮付けだ。 毎朝手間じゃねえの?と聞いたが、けろりとした顔で、お弁当と一緒に出来ちゃいますよとの答えが返された。 すげえ。
ぱたぱたと足音がこちらに向かい、制服に着替えた菊が、キッチンに入ってきた。 テーブルに乗っている自分用の弁当箱を、ギンガムチェックのナプキンに包みながら。
「じゃあ、ギルベルト兄さん。後を頼みますね」
食べ終わったら、食器は食洗機に入れて下さい、もう洗剤はセットしているので、ボタンを押すだけです。 それから、洗濯機が止まったら、残りの洗濯物を干して、裏庭に出しておいて下さいね。 ゴミは私が出しておきますから、回覧板だけお隣さんに回して下さい。後、戸締りもお願いします。
もぐもぐと口を動かしながら、返事の代わりに片手を上げた。
「そう言えば。ギル兄さん、飲み会って言ってたの、今日でしたっけ」
「ああ」
「夕食は?」
「いらね」
「かなり遅くなりますか」
「連絡する」
判りました。
「それじゃ、行ってきます」
ぱたぱたと走り去る背中に、気をつけろよ、とだけ声をかける。 研究や授業によっては異なるが、朝は彼女が先に家を出る日が多いのだ。
遠ざかる彼女の靴音に、ああ、いつもの朝だなあとギルベルトは箸を置く。 空になった食器の前で、ごっそーっさんと手を合わせた。





菊の通う学校は、自宅から電車に乗って二十分、降りた駅から徒歩十分ほどで到着する場所にある。
同じ制服を着た学生がぞろぞろと登校する、駅から学校までの道程で。
「本田さん」
掛けられた声に振り返る。
「おはようございます」
「おはようございます、エドァルドさん」
うはwww朝からイケメンキター。
朝一番に美形男子からのモーニンコールですよ。 今日は良い日になりそうです。向けられる笑顔も、白い歯も、眩し過ぎて眩暈がします。 眼福です。眼鏡萌えです。彼なら表では優等生、でも裏では実は鬼畜攻め設定アリですよね。
二人、並んで歩きながら。
「先日はありがとうございました」
いつもお邪魔してすいません。でも、とても楽しかったです。
「とんでもない、興味を持って下さって嬉しいです」
終わるまで、まだ少しあるんですよね。是非また見学に来て下さい。いつでも大歓迎ですよ。
はい、ありがとうございます。頷くその笑顔の爽やかさに、菊は思わず目を細める。 これが王子様スマイルですね、都市伝説かと思っていました。
「昨日ね、行ってきましたよ、同じ留学生の皆と」
本田さんに教えて貰った、お勧めの観光スポット。
「どうでした?」
「すごく楽しかったです」
「良かったー」
丁度夏休み、義理の弟と一緒に遊びに行ったんですよ。 弟もすごく楽しかったって言っていたし、ちょっと変わってて、面白かったでしょ?
「はいっ」
皆も喜んでいました。凄く日本を堪能できたって。
言いながら、彼は肩にかけていたリュックを降ろし、ごそごそと中を探る。良い所で本田さんに会えました。
「これ、買ってきました。本田さんに」
取りだしたのは、黒いシックな紙袋。 表に印刷された見覚えのあるロゴに、おお、と菊は目を瞬きさせた。
「このお店の事でしょう?限定品があるって言っていたのは」
観光スポットを教えて貰っていた時に、言ってましたよね。 弟さんと一緒の時は、うっかり忘れてて行きそびれてしまったって。 このお店限定の商品があるから、一度食べてみたいって。
「いろいろ教えて下さった、お礼です」
受け取って下さい。お世話になったお礼です。
手渡され、えっと菊は彼と手元の紙袋を見比べた。
「良いんですか?」
お世話も何も、単に見学に来たのを受け入れた程度だし。 観光スポットも、自分が行って楽しかった場所を教えただけだし。 そんな気を使って貰うつもりは無かったのに。
「皆には内緒ですよ」
本当は皆にもお土産を買おうと思ったんですが、そこのお店って高いんですね、 沢山は買えませんでした。実はこれ、本田さんにだけ買ってきたものなんです。 だから、学校で人に見られたないように、紙袋は絶対に家で開けて下さいね。 良いですか、絶対に絶対に約束ですよ。
きりりとした王子様フェイスに見つめられ、こくりと菊は頷いた。
素敵です。眼鏡王子様でもイケますね、鬼畜眼鏡、最高です。











夕食を終えて、紅茶の入ったマグカップをトレイに乗せて、自室に持ち込む。 今日はお気に入りの茶葉を使った、ミルクティーだ。
ベットの前のクッションに腰を下ろし、まずは紅茶をひとくち、咽喉を潤す。 そしてお楽しみのそれを手に取り、わくわくとパッケージを開くと、ぱくりと頬張った。
「あ、美味しい」
チョコをサンドしたビスケットは、思ったよりもスパイスがしっかり効いている。 大きいし、これ一枚でも充分食べごたえがあるな。 マグカップに口をつけながら、ふむふむと菊はラベルを眺めた。
彼が内緒で渡してくれた紙袋の中には、店舗限定の手の平大のチョコサンドビスケットが二枚、 お店の案内と説明が記されたカードと共に入っていた。
そして、それと一緒にもう一つ。
手に取ったのは、薄い水色の洋封筒。ぺらりと表裏を見つめて。
「…男の人からお手紙なんて、初めて貰っちゃいました」
これはどう見ても、ショップで渡されたものじゃないですよね。 だって、裏にはやや角のしっかりした字で、彼の名前が書かれていますもんね。
ベットを背凭れに座っていた菊は、膝を抱えた姿勢で、それを天井のライトに透かした。 中には折り畳まれた便箋。否、もしかするとカードかな?
マグカップと食べかけたクッキーを、脇に置いていたトレイの上に乗せる。 そして両手で封筒を持つと、えいやっとベットの上に飛び乗った。
仰向けに寝転がり、受け取った四角い手紙を下からまじまじと見上げた。 そのまま数拍。徐々に、でれでれと頬が緩み、によによと目元が弧を描き、むずむずと唇が歪んでくる。
くるりとうつ伏せになると、にやける顔を枕に埋める。
うわあ、何だか恥ずかしいし、照れくさいし、くすぐったいし、堪りません。 これって、あれですか。少女漫画の王道ですか。ここからめくるめくドラマが始まるんですか。 そうですか、そうですね。
きゃーと顔を埋めたまま声を上げ、 ぐりぐりと枕に顔を擦りつけ、ばたばたと手足を動かして、訳の判らない感動を、とりあえず全身で発散してみる。 だって、なんだか、ねえ、これはちょっと、いやいや、ええーっ。
「…なにやってんの、お前」
頭上から掛けられた声に、ぴたりと体が硬直した。
恐る恐る顔を上げると、呆れたようなギルベルトがこちらを見降ろしている。
「な、なん、で…」
今日は遅くなるって言ってたじゃないですか。
「あー、急に研究室の方が長引いちまってよ」
終わってから行っても良かったけど、中途半端な時間だったし、面倒臭くて帰ってきちまった。 メール送ったぜ、見てねえのかよ。
「てかさ、何か食うもんある?」
一応食って来たけど、なんか物足りなくってさ。
菊は赤い顔でもそりと体を起こし、ベットの上にぺたりと座り込む。 そしてわざと表情を固くして、ぼさぼさの髪のまま、じっとりとギルベルトを睨みつけた。
「勝手に部屋に入らないでって言ったじゃないですか」
「声掛けたぜ、何度も」
お前が気づかなかったんだろ。細める目に、聞こえてません、ぷいと菊は顔を背ける。
拗ねた横顔を見降ろし、ふとギルベルトは枕の上の封筒を見つけた。
「なんだ、これ」
はっと振り返るがもう遅い。 ひょいと封筒を手に取ると、ギルベルトはベットの上、菊の隣に腰を下ろした。
「返して下さいっ」
慌てて手を伸ばす菊に、反射的にそれをかわす。 ちょっと、ギル兄さん。身を乗り出して取り返そうとするが、元より体の大きさが違うのだ。 長い手足には敵わない。この、ゲルマン人め。
その、必死な様子に、ギルベルトはによっと笑う。
「なんだ、ラブレターかよ」
ケセセと笑いながらからかうようなそれに、ぎくりと菊の体が強張る。 その反応に、あれ、とギルベルトは引きつった。え、冗談じゃねえの?覗き込む顔が、みるみる赤くなった。
「返して下さい」
それ、大事なものなんです。
きちんと座り直し、俯いたまま手を差し出す。絶対この兄は、からかって楽しんでいるんだ。 どうせ私は、がっつりエロ漫画は書く癖に、本当は何も知らない耳年増のお子様ですよ。
しかし、いつまで待っても、差し出した手は何も返却されないまま。 ちらりと視線だけを向けると、兄は思いの外神妙な面持ちで、じいっと手にある手紙を眺めている。
「ギルベルト兄さんっ」
強い口調で名前を呼ぶと、ああ、と慌てたようにこちらを向いた。 そして、取り繕うような間を置いて、にやりと笑う。
「どんな奴なんだ、俺様よりも良い男か」
「美形で、頭が良くって、優等生な鬼畜眼鏡タイプです」
「なんだそりゃ」
「兄さんとは全然違うタイプです」
だからそれ、返して下さいっ。
菊は飛びかかるように、兄の手にある手紙へと手を伸ばした。 気恥かしさを誤魔化すようながむしゃらな勢いで、がっしりした兄の肩に手をかけ、腕を伸ばして圧し掛かる。 しかし、小さな体で襲いかかられても、大人と子供並みの体格の違いは埋められない。
「もう、兄さんっ」
だが、彼女は子供ではなかった。
「っと、おま…あのなあ」
ったく、こいつは。
ギルベルトは手にあった手紙で、ぺしりと菊の額を叩きつける。 痛くは無いが、その衝撃に思わずぎゅっと目を閉じた。そっと開くと、目の前には水色の封筒。 菊は慌てて、ぱしっと両手で奪い取る。
その向こう、視界がぼやけそうな位置にある、ルビー色の瞳。
じたばたと圧し掛かり、 全体重を預けて抱きついてくるような体勢の華奢な体を、ギルベルトはしっかりと受け止めていた。 至極間近から覗き込む呆れたその瞳に、菊はぽかんとする。ああくそ、もっと自覚しろ、この馬鹿。 ハグとは違うぞ、ぐりぐり押しつけてるぞ。
「無いなら無いなりに、あるんだな」
はあ?意味が掴めない菊に、わざとらしくにやりと笑う。
「おっぱい」
次の瞬間、ギルベルトの顔面に枕がクリティカルヒットした。
柔らかいものではあるのだが、ノーガードで顔面は流石にそれなりのダメージを食らう。 思いっきり勢いつけたな、こいつ。普通に痛えぞ、マジで。
「最低ですっ」
貧乳はステイタスなんですよっ。
がばりと体を離すと、そのまま飛び出すようにベットから立ち上がる。
突っこむ所はそこかよ。脱力したままずるりと枕を外すと同時に、ぴしゃんと襖が閉まった。 どかどかと遠ざかる足音。どうやら、部屋から出て行ったらしい。
ヤバいかな、怒らせたのは兎も角、怖がられたかな。 これで少しは自覚を持てば良いが、ただ、怯えられるのは流石に辛い。
「…てか、馬鹿は俺様か」
ぽつりと呟くと、そこに放置されたままの手紙へと視線を向けた。 がしがしと髪をかき回し、深く溜息をつく。
妹だろ。菊は。大事な。俺様の。
確かに血は繋がらないけれど、兄妹としてここに住んで、それなりに上手くやってる筈だ。 彼女が兄としてこちらを慕ってくれているのは判るし、自分だって彼女が可愛いと思う。 だって、妹なのだ、当然だろう?
その妹がラブレターを貰ったからって、何をこんなにショック受けてんだ。
ばっかじゃねえの、マジで。誰が。俺様が。
苦々しく唇を噛締めた所で。
「ギルベルト兄さーん」
お茶漬けでいいですかー、鮭とわさび、どっちが良いですかー。
無精して、台所から掛けられる呼び声。それに、ふと泣きたいような心地で、はは、と力無く笑った。
「両方だ、両方ー」
それって邪道ですよー。うるせー、好きに食わせろー。
声を返しながら、布団の上に置かれたままの手紙を手に取った。 表を眺め、裏を眺め、忌々しく舌打ちを一つ、よっとベットから立ち上がる。
それを勉強机の上に丁寧に乗せてやると、そのまま台所へと向かった。























はあ?菊は素っ頓狂な声を上げて、目を丸くした。
「何の事ですか、彼氏って」
だから。ギルベルトはカフェオレの入ったマグカップに口を付けてふう、と息をつく。
焼きたてのパンの香りが充満するキッチン。 テーブルの中央に置かれていたレトロなポップアップトースターから、かしゃりとトーストが顔を出した。
朝食は和食が多いが、こうしてパンが出る時もある。 今日はホームベーカリーで朝に焼き上がるようにセットしておいた、出来たてのトーストだ。 それに作り置きのピクルス、チーズオムレツ、キウイとバナナの入ったヨーグルトが並んでいる。
どうでも良いが、この家には少々謎めいて、妙に凝ったキッチン家電が多い。 炊飯器、ホームベーカリー、電気ケトル、電子レンジ、ワッフルメーカー、スチームクッカー、 電気フライヤー、フィッシュロースターってなんだそりゃ。
「いませんよ、そんな人」
ギルベルト兄さん、知っているでしょう。 偽る事無く不思議そうな表情に、今度はギルベルトが不思議がる番だ。
焼き色のついたトーストを手に取り、バターを塗りながら。
「…この間の、あの、手紙の相手はどうなったんだよ」
もそもそとした声に首を傾げ数拍、漸くああ、と菊は大きく頷いた。
「あれは違いますよ」
確かにお手紙は受け取りましたが、でもそうであったとしても、流石に無理です。 お付き合いなんて、とても出来ません。
「なんで」
「彼ね、交換留学生なんです」
菊の通う学校は、他国交流の一環で、短期留学生を受け入れている。 彼はその二週間限定の短期留学生として、来日していたのだ。
確か留学期間は先週で終了。もう母国、エストニアに帰国しているだろう。
彼は勉強家で、独学で学んだ日本語が随分達者だった。 日本文化にも興味があり、菊の所属している華道部の見学に、何度か来てくれていたのだ。
「手紙には、留学中お世話になりましたって書いてました」
「…なんだよ、それだけなのかよ」
拍子抜けするような声を上げると。
「そうですよ。まあ、あとは…」
言いかけ、あ、と唇に手を当てる。 何かを思い出すようにくるりと視線をあちらへ向け、菊はくすくすと笑って肩を竦めた。 何処か含みのある、くすぐったそうなそれに、ギルベルトは眉を潜める。
「あと、何だよ」
「…内緒です」
ギルベルト兄さんには言いません。だってこれは、プライベートな事ですから。
ふふんと機嫌良く笑うと、誤魔化す様に手元のお弁当箱をストライプのナプキンで包む。 鼻歌でも歌いそうな様子に、なんだよ…ちぇっと舌打ちをした。
「ま、お前の趣味を理解できる相手でないと、付き合うってのは難しいだろうな」
ケセセと笑い声を上げると、むうっと菊は眉根を寄せた。
「どういう意味ですか」
それ、偏見です。差別です。今や日本では、オタクにも立派な市民権があるんですよ。
「私の趣味を分かって、それでも好きだって言ってくれる男の人ぐらい、世の中にはちゃんといるんです」
隠れなので、いちいちそれを確認した事は無いけれど。それが全体の割合程度なのかは、把握していないけど。 多分そうに違いない、そう願いたい、そう信じたい。
「あー、そうかもなー」
なんですか、その気の無い反応。 ぽこぽこと怒りながら、菊はお弁当箱を鞄の中に入れる。 ちなみに本日のメインは豚の生姜焼きだ。
「あ、ギル兄さん。今日は私、部活がありますから」
もしかすると、少し遅くなるかもしれません。 洗濯物は全部出していますが、帰ってきたら取り入れだけお願いできますか。 後、暗くなったら、雨戸もちゃんと閉めておいて下さいよ。
「それじゃ、行ってきます」
「おう、気をつけてな」
「はあい」
ぱたぱたと足音のリズムが遠ざかる。窓から差し込む光は柔らかい。ああ、今日も、いつもと同じ朝だな。
むず痒く苦笑を一つ、ギルベルトは香ばしいトーストをかしりと齧った。




end.




焼き菓子は某ピエール氏のチョコ専門店、東京駅店限定商品
食べ物小説大好き、ご飯が美味しいって幸せだと思うんだ
2010.11.02







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