黒鷲は東の未来より舞い降りる
<20>





日本は参戦しないであろうというのが、一致した見解であった。
第一この戦争、日本にとっては全く接点のない諍いだ。 欧州大陸での戦禍が極東の島国へ及ぼす波紋など、その離れた立地的にも、殆ど無いに等しい。 しかも、日本は大きな戦争を終えた直後であり、現在は内政を整えるので手一杯の状態である。 貴重な軍事を、自国に影響の無い戦に割ける余裕は無かろう。
事実、戦争勃発時より、既に厳正中立を明言している。 暫く接していると解るが、日本には一度決定した事を律儀に守り続ける頑なさがあった。 表明を覆す可能性は低い。
つまり。余程の事情でもない限り、日本は決して自らを動かさないのだ。
余程の……そう、例えば。
自分の犠牲を厭わない程の、特別な誰かの為でもない限りは。


「ようこそおいで下さいました、イギリスさん」


遠路はるばるやって来た来賓に、柔らかな笑顔で出迎える極東の同盟国。 握手の為に伸ばされた小さな手を、イギリスはふっと笑って握り締めた。























静まり返った教会の中に、人の気配は見当たらなかった。
小さく足音を響かせながら、中を確認して回る。 並んだ椅子。埃の被っていない机。教壇の上に乗せられた聖書は、開かれたままの状態だ。 乱暴に荒らされた形跡は見当たらず、そこここに日常の空気が残されている。
正面に設置されたマリア像の後ろ、光にきらめくステンドグラスを見上げた所で、かたりと正面扉が開かれた。
「向こうにも、誰もいませんでした」
宿舎、控え室、裏手等、ひとまわり確認をしたが、矢張りここも同じであるようだ。 これで一体幾つ目になるだろう。 小走りにやって来る彼に、目深に被ったマントのケープの下でひっそりと息をつく。
母体が十字軍という特質上、関連施設は各地に設けられていた。主に、病院、教会、宿泊施設、銀行だ。 どれも、聖地巡礼への旅をする為に、必要不可欠なものである。
地理的な理由もあり、もともとフランス王国内に設置される施設は少ない。 この街にあるものも数える程度、それらを軒並み確認するものの、何処も同じ、全て無人となっていた。
室内の状況から察するに、極最近の事であろう。 もしかすると、こちらの来訪とすれ違うように、ここを立ち去ったのかも知れない。 居住場所を調べてみれば、ごく僅かながら、荷造りをしたような形跡もある。 確信は持てないが、住人は自主的にこの場を去ったとも考えられる。 それもかなり急いで、まるで夜逃げでもしたかのように、必要最低限のものだけを携えて。
「どうしましょう、近隣の村まで行ってみますか?」
この街以外にある一番近い騎士団の施設となると、馬を走らせても二日は掛かるだろう。 往復で四日。時間が惜しい。こうしている間にもと考えると、気が焦る。
思案しながら教会を出た所で、鋭い声が掛けられた。
視線を上げると、剣を携えた二人組の男が、流暢なフランス語で何か声を発している。 どうやらフランス王国の衛兵のようだ。その口ぶりから、こちらの素性を問う物であろう。 突き刺さるように威圧的な声音に、不信感を抱かれていると察する。
「私達は、ドイツ騎士団の関係者です」
一歩前へ出て告げる少年のフランス語は、ややたどたどしい。 成程ドイツ騎士団の関係者と言うだけに、その肌の色や顔立ちは、確かにゲルマン民族のものだ。
「この教会の修道士達が何処へ行ったのか、知りませんか」
衛兵達は訝しく眉を潜め、少年の背後に立つもう一人へと視線を向ける。 すっぽりと被ったケープの下、そちらの顔は僅かに口元が垣間見えるだけだ。 それを不審に思ったのか、兵士はフードを外すよう、顎で示す。 言葉にせずとも理解したのだろう、少し戸惑った後、するりとそのフードが落とされた。
晒された面に、兵士たちは目を瞠る。
黄色みを帯びたく、堀の浅い顔立ち。顎の長さで切り揃えられた、漆黒で艶のある直毛。闇のように深い瞳の色。 この周辺国では滅多に見られない特徴的な顔立ちは、間違いなくタタールの流れを組む、東の民族のものだ。 しかも、民族的特徴の違いやその髪の長さに一瞬困惑するが、どうやら少女であるらしい。
そうなると、更に疑問が沸く。 ドイツ騎士団はもともと、言語や民族の違いから、 修道院病院に受け入れられなかったゲルマン人を救済する為に作られた、 聖マリア修道院から発生した騎士団である。 そんな成り立ちを持つ騎士団に、何故全く違う民族である彼女が関係者と名乗り出るのか。
疑いの色が消えない視線を受け、彼女はするりと両の手をうなじへ回した。 襟元より取り出したのは、黒十字のペンダントだ。
「これが、証拠になりませんか」
ドイツ語でそう告げながら、手の平に乗せて差し出されたそれ。 手に取ると、ほう、と兵士たちは声を上げた。確かにドイツ騎士団のシンボルだ。 しかもこの時代では滅多にお目にかかれないような、見事な作りのものである。 しかし、衛兵たちの疑いは更に強くなる。
何処でこれを盗んできた。 これだけのペンダントは、貴族にも、裕福層にも見えない、ましてや子供が持てるような品では無い。 まくし立てるようなそれらを少年が彼女に通訳すると、違う、慌てて首を振った。
ずい、と手を差し出すのは、渡したペンダントを返すようにとの意なのであろう。 盗賊と蔑まれた怒りからか、睨むように向けられた目には、強い怒りが込められている。
「お返し下さい」
盗品などとは無礼千万。それは、私の命よりも大切なもの。 言葉は理解できなくとも、その趣旨は伝わっている筈だ。
しかし、兵士たちは強硬な態度を崩さない。 奪い返そうと伸ばされた細腕をひらりと容易く逃れ、 そのペンダントを懐に仕舞いこもうとした瞬間、彼女の瞳が冷やかに細まった。
ひゅん、としなやかな腕が宙を切る。
鼻の先に黒い影が過ぎり、兵士は一瞬息を止めた。何があったのか判らない。 目の前の彼女は、儀式めいた動きで、腰に携えていた奇妙な形状の剣を鞘に納めている。 ぱちり、小気味良い音がした。
足元にがしゃりという音。同時に体がすとんと軽くなる。 何だ?衛兵の一人が視線を落とすと、腰のベルトと共に止めていた剣が、足元に転がっていた。
瞬きを繰り返し、漸くそれが彼女の仕業であると理解すると、どっと汗が流れた。 しっかりとした厚みのある革ベルトに入った見事な切り口に、ひやりと背筋に冷たいものが走る。
動きが早い。目に見えなかった。 あの剣、装飾らしきものも無く地味で変わった形状であるが、 自分達が知る剣とは、格段にその切れ味が違うようだ。 しかも、腰に巻いたベルトは切断すれど、身体や衣服を傷つける事のないこの腕前。尋常ではない。
ごくり、と兵士たちは咽喉を鳴らす。
「お返し下さい」
それは、私の大切なもの。次は容赦しません。
彼女は再度同じ言葉を伝える。真正面から見据える、深淵を湛えた闇色の瞳。 先を急いでいる。暴力は好きではないが、余計な事に構っている暇はない。
ちきり。親指で鍔を押し上げた。見えない緊張感が、衛兵たちを取り囲む。 年端もいかないような少女の放つプレッシャーに、大の大人が圧される。
それを打ち消したのは、力強い一喝であった。
突然のそれに、一同は同時に振り仰ぐ。 見ると、こちらを見下ろす馬に乗った大柄の衛兵が、何やら叱咤するような口調でフランス語をぶつけてくる。 纏う制服を見ると、どうやら彼らよりも位の高い兵らしい。
受け答える二人の衛兵、そしてフランス語で訴える少年騎士。 馬から降りながらそれぞれの言い分を聞き、大柄の兵士は彼女へと向き直った。
その真っ直ぐな目が、くるりと丸くなる。
「……ホンダか?」
懐かしいその呼称に、はっと目を開いて反応する。 驚く彼女に、やはりそうか、ああ、そうだよな?得心したように何度も頷き、男はその前にやって来た。
「憶えてないか?俺だよ」
彼が紡ぐのは、耳慣れたドイツ語。 親しげにとんとんと己の胸元を叩きながら覗き込んでくる大柄な男を、警戒心を崩さずに見上げる。 今まで縁のなかったフランス王国に、自分の知り合いがいるとは思えない。 しかも、何故彼は、「本田」の名前を知っているのか。 この世界に生を受けてこちら、その名を口にした事などあっただろうか。 そこまで考え、あっと思わず声が上がった。
そうだ――ああ、そうか。彼は。
「思い出したか?」
にっと唇を吊り上げる衛兵に、菊は大きく頷いて破顔した。





フランス王室の宮廷の一角、近衛兵隊本部ある棟へと続く、広い庭園を連れられながら。
「驚きました」
まさか、あの時の貴方が、フランス王国の騎士になっていたなんて。 惚れ惚れするように見上げる菊に、いやあと男は照れ臭そうに頭を掻く。
彼はドイツ騎士団主催の剣技大会に参加し、菊と決勝で剣を交えた剣士であった。 あの時菊は、偽名としてホンダの名前で参加をしていた。彼はその時の名をそのまま記憶していたのである。
「本当に御立派になられました」
その口調が、何処か小さかった孫を見る祖母にも似ていて、思わず男は豪快に笑った。 何か自分は変な事を云ったのだろうか、おろおろする様子は幼子のようで、そのギャップがまたおかしい。
「お前も大きくなったな」
最初は見違えたぞ。
幼い子供であった彼女も、随分成長したようだ。 あの時は華奢で、小さくて……まあ、その辺りの評価はあまり変わっていないか。 しかし、幼い東洋の神秘を詰め込んだあの子供が、しなやかな女らしさをベールのように纏う様は、 矢張りそれぞれの培った時間を改めて感じさせる。
だが、その外見に誤魔化されてはいけないのは、彼自身が身を持って知っている。 子供相手に詰め寄る衛兵を諌めたつもりが、どうやら助けられたのは逆であったようだ。 先程の衛兵の様子を思い出し、男は小さく肩を揺らす。
不思議そうに見上げる菊に、否と首を振りながら。
「ドイツ騎士団の黒鷲に言われると、箔が付くと思ってな」
ぎょっと目を丸くする菊に、にやりと笑う。ああ、やはり当たりか。 フランス王国の騎士の間でも、この呼び名は届いている。 ドイツ騎士団、凄腕、そのキーワードに付け加えられた黒鷲という比喩に、彼は直ぐにピンと来た。
「……もう私は、ドイツ騎士団員ではありません」
返却された胸元の黒十字に手を当てて視線を落とす菊に、そうかと彼は複雑な視線を向けた。 後ろの少年騎士も、物言いたげに唇を噛締めている。
あの大会での顛末は、勿論男も知っている。 腰まであった見事な黒髪を躊躇なく切り捨てた潔さと、高らかに忠誠を誓う清廉とした姿に、 彼も感動した一人であった。
そんな彼女が騎士団を脱退するとは、余程の何かがあったのであろう。 ここに来るまでに掻い摘んだ話しか聞けなかったが、時折言葉を濁す所を見ると、何か言い難い事なのかもしれない。 不審に思えども、しかし彼女に共をした少年騎士の様子からは、疚しい事がある訳でも無さそうだ。
心もとない横顔に、男はぽんとその肩を叩く。
「まあ、何かあったら、俺を頼ってくれるといい」
俺に出来る事なら、何でも力になるぞ。 何なら、フランス王国の仕官だって、俺が口沿いしてやるさ。お前の腕なら間違いないからな。
「ありがとうございます」
偽りのない言葉は心強い。 現に今も、菊の話を聞いた後、彼は速やかに部下へと連絡を取り、王宮への来客の確認をさせていた。 王宮付きの近衛兵隊長である彼には、容易いことである。
本当に、何とお礼を言っていいのか。泣き笑いの顔で見上げる菊に、大らかに頷きながら。
「俺と手合わせの約束でもしてくれれば、それで充分だ」
あれから俺も、結構腕を磨いたんだぜ。
力瘤を作る仕草に、そうだろうと菊も思う。 盛り上がった腕の筋肉や引き締まった体躯は、厚手の制服の上からでも充分に見てとれる。 貴族のステイタスやお飾りなどでは無く、彼が本物の実力を持つ騎士である事が窺えた。
それは、お前の剣だろう。あの時は木刀と苦無であったが、今度は純粋に剣同士でやり合ってみないか。 わくわくと向けられる少年じみた瞳に、菊はくすりと肩を竦めた。 きっと彼は、生まれ持っての剣士なのだろう。
「是非、この件が落着した時にでも」
「おお、そうだな」
ドイツ騎士団総長の訪問があったなら、恐らく記録が残っているだろう。 そこから何かが判るかもしれないから、暫く奥の休憩室ででも待っていると良い。
穏やかな会話を交わす、その背中に。
「あれー、隊長じゃない」
宮廷に来るなんて、珍しいね。 その声に、足を止めて振り返る。 軽やかな足取りでやって来る姿に、男はようと気さくに手を上げた。どうやら、親しい顔見知りらしい。
「何、その子、隊長の知り合い?」
「ああ、古い戦友だ」
ふうん。と向けられる瞳は、好奇心に満ちている。 この辺りでは滅多に見かけないモンゴロイドの特徴を持つ珍しい来客に、興を引かれたようだ。


あ、菊はぽかんと口を開く。


さらりと肩まで流れる眩い金髪、爽やかで深みのある空色の瞳、見覚えのある甘いマスク。 記憶の中にある彼よりも少年らしい幼さがあるが、重なる面影に間違いない。
まさか。まさか、彼は。
「フランス、さん?」
軽く傾げられた小首。肯定を示すように唇に浮かぶ笑みは、少女のように可憐な甘さが含まれていた。























俺が淹れてやる。そう申し出ると、日本は少し首を傾げて眉尻を下げた。
外交にまだ慣れていない彼は、どう答えれば良いのか迷っているのであろう。 対外的に問題はないか、わざわざ来日してくれた同盟国に失礼はないか、 言葉とは違う別の意味が隠されているのではないか。 この程度でそんな事など有り得ないのに、開国したばかりの新興国には判らないらしい。
戸惑う様子に、良いからお前は座っていろ、半ば強引に椅子に座らせる。
「紅茶は、その、俺が淹れる方が美味いからな」
「……そうですね、すいません」
では、恐れ入りますが、お願いします。
穏やかに頷く気配を背中に感じながら、イギリスはテーブルに乗せられていたティーセットに手を伸ばす。 英国式に誂えたそれは、どうやら日本で作られたものらしい。 それを扱い、しかし茶葉だけは日本が用意したものではない、自分が本国から持参したものを使用する。
目を丸くさせる日本に、ちらりと肩越しに視線を返し。
「あ、いや、日本では、まだ、良い茶葉が手に入らないだろうからな」
別に、お前に美味い紅茶を飲ませてやりたかったわけじゃない。 不味い紅茶を妥協で飲むなんて、英国紳士としての自分が許さないだけだ。 それに、この俺と肩を並べる先進国として、本物の味をきちんと知って置くべきだろう。 否、知っておいてもらわなくては困る。変な意味はない、それだけなんだからな。 念を押すと、日本は申し訳なさそうにはいと頷く。
香り立つティーカップを前に置くと、日本は几帳面にぺこりと頭を下げた。 この国独特の挨拶の形らしいが、どうも奇妙なものだ。 欧州から随分離れた土地だけに、自分達とは全く違う独自の風習や文化が、この国では根強く残っている。
「ああ、良い香りですね」
呼吸をするように香りを確かめ、そっと縁に口付ける様子を、イギリスは食い入るようにじいっと見つめた。 こくりと咽喉を鳴らし、ほう、唇から洩れる溜息に似たそれに、意味も無くどきりとする。
「とても美味しいです」
香りも豊かで、すっきりとした味わいがあります。 流石は本場のお国です。私が淹れても、同じ様な香りは出せないでしょう。
「そ、そうか」
ほっと口元を綻ばせると、漸くイギリスは自らのカップに口を付ける。 うん、そうだろう。何と言っても、紅茶は自国のものに限る。わざわざ持って来て良かった。
「我が国にも、お茶の文化はあるのですが」
やはり、欧州のものとは、いろいろと異なりますね。 今でこそ馴染んだものの、飲み物にミルクを入れたり砂糖を入れたりする事に、 最初は戸惑いと違和感を感じたものだ。
「まあ、徐々に慣れていけば良いんじゃないか」
お前ももう、立派な先進国の仲間入りをしたんだからな。 俺達と同じようにしていれば、後進国の奴らにも馬鹿にされないだろう。 そう言うと、はあ、と何処か気の抜けた声が返される。
「お前は、結構頑張っていると思うぞ」
開国してからこちら、随分俺達に近付いて来たんじゃないかと思う。
「……そうでしょうか」
自身無さげな呟きに、イギリスは鷹揚に頷く。
何せ、日本は勤勉だ。しかも器用で、技術や知識を吸収するのが早い。 こちらの真似をしたかと思えば、あれよあれよという内にその技術を掌握する。 そして改良に余念が無く、気が付けば独自のものへと発展させてしまうのだ。 最初こそ、猿真似だと馬鹿にしていた連中も、今や笑えなくなっているだろう。
例えば、このティーセットもそうだ。
すんなりとした曲線を描くピオニーシェイプのカップは、ハンドル部分にまで凝った装飾が施されている。 中世に欧州へ流通のあった伊万里とは、素地も絵柄も形状も違う。 恐らくは、新たに西洋磁器技術を取り込み、改良を加えたものであろう。
開国の際に国外に流出した金への対策の一環として、日本は様々な事業に着手していた。 この国産陶磁器も、その一つだ。 生産も漸く軌道に乗り始め、安価でありながらも高い品質とデザイン性から、 アメリカを中心に着実に市場を拡大しつつあるらしい。
じわり、じわりと。
気付かぬ内に。浸透していくように。侵食されるように。
近年、限られた一部での主張であった筈の黄禍論が、欧米各地で聞かれるようになっていた。 列強に肩を並べる国力を有するようになった日本、 そして増加する黄色人種の移住が、その理由であろう。
下位に見られる有色人種は、白人種に比べると労働賃金が安く、しかも手先が器用だ。 同民族で結束したコミュニティーを作る彼らに、取って代わられるよな恐怖と脅威と畏怖を感じ、 過激な排斥論も高まっているようである。
それを、この同盟国も、肌で感じている節があった。
「実はこちらの磁器、イギリスさんのお力沿いで、生産に漕ぎ着けたのですよ」
御存知でしょうか。微笑みながらのそれに、えっとイギリスは目を丸くする。
「そうなのか?」
「はい」
欧米では、透明感のある白生地に絵付けされた磁器が、強く求められている。 日本でも磁器は古くから製造されているものの、生地はやや灰色を帯びており、 西洋で人気の高い真珠のような純白色を出す技術が無かった。 白生地磁器の研究に行き詰まった研究者が、たまたま縁のあるロンドンのとある商社に助言を仰ぎ、 それがこの見事な白生地を生み出す結果へと繋がったらしい。
「知らなかったな」
手元にあるティーカップを、改めて見遣る。成程、美しい白生地だ。 自分の知らぬ所での意外な日本との繋がりがあったらしい。
「なかなか、良いカップだと思うぞ」
ありがとうございます。紅茶の本場の国に、お褒めの言葉を頂けるとは光栄です。 嬉しそうに、日本は破顔した。
「これも、イギリスさんに、ドイツさんの磁器研究所を紹介して頂いたおかげです」
磁器技術と言えば、何と言ってもあちらが世界随一ですから。
イギリスはエメラルドの瞳を瞠る。ドイツの技術? そうだ、確かに欧州で最も優れた磁器技術を持つのは、ドイツであることに疑いが無い。
まだドイツが誕生する以前より、あちらの地方では磁器の研究が盛んであった。 大陸から渡って来た東洋磁器に魅了され、収集し、欲し、 その模写をしながら、独自の技術を開発していたのだ。 今でもかの地には、東洋磁器の所蔵が非常に多いと言われている。
不意に、脳裏にビジョンが過ぎる。
海を挟み、大陸に阻まれ、全く互いを見知らぬ二つの国。 自ら製造した磁器に想いを込める国と、手に入れた磁器に想いを寄せる国。 時を経て、立場を変えて出会ったのは、 あの頃、磁器に憧れ、その技術を研究し、模擬し、開発を果たした国と、 そして今、大国に憧れ、その在り方を学び、真似て、立憲を果たしたい国。
互いの知らぬ間に、繋がっていた二国。 時流のままに対面を果たした彼らは、そんな見えない縁に気付いているのであろうか。
ぎゅ、とイギリスは拳を握った。
「日本」
ぴり、と硬さ含めた声に、日本は少し瞠目した。 その響きに何かを悟ったのか、唇を引き締めて姿勢を正す。
「はい」
「今の、ヨーロッパは、あまり良い状況では無い」
「お聞きしております」
情報は得ている。 短期戦で終わると予測された戦況は、強硬なドイツ軍の猛攻により、各地で苦戦を強いられているのだ。
「先日、俺はドイツに宣戦布告をした」
「ええ」
イギリス参戦の情報は、当然こちらにも届いていた。 ドイツがベルギーに侵攻した以上、その中立保証を請け負っていた立場から、参戦は避けられない。
なあ。懇願すると表現するには、些か挑むような目で正面から窺う。
「日本、俺を助けてくれないか」
瞬きだけの、極短い時間の直後。
「了解しました」
その言葉を、ずっと待っておりました。
躊躇する間などない。即答と言って正しい。 いっそ、潔い程にきっぱりとした返答に、呆気に取られたのはイギリスの方だった。
国の命運を左右する重要な決定である。それを会議にもかけずに決めるのか? 今まで日本に参戦の意向が全く見えなかったと言うのに、この決断の速さは何だ? 一体何を考えている?不思議な心地で見つめるイギリスに、日本は何処か安堵したような笑みを向ける。
「会議にかけるまでもありません」
今まで多大なる支援を頂いたイギリスさんを助けるという、これ以上の大義はありません。 大切な同盟国の為に動くのは、我が国としては当然です。 相手が誰であろうと、貴方との同盟に揺るぎはありません。
「我らの誠意、今こそ大英帝国へお見せしましょう」
静かに起立すると、にこりと笑った。花のようだと思った。 瞬きする間に、その底知れぬ闇色の目が、ひやりとした温度を湛えて細まる。
その鮮やかな変化に、イギリスはぞくりと身を震わせた。





「大日本帝国は、ドイツ帝国へ宣戦布告します」




next?




ティーセットは近代洋食器の祖、オールドノリ○ケ
紹介して貰ったのはドイツとオーストリアの工場だった模様
マ○センでは今も柿右衛門様式部門が残されているそうです
磁器の歴史は、実に面白くて興味深いです
2012.05.23







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