Be My Preciocs Baby
<5>





あっと思った時には、目の前が真っ暗になっていた。
完全に視界を失い、何が起こったのか判らない。 思考が停止すること、数秒。どうやら頭の上から、何か布の様なものを被せられたらしいと理解する。
まず、アントーニョの悪戯かと思った。すいません、約束破りました。 でもちょっとだけだし、理由もありましたし、許して下さいね。 そう笑おうとした瞬間、背後から加減の無い力で羽交い締めにされて、ぎょっとする。
頭の後ろ、布越しに荒い息と共に聞こえる、ぶつぶつとした呟き。 聞き覚えのないそれに、初めて背後から抱きつくそれが、自分の知る誰かの遊びや戯れでは無く、 全く知らない他人であると悟った。
咄嗟に火が付いたように拒絶をするが、布地に覆い込まれた上半身は動きを制限され、 もぞもぞと身を捻る程度の抵抗しかできない。その間も、布越しの直ぐ近くから、切羽詰まったような声が届く。 だってね。だからね。そうだろう? 何かを弁解するような、ここまでする理由をつらつら説明する、意味を成さない言葉の羅列。 そこに病的な違和感を感じ、ぞっと鳥肌が立った。一体何の事だ?何を言っているのだ?
強張った体を、乱暴な力が引き寄せる。もつれる足元。視界を奪われると、平衡感覚も不安定になる。
小柄な体は碌な無抵抗も出来ないままに、そのままずるりずるりと引き摺られていった。











「トーニョ、てめえ…っ」
息急き切って走り寄るままに、 その胸倉へと伸ばそうとしたギルベルトの腕を止めたのは、共にやって来たフランシスだった。
「そんなことより、今は菊ちゃんを捜すのが先だろっ」
「ほんまに、ついさっきまでおってん」
絶対、まだ遠くには行ってへん筈や。
ギルベルトとフランシスは、アントーニョと携帯電話で話をしながらこちらに向かっていた。 異変に気付いてからここに到着するまで、五分と経っていない。 アントーニョの言うとおり、連れ去られたにしても、まだ近くにいるに違いない。
しかし、気配を探そうとするにも、ここは地下に設置された駐車場だ。 空調の機械音や上下のフロアからも響く騒音が、 エコーのかけてわんわんと反響し、共鳴し、小声で会話を交わす事さえ出来ない。
ギルベルトは手に持っていた携帯電話のボタンを押して、彼女を呼び出そうとするが。
「くっそ、繋がらねえ」
アンテナの消えた携帯画面に、忌々しく舌打ちする。
「トーニョ、何処で電話してたんだよっ」
さっきまで、俺の携帯とは繋がっていたじゃねえか。
「そこやねん」
この車を止めたこの辺り一帯は繋がらないが、少し外れれば充分アンテナが立つのだ。 指で示す方へフランシスが早足で向かい、自分の携帯で菊へとダイヤルを繋げる。 しかし流れるのは、電波の届かない場所にいるという機械音声のアナウンス。
「駄目だ、あっちが電波が届かない所にいる」
フランシスは首を振って、目を細める。
「菊ちゃん、携帯持ってんのか?」
鞄は車の中に置いてあんねんで。
「持っている」
何があるか判らないから、今は携帯電話は肌身離さず持つように、 例え授業中でも制服のポケットに入れておくように言ってある。菊はそれを守っていた筈だ。
落ち着け。考えろ。ぐっと目を閉じ、ギルベルトはゆっくりと呼吸をする。
電波の届かない場所にいるなら、少なくともまだ、車でここから外へと連れ去られた訳ではない。 恐らくはまだ地下の駐車場、この近くにいる可能性が高い。
せめてこれで携帯が繋がれば、たとえそれを取れる状況じゃなくとも、呼び出し音を聞き取り、 居場所が判るかも知れないのに。 ボタンを操作しながら、いらいらした足取りで電波の繋がる場所を探し、周囲へ視線を巡らせる。
そして、そこではたと気が付いた。
この地下駐車場、確かに電波が届かない場所があるが、思ったよりもその範囲は狭いようだ。
「ギル?」
携帯画面から目を離さないまま、彷徨うように、探るように、ギルベルトはそちらへと向かい始める。
「菊との電話は、まだ繋がらねえか?」
「ああ、ずっとアナウンスのままだ」
電波の届かない場所にいるか、電源が入っていません。お決まりの味気ない音声が、延々と繰り返されている。
つまり―――菊は電波の届かない場所にいる。
ならば、電波の届かない場所は何処だ?
ギルベルトは画面のアンテナを見つめながら、走り出したい衝動を抑え、ゆっくりと足を進めた。





背後から拘束されたまま、無理矢理な力で引き摺られる。
必死で抵抗しようにも、半身を覆い込まれた布に制限され、足下もおぼつかない状態では、思うように力が出ない。 誰か、誰か。頭の中では必死で助けを求めるが、ひきつった喉はうまく声が出せず、あえぐ呼吸が漏れるだけ。 疑問符で埋め尽くされた思考の中、やたらと大きく響く心臓の音だけが理解できた。
かたん、と足に何かの段差を感じる。
同時に、それに引っかかったローファーが、ほろりと片足脱げた。 「あっ」と菊は小さく声を上げる。
抑え込まれた頭。布越しに、ばたん、と重い扉を閉じたような音が聞こえた。
先程までの騒音が共鳴するような、独特の開けた駐車場の空間から、突然隔絶された気配。 それを肌で感じた瞬間、抱え込むような腕に、どんと突き飛ばすように押しやられた。
頼る術もないまま、足を縺れさせ、菊の体はそのまま横に倒れ込む。
ばさり、と頭を覆うそれが外れた。どうやら、上半身を覆っていたのは、男物のコートであったらしい。 ようやく開かれた視界に、菊は瞬きを繰り返す。
暗闇に慣れた目に、射し込む光が眩しい。 天井の蛍光灯の光を背中に、こちらを見下ろすシルエットを見上げ、必死で目を凝らす。
―――誰?
中肉中背、これといった特徴の薄い、中年の男。 少なくとも、即座に記憶から呼び出せるような、馴染みのある顔ではない。
普通の人だ、と思った。身なりが乱れている訳でも、忘れられない特徴がある訳でもない、 家のインターホンに残されていたあの画像と同じく、極めて普通の人。
ただ、見下ろしてくるぎらついた目が、狂気を映して血走っている。
ごくりと息を飲むと、菊は後ろに手をついて、ずるずると後ずさる。 距離を取ろうとするのだが、その背中は直ぐに壁に阻まれてしまった。
どうやらここは、駐車場に隣接されていた、従業員用通路の一角であるらしい。 改装工事の為、今は使用されていないようだ。 崩れたコンクリートの壁が無造作に瓦礫となって転がり、むき出しになったまま放置されている。
立ちはだかる男の向こうには、錆びた鉄製の扉が見えた。どうやら、あそこから連れ込まれたようだ。 どうしよう、どうしよう。閉鎖された空間。対峙する男を見上げ、菊は色を無くした唇を戦慄かせる。
ぬっと伸ばされた腕。 それを避けようと咄嗟に身を捻り、突いていた手を軸にして立ち上がると、駆け出す為に足を踏み込んだ。 しかし、二歩目を踏みしめる前に、腕を引かれてつんのめる。
「いやっ」
思わず声を上げ、振り切ろうと力を込めた。 だが、封じるように込められた握力に腕の骨が軋み、喘ぐように息が詰まる。
もがき、顔を顰めて振り返る菊に、男はにたりと笑った。 荒い息が頬に当たるその嫌悪感に、悪寒と共に吐き気さえ込み上げる。
菊の手が出たのは無意識だった。
掴まれた手首を握り、ぐいと外側に捻り上げるように捩じる。 子供の頃に学んだ武道の基本技だ。抵抗の出来ない痛みに、男の顔が苦痛に歪み、その手から力が抜けた。
骨の細い腕から手が離れ、ほっとした瞬間。
「きゃっ」
抑え込まれていなかったもう一方の手で、乱暴な力が肩を思い切りよく押し退け、菊の体が突き飛ばされる。 細い体は抵抗なく壁にぶつかり、背面を強打したその激痛に、一瞬呼吸が止まり、 ずるずると菊はその場に崩れ落ちた。
打った頭の奥がちかちかする。広がる鉄の味、どうやら口の中を切ったようだ。 痛みを認識すると同時に、全身に脈打つような熱が広がる。体が思うように動かない。
そして今更になって、漸く恐怖の感情が沸き上がった。
身を庇う様に肩を抱き、荒くなる呼吸を必死で抑える。怖い。怖い。怖い。 体の中心から力が抜ける感覚に、すう…と眩暈がした。





「菊っ」
叫ぶような切羽詰まった声と、鉄の扉が開かれたのは同時であった。





立ち尽くす男が振り返るよりも早く、飛び込んできたギルベルトの長い腕が伸ばされ、 角ばった肩を大きな掌ががっしりと掴んだ。感情を消した赤い瞳が、すうと細まる。
心の中で呟く。
―――悪い、親父さん。俺、約束破るわ。
肩を掴む手にぐいっと力が込められたと同時に、ごきりと鈍い音が響いた。力任せに引かれるまま、 勢いを付けた腕力に上から叩きつけるように抑え込まれ、男の体が背中から床へと倒れ込む。
受け身を全く取れない体勢のまま、頭から床に打ちつけた男は、一拍の後、ぎゃあと声を上げた。 ギルベルトに掴まれた肩を手の平で押さえ、痛みに身を捻ろうとするが、 その前に喘いだ咽喉仏の上に靴裏が乗せられ、押さえつける。こうすれば男は動けない。
逃がしゃしねえよ。低い呟きは母国、ドイツ語だった。
死にやしない。下手に抵抗できないように、肩の関節を外しただけだ。 伊達に日々、大学で医療系ロボット精密機器の研究をしている訳じゃない。 体の関節の位置とその仕組みは、十二分に把握している。
「随分、舐めた真似してくれたじゃねえか」
覚悟は出来ているんだろうな、おい。 ぐい、と足に体重をかけると、血で赤くなった口腔がひゅうひゅうと音を立てた。 呼吸が出来ずに喘ぐ様子を、怜悧な赤い瞳が無感動に見下ろす。
「一生かけて、後悔させてやるよ」
俺の大切なものを傷つけた事をな。
菊からは見えない位置で、にたりと笑う。 殺気を隠さない突き刺さるような瞳が、不吉な月のように禍々しく細まった。
だが、ひくっと引きつった嗚咽に、はっとそれが見開かれる。
自分を呼ぶ、その消え入りそうなささやかな声を、ギルベルトは決して聞き逃さない。 顔を上げると、地面に座り込んだままの菊が、大きな瞳を潤ませて、じいっとこちらを見つめていた。
自分を抱いて震えるか細い体。血の気が引いて青ざめた顔。恐怖を映して見開かれた瞳。
兄さん。兄さん。ギル兄さん。ギルベルト兄さん。
かたかたと戦慄く唇で己を呼ぶ弱々しい声に、心臓が鷲掴まれる。
「菊…」
引き寄せられるように、ギルベルトは菊の元へと向かった。傍らに膝をつき、そっと覗き込む。 怯え切ったいたいけな瞳は、今にも零れそうな水の膜に覆われ、蛍光灯の光をきらきらと反射していた。
「…ギル兄さん」
ひくっと喘ぐ。痛々しく歯を鳴らす音に、ギルベルトは苦しく眉根を寄せた。
「…わりぃ」
守ってやるって決めたのに、怖い思いをさせちまったな。
そっと手を伸ばし、華奢な肩を抱き寄せる。 緊張に強張った背中をさすると、引きつった咽喉がゆっくりと深呼吸した。 そっと肩口に顔を埋めるように、固まったままの小さな頭を抱き込む。
ごめんな、菊。怖かったよな。 宥めるようなその声に、ゆっくりとゆっくりと凍りついた感情が解き解される。 喘ぐ呼吸を繰り返し、気道が確保されると、くしゃりと顔を歪ませ、噛締めた唇から嗚咽が零れた。
押さえるような嗚咽は、泣きじゃっくりへと変わり、やがてふえーんと幼子の様な泣き声になった。
怖かった。すごく怖かった。ぐしゃぐしゃになった目から零れる涙の感触を肩口で感じ、丁寧にその頭を撫でる。 えぐえぐと外聞の無い声を上げ、切羽詰まったような力でしがみ付いてくる。 力が籠り過ぎて白くなった、折れそうに細いその指先が切ない。 華奢な体を大切に大切に、包み込むようにギルベルトは抱き締めた。
そんな二人を、離れた位置から男は呆けたように見ている。 存在をまるきり無とされ、むくりと半身を置き上がらせた所で。
「言ったやろ、逃がさへんって」
がっと後ろからその後頭部を蹴り上げられ、男は前につんのめる。 うつ伏せに倒れる体。その関節を外した肩を、力を込めて踏みつけた。
痛みに顔を歪ませながら首を捩じって振り返ると、やたら陽気そうに笑うアントーニョと、 にやにやした笑顔のフランシスが立っている。
「こいつだね」
「ああ」
ギルベルトは頷くと、細い腕を首にしがみ付かせ、重力を感じさせない力で菊を横に抱き上げる。 もう何も目に入れないように、肩口に顔を埋めさせたまま。
「後は任せる」
「オッケー」
「俺らの好きにしてええやんなあ」
軽く肩を竦める後姿。それに、アントーニョとフランシスはにんまりと笑った。
ギルベルトと菊が、扉の向こうへと姿を消すのを見送ると、改めて二人は男と対峙する。
「俺な、こう見えて、結構力あんねん」
研究でしょっちゅう海に行くやろ。 海に潜るのって、実はえっらい体力が必要なんやでえ。
人好きするような笑顔のまま、その目が弓型に細まる。 それにおいおいと笑いながら、フランシスは倒れたまま抵抗できない男へと手を伸ばした。
「俺としては、暴力って避けたいんだよねえ」
服のポケットを探る。所持していたのは、財布と、運転免許所と、デジカメ。 電源を入れて操作し、収められた画像を確認すると、ふふんと 片眉を吊り上げた。 あーあ、やだねー、現実と妄想の区別のつかない奴は。 可愛いものを愛でたい気持ちは凄く判るけど、リアルと二次元は違う訳よ、やっぱ。
「第一、暴力なんかよりも有効な方法って、結構あるもんだからね」
自分の手は汚したくないけど、流石に今回はさ、この温厚で優しいお兄さんも、物凄ーく怒っているんだよなあ。
にたりと笑うと、手にあったデジカメで、ぱしゃりと一枚、男の顔を撮影する。
まあでも。一応、聞いてあげようか。


「俺達に好きにされるか、警察に行くか、どっちが良い?」



































「本当に、全然大した事はないんですよ」
フランシスより差し出された見舞いの花篭を受け取りながら、菊は申し訳なさそうに笑った。
目に見える怪我は、転んだ時に擦った膝の擦り傷と、手をついた時に捻った左手首の軽い捻挫だけ。 跡が残るものでもなし、生活に支障がある程でもない。 今日一日だけ、念の為の精密検査で入院するが、明日には退院する予定だ。
「ほんまにごめんな、菊ちゃん」
俺が傍にいとったのに。 ベットの横、心配そうに覗き込むアントーニョに、菊は眉尻を下げる。
「トーニョさんの所為じゃありません」
絶対に車を降りないと約束をしたのに、それを破ったのはこちらだ。 悪いのは自分で、アントーニョに非は無い。そんな事よりも、 こちらの不注意で彼が自分を責める結果を作ってしまったことが、菊としては酷く申し訳なかった。
「お二人にはいろいろとご迷惑をおかけしました」
沢山気遣って頂いて、すごく心強かったし、とっても感謝しているんですよ。 何とお礼を言って良いのか判らない位に。
「もう良いよ、菊ちゃん。ストップ」
兎に角、皆が無事で、問題も解決したんだから、それでもうオールオッケー。 俺達ももう謝らないから、菊ちゃんもこれ以上頭を下げるのは禁止ね。
ぴし、と目の前に人差し指を突き出すフランシスに、菊は寄り目になりながら笑って頷いた。
「入るぞー」
開けっぱなしになっていた病室のドア。姿を見せたギルベルトが、おざなりにノックをする。 その後ろには、ドクターと看護婦が一緒だ。ぺこりと菊は頭を下げる。
「診察だとさ」
聴診器の準備をするドクターに、 によによと期待に満ちた眼差しのまま、いつまでも二人はベット脇から離れようとしない。お前ら邪魔だ。 判りやすい健全男子的思考の籠った頭を拳骨で殴ると、ギルベルトは強引に腕を引っ張った。
「じゃあ、何か飲み物でも買ってくるね」
「菊ちゃん何がええ?」
「あ、カフェオレがあったらお願いします」
了解。
人差し指と親指で輪を作って見せて、男三人は病室から出て行った。





「タイツが無事だったんだと」
菊はあの時、制服の下に黒タイツを履いていた。 引き摺られた時に、膝の部分に穴を開けたが、それ以外に乱れはなかった。 何もされていなかった証拠だとよ。
その言葉に、フランシスもアントーニョも、ほっと息をついた。
男は中等部の非常勤講師だった。元々中等部とは共同施設も多い。 高等部へ入り込んでも、堂々としているだけに目立たなかったらしい。 全く気付いていなかったが、あの駐車場の時も然り、登下校中も、 実はしょっちゅう菊の後をつけていたようだ。
切っ掛けは、彼女の学校の文化祭であった。 菊のクラスではメイド喫茶をしたのだが、その際菊のメイド姿を見て、目を付けたようだ。 バッグの持ち手を切ったのは、こんなに近くにいても自分に気がつかない彼女への、彼流のアピールらしい。 その心理が判らない。判りたくもない。
とりあえず、全ての状況証拠を携えて、警察へ突き出した。 非常勤講師は当然解雇、二度と菊に近づかないように、法的な手配もするつもりである。
「でもまあ、アレじゃ、もう二度と菊ちゃんに近づこうとは思わないでしょ」
「フランシス、やり方がえっげつないからなあ」
俺はお前らと違って紳士なの、暴力は苦手だからね。よお言うわ、あれ、暴力よりも酷いで。 へらへら笑う二人に呆れた視線を向け、そして改めるように一呼吸。
「…まあ、その…お前らにはいろいろ助かったぜ」
あいつも随分、お前らに救われた面もあったと思う。ありがとう。
ポソリとしたその言葉に、きょとんと二人は目を丸くする。そして同時ににかりと笑った。
「なーに言ってんねん」
お前の為ちゃうで、菊ちゃんの為やもん。
「そうそう。お前に礼を言われる筋合いは無いよ」
がっしりと両サイドから肩を組まれ、ぐいと体重をかけられる。いてえよ、重いっつーの。 唇を尖らせて文句を言うが、左右から向けられる二人の視線に、にやりと笑うと、 回した腕で逆に二人の肩を掴み、ぐいと体重をかける。
いたた、ちょっとギル、痛いって。もー、少しは加減しいや。 ばーか、二人がかりの、お前らの方が卑怯なんだよ。
休憩室でそれぞれの飲み物を購入し、見計らって病室へと戻って来た所で。
「あれ?」
「誰か来てんのかなあ?」
ノックをしようと立ち止まった扉越し、内側から聞こえてくるのは、酷く楽しげな話声と笑い声。 ああ、とギルベルトは声を上げた。
「お袋と親父さんが来たのかもな」
ギルベルトが連絡をして置いたのだ。何だかんだ言っても、矢張り彼女はまだ高校生である。 怖い思いをした分、誰かに甘えたくなるだろう。暫くは二人の親には、彼女の傍にいて貰うつもりだ。
ふうん、フランシスはによによ笑う。
「お前やっぱり、お兄ちゃんなんだねえ」
優しいじゃない。うっせえよ。突かれる肘を、乱暴に払いのけた。
「じゃ、俺達はもう帰るわ」
「せやな。菊ちゃんによろしく言っといてな」
言いながら、手に持っていた自分達の缶コーヒーを、ひょいひょいとギルベルトに手渡した。
また、学校でな。ひらひらと手を振る二人の背中を見送り、ギルベルトは何処か力を抜いたように笑う。
そして小さく息をついて苦笑すると、病室のドアをノックして、開いた。





「ギルベルト兄さん、お父さんとお義母が来てくれましたっ」





こちらを振り向いた笑顔。
曇りの見えない全開のそれに、ギルベルトは眩しく目を細めた。




end.




使ったのは、小手返しという合気道の基本技でした
2010.11.23







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