不機嫌な声には、拗ねたような響きを含んでいた。ねめつける目には、苛立ちが込められていた。 それらに真っ直ぐと射抜かれ、日本はぽかんと目を丸くする。 「お前、俺の事が好きだったんじゃねえのかよっ」 噛みつくように吠えるプロイセンに、込み上げる笑いを堪え切れず、ぷすっとベルギーは吹き出した。 チョコレート如何ですか そのツーショットを見た時、珍しい組み合わせだな……とプロイセンは思った。 本日の国際会議場はイギリスだ。その開始よりも少し早目の時間、会議室に一番近い自動販売機の設置された談話室。 開放的な大窓に映る寒々しい冬空に背を向け、身を寄せて立ち話をしているのは日本とベルギーだった。 手に持つファイルを捲りつつ、熱心に議論を交わす様子は、真剣ながらも何やら随分と盛り上がっているようだ。 レポートを指で示し、相槌を打ち、感心したように大仰に頷き、時々笑いながら肩を竦めて。 その様子は、実に親しげで、楽しげで、睦まじげで、嬉しげで、有体に言えば――まあ、ちょっとだけ、だけど――まるで恋人同士のようにさえ見えた。 ほんのちょっとだけ、ちょーっとだけだけどな。 なんだよ、あいつ等ってそんなに仲良かったっけ。 無意識に片方の眉が吊り上がる。 この二か国、どちらかと言えば、日本対欧州という枠組みの中では、比較的希薄な関係の印象があったのだが。 (欧州と言う枠組みで捉えるなら、ドイツとの方が全然繋がりが深いぜ。まあ、一番親密、と言っても過言じゃねえよな) 疑問符を浮かべつつ眺めていると、同時に二人があちらへと顔を上げた。足早に寄って来るのは、どうやら日本の部下らしい。 二、三の言葉を交わした後、申し訳なさそうに日本はベルギーに頭を下げる仕草を見せる。 軽く手を振るベルギーにぺこぺこと何度も頭を下げ、日本は部下と共にその場を立ち去って行った。 その背中を見送り、さてと振り返ったベルギーと、まともに視線がかち合う。 「プロイセンやん」 人懐っこい笑みに、おうとプロイセンも唇を吊り上げて歩み寄った。 久しぶりやな、今日の会議は参加するんや。まあな、偶には顔を出さねえと、お前らも寂しいと思ってよ。 気安い軽口を叩きながら、何となく視線が引き寄せられるのは、ベルギーが持つファイルであった。 先程日本と眺めていたそれは、幾冊もあるようで、しかも随分と分厚く、重量もありそうだ。 なんだ? こいつら。何か二国間での、大きなプロジェクトでもあるのだろうか。 如何にも不審そうなプロイセンの視線に気付き、ベルギーは抱えるように持ったそれを軽く揺すった。ああ、これ? 「日本から貰ってん。すっごいやろ」 「随分、熱心に話し込んでいたな」 「まあ、この時期やからな」 うちがおらんかったら始まらへんって。今年は是非とも例年より長めに滞在して下さいって。えっらい熱烈なアプローチを受けてな。 なんや、年々ラブコールが増してってるわ。 眉間に皺を寄せるプロイセンに、含みを込めて唇の端が吊り上がる。 「なに? 焼いてんの」 羨ましい? 実に楽しげなニヨニヨ顔で問われ、ちっと舌打ちを一つ。 そんなんじゃねえっつーの、ただちょっとだけ。ちょっと珍しいと思っただけだ。 「てか、お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだよ」 ふふん、とベルギーは鼻息荒く、どや顔で胸を張る。 「だって、バレンタインやからな」 「プロイセン君、チョコレート如何ですか?」 一番最初にチョコレートを渡されたのは……確か、壁か壊れてまだ間も無い頃だったか。 「初めは、普通の板チョコだったよなー」 「なんだ?」 思わず零れた呟きに、隣に座っていたヴェストが振り返る。あーいや、何でもねえよ。 軽くいなすと、弟は少し怪訝に眉を寄せた後、軽く溜息をついて前を向いた。 会議室に響くのは、回りくどい元ヤン眉毛の口上。それを流し聞きつつ、頬杖を突きながらぼんやりと視線を送るのは、かつての弟子、日本だ。 すり鉢状の円形に並べられた、本日の座席配置。斜め向こうに座る小柄な東洋の経済大国の姿は、この位置から良く見えた。 真剣な顔で議長を見遣り、手元のノートパソコンに視線を下ろし、事前に配られた本日のレポートをチェックしている。 ひょこひょこ動く生真面目な幼顔に、プロイセンは眉間に皺を寄せた。 あーあ。目の下、くま作ってんな。 それ程目立ってねえけど、でもこの俺様の目は誤魔化せねえっての。 また寝不足してんだろ、全く仕方ねえ奴。休養睡眠は重要だって、あれだけ言ってやってんのに。 今度遊びに行った時、また一緒に俺様強制シエスタしてやらないといけないようだな。なんだっけ、首を洗って待っていろ、だっけ? 東洋の慣用句を使える俺様、小鳥のようにカッコいいぜ。 脳裏でつらつら考えていると、どうやらこちらの視線に気が付いたらしい。 不意に上がった黒目がちの瞳が、プロイセンを捕えてきょとりと瞬く。 おせえよ、馬鹿。昔はすげえ気配に敏感だったのに。平和ボケしやがって。 そんな思いを込めてじいっと逸らさずにいると、不思議そうに首を傾け、ああそうか、小さな頭が悟ったように軽く頷いた。 そして直ぐ横、直ぐ隣。既にがっつりとシエスタ体勢に入っている、イタリアを振り返る。 ほら、プロイセン君が見ていますよ。ぺたりと上半身を机に俯せたその耳元、僅かに動いた唇は恐らくそう告げたのだろう。 くるんと飛び出たくせ毛が、気怠そうに揺れる。 ほら、あちら。 手で示されるまま顔を上げたイタリアは、眠たそうな顔のまま、力なくひらりとプロイセンへと手を振り、そして再びぱたりと机に脱力する。 その可愛らしさに、もう見ていないと知りつつも、鼻の下を伸ばして手を振り返した。流石はイタリアちゃん、眠そうな顔も癒されるぜ。 ……じゃねえよ。 確かにイタリアちゃんは可愛いけれど、今見ているのはそっちじゃねえだろ。 てめえ、判らねえ筈ねえだろうが。むうっと不満に目を潜め、固定するように頬杖を突き、目力を込めてじいっと日本へと視線を定める。 やや困惑したように、日本は眉尻を下げた。己の勘違いを悟り、真実を探すように左右へと視線を流す。 だーかーらー。違う、違うだろ。判れよ、判ってんだろ。お前だよ。俺様が見ているのは、お前だけだ。 そんな気持ちを伝えるべく、視線を外さずに見つめていると、やがて漸く気付いたようだ。 漸く判ったか、天然爺。によんと唇を吊り上げて頷くと、爺は少し戸惑った後、軽く会釈した。 そして何やらそわそわしだし、俯き、でもちらちらとこちらを伺った後、あくまでも定められたまま全く動かないこちらの視線を、受け流すように手元のノートパソコンへと集中し始める。 誤魔化すようなそんな仕草に、プロイセンはによによと笑った。 昔から、日本は人と視線を合わせるのが苦手だ。 憲法を教えてやっていた時代も、幾度となくそれを指摘していた。 視線を逸らすのは自信の無さの表れと取られる。真っ直ぐ見ろ。怯むな。逸らすな。相手を睨み返すつもりで目を合わせろ。 それでもなかなか慣れないあいつに、授業の一環として、俺様と見つめ合う時間を作ってやったりしたもんだ。 後半は随分慣れてきたようで、かなり長い時間、言葉も交わさず至近距離で見つめ合うことも可能になった。 今になって振り返ればなかなかに笑えるが、それでもあの当時はそれなりにお互い必死で、一生懸命だった。 その時だっけ。黒く見えたあの瞳が、実は深みのある、澄んだブラウンだったと知ったのは。 非文明的にさえ見えた堀の浅いのっぺり顔も、実はすっきりと造作が整っていると気付いたのは。 バターのような東洋の肌は、意外な程にしっとりと滑らかで艶っぽいものなのだと理解したのは。 尤も、その成果が出たのは、あの当時ぐらいなものか。 公で重要だと認知する場面に置いては注意しているようだが、しかし普段のプライベートの場での日本は、相変わらず恥かしげに視線を逸らしてしまう。 今だってそうだ。 逸らさず見つめるこちらに気付いてから、すっかり落ち着きを失くしたようである。 そわそわと意味のない動きで誤魔化しつつ、ちらちらとこちらを見つつ、気付いているくせに気付いていないふりをして。 バーカ、俺様はずっとお前を見てんだよ。目を離してなんかやるものか。 ほら、顔が赤くなってきやがった。耳まで染めてやがる。判っているくせに。 むず痒そうに引き締める唇。そんな顔したって、ちっとも怖くねえっての、寧ろ面白れえだけだっての。 べえと舌を出し、ウインクし、ついでに唇を窄めて投げキッスをしてやると、細い肩がびくんと揺れた。 何、可愛い反応してんだよ。ケセセと笑みが零れる。 眉毛の会議は下らねえが、これで充分暇つぶしが出来そうだ。 「プロイセン君、チョコレート如何ですか?」 その後も、日本は幾度となくチョコレートをくれた。 とは言え、いつも彼がくれるのはチョコレートという訳でもない。 おもむろに取り出すのは、スティックサイズの羊羹だったり、アンコの入ったパンだったり、 切っても切っても同じ顔が出るキャンディーや、米を揚げたライススナックの小袋もあった。 ただ、春が待ち遠しい、ひと際冷えるこの季節に限って、日本は必ずチョコレートを取り出した。 板チョコの時もある。マーブルチョコの時もある。アーモンドチョコの時もあるし、手の平サイズの個包装されたミニチョコの時もあった。 最初はスーパーで買ってきたような変哲もないチョコが、その内そこはかとない高級感を醸し出し、やがて明らかなギフトパッケージに変わったのはいつ頃だったのか。 気が付けば、もう何かのついでのように渡されるのではなく、毎年恒例のギフトとしての役割を担うようになっていた。 「それで、お前って訳か」 「ウチ、チョコレートではちょっと負けへんで」 ワッフルかてそうやけどな。鼻息荒く、ベルギーは胸を張る。 会議の前半が終わった休憩室、たまたま鉢合せたベルギーと言葉を交わせば、話題は自然、先ほどの続きになった。 「バレンタインチョコ、ねえ」 ずずっとプロイセンは、紙コップのコーヒーを啜る。 日本で一般に認知されるバレンタインデーを知ったのは、割と早かったかも知れない。 欧州とはかなり違ったバレンタインデーの解釈に、相変わらず独自解釈と魔改造が突っ走ってんなと感心と呆れが半々。 だって、恋人同士が花を送って愛を確かめ合う日だろ。チョコレートと愛の告白って、なんだそれ? チョコと愛の言葉って、何の関係があるんだ? まあでも、愛情表現というものは、人であろうが国であろうが、共にそれぞれのやり方があって然るべきか。 昔から妙にイベントとか祭りめいたお遊びが好きな奴だったし、何かと感情を内に秘めがちなあいつにとって、そんな方法もアリなのだろうかとも思える。 それに、聞くところによれば、そのイベント自体も年々規模が大きくなり、内需の活性化にも一役買っているらしい。 情報伝達もグローバルな今、そんな一風変わった日本特有のイベントも、面白さと新鮮さで周辺国を中心に知られているようだ。 空になった紙コップをゴミ箱に、そろそろだよな、二人はのんびりとした足取りで会議室に向かう。 「ウチな、たまに聞かれんねん。日本さんに」 欧州で人気のあるチョコレートの種類とか。味とか。銘柄とか。 特にドイツではチョコレートの消費が高いと聞いていますが、あちらではどんなものが好まれるのでしょうか。 それから、東側と違って、西側では嗜好が違うことってあるのでしょうか……なんて、しどろもどろしながらやけに具体的に聞かれた時は、ちょっと驚いてしまった。 同時に、乙女のアンテナがピンと立ってしまったけれど。 ニヨニヨと向けられる眼差しが、悪戯っぽい光を含み、何やら楽しげだ。 「あー、ウチじゃチョコレートは男も女も良く消費するからじゃねえの」 「でも、欧州で食べ物って言ったら、まずイタちゃんとかフランスやろ」 少なくとも、日本で人気のある食べ物は、ダントツでこの二国である。もしくは、チョコレートの関して言えば、スイスとか、オーストリアとか。 でも、それらをすっ飛ばして、しかも敢えて西側とかって、なあ。 実に、実に意味深な視線と共に伺われ、プロイセンはあちらを向きつつ肩を竦める。 「……まあ、勉強熱心なんじゃね?」 あいつらしいだろ。やけに研究熱心だし、凝りたがるし、本場のチョコレートに好奇心が向くのは当然だろ。 微妙ににやけてしまう顔を思いっきり背けると、ふうん、ベルギーは判っているとでも言いたげに、ゆうるりと頷いた。 「まあ、自分がええて思うモンがええんちゃうって、言っといたけどな」 なんといっても、バレンタインなのだ。 勿論アドバイスは重要であるが、それはあくまでも一つの参考である。 大切なのは、自分が良かれと選んだものを、きちんと気持ちを込めて、好きな人に手渡すことであろう。 「で、どんなんもらってんのん?」 「どんなんって……」 我が国で開発しました。最近はこんなのが流行っているんですよ。実は今年の人気商品でして。今後の参考にするので、よろしければ感想をお聞かせください。 そんな言い訳がましい蘊蓄を加えて渡されるのは、濃厚な緑色の粉末がまぶされた、薫り高い抹茶ガナッシュ。不思議な甘みのあるきな粉のショコラ。 国内でもなかなか手に入らない銘酒を使った、日本酒や焼酎のボンボン。 内側から柔らかな生キャラメルが零れるキャラメルトリュフ。口の中でとろりと蕩ける、国産ブランデーで風味付けした生チョコレート。 隠し味に少量の塩を加えた塩ショコラを見た時は、如何にもこいつらしいと呆れてしまった。 味も、種類も、形も、パッケージも様々だ。 しかしそんな中でもプロイセンが思い当たるに、最初の頃から共通しているのは、自国メーカーが開発した国産チョコであることか。 自国で食べるチョコレートとは少々違っているものの、日本からのチョコレートはほぼ例外なく美味かった。 素直に褒めると、丸い頬をほんわりと染めて微笑むその顔を見るのも楽しかった。 良かった、小さな唇から零れるその言葉は、チョコレートよりも更に甘かった。 「えー。なんや、いじらしいやん」 それってつまり、自分が作ったものを食べて欲しいって事やろ。しかも、日本の食に対するこだわりは有名だ。 きっとそれらも、いろいろ考えて、流行をリサーチして、様々な工夫を凝らしたものばかりなのだろう。 「今年はどんなんやろな」 「そうだな」 特別な日に送る、特別なチョコレート。 毎年恒例のように日本から受け取るチョコレートを、密かにプロイセンは楽しみにしていた。 だから――それを目にした時、思わず声を上げてしまった。 「よろしければ、チョコレート如何ですか?」 国々が集まる会議室。人だかりの中心部で日本が差し出したのは、豪華なパッケージの小箱だ。 如何にもギフト然としたパッケージのそれを受け取ったのは、フランス……だけではない。 隣にいたのはイタリア、スイス、アメリカ、スペイン……それぞれが、日本から受け取ったのであろう、ギフト包装された可愛らしい小箱をそれぞれ手にしていた。 瞬間、頭で考えるより先に声が出た。 「てめえっ、なに俺様以外の奴に渡してんだよっ」 一斉にこちらを振り返る、国々の面々。 不思議そうに向けてくるそれらの真ん中、頭一つ小柄な日本も、きょとんと眼をまん丸くさせてこちらを伺っている。 どうしたんですか? 心底不思議そうな感情そのままの無防備な表情に、増々プロイセンは腹が立つ。 ずかずかと足音荒くその目の前までやって来ると、ぐいとその身を引き寄せるように、腕を取った。 「お前、俺の事が好きだったんじゃねえのかよっ」 ずっと俺様に渡していたじゃねえか、バレンタインのチョコレート。 お前んトコでは、特別な意味があるんだろ。知らねえと思って、俺様が判っていないんだと思ったら大間違いだ。 これだけきっちり毎年貰ってりゃ、馬鹿でも気付くっての。流石にそこまで鈍くねえよ。 ああ、そうだよ。ずっと気が付いてたっての、昔っからな。そんだけ熱烈に、情を込めて見つめられれば、どんな朴念仁でも気が付くだろうが。 それでも一歩、距離を置こうと思ったのは、自分の立場を理解していたからだ。 亡国なんてこの先どうなるか解らねえし、こいつは新興国としてのし上がっていかなきゃ駄目な時だし、それに、流石に弟子に手を出す訳にもいかねえだろ。 言っとくがな、俺様だって気ぃ使ったんだよ、一応。 いつまで経っても消えねえなって思っていたら、今度はあれだ、敵同士になっちまうし。 漸く仲間になったかと思えば、碌に顔を合わせる機会もねえし。第一お前、住んでるところが遠過ぎんだよ。 顔を合わせることもままならねえし、碌に二人で話も出来やしなかったじゃねえか。 しかも、気が付けばそっちとこっち、壁に阻まれて連絡もとれねえときたもんだ。 その上、あのヒーロー気取りの糞ガキに瀕死にされただの、牙を抜かれただの、骨抜きにされただの、犬に成り下がっただの、愛人だの。 そんな噂を聞く俺様の身にもなってみろっつーの。マジ、シャレになんなかったぜ。 漸く遮るものが無くなって再会出来たかと思えば、今度は世界第二の経済大国様だろ。 ああ、驚いたよ。誇らしかったよ。いつか俺達と肩を並べるって思って育てたやつが、気が付きゃとっくに追い抜いてたんだからな。 だけどな、同時に俺は絶望したんだよ。ああ、これは諦めなきゃいけねえよなって。 だってそうだろ。あの頃なら兎も角、今の俺じゃ、肩を並べるどころか、力を貸すことも出来ねえじゃねえか。 ただでさえ、気が付けばあの糞ガキがいつも傍にいるし、その上あちこちの国からラブコールを受ける身だ。 ああ? ラブコールじゃねえ、技術や経済援助の無心だ? ふざけんな。俺に言わせりゃ一緒だ、馬鹿。 そのくせ最近はソフトパワーだの、ポップカルチャーだの、アニメ? マンガ? オタク? わけ解んねえもんを流行らせやがって。 そのブームのお陰で、お前に惚れ込む奴まで出てくるし。ああ? 惚れ込むとではなく、のめり込む? 個人の趣味の世界? だから、一緒だっつってんだろ、んなの。 それなのに、お前がチョコレートをくれるから。 毎年毎年、律儀にバレンタインに合わせてチョコレートを持ってくるから。受け取ると、すげえ嬉しそうだったから。美味しいって言うと、本気で幸せそうに笑うから。 いや、実際すげえ美味かったけどよ。 そんなお前見てたら、やっぱりあの時とおんなじなんだなって。変わってなかったんだなって。あの時のままなんだなって。 俺と同じで、結局もう断ち切れなくなっちまってるんだなって……そういうの、解っちまったから。 「だったら、いい加減白状しやがれっ」 チョコレートと一緒に気持ちを伝えるのが、お前んトコのバレンタインなんだろ。 「てめえはとっとと、俺様に告白しろっ」 心底びっくりしたように目をまん丸くしていた日本が、数拍の空白を置いて、かあっと顔を赤くした。耳も、首も、真っ赤だ。 熱でもあるんじゃないかと心配するほどに。 当人ばかりが気付いていない、なかなかに熱烈な言葉の羅列。見守るように成り行きを眺めていた人垣から、ひゅうと口笛が零れた。 それに、日本は我に返る。 トマトみたいな顔で、わなわなと唇を震わせる。零れそうに見開かれた目が、水分の膜を張って潤んでいた。 あれ、こいつ泣くのか。思わず不安になり、そっとその顔を覗き込もうとした時、日本はがむしゃらに暴れてプロイセンの手を振り切った。 「あ、てめえっ」 逃げる体を捕えようと手を伸ばす。がっしと掴む手応えはあったが、なんと握り締めたそれは。 「スーツジャケット?」 「クール! 空蝉の術なんだぞっ」 「ちょ、日本っ。それ、マンガにあったよねっ」 「なにっ、ニンジャだとっ」 それぞれらしい反応が上がる中、当の本人たる本体の方は、背広を脱いだ姿で既に会議室の入り口まで避難済みだ。 あそこだ。誰かの声にびくりと震える。振り返ると、騒動を取り囲んでいたまあるい輪がゆるりと解け、中心部に立っていたプロイセンへと道が開けた。 「日本、てめえ……」 凶悪な顔でじろしと睨む彼に、慌てるようにきっちり九十度に頭を下げる。そして、失礼しますと言い残すと、一目散にその場を走り去った。 風のようだ。ニンジャ……何処からか、小さな呟きが聞こえた。 後に残されたのは、引き留めようと中途半端に手を伸ばしかけたプロイセン。 そしてその周囲から向けられる、呆れたような、剣を含んだような、面白がるような、白い無数のちくちくした眼差し。 「もー。駄目だよ、プロイセン。日本は恥ずかしがり屋なんだから」 「あんたって、ほんっと、無神経よね」 「兄さん、もう少し時と場所を考えてくれ」 「あかんやん、プーちゃん。あれ、半泣きやったで」 「解ってないなあ、日本じゃこういうのを無粋って言うんだよ」 「全く。君達はなに痴話喧嘩をしているんだい」 「日本君、あんな顔もするんだねえ。ふふっ」 「相変わらず、どうしようもないお馬鹿さんですね」 「てめえ、なに勘違いしてんだよ。ばかあっ」 「ほんま、今のはあかんわ」 ベルギーも、苦笑しながらやれやれと首を横に振った。なんだよ、てめえまで。ぐう、とプロイセンは唇を引き締める。 先ずは、誤解を解くべきか。 「あんな。このチョコレート、ウチももろてんで」 フランシスの持っていた可愛らしいパッケージを指で示す。手の平サイズの小さな箱。中にはトリュフチョコレートが四つ入っているものだ。 実はこれは、日本にある某デパートで企画された、今年のバレンタイン商品の目玉の一つでもあった。 美食で有名なフランスやイタリアをはじめ、アメリカやオーストリアやスペイン等も含め、世界各国それぞれのショコラティエが自分の国をイメージして創作したチョコレートである。 因みに、この売り上げの一部は、子供の義務教育向上の為の資金として、某慈善国際機関を通じて寄付をする予定だ。 日本がそれぞれに手渡していたのは、そのサンプル品であった。 個人的な物ではない。そう気が付くと、プロイセンの肩から力が抜けた。なんだ、そうだったのかよ。 気の抜けた顔に、びしりとベルギーは指を立てる。 それにな、需要な事を忘れてへんか。 「バレンタインって貰うばかりやったらあかんねんで」 プロイセンはチョコレートを受け取ってんやろ。だったらちゃんと、ケジメはするもんやで。 マシュマロ、キャンディー、トルテにクーヘン、シュトゥルーデルにフロレンティーナにアイアシェッケも。 すっかり重くなった紙袋を揺らし、クリーニング済みのスーツジャケットの入ったガーメントバッグを確認すると、プロイセンは古風な木製の門を見上げた。 ベルギーに聞いた話では、返答の意味によって、それぞれ渡すものが変わるらしい。 だが、あまりに諸説あり過ぎて、最近では意味を成さず、一周回って結局何でも構わないとの結論になっているようだ。日本の文化、謎過ぎるぜ。 だから、とりあえずありったけ、あいつが喜びそうなものを持ってきた。 あれこれ考えていたら結構な量になってしまったが、それでも食いしん坊の爺の事だ、多分全部食うだろう。 食べ切れないようだったら、全部食べ切れるまで、俺様が一緒に居てやってもいいしな。 それに、ベルギー曰く、お返しは三倍返しが基本らしい。そういや、少し前にテレビで流行っていたみてえだよな。 フランスにそういったら、ネタが古いと馬鹿にされたけど。 件の会議から、今日でおよそ一ヶ月。 バレンタインデーから、ちょうど一ヶ月。 最初にチョコレートをプレゼントされたバレンタインからは、もう随分経ってしまった。 流石に今更な気がしなくもないが、それでも何もしないよりはいいだろう。 それに、折角のイベントなんだからな。いい加減、ここで決着を付けてやる。 赤い薔薇の花束を持ち直すと、プロイセンは小さく咳払いをした。大丈夫、マニュアルは読破したぜ。気合を入れるように、よし、と姿勢を正す。 そして、純和風の門にはやや不釣り合いな、インターホンのボタンに手を伸ばした。 end. バレンタインネタ第二弾 又は、女子と祖国と師匠ネタ第三弾 どんだけチョコレート好きやねん、自分 2016.04.30 |