フェザータッチ・オペレーション
<番外編7>





引き合わされた子供は、小花を散らすような柔らかい空気を纏っていた。
鳶色の瞳、セピアの髪からは一本だけくるんと巻いた髪が飛び出ている。 緊張感の無い笑顔は少女のようなあどけなさを含み、 ことりと首を傾げる動作は、幼子特有の罪のない無邪気さを存分に発揮していた。
これが、かの一大帝国を築いたとも言われる、ヴァルガス家の末裔か?
目の前に立つ子供に、ローデリヒは秀麗な眉を疑わしげに潜めた。











ヴァルガス家は古くから続く、名門中の名門と呼ばれる一族であった。 特に先々代に当たる人物はその破天荒な性分と共に、豪傑で、やり手で、カリスマ性もある名当主で有名である。 彼の代で築いた財は相当なもので、「全ての財はヴァルガス家へ通じる」とまで言わしめるほどに、 王族関係から近隣諸国まで、広くその名を轟かせていた。
しかし、その次代の当主は、酷く体が弱い人物であった。彼は早々に結婚すると、二人の子を成し夭折。 後を追うように、間もなくその妻も病死してしまった―――残された二人の幼い子供に、全ての財産を残して。
「で、遺言があるんだよ」
内容は難しい物ではない。 ヴァルガス家の事業経営を、一旦然るべき機関へと預け、その莫大なる財産を期間限定で凍結させるものだ。
更に残された二人の息子は、以前より信頼関係にあったバイシュミット家を仲介人に立て、 分別のできる年齢になるまで、養育権をヴァルガス家とは無関係の元へ任せる。 その際、二人の子供を別の家に預けるというのは、影響を受けやすい幼子が同時に誤り、 共に懐柔される可能性からワンクッション置く為の配慮である。
虚弱ではあったが、全て法的に問題の無い状態に整えてからこの世を去った先代は、 確かに賢明な人物であったのであろう。事実、一部の親族が彼の遺言に異議を唱えている。 尤も、それらも全て専属の弁護士と彼の残した遺言によって、きっぱりと退けられているようだ。
「…つー事で、フェリシアーノちゃんはお前に任せる」
軽い口調でぽんと肩を叩くギルベルトに、は?とローデリヒは目を剥いた。
「かっわいいぜー、フェリシアーノちゃんは」
にこにこしてて、ほわほわしてて、見てて癒されるっつーか、幸せになるっつーか、天使みたいだっつーか。 お前羨ましいよ、本当は俺が引き受けたいぐらいだぜ、いやマジで。
「ちょっとお待ちなさい。どう言う事ですか、一体…」
「お前の家柄なら、ヴァルガス家も文句ねえだろ」
何と言っても、こちらもまた名門とされるエーデルシュタイン家だ。 長く続いた貴族の名前は、それだけで外野を黙らせる力がある。
「しかし、子供なんて…」
「不安なら、こちらの屋敷に寝泊まりしても構わねえから」
幸い二人の子供の内の弟、ローデリヒに託すフェリシアーノは、ルートヴィッヒと仲が良かった。
反対に、兄に当たるロヴィーノとは仲が悪い。尤も、ロヴィーノはカリエド家に行く予定が既に決まっていた。 カリエド家の現当主とは、ギルベルトは勿論、ロヴィーノとも良く見知った仲でもあり、 何より子供好きのあの男は、ロヴィーノを甚く可愛がっている。 住居のある環境も良く、彼なら安心して任せられるだろう。
呆気に取られたままのローデリヒに、によによ笑いながら。
「ま、あんま難しく考えんなっつーの」
子供に対する心構えなんぞ、難しく考える必要はねえ。 産まれたばかりの乳児であるなら兎も角、もう程々に自我のある年齢だ。 全く目が離せない訳でもなし、使用人だっているし、もしこの家に来るとするならば、 同年代のルートヴィッヒも居る。
「まあ、ルッツを立派に育てている俺様からの、有り難いアドバイスとしてはだな」
にかりと笑って腕を組み。
「全力で、守って、導いて、裏切るな」
この手の本質は、得てしてシンプルなものなんだよ。
そう言うと、ギルベルトは自信ありげに胸を逸らせた。

















農園に囲まれた屋敷は、随分と古いものである。
旧時代の建築物をそのまま使用したここは、重厚で豪華な外観とは裏腹に、内装は意外に素朴であった。 部屋は相当数あるが、今は必要なだけしか使用されておらず、調度品も殆ど見当たらない。 家主の性分をそのまま表したような、あけっぴろげな大らかさがあった。
その屋敷の玄関先、車に背中を預けながら、アントーニョはその話にからからと陽気な笑い声を上げた。
「なんや、あいつらしいなあ」
突然過ぎてこっちの思考が停止している内に、全部決めてしまうんやろ。 あれ、あいつの作戦やで。俺も昔、似たような事ようやられたわ。
「あんたも大変やな」
あいつ、人使い荒いし口が悪いやろ。 馬鹿やしあんなんやから、えらい誤解され易いねん。ホンマ、悪い奴やないねんで、馬鹿やけど。
褒めているのか貶しているか良く判らないそれに、ローデリヒは軽く肩を上下させた。
へらりと笑うこの屋敷の主、アントーニョ・フェルナンデス・カリエドは、代々この一帯の農園を取り仕切る大領主だ。 時代が時代なら、大貴族であろう生まれと血族の持ち主であるが、 実際目の前にする彼は、酷く人好きのする、健康的な褐色の肌を持つ青年だった。
彼は、ギルベルトとは古い馴染みであるらしい。話の節々から、気の置けない間柄であろう事が窺えた。 乱暴者のイメージこそ有るが、ギルベルトは妙な所で顔が広く、不思議と信頼される面があるらしい。 思えば、エリザベートとてそう言った一人であろう。
「まあでも、ギルも一応考えた上で決定やと思うで」
仲介役と養育権を所持する者を分離させることによって、公平性を見えやすくさせたのだろう。
こうしてそれぞれの役割を分散させる事によって、それぞれを監視させる役割も担っている。 ローデリヒにも、それぐらいは理解できた。
バイルシュミット家はギルベルトが当主代理になってから、何かと風当たりの強くなった部分がある。 特に家柄を重視するような古い考えを持つ旧家を相手にする場合、それが顕著だ。 そんな側面を嗅ぎ取ると、ギルベルトは途端に慎重になった。 彼はその破天荒な面に誤魔化されがちだが、人から向けられる視線の意味には機敏である。
「それに、あんたに子供を託したんって、結構良い判断やと思うわ」
によによ笑ってこちらを窺うアントーニョに、ローデリヒは怪訝に目を細める。
「そうでしょうか…」
ローデリヒには、未だ何故自分がフェリシアーノの後見を宛がわれたのか理解出来ない。
元々、自分は子供に慣れておらず、どう接して良いのかも判らない。 そんな自分が世話をするくらいなら、専門に任せた方が良いのではないか。 そう思ってシッターや専門の家庭教師を使う話も持ち出したが、ギルベルトはそれをよしとしなかった。
「ほら、親が子供を育てるのではなく、子供が親を育てる…って言うやん」
子供の責任を背負う事で、今まで知らなかった何かを学ぶ事って、すっごく多かったりすんねん。
「ギルもな、ルートの世話をするようになって、えらい変わってんで」
あいつ今でも阿呆やけどな、昔はもっともっと阿呆やってん。ま、今でも阿呆には変わり無いねんけどな。
褒めているのか貶しているのか、矢張り掴みかねるアントーニョの言葉に、とりあえず悪意は感じられない。
「―――お、きたきた」
あちらからやってくる二人の姿に、アントーニョは陽気に手を振る。
「遅いですよ、フェリシアーノ」
準備は十五分以内に済ませなさいと言ったでしょう。
大きな荷物を引き摺るように持ちながら、小走りでやって来たフェリシアーノに一喝する。 厳しい声にひゃあと肩を竦めるその隣で、一緒にやって来たロヴィーノも、びくりと肩を震わせた。
まあまあ。大らかに笑いながら、アントーニョはフェリシアーノの前に腰を落とす。
ローデリヒはフェリシアーノを連れて、兄のロヴィーノに合わせる為、定期的にアントーニョの元へと訪れている。 これはギルベルトの指示だ。遺言の為に仕方が無いとは言え、親を無くしたばかりのたった二人の幼い兄弟である。 家族は離れるべきじゃない、ギルベルトはそう考える節があった。
「じゃあ、今日はここでお別れやな」
いつもは駅まで送るねんけど、今日は親分用事があんねん。 運転手にちゃんと送るように頼んでいるから、堪忍な。
言いながら、小さなおつむを撫でると、フェリシアーノはほわっと笑って頷いた。 ぷくりと幼子特有の膨らみを持つ手を伸ばし、アントーニョにお別れのハグとキスの挨拶をする。 可愛らしいリップ音に、アントーニョはぱあっと笑顔を全開に、力一杯抱き締めた。 あーもー可愛いなあ、フェリちゃんは。
「なあ、フェリちゃん。もう親分の所の子になるか?」
親分のトコやったら、広いし、暖かいし、美味しいもんも毎日沢山食べれるで。 ロヴィーノも一緒やし、そしたら毎日天国みたいやんな。
彼は子供好きらしい。小さな頭にふごふごと頬を擦り寄せる様子は、実に幸せそうだ。 対して自分は、子供に対してどう接して良いのか、未だに判り兼ねている。
こほんと咳を一つ。
「行きますよ、フェリシアーノ」
抑揚を見せない声に、フェリシアーノはぱっとアントーニョから離れた。その、実にあっさりした動きに。
「フェリちゃん。親分よりも、そいつの方がええの?」
親分、そいつよりも優しいと思わへん? ひょいと覗き込んでくるアントーニョに、ヴェ、とフェリシアーノは声を上げる。 そして、きょときょととローデリヒと見比べた。 二者択一を求めるアントーニョの言葉に、ローデリヒは目を細める。
「子供に変な選択を迫るもんじゃありませんよ」
いらっしゃい、フェリシアーノ。 車の中へと促すと、フェリシアーノはこくりと頷き車へと乗り込んだ。 もう、アントーニョの言葉は頭にないようだ。
「あーらら、振られてもうたなあ」
あははと笑い声を上げて、ローデリヒに肩を竦めて見せる。 なんや、何だかんだ言っても大丈夫そうやん。言葉には出さずにそう告げて。
「ギルによろしくな」
今度はルートも連れて、皆で遊びに来るとええよ。二人で待ってるわ。
隣に立つロヴィーノの手を引くと、エンジンの掛かった車から数歩離れ、空いているもう一方の手を振った。











まあ、個々の性格的に理解が出来ないってのは、あるだろうけどな。
「子供の事が判らないって、そりゃ嘘だぜ」
例えば、これが男女であるならば。 何せ生まれ持った肉体の構造からして違うのだ、お互いの理解が得られないのは当然だろう。 異質のもの同士、考えが読めないのも、思考が違うのも、それは仕方のない事だと納得が出来る。
しかし子供は違う。この世に生きる誰もが、一度は「子供」を経験しているのだ。
判らない?理解出来ない?そんな訳が無い。単に忘れているだけに過ぎない。
「大丈夫だって、お前も子供の頃があっただろうが」
その頃を思い出せばいいんだよ。頭で難しく考えんなって。
「しっかり、守って、導いて、裏切らなきゃいいんだよ」
勿論、全力でな。
けせせと笑いながら腰に手を当てる彼は、確かに兄の貫禄を持っていた。




end.




自分の持ち得るものを次の世代へ
きちんと正しく伝えられる人って尊敬します
2011.03.11







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