フェザータッチ・オペレーション
<25>





客船の甲板に設置されたベンチ。
並んで座った彼から差し出されたその写真を、二人の兄弟は先を争うようにして受け取った。 潮風に金の髪を靡かせながら覗き込むと、眼鏡の奥にきらめく瞳を好奇心いっぱいにさせて、 湖のように青い瞳を瞬きさせる。
「わお、おれたちよりもちいさいんだぞ」
「かわいいですね」
写真は三枚あった。 いつも大切に持ち歩いているものらしく、縁がほんの少しくたびれている。
一枚は、家族の集合写真のようだった。三人の子供が座るソファを中心に、 眼鏡をかけた繊細そうな青年と、何処か不敵に笑う青年と、優しい笑顔を湛える女性が立っている。
もう一枚は、三人の子供のみ映されたものだ。 無表情な黒髪の子供を中心に、生真面目な金髪の子供とほわりと笑う茶髪の子供が、 両サイドから手を取ったポーズで並んでいる。
そして最後の一枚は、恐らく二枚目の写真の直後に撮影された物なのであろう、 子供三人の位置はそのままで、両サイドから挟むようにしてぎゅっとくっついて、抱き合っているものだった。 戸惑いながらもくすぐったそうに目を瞑る黒髪の少年と、はにかんだように柔らかな頬を寄せる金髪の少年と、 嬉しそうに笑顔を全開にさせる茶髪の少年。三人の仲の良さが滲み出る、微笑ましいものである。
「これ、すっごくキュートなんだぞっ」
これが君だよね、まるでドールみたいだ。 快活に顔を上げる少年の隣で、もう一人の少年は遠慮がちに笑って頷き、同意する。
「とってもすてきなしゃしんですね」
ありがとうございました。 御礼を言って返した三枚の写真を、彼はどういたしましてと受け取り、にこりと穏やかに微笑む。 何処か神秘的なそれに、一人はぱあっと星が飛び散るような笑顔になり、 一人は気恥かしそうに胸に抱いていたクマのぬいぐるみに顔を埋めた。
彼は受け取った写真を、程良く使い込んだ革のトランクバッグの中に丁寧に仕舞い込む。 そして代わりに、硝子の小瓶を取り出した。
手を出すように示されて、二人の兄弟は紅葉のようなそれを並べて差し出す。 コルクの蓋をきゅっと開けて軽く振ると、少年達の掌にカラフルな金平糖が転がった。
みゃあみゃあと海猫の鳴き声が、けたたましく頭上で響く。
見上げる空は青い。港は、もうすぐそこだ。

















教会の中は、凛とした空気が張り詰めていた。
人のいない大聖堂の壇上、ステンドグラスの光を集めた中央。 法衣姿で姿勢を正すと、祈りのように胸に手を当て、深く大きく息を吸う。
吐き出す息と共に唇が奏でるのは、伸びやかなる讃美歌。
張りがあり、繊細な歌声は、広い大聖堂の隅々まで、沁み渡るように拡がる。 街で一番大きなこの教会にて行われる年に一度の特別式典に置いて、彼はかなり長い期間ソロを任されて来た。 透き通るようなボーイソプラノから、今は滑らかなテノールに変わったけれど、 その歌声の見事さは更に磨きが掛かっている。
しかし残念ながら、それも恐らくは今年で終わるだろう。
祖国に帰った彼は、長らく公的機関に委託していた一族の事業を、先日正式に相続する事が決定した。 兄との共同経営となる予定だが、そうなれば今までのように式典に参加するのは難しくなる。
それを少し寂しく感じながら、壁に凭れた体勢で、美しい歌声を聞き入る。 そして、最後の旋律が消え入るタイミングに合わせ、惜しみない拍手を送った。
「ルーイ」
向けられる笑顔は酷く人懐っこい。 先程まで彼を包んでいた侵しがたい程の神聖な清廉さが、一瞬でかき消えてしまう。
それに苦笑しながら、ルートヴィッヒはゆっくりとそちらに足を運んだ。
「流石だな、フェリシアーノ」
素直な褒め言葉に、フェリシアーノはえへへと笑う。彼の歌声は素晴らしい。 ローデリヒとエリザベータの結婚式の際にも披露し、参加者全員に感動を与えていた。
「迎えに来た。そろそろ行こうと思ってな」
「あれ、もうそんな時間だっけ?」
「遅れて待たせてはいけないだろう」
それに、港までの道中、何があるか判らない。時間には、常に余裕を持って方が良かろう。 厳めしく告げると、確かに待たせたくは無いもんねと頷く。
「待ってて、直ぐに着替えてくるから」





こっちにはどれぐらい滞在できるんだ。兄ちゃんに頼んでいるから、同じぐらいは一緒にいるつもりだよ。 でもさ、兄ちゃんがこっちにも連れて来いって煩いんだ。そう言えば、アントーニョも同じ事を言っていたな。
法衣から普段着に着替えたフェリシアーノは、ルートヴィッヒと並んで彼の自動車へと向かった。 しかし、教会の前に停車していたそれに、あれえ、と瞬きする。
「ギルベルト兄ちゃん達は一緒じゃないの?」
皆で一緒に出迎えに行くと思っていたのに、どうやらルートヴィッヒ一人であったらしい。 ああと頷き、車のドアを開きながら。
「兄貴はローデリヒの所で待つそうだ」
「えー、エリザベータも?」
「特に彼女は、体の事もあるしな」
長時間自動車にに揺られのは、矢張り体に触るだろう。 今は安定期に入ってはいるが、母体の健康の為にも、極力無理は避けるべきだ。 その言葉に、確かにと納得する。今の彼女には、何は無くとも身体の大事を優先して欲しい。
ドアを開き、すとんと助手席に腰を下ろすフェリシアーノに、ルートヴィッヒはふと目を細めた。
「…それは」
「ん?ああ、用意して来たんだ」
可愛いでしょ。えへへと笑って掲げるのは、清楚でこじんまりとした花束。 丁寧に手に抱えるこの花には、ルートヴィッヒにも見覚えがある。
「あの花か」
「うん」
幼かったあの頃、遠い極東の地から送られて来た花の種を、三人でバイルシュミットの屋敷の花壇に植えていた。 毎年可憐に咲き誇るこの花の種を、フェリシアーノは故郷へ戻る際、少しだけ持って帰ったのだ。 それを植え、咲かせたものをこうして花束にして持って来たのであろう。
勿論バイルシュミットの庭の花壇でも、あの時のまま、三人で並べて植えた花が毎年綺麗に咲いている。 ルートヴィッヒがずっと手入れを続けていた。
「ほら…あの時渡せなかったから」
だから、今度こそきちんと手渡したいなって思って。
懐かしそうに目を細めるフェリシアーノに、ルートヴィッヒはそうだなと頷き、自動車を発車させる。 その何処か老成した落ち着きのある仕草に、フェリシアーノはふふっと小さく笑った。
「…なんだ?」
ううん、と軽い調子で首を振って。
「すっかりルーイも、当主が板についたなって」
学校を卒業したルートヴィッヒは、正式な手続きこそしていないが、 既にバイルシュミットの当主として手腕を奮っていた。 若き当主ではあるが、ローデリヒやエリザベータのサポートもあり、 実直で真面目な性分のままに、バイルシュミットの事業を手堅く展開している。
「ねえ、ギルベルト兄ちゃんはどうしているの?」
その言葉に、ルートヴィッヒは眉間の皺を深くして溜息をついた。
半ば当主代理としての立場を引退しつつあるギルベルトは、一応ルートヴィッヒの補佐としての役を担っている。 しかし、その実はかなりお気楽なもので、彼は殆どルートヴィッヒのやり方に口出しする事が無かった。
仕事の報告や相談しても、返される言葉は決まっている。 まあ、良いんじゃね?お前がそう判断したんだろ。やってみたら良いじゃねえか。 けせせと笑うそれがあまりにもあっさりと軽くて、ルートヴィッヒはいつも戸惑う。
「自信持てよ、ルッツ」
お前は俺が教えた以上に、よく考え、よくやっているぜ。 例え判断を誤ったとしても、ばっちりフォローしてやるって。 最近はやや見下ろすようになってしまった位置からけせせと笑い、 肩を叩かれると、それ以上は何も言えなくなってしまうのだ。
実際言葉の通り、こちらが要請すれば、ギルベルトは十二分にきっちりと実務に携わってくれた。 しかし全ての決定や判断は、ルートヴィッヒに任せる心算であるらしい。 恐らく、それが彼なりのけじめなのであろう。 変わり物でいい加減に見えるが、そんな面は厳格できっちりしているのだ。
最近では世捨て人よろしく、なかなかに悠々自適な日々を過ごす事も多い。 近頃はモーターバイクとやらにも凝っているようで、 何処からか調達したそれを、連日オイルまみれになりながら、楽しそうに機械いじりをしている。 時折自動車会社のエンジニアの元へ行ったり、何やら連絡が来たりするのは、 どうやら設計や開発に関する情報交換をしているらしい。相変わらず、妙な所で器用さを発揮する兄である。
「今は外国に興味があるらしい」
ふらりと姿を消して旧知の元を訪ねたり、旅行に行く事は多かったが、 次はどうも遠方への長期旅行を目論んでいるらしい。 何処か行ってみたい国でもあるのか、そう尋ねると、うーんと片眉を吊り上げて。
「どうせなら、今まで行った事の無い国が良いな。例えば東…あいつの所とか」
ほら、丁度良いタイミングじゃね?あいつが帰る時、一緒に船に乗り込んでみても良いかもな。 にやりと笑う兄は、何処までが本心で何処までが冗談かは掴み兼ねたが。
「ギルベルト兄ちゃんらしいね」
あははとフェリシアーノは快活に笑った。

















到着した港は、随分と賑やかであった。 この国では最も大きな港でもあり、祭りのように人がごった返している。 そんな中、ルートヴィッヒとフェリシアーノは人混みを掻き分けながら、小走りに進んでゆく。
「すっごい人だね」
「今日は大型船の到着が重なっているらしい」
全く。お前に付き合って、途中で休憩したり、カフェに入ったり、道に迷ったりしている内に、 予想以上に時間が掛かってしまったではないか。 じろりと睨むアイスブルーに、ひゃあとフェリシアーノは肩を竦める。
「だってさ、久しぶりなんだよ。何だか落ち着かなくってさ」
昨日だってあんまり眠れなかったんだ。今も、心臓がどきどきしているよ。
「…俺だってそうだ」
気まずげに呟いたルートヴィッヒを見上げると、いつもは厳めしい横顔が、ほんのりと上気している。 何かを誤魔化す様に襟元のネクタイを正す仕草に、フェリシアーノはふふっと笑った。
「あれから、随分と経ったもんね」
さよならをしたあの時から、春が来て、夏が来て、冬が来て、また春が来て…それを幾度繰り返したであろう。 再会できる日を願い、待ち続ける時間は、子供心に途方もなく長かった。 しかし今、こうして振り返るとあっという間にも思えるから不思議だ。
「俺達の事、ちゃんと覚えてくれているかな」
「当然だろう」
でなければ、こうしてここに来る理由もない。 何より、俺達がこんなに忘れられないでいるのだ、あいつが忘れるわけがない。そう確信している。
「でもさ、もしかして判らなかったりして」
あのルーイがこんなにムキムキになるなんて、想像できないんじゃないかな。
見上げてくるフェリシアーノに、困ったように眉根を寄せる。そうなのだろうか。自分で自覚はないが、 確かに幼い頃に比べると、かなり身長も伸びたし、体つきも、顔立ちも変わったかも知れない。
「それを言うなら、お前だってそうだろう」
「えー、そうかなあ?」
ルーイの変わりように比べれば、俺なんかそうでもないと思うんだけどな。
「それに…あいつだって変わっているかもしれん」
こちらと同じように、彼だって同じだけの年月を費やしているのだ。あの頃は、 その独特の民族衣装とエキゾチックな顔立ちで、性別さえも曖昧で、まるで人形のように浮世離れして見えていた。 しかし成長期も終えた彼は、こちらに負けず劣らず大人っぽく、男らしく、逞しくなっているかも知れない。
もう、びっくりするぐらい変わっていたりして。その可能性は否定できない。肩を竦めて笑った。
「でも、俺には判るよ」
絶対、ひと目で見分ける自信があるんだ。
「何故だ」
「だって、愛の力は何よりも偉大だからね」
ふふんと笑いながら、フェリシアーノは手に持った花束を口元へ寄せる。
「ねえ、ルーイ」
ちらりと投げられた瞳が、くるりと瞬いた。
「俺、負けないよ」
小悪魔じみた光を認め、ルートヴィッヒはふうと息をつく。全く冗談じゃない。 恋愛に関しては負けないと公言する彼からの宣戦布告に、にやりと些かサディスティックな笑みを返す。
「それは、俺の台詞だ」
勿論、こちらとて負けるつもりは無かった。

















劈くように港に響かせる霧笛の音に、わあっと声が上がった。 大陸をぐるりと回り、寄港を繰り返し、長い航海から漸く辿り着いた客船の姿に、人々は歓喜の声を上げる。
錨の降ろされた船に少しでも近づこうと、人波をかき分けて前へと進みながら。
「そうだ、ルーイ。賭けをしない?」
「何のだ?」
「再会して、どっちの名前が最初に呼ばれるのか」
俺か、ルーイか。ルートヴィッヒは少し目を丸くして、そうしてしたり顔で笑った。
「良いだろう」
わはー、自信があるんだね。ああ、当然だ。
「で、勝った方は何が得られるんだ?」
うーん、フェリシアーノは少し視線を泳がせて。
「最初にハグとキスが出来る権利」
「それは、負けられないな」
「でしょ」





あっ。
二人は同時に声を上げる。





船から桟橋へと降ろされた階段。順番に降りて来る、長い乗客の列。
一際目を引き寄せたその姿に、間違いない、 ルートヴィッヒとフェリシアーノは笑顔で顔を見合わせ、そうして大きく手を振った。
足元に視線を落としていたその人は、使い馴染んだ革の旅行鞄を持ち直し、桟橋にひしめく出迎えの人々を見下ろす。 ゆうるりと面を巡らせ、感情が読み取り難い漆黒の瞳が、探るように細まり、そして―――ひたりと止まった。
視線が交差する。
一度大きく瞠られた目が、ふわりと懐かしさを湛えて弧を描く。あの頃と同じだ。 こんなふとした瞬間、まるで花が綻ぶような空気を纏う彼に、二人は思わず笑み零れた。





「本田っ」
「菊ーっ」





眩しくきらめく太陽と青空を背中に、こちらへと手を振り返すシルエット。
嬉しそうな笑みを刷いた唇が、逆光の中、懐かしい名前を形作る。
あちらこちらで歓声が湧き上がる中、その音を一言一句決して聞き逃すまいと耳を澄ませ、 ルートヴィッヒとフェリシアーノは駆け出した。
















end.




どちらの名前を最初に呼んだのかは
多分皆様のご想像通りです

これにて、フェザータッチ・オペレーション終了
長らくお付き合い頂き、本当にありがとうございました
このお話を書くきっかけを頂いた ガシガシ堂様 には
心よりの感謝と御礼を申し上げます
2011.03.30







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