サクラクラフト <10> 自分が疲れているであろう自覚はあった。 突然両親を失ってから、こちら。 こなさなくてはならない日々に追われて、幼い弟に心配をかけないように気を張りつめて、役所や弁護士との相談に没頭して、余計な事を考えないように仕事に集中して。 喪失を実感する時間を作らないように、思い出を振り返る暇がないように、そして自分の疲れを気付かないように。 そうしなくてはいけないと思っていた。そうせざるを得ないと思っていた。その方が楽だと思っていた。 なのにあの瞬間、油断した。 心の内の柔らかい部分が、不意にほつれてしまったのだ。 取り出したそれらに、思わず二人は目をまん丸くさせた。 「にいさん、くまだっ。ひつじも、うさぎもいるっ」 布団カバーには、ルートヴィッヒが一緒に選んだ、淡い水色のストライプ生地が使われていた。 ストライプの空色を夜空に見立てて三日月が昇り、もこもこしたボア生地で作られた二匹の羊と、その背中に小鳥が二匹。 それぞれ寄り添い、目を閉じて眠っているアップリケが足元部分にあしらわれていた。あ、空の星も二つ、寄り添って寝てるし。 そしてもう一方は、上部に繋いだ白い布無部分に、クマやウサギ、ゾウと犬が、 首下からのストライプ部分の布を布団に見立てて、皆で布団に手を添えて眠るようにアップリケが付けられていた。 ……って、え? もう一方? 二つ? ギルベルトはばさばさと広げる。 うがい用のコップを入れる巾着袋には目と口が付いたカップ、着替え用の服を入れる巾着には同じく目と口を付けたTシャツ、上履き用の袋にはにこにこ笑った靴が。 それぞれ使用するものに合わせて、可愛らしいキャラクターとなったフェルトのアップリケがあしらわれている。 通園用に作られた手提げ袋は、更に凝っている。 カラフルなフェルトでドイツ語のアルファベートを使ったルートヴィッヒの名前が、ウサギやクマ、花や星と共にあしらわれていた。 それ以外にも、小鳥が付いた枕カバー、クマやフォークとスプーンのシンプルで素朴な刺繍が付いたランチョンマット等々。 しかも、どうやら洗濯頻度の高そうなものは、指定された数よりも大目に入っているようだ。 すげえ……声に出さずにギルベルトは呟く。 なにが大したものは作れない、だよ。なにが手すさび程度のもの、だよ。 布を一枚縫い合わせるだけ? ボタンを付けたら直ぐ? 直線ばかりだから簡単? 下手な市販品なんかよりも、もっともっと手が込んでいて、もっともっと複雑で、もっともっとカワイイじゃねえか。 普通に売れるぞ、これ。つか、マジであいつが作ったんだよな? 「なあ、なあ、にいさんっ。これっ」 ルートヴィッヒの小さな手に握り締められているのは、二匹の小さなテディベアのマスコット。 わざわざついているキーホルダー用の金具も、彼女が付けたというのか。 「これって、もしかすると、おれとにいさんなのかっ?」 ほら、握り締めた手を開いて見せる。片手には、青い目をした金色の毛並の小さなテディ。 もう一方の手には、赤い目をした白い毛並みのちょっと背の高いテディ。ふおおお……兄弟二人で思わず目を輝かせる。 「すごい、すごいぞ、にいさんっ」 もともと表情を面に出すのが苦手な性質であったが、件の事故の後から更に表情が硬くなりつつあった。 しかしそんな弟が、まるいほっぺを真っ赤にして、見えない小花を散らして、瞬きしている。 「良かったなあ、ルッツーっ」 堪らない感情のまま、小さな体を力いっぱい抱き締めた。兄さん。苦しい。じたばたと暴れるが、そんなの知ったこっちゃないぜ。 更にぎゅうぎゅうと力を入れてやった。 なんだよ、あいつ。すっげえじゃねえか。口では大したことないなんて言ってたくせによお。ぐしりと鼻を啜る。 「……そうだ、手紙」 はた、と思い出す。 会社では見ないで下さい。その約束を守り、誘惑に負けないようにと、紙袋の一番奥に収めていた二通の手紙を取り出す。 そしてその内の一通を弟へ差し出した。 「ほら、ルートヴィッヒくんへ、って書いてるぞ」 「おてがみかっ?」 受け取り、表に書かれた文字をまじまじと見つめ、ルートヴィッヒは丁寧な手つきで中に収められた便箋を開いた。 じいっと見つめる幼い顔に並び、プロイセンも一緒に覗き込む。 「にいさん、よんでくれ」 「おう」 太めのペン字は、やや大きく、ひらがなのみで書かれていた。内容は簡単なものである。 土曜日にお買い物のお手伝い、ありがとうございました。とっても楽しかったですね。 ルートヴィッヒ君が新しい幼稚園で頑張れますようにって、作りました。 お兄さんの言う事をちゃんと聞いて、でもなにかあったら、私のことも頼ってね。 初めて貰ったお手紙に、ルートヴィッヒはほっぺたをぷくぷくさせた。 じいっと見下ろし、大切に、大切に、手紙の文字を指先で撫でる。 それに目元を和ませ、ギルベルトはもう一通の手紙を取り出す。約束通りに、ちゃんと家まで開けないでいたぜ。 今日一日、途中で何度も手が伸びそうになったから、見えないように紙袋の一番奥にしまい込んでおいたんだからな。 心の中でそう伝えつつ、綺麗に角を揃えて折り畳まれた、便箋を開いた。 最初に記されていたのは、紙袋の中身、制作されたグッズのリストであった。 布団カバー、敷布団カバー、枕カバー、それぞれ二組。ランチョンマット、三組。 通園カバン、上履き袋、お着替え用巾着、うがいカップと歯ブラシ用巾着……。 フックに引っ掛ける用に紐を付けたハンドタオルは、買い物の際にお話していた通り、市販のものに紐を付けました。 布団や枕のカバー、ランチョンマット等、数が多めのものは、お洗濯が間に合わなかった時用に念の為に余分に作りました。 彼女らしい丁寧な、しかしどこか柔らかさのある文字を辿りつつ、深く納得する。そうか、自分ではそこまで考えもしていなかった。確かにそれは有難い。 先日はお買い物にお付き合い下さって、ありがとうございました。 ルートヴィッヒ君に会えて嬉しかったし、とっても楽しかったです。 こんなことしかできませんが、お二人のお手伝いが出来て、とても良かったと思っています。 とっても楽しく制作しました。私に出来ることがあれば、またお手伝いさせて下さいね。やべえ、目の前が滲んで読めねえよ。 「……そうだ、本田にお礼」 先ず、一言だけでも。携帯電話を取り出すと、慌てたように、ルートヴィッヒも立ち上がる。 「おれも、ほんだに、でんわしたいっ」 「おう、ちょっと待ってろ」 携帯電話を取り出すと、ソファーに座って操作した。 その隣、横から肩にしがみ付き、興奮に鼻息荒く、瞬きをしながらルートヴィッヒはそわそわと待つ。 耳に当てた携帯電話から伝わるコール音。ニ回、三回……ちょっと遅いな……七回、八回、あれ、今出られねえのかな。 留守電録音に切り替わりそうなぎりぎりのタイミング、ぷつりと呼び出し音が途切れた。思わずギルベルトが前のめりになる。 「……はい」 掠れた声は、何処かぽやぽやとしていた。 「よお、本田。今、大丈夫か」 少し間を置き、小さく向こうで咳払いする声が聞こえる。 「はい、大丈夫です」 第一声よりも、やや明瞭になった声。あれ、もしかして。ちらりとギルベルトは壁の鳩時計を見上げる。 「ひょっとして、寝てたか?」 声が、なんだか寝惚けていたみてえだけど。 「ちょっと……うとうとしていたみたいです」 お風呂、お湯が張るのを待っていて。すいません、でも大丈夫ですよ。バイルシュミットさんのお陰で目が覚めました。ありがとうございます。 会話が続くにつれ、声に意識が伝わってきた。 「そっか……なあ、ちょっと待っててくれよ」 言いながら、隣でほっぺたをくっつけんばかりに聞き耳を立てるルートヴィッヒに、持っていた携帯電話を手渡す。 ほら、ルッツ。本田だ。受け取り、頷くと、ルートヴィッヒはどきどきしながら、耳を当てた。 「ほんだ?」 「ルートヴィッヒくんですか?」 電話の向こうの柔らかな声に、ぱあっとルートヴィッヒは小花を飛ばす。 「ああっ。あの、あのな、にいさんから、もらったんだ。さっき。おてがみも」 本田が作ってくれたって。保育園の。全部。いっぱい入っていた。興奮気味に必死に伝えるルートヴィッヒに、ふふっと小さな笑い声が聞こえる。 「そうですか。ルートヴィッヒ君、気に入ってくれましたか?」 「ああ、もちろんだっ」 うさぎとか、羊とか、いっぱいついていた。本田が作ったのか。くまのぬいぐるみもあったぞ。小さいのが、二つ。くっついていた。 あれって、俺と兄さんなんだろう? 明日、保育園に持って行く。鞄とか、布団のとかも。 言いながら、ちらとルートヴィッヒは隣に座る兄を見上げた。こくりと頷き合い、ルートヴィッヒは大きく息を吸う。そして。 「ほんだ、ありがとう。おれの、つくってくれて」 「すっごくありがとう。ありがとうございましたっ」 「どういたしまして」 染み入るような声には、彼女の笑顔が伝わってくるような気がした。 ギルベルトが手を差し出すと、ルートヴィッヒは持っていた携帯電話を兄に返す。 耳を当て、本田、その名を呼ぶと、はい、近い距離からの返事。 もうお熱の方は大丈夫ですか。今は引いているし、夕飯もしっかり食べた。すっかり元気だぜ。よかったです。安心したような柔らかな吐息。 「ルートヴィッヒ君に、ありがとうって言ってもらっちゃいました」 「ああ、すげえ喜んでいる」 突然の入園決定だったので、今はとりあえず、園で余分に用意している仮の布団カバーやなにやらを借りていたのだ。 漸く自分のものが出来たから、尚更嬉しいのであろう。今もそこで、前に広げたそれらを手に取って、しみじみと眺めている。 「良かったです」 「本当にダンケ。感謝している。ありがとう」 「いえ、お役に立てて何よりです」 「すげえ手が込んでいるよな、あれ。もしかして、一日で作ったのか?」 だって、土曜日に買い物に行って、日曜日で、んで、月曜日の今朝渡してくれただろ。すっげえ早くね? てか、さっきのうたた寝って、もしかして寝不足したんじゃねえの。無理したんじゃねえのか。 「ある程度は準備していたので、一日で全部って訳じゃありませんよ」 彼自身から急かすような言葉は無かったが、何となくできるだけ早く必要なんじゃないかとは感じていた。 なので話を聞いた時から、デザインだけはおおまかに考えていたし、アップリケや飾り部分に関しては、先に手元にあった余り布で出来る範囲で仕上げておいて、 買った布を縫い合わせるだけの状態にしていたのだ。 クマのキーホルダーはそんな最中にふと思いつき、それこそ下準備やデザインを考える片手間に作ったものだ。 元々何か手作業している方が考えが纏まりやすいタイプなので、その副産物である。 そんなものなのだろうか? 手作業をしながら考えをまとめると言うのはなんとなく理解出来るが、手芸に疎いギルベルトには良く解らない。 今度、エリザベータにでも聞いてみるか。 「あと……手紙、読んだ」 ああ、えっと。なんだか、お恥ずかしいですね。本当に、大したことは書いていなかったでしょう? すいません。 なんでそこで謝んだよと指摘すれば、そうですね、すいませんと返された。二人で吹き出す。笑いながら、じわりと涙が滲んだ。 ぐすりと鼻を啜り、しゃくり上げそうなギルベルトの呼吸が整うのを、電話の向こうは静かに待っている。きっと、気付かれているのだろう。 へへっとギルベルトは笑った。 「なんか、本田にはみっともないとこばっか見せてんな」 「みっともなくなんかないですよ」 一生懸命頑張っている人を、みっともないなんて思いません。大切な弟さんの為に頑張る、とってもとっても素敵なお兄ちゃんなんですから。 「バイルシュミットさんは、とてもカッコいいです」 受話器のこちら側で、思わず息が詰まる。 じわじわ熱くなる顔、によによ波打つ唇。やべえ、電話で良かった。今絶対、変な顔している。 隠すように口元を抑えるが、当然あちら側にそれは解らない訳で。 「それに、私の方こそ……なんていうか、えっと、すごく嬉しいです」 そんなにも喜んでもらえるなんて。私、凄くお節介なところがあるから。また、一人で勝手に出しゃばったんじゃないかなって、ちょっと心配してました。 何をそんな……謙虚と言えば聞こえはいいが、いっそ自虐的とも取れる彼女に、思わず電話のこちらでしかめっ面になるが。 「実は、凄く久しぶりだったんですよ。誰かに自分から、何かを作るなんて」 同じ会社の女友達には、彼女達からの要望でスカーフを作った。 学生時代の友人の出産プレゼントには、彼女からのリクエストがきたので作成する。自分から作成を申し出る事はしない。 高校時代の苦い思い出と割り切ったつもりではいるが、思った以上に自分は傷ついていたようだ。 作りましょうか……自らそう言ったのは、学生時代のあれ以来、ギルベルトが初めてである。 「だから今回、こうしてお手伝いが出来て、本当に良かったです」 お礼を言いたいのはこちらの方です。こちらこそ、こんな機会を下さって、ありがとうございました。 優しい声音を耳に、ぎゅうっとギルベルトは胸が痛くなる。あ、やべえ。また泣きそうだ。震えそうになる声を、腹の底で抑えながら。 「なあっ。改めて、ちゃんとお礼させてくれよ」 「いえ、もう充分頂きましたよ」 それに多分、バイルシュミットさんが思うほど、手間なものでもありませんでしたから。 彼女の偽りない本心なのかもしれないが、いやそうじゃなくて。 「俺がしてえんだよ。ちゃんと。本田に」 受話器のこちら側で、ぐっと前のめりになる。 こんな電話越しなんかじゃなく、ちゃんと直接伝えたい。 もっと、会って、直接目の前にして、何度でも、言葉だけじゃなくて、それだけじゃなくて、そうじゃなくて。 「お前に会いたいんだ」 受話器の向こう、小さく息が詰まる音が聞こえた。 強張ったような気配に、あれ、俺なんか変なこと言ったっけ? だって、あれだ、ルートヴィッヒにも、ちゃんとお礼を伝えることを教えたやりたいし。それから。それから。あと、つまり、その。だから。 思わず言葉をつづけると、小さな笑い声が聞こえた。 「ああ……はい。勿論、喜んで」 ええ。いえ、そうですよね。いやだ、私ったら。はい、私もルートヴィッヒ君にお会いしたいです。すごく楽しみにしていますね。 くすくす交じりの柔らかい声は耳に心地よいけれど、やっぱり電話越しではなく、直接聞きたいと思った。 じゃあ、明日。おう、食堂で待ってっから。ああ……そう、前に一緒にした、そう、あの辺りで。うん……おう、お休み。 ふーと長く息をつきながら、ギルベルトは余韻を噛み締めるように携帯電話の通話を切る。 俯いていた顔を上げると、実に分かりやすく充実感が唇に滲み出ていた。 しかしルートヴィッヒと目が合うと、一度ニヨッと笑い、即座にきりりと引き締める。 「よし、ルッツ」 至極真面目な兄の声に、ぴし、とルートヴィッヒは姿勢を正す。 この声は、約束事を復唱させたり、翌日の大切なスケジュールを伝えたり、ご飯の支度が出来たり、部屋の片づけを開始したり、そんな大切ななにかの時のものだ。 「これから作戦会議を行う」 一緒に考えるぞ。ヤー。敬礼付きの弟の返事に、厳めしく頷き、腕を組む。 「課題は、本田にお礼を伝えるにはどうすればいいのか、だ」 これは俺達の今後を左右する、極めて重要な会議であり、計画だ。失敗は許されない。しっかりと心して掛からなければならない。 しかし、俺様のカッコよさとルッツの賢さをもってすれば、きっと最良の案を導き出せる筈だ。 二人、固く握った拳をぶつける。 「よおし、本田にありったけの気持ちを伝えてやるぜ」 end. ルッツ君の保育園グッズのデザインは 某アランジさんの手芸本より一部拝借 ここから二人の関係が進展する……のかもしれない 2015.04.25 |