フェザータッチ・オペレーション
<番外編2>





ゲームをやってみないか。
そう親父に持ちかけられたのは、 まだほんのガキの頃だった。
二人で対戦したのは、シミュレーションゲームである。 細やかなルールを踏まえた上で行われる卓上のそれは、難しくはあるものの、 なかなか奥が深くて興味深く、進むにつれて夢中になってしまった。
最初は複雑でとっつき難く感じていたが、早々にコツを掴むと、 意外に判りやすいと気付く。前半は楽々と優勢となり、調子に乗って進める内に、 しかし後半になるとすっかり親父に逆転されてしまう。 気付けば結局、あっさりと負けて終わってしまった。
お前は戦い方が巧い。 育成も巧い。勘だって良いし、頭の回転も速く、判断力にも長けている。 しかしひとつを達成をしてしまうと、それで満足してしまいう傾向がある。 そしてお前は意外に律儀で、欲深ではない。それらは美徳ではあるのだが、 残念ながらこのゲーム上で勝利するには、物事を割り切る潔さと強い野心が必要だぞ。
茶目っ気たっぷりにウィンクをする親父に、ちぇーっと唇を尖らせる。
自分にだって欲はある。欲しい物は沢山あるし、楽はしたいし、面倒は大嫌いだ。 今回のゲームだって、景品代りのオルゴールが欲しかったからである。 綺麗な細工のあるそれは、母に贈ればきっと喜んでくれるだろう。
親父の言っている事は、意味が判らない。
結局オルゴールは、 御褒美として貰ったのだから、まあ結果的にはどうでもよい話だった。











バイルシュミットに置いて、親父の存在はちょっと変わった立ち位置にあった。 親族でもなく、一族に関して権限があるわけではないが、 相談役としての信頼が非常に厚い。
肩身の狭い思いをしている母に対し、 何かと親身になってくれたのも親父だった。だから最初は、 もしかすると自分の本当の父親は彼なのかもしれないと疑いもした。だが、 実際はそうではない。親父が実の父親であれば良かったのに…そう思ったこともあった。 しかし、そうでなくて良かった。自分を何処の者とも知らぬ下賤の女に生ませ、 放蕩を尽くした身勝手な馬鹿な父親が、親父でなくて良かったと今は心底思っている。
寄宿制の学校へ進級を薦めてくれたのも親父だ。母と自分の生活は、 学校に通うことを考えられるような経済状況ではない。しかし母の強い希望も有り、 卒業後は一定期間バイルシュミットの事業を手伝う事を条件に、結局進学を果たす。 この条件を提示したのも、親父であった。
一族とは呼べない私生児の存在は、 貴族の家柄では不愉快以外の何物でも無かろうに、何故そんな条件を出したのか疑問だった。 だがしかし、バイルシュミットの当主は非常に能力主義を重視する傾向が強かった。 後で知ったのだが、こちらの才を見極め、強く推していたのは親父だったらしい。
実際当主の営む貿易の仕事は、意外に自分に合っていた。それなりに遣り甲斐も有り、 しかも当主はこちらの能力を曇りなく評価し、配慮のある態度で接してくれていた。
バイルシュミットの家柄は苦手ではあるが、彼らに関しては概ね良好な関係が築けていた。 しかし結果的に、それは長くは続かなかった。
当主夫妻が、事故死してしまったからだ。





バイルシュミットの一族は、それなりに広い。ただし普段の関わりは、非常に淡白である。 それぞれが全く違う分野の事業を営んでいるので、少なくともギルベルトの知る中では、 接点は殆ど無かった。
なので、当主が夭折した際に開かれた親族会議で、 初めて目にした面子のあまりの多さに驚いた。
場違いな自分をこの会議に参加させたのは、 親父であった。最も、当主の事業を一番近くで補佐していたのが自分だ。 参加はある意味、当然なのかもしれない。
しかし、 周囲が向けてくる視線はひたすらに侮蔑を含んでいて、まあそうだろうなと納得はするものの、 面白いものではない。不機嫌な顔を隠そうともせず、一番隅の席にどっかりと座り、 ただこのふざけた会議が終わるのを待っていた。
会議の主な議題は、 バイルシュミットの遺産についてだ。何せ、次期当主はあまりにも幼い。 なので話題は、分配や分割、養育の話題へと移行している。
座の中心にほど近い場所には、 バイルシュミットの正当な相続人であるルートヴィッヒがいた。
まだ幼い彼は、 固い表情のままきちんと姿勢を正し、じっと膝の上に乗せた己が手を見下ろしている。 沈黙するその頭上で交わされる見知らぬ親族の手前勝手な会話を、 この幼子は何処まで理解できているのだろう。噛締めた唇のひたむきさが痛ましい。
馬鹿じゃねえの。誰だよ、この場にこいつを呼んだのは。こんな諍いの場に、 人身御供のように参加させ、残された自分の進退についての会議を目の当たりにさせて、 一体何を考えてやがる。
バイルシュミットの為だとか、お前の今後の為だとか言ってはいるが、 本心は誰一人として、今まで疎遠だった血縁の幼子の事は考えちゃいない。 今本当にこいつに必要なのは、失った両親の代わりに、無条件で頼れる存在だろう。
子供は大人が守ってやるもんだ。
この場の大人は、誰もそれを判っていない。
思わず舌打ちすると、テーブルの向かい側に座っていた親父と目があった。くすりと笑う親父に、 思わず眉を顰める。柔和な顔をした彼が、誰よりも食えない男である事は昔から知っている。 何を考えてやがる、タヌキ親父め。
ああ、苛々する。
膝裏で椅子を押し遣り、 不必要に音を立てて腰を上げた。資産相続だの、財産分割だの、残された後継者の養育だの、 あちらこちらから交差する会話が、一瞬ぴたりと止まり、こちらに集中する。
じろりとそれらを睨みつけて。
「しょんべん」
一言告げると、後はお好きにどうぞ、 そのままズボンのポケットに手を突っ込んで、出口へ向かった。下品だの、卑しいだの、 そんな言葉はもう聞き飽きた。好きに言ってろ、馬鹿。
「おう、ルッツ」
肩越しに振り返り名を呼ぶと、小さな肩がぴくりと揺れた。
「お前も来い」
軽く顎で示すと、ルートヴィッヒは頷き、慌てたように小走りにやってきた。 隣に立ったルートヴィッヒを見下ろすと、少しだけ安堵したように、 アイスブルーの目を細めている。子供に休憩ぐらいさせろっつーの。
部屋から出て行く直前、目の端に入った親父のしたり顔だけが、妙に気になった。





「熱いから気をつけろよ」
別室のソファに腰を下ろさせ、 緊張した顔のままのルートヴィッヒの前に、ホットミルクのカップを置いてやる。 熱いカップに恐々唇を寄せるあどけなさに、漸く子供らしさが垣間見え、 見ている方がほっとした心地になった。
虚ろな瞳、隈の出来た目元、疲れた顔色。 当然だろう、気丈に見えるが、まだ子供なのだ。
ルートヴィッヒと出会ったのは、 割と早い時期だった。素直な子供は無条件で可愛い。その上、聡明で、優しく、 真面目で、賢いのだから、可愛く思わない方がおかしいだろう。 兄弟のいないルートヴィッヒが、こちらを兄と呼んで懐いてくれるのも嬉しかった。
あの夜も、たまたま一緒に、この屋敷で両親の帰りを待っていた。 帰宅が遅い両親を待つ不安顔と、事故の知らせを受けた時の衝撃の表情が忘れられない。
こんな子供に、あんな顔をさせちゃ駄目だろう…当主さんよ。
はあ、と溜息が漏れた。 途端、目の前に座ったルートヴィッヒが、びくりとあからさまに身を震わせる。
怯えるように揺れる、不安を浮かべた瞳。こちらを窺うような、真意を探るような戸惑いの色。 ここ数日の間に、ルートヴィッヒの表情が随分増えた。どれも、 見ていて苦しくなるようなものばかりなのが辛い。
違うから、安心しろ。 笑って首を横に振る。お前に対して溜息をついた訳じゃない。
「そんな顔すんなって」
ケセセと声を出して笑いながら手を伸ばし、 その綺麗な金の髪をわしゃわしゃとかき回す。こちらの意がきちんと伝わったかは判らないが、 ルートヴィッヒは唇を噛締めたまま、こくりと頷いた。
その瞬間、 突然頭に浮かんだ自分の思考に、思わずぎょっとする。
いや、まてまて、 それは流石にヤバいだろ。俺自身もまだまだ小僧だってのに、こいつの責任まで見れるのか? そんな軽々しく引き受ける話じゃないだろ、しかも私生児の俺は部外者扱いだ。 第一、自分はバイルシュミットの一族が苦手だっただろうが。
誤魔化すように手の平で顔を覆うと、不思議そうな眼をしたルートヴィッヒがそこにいた。 何でもねえよと告げるが、生真面目な顔が、心配そうにこちらを見ている。違うだろう、 お前が心配しなくちゃいけないのは、俺の事なんかじゃなくて自分の事だろうに。
「さて、そろそろ戻るかっ」
よし、行くぞ。気合を入れて立ち上がる。駄目だ、 こうしてこいつの縋るような眼差しを見ていると、とんでもない事を口走っちまいそうになる。 しかも今、自分は無意識にそれに対する弁明を考えてしまっているじゃないか。
「お前が安心して頼れるような奴がいれば、一番いいんだけどな」
手を繋いで廊下を歩きながら、思わずぼそりとこぼした言葉。小さな呟きに、 ルートヴィッヒはこちらを見上げる。向けられる視線が訴えるものに、 あえて気付かぬふりをした。
そして、会議をする部屋の前。 ノックをしようと立ち止まった瞬間、分厚い扉のこちらがまでその声が響いた。
―――じゃあ、あの子供は、誰が世話をするんだ。
こちらを握る小さな手が微かに震え、 力が込められる。同時に、それをしっかりと力を込めて握り返す。決心した瞬間だった。
ノックもせずに、ばたんと大きな音を立てて、扉を開け放つ。
「俺がやる」
うっせえんだよ、お前ら。
低い声に、室内の空気が一瞬ざわりと硬直した。 集中する視線に、ふんと鼻を鳴らせて、顎をしゃくる。
「要は、 ルッツが大人になるまで、バイルシュミットを何とかすりゃいいんだろ」
事業内容に関しては、助手を務めた自分が一番よく知っている。確かに私生児の部外者だが、 恐らくこの中の誰よりも、後継者たるルートヴィッヒに近い血だって持っている。 バイルシュミットは苦手だが、学校へ通わせて貰った恩もある。事業を手伝う条件だって、 まだ期限は途中だ。しかもこのまま下手にこじれ、貴族の名を失うのは、 無き当主とて本意では無かろう。
ならば、しかたねえじゃねえか。
「全部俺が引き受けて、そっくりルッツに譲り渡す」
自分には何も残さない。 地位も、財産も、爵位も。ついでに知識も、事業に関するノウハウも、 自分の知り得た丸ごと全部、成人した次の当主に譲ってやるよ。そうすれば、 何も問題無かろうが。
親指で自らを示しながら、きっぱりとギルベルトは宣言した。
口に出した自分の言葉に、しまった…と心の内で汗を流したが、ああ、もう遅い。 一度口にした以上、撤回はできない。
ちらりと視線をやると、 あちらに座る親父はによによと笑っていた。
そして片手を上げて颯爽と立ち上がると、 弁も鮮やかに既に準備していたのであろう理論武装を展開し、 あっという間に周囲を言いくるめ、全てを決定してしまう。なんなんだ、 さっきまでのぐだぐだを全て無に帰すような、この恐るべき速やかさは。
ああ、そうかい。全部計画通りってことか。
はめやがったな、策士め。











後悔しているか?
苦笑と共に掛けられた親父の言葉には否定した。 あんな野郎どもに、俺様の可愛い弟を安心して任せられるものか。 経緯はどうであれ、多分これが、最良だったのだろう。
不安が無い訳じゃない。 引き継いだ事業が全て順調な訳ではなく、そこここに問題もあるし、 先代の築いた信用が自分にあるとも思えない。とは言え、大口を叩いた手前、 成果を上げなくてはバイルシュミットが黙っていないだろう。
やるからには、 きちんとやる。引き受けたことは最後まで責任を持つ…それを教えたのは、 他ならぬ親父だ。
「ま、俺には何も残らねえけどな」
ルートヴィッヒが成人となり、 正式な後継者としてバイルシュミットを引き継いだ時、同時に自分は全てを失う事になる。 その時、自分はどうなるだろう。どうすればいいのだろう。
弱音にも似た呟きをこぼすと、 親父は豪快に笑って、わしゃわしゃと髪をかき混ぜるように、こちらの頭を撫でまわした。
なあに、お前は戦い方が巧い。育成も巧い。勘だって良いし、頭の回転も速く、 判断力にも長けている。その時になれば、お前はちゃんと判っている筈だよ。
もしもそうでなかったなら―――私ともう一度、ゲームをしようじゃないか。
そう言って、茶目っ気たっぷりにウィンクする親父に、ああ、そうかと納得する。


さすがは親父。
成程、その通りだよな。




end.




親父譲りの頭の撫で方
2010.08.11







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