サクラクラフト
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 あれ? 角を曲がった所で、桜は足を止めた。


 仕事場から最寄りの駅前にあるこの書店は、ファッションビルのワンフロアを使った、なかなかに大型な店舗だ。 種類も豊富で、ジャンルも幅広く、ついでにソファも設置されている。 なのでゆっくり物色したい時には、日頃から重宝していた。
 その一角。目に入った後ろ姿に、思わず立ち尽くす。
 間違いない、というか、間違えようがない。 如何にも「外国人」らしい骨格と長身、如何にも「外国人」らしい彫りの深い目鼻立ち。 それだけでも充分目を引くが、加えて銀と言っても差し支えないプラチナブロンドに、 更に加えてかなり特殊な色彩を帯びた瞳の色。 外国人が多い我が会社内でも、その極端に目立った容姿から、彼はそれなりに有名人であった。
 多分、海外事業部の。そう言えば、最近何かで、彼の名前を目にした記憶があるような。 確か――ギルベルト・バイルシュミット氏だ。
 ……して、その彼が何故ここに?
 ちら、と桜は視線をあげる。 天井からぶら下がるのは、解りやすい太字のフォントで、このコーナーの取り扱い書籍の記載されたプレートだ。 趣味・実用品と書かれたその下、彼が立つのは、 編み物やパッチワークやぬいぐるみなど、手芸・手作り雑貨本が陳列される場所だ。 台に積まれたほのぼのしいデザインの本の前、 スーツ姿の男前な外人さんが、眉間に深い皺を寄せ、厳しい眼差しで平積みの本を見下ろす様は、 非常に失礼と思いつつ、なかなかなシュールさが伺える。
 一見強面にも見える彼は、実は手芸が趣味だったのだろうか。 なんだか凄く意外ですが、いやいや、偏見はいけません。 可愛いのが好きなのは、なにも女性の専売特許とは限らない。 手先の器用さとかには性別は関係ありませんし、男性の手芸作家さんだって沢山いらっしゃいますからね。 あれか、手芸男子。
 あんまりじろじろ見るのも失礼であろう。 桜はそう自分に言い聞かせると、視界の中心から彼を外し、目的の本棚の前へと足を進めた。
 ただ……そうなると、どうしても彼の直ぐ傍になってしまうのだけれど。
 極力視界に入れないように、一人分のスペースを開けて棚の前に立つと、連なる背表紙を目で追いかける。 さて、どれがいいでしょうか。心の中で呟きながら、慣れた調子で目に止まったものを手に取った。 もともとこのコーナーには、よく足を運んでいる。 どんな本がどの辺りにあるか、大体は把握していた。
 学生の頃からの友人に電話をしたのは、昨日のこと。 大学卒業後、直ぐに結婚した彼女は先月出産、無事元気な男の子が生まれていた。 近い内に会いたいねとの話の流れで、お祝いに何か希望があるかと尋ねた所、 そこは流石に手芸サークル仲間、手作りのキッズ用品が欲しいとのリクエストをされる。
 可愛いのをお願いね、との語尾にハートマークを付けての催促に、 ならば、是が非でもお気に召すものを作ってみせましょう。 私のゴールデンニードルが火を吹くぜ。 久々に沸いた創作意欲に、意気込んでデザインの参考にと、こうして本屋にやって来たのだが。
 なんか――すっごく、視線を感じます。
 見られてます。ガン見されています。 開いた本に視線を集中させながら、桜はぎこちなく唇を引き締める。
 ちらちら伺うなんてもんじゃない。 痛い位に視線の矢印にほっぺたを突っつかれ、思わず身が硬くなる。 気のせいでしょうか。自意識過剰でしょうか。この本が読みたいのでしょうか。私、なんか変なのでしょうか。
 同じ会社に勤めているものの、彼とは部署も違うし、話をした事もないし、面識どころか接点さえない。 その飛び抜けて目立つ容姿故、確かにこちらは彼を知っている。 しかし彼が、こちらを知っているとはとても思えない……のだけど?
 あからさまにも思える視線攻撃に耐えかねて、 意を決し、出来る限り自然に、さり気ない風を装って、桜は顔を上げた。 ばちりと合う視線。矢張り、気のせいでは無かったか。てか、既にその顔が、思う存分こちらを向いてます。
 明らかに、判りやすく、はっきりと見下ろしてくる隣人に、桜は曖昧な笑顔を浮かべて会釈した。 見知らぬ人に対して無難な反応をしたつもりではあるが、 彼は待ってましたとばかりに、にんまりと唇を吊り上げる。 途端、遠目には怜悧にも思えた端正な美貌が、悪戯好きの小学生男子にがらりと変わった。
「なあ。あんた、見たことあるぜ」
 あれだよな、同じ会社の奴だよな。そうだろ。
 黄昏のような色彩の瞳を、こんなに近くで見たのは初めてだ。 だけど、強い目力とは裏腹に、随分と人懐っこい。はあと間の抜けた声を上げると。
「あんたさ、こういうのに詳しいのか」
 手芸とか、手作りのとか。そういったの、よく知ってんのか。 手にある本を掲げて示す彼に、少し間を開けて小首を傾ける。
「その……詳しい、という程ではありませんが」
 まあ、こうして本を買って、自分で作ろうかと思う程度には。 ややぼやかした返答。 しかし彼は、嬉しそうに、そして少しばかりほっとしたように笑うと、一人分離れていた距離をずいと詰める。
「じゃあさ、ちょっと教えてくんねえ?」
 本はいっぱいあるけれど、あんまり種類が多過ぎて、どんなマニュアルが良いのか、ちっとも判んなくってさ。
 きょとんとしたままの桜に、彼はケセセと特徴的な笑い声を上げた。





「弟さん、ですか」
 本棚から少し離れたスペースに設置された、スタイリッシュなフォルムのソファ。 並んで座った彼は、スーツのポケットからスマートフォンを取り出した。
「ああ、ルートヴィッヒって言うんだ」
 ほら、これ。差し出されたそれを受け取り、覗いた画面に思わずほおおと声を上げる。
 待ち受けにされた写真は、透き通るような薔薇色の頬も丸い、金髪碧眼の子供の寝顔だ。 まるで西洋絵画か、はたまた絵本に出てくるエンジェルか。 ほっぺがぷくぷくです。睫毛が長いです。背後に天使のオーラを感じます。
 目をきらきらさせて見入る桜に、ふふんと彼は実に満足気に頷いた。 曰く、今年で五歳になるらしい。
「歳が離れているんですね」
「まあな」
 でも、ちゃんと血の繋がった兄弟なんだぜ。 俺様に似て、優しくて、賢くて、真面目で、しっかりしてて。実物はもっともっと可愛いんだ、これが。
 嬉しそうに笑う彼から、弟煩悩さがひしひしと伝わる。なんだか意外だ。 その切れるような眼差しや容貌から、クールで、都会的で、生活感を感じさせない印象さえあったのに。 というか、オレサマ?
「実は最近、俺の両親が死んじまってさ」
 えっと、桜は瞬きをした。しかし、そう言えばと思い当たる節もある。
「あの……三か月ぐらい前の、ですか?」
「知ってんのか」
「総務ですから」
 海外に本籍を置く社員が少なくない中、冠婚葬祭関係での特別休暇は、どうしても長期になりがちだ。 その申請書は、総務である桜の部署が受け取り、処理をする。 特に社員の近親者の忌引きである場合は、会社から香典が送られたり、 見舞金代りとして帰国費用を一部負担したりと、諸々の雑務が生じる場合がある。 ああそうか、それで彼の名前が記憶に残っていたのか。
 そっか、と彼は納得したように軽く頷いて。
「でさ、今度弟を保育園に入れる事になったんだけどよ」
 時期外れであったとは言え、なんとか入園可能な保育園は見つかったものの、 しかし事前説明を聞いて弱り果てていたのだ。
 通園者のルールや、その他の決まり等に関してではない。 幼い弟も、兄の事情を理解をしてくれている。 ただ問題は、入園に当たって保護者が準備しなくてはいけない、所謂「保育園グッズ」の事だ。
 日中、幼い子供を預けるのだ。それなりに必要なものがあるのは当然だろう。 だが、細々とリストアップされたそこに書かれた注意書きに絶句した。
「出来れば手作りが望ましい……って書かれててさあ」
 勿論、市販品でも構わないとは、説明の時にも聞いていた。 しかし、それぞれにサイズや、名札を付ける場所等が細々と決まっており、 寧ろこれに見合った物を探す方が大変そうである。
 難しいものではありませんからと言われても、こちらとしては裁縫なんてした事がない。 ソーイングセットも家にあるだろうが、それが何処に仕舞ってあるかさえ判らないのだ。 第一、ミシンなんて持ってねえよ。
 それでも、幼い弟に惨めな思いはさせたくない。 まだ子供故、何処まで両親の死を理解しているのかさえ判らないが、 それでもいじらしい様を垣間見せる弟の為、これから寂しい思いをさせてしまうだろう弟の為、 せめて自分の出来る事はきっちりやってあげたかった。
 やったことが無いなら、せめてやり方を知ろうと思い、足を運んだのがさっきのあの場所だ。
 矢張り、同じ悩みを持つ保護者はいるらしい。 コーナーにはそれらしい本が、思った以上に沢山並んでいるじゃないか。 しかしあまりにあり過ぎて、どれを選べばいいのかさえ判らない。 で、どれが一番初心者向け? どれが一番簡単だ? どれが一番判りやすい? 
 眉間に皺を寄せて選びかねていた所、隣に立ったのが桜だったと言う訳である。
 本を選ぶ慣れた様子に視線を上げると、社内で見覚えのある横顔であったのは、ギルベルトにとって幸いだった。 判らないなら聞く方が早いと……と声をかけたのが、ここまでの流れらしい。
「なーんかもう、結構頭ん中、ぐっしゃぐしゃになっちまってさ」
 その感情のままに、わしわしと自らの髪をかき回す。 ぴんと跳ねた毛先をそのまま、ふうと彼は溜息を落とした。
 両親の死因が交通事故であった為、保険やその他の手続き、遺産に関する役所の遣り取り、 その上裁判絡みのいざこざもある。 いっそ幼い弟の面倒を見ようかと申し出る母国の親戚もいるのだが、 最後に残ったたった一人の家族と離れ離れになるのだけは、何があっても避けたい。
 色んな事が一気に起こった、ここ最近。 あれこれとやらなくてはいけない諸々に押し迫られ、必要に駆られ、 今までの日常に加え、日頃分担していた生活の事も一手に引き受けて。 その上で、手芸などした事も無い中での、「保育園グッズの作成」だ。 こんな時こそ親に頼っていただろうが、しかしそれももうできない。
 椅子の背もたれに長身を預ける彼に、桜は言葉もなく眉尻を下げた。 大変ですね、その台詞さえ口に出すのが憚られるような状況に、気の利いた言葉さえ出ない。
「……でも、ルッツの為にも、お兄ちゃんが頑張らなきゃな」
 こんな事で根を上げてたら、兄貴としての立つ瀬がねえよ。 弱音吐いてる場合じゃねえし。俺様がしっかりしなきゃどうすんだよ、なあ。 苦笑しながら零れた言葉が胸に痛い。
 よっと姿勢を正し、手にあった手芸雑貨の本を開く。 でさあ、ミシンって、何処で買えばいいのか教えてくんねえ? 布とか糸とかも、そこで売ってんのか?  こっから一番近くの店って、何処になるんだ? どんなマニュアルなら、超初心者の俺様でも判ると思う?
 あの、控え目な声に、ん? とギルベルトは顔を上げる。


「よろしければ……それ、私が作りましょうか?」




next?




ya○ooのお悩み相談&その回答を見て妄想しました
人様の真剣な悩みをネタにする不謹慎をお許しください
2013.10.09







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