ミスリードに至る病





「イタリアあああーっ」
「うわああん、日本ーっ」


 昼下がりの空に響き渡るのは、高らかな嘆き声と、野太い怒り声。
 鬼のような形相で追いかけるドイツを背に、弾丸のように一直線に走ってくるのはイタリアだ。 勢いのままにタックルされ、力いっぱいぎゅうぎゅうと拘束され、日本は目を白黒させる。
「イ、イタリア君、あの、っ」
 近いです。接触面積広いです。それに、ちょっと苦しいです。
 強張ったまま体で何とか逃れようと身を捻るが、それを許さないとばかりに腕の力が込められ、更にぐりぐりと頬擦りまでされてしまう。 だって聞いてよ日本、酷いんだよ、ドイツったらね。
「やめんかっ」
 強面の教官が、後ろ襟首を掴んで甘える子猫をぺりりっと引き剥がした。 ごごご……という地鳴り音をバックミュージックに、教育的指導の迫力のまま睨み付ける。
「貴様、何度言ったら解るんだっ」
 日本を困らせるんじゃない。言っただろう。欧州とは文化が異なり、対人関係において、そういった接触は持たないと。 マニュアル通りにやれ。抱き付くんじゃない。常に一歩離れた位置に、距離を取れ。 その上で、意味合いによって角度が変わる、オジギと呼ばれる動作でだな。
「だってー、そんなの無理だよう」
 こんなにちっちゃくて可愛いんだもん。抱きしめたくなるのが当然だよ。 ドイツだって本心では、俺と同じこと思っているくせに。
「っ、馬鹿もんっ、そんな話を言っているのではなくて、だなっ」
「まあまあ、お二人とも」
 顔を赤くして、更なる怒声に息を飲むドイツに、日本はにこやかに双方を宥める。 私なら大丈夫ですよ。確かにハグは慣れませんが、イタリア君も悪気はありませんし、ドイツさんの気遣いも嬉しいです。 少し驚いてしまっただけです。なかなか馴染めず、不作法で申し訳ありません。
「ごめんねえ、日本」
 謝らないでよ、悪いのは驚かした俺なんだから。 ヴェッヴェと声を上げるイタリアを抑えながら、ドイツは小さく咳払った。
「いや、その、同盟国への配慮は当然だ」
 だから君も、何かあればはっきりと言ってくれ。 そんなドイツの言葉に、ゆうるりと日本は目元を和ませる。
「では、そろそろ休憩しませんか」
 イタリア君も頑張っていらっしゃいましたし、ドイツさんもお疲れでしょう。 一旦休んで、頭と体をリフレッシュさせませんか。
「さんせーい」
 じろりと睨むドイツに、だってとイタリアは頬を膨らませる。 もう足ががくがくなんだよ。立っているのも大変なんだよ。動けないんだよ。倒れそうなんだよ。 これ以上、一歩も歩けないぐらいなんだから。
 身振り手振りでの大仰なアピールに小さく笑い、日本は小首を傾けてドイツを見上げる。 それにむう、と唇を引き締め、振り仰いで太陽の高さを確認すると、呆れたようにドイツは体の力を抜いた。
「ったく……仕方ない、休憩に入る」
 やったあ。途端、イタリアはぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「ねえねえ、ドルチェ食べに行こうよ」
 俺、美味しいお店を見つけたんだ。絶対二人とも気に入ると思うよ。 ここからはちょっと離れているけどさ、売り切れる前に、早く行こうよ。
「お前、一歩も歩けないんじゃなかったのか?」
「もっ、もちろんだよう」
 指摘され、びくりと肩を震わせると、ふらふらとよたついて見せる。ね、ほら。 こんなに疲れてるんだよ。如何にもらしいそれに、日本はくすくすと笑った。
「イタリア君、肩をお貸ししましょうか」
 ドイツさんに比べると、些か頼りないかもしれませんが。 差し出された日本の腕に、イタリアは込み上げるような笑顔を浮かべた。
「日本って、本当に優しいね」
 寄りかかる為の手をしかと両手で包み込み、一歩距離を縮める。
「俺は日本が頼りになるってこと、ちゃんと知っているよ」
 それに日本の胸って、俺にとって、すっごく居心地がいい場所なんだ。 ねえ、ずっと考えていたんだけど、俺にとって日本の胸がこんなに居心地が良いっていうのは、きっと意味がある事だと思うんだ。 だって、不思議だよね?  すごく離れた場所にある二つの国なのに、引き寄せられるように出会って、同盟を結んで、こうして一緒にいてさ。 これって、すごく運命的だよね。ねえ、日本はそう感じない?
 きらきらとエフェクトのかかるイタリア男の本気に、日本は口をパクパクさせた。 だから近い、近いです、イタリア君。そしてなんだか眩しいです。
「イタリアぁっ」
 いい加減にせんか、貴様ぁ。迸る怒声と共に、イタリアの体がぐいと引き離される。 あっと思うよりも早く、そのしなやかな体は、いとも軽々とドイツの逞しい肩に担ぎ上げられた。 ぐえ、とひしゃげた声は、その岩のように隆々とした肩に、イタリアの腹部が圧迫された所為だろうか。
「全く、油断も隙もない奴だ」
 そういうのは戦場で生かせ。あと、抜け駆けは禁止だといつも言っているだろうが。
「ちょっと、苦しいよ、ドイツぅ」
「黙れ、この不埒者がっ」
 荒いドイツの鼻息に、ヴェーとイタリアの鳴き声が被さる。 そのまま米俵を運ぶようにのしのしと歩くドイツに、数拍遅れて我に返った日本は、小走りにその背中を追いかけた。





「よお」
 不意に掛けられた声に振り返り、日本は表情の読み難いと称される目を丸くする。
「プロイセン君」
 お久しぶりです。丁寧にお辞儀をすると、元師匠は片方の唇を吊り上げてにやりと笑う。 ともすればシニカルなそれに、日本はどきりとした心臓を、人当たりの良い笑顔で誤魔化した。
 普段はやんちゃで、俺様な印象に掻き消えがちではあるが、しかし実のところ、彼は酷く端正な顔立ちをしている。 初めて目にした時は、自国とはかけ離れた非現実なまでの美貌に見惚れた程だ。そして悲しいかな。 営業用の仮面の内側でそれが現在も進行形であることは、誰にも言えない日本だけの秘密である。
「いらっしゃったんですね」
「おう、まあな」
 俺様も参加するって言ったんだけど、イタリアちゃんが逃げるからってヴェストに留められたぜ。 折角久々に、プロイセン式訓練を披露してやろうと思ったのによ。それはそれは。 ちぇっちぇーっと少年のように尖らせる唇に、日本はくすくすと笑う。
 並んで歩く視線の先には、筋骨逞しいドイツと、その肩に担がれるイタリアの後ろ姿。 数歩離れた場所から眺め、プロイセンは楽しそうに目を細めた。
「相変わらずだな、あいつら」
「本当に、仲がよろしいことで」
 自由奔放だが可愛らしく憎めない彼と、それを呆れつつも何かと手を貸す面倒見の良い彼とのコンビは、 日本の目から見ても実に微笑ましい組み合わせだ。 正反対に見えつつも、なんだかんだとこの二国は不思議と納まりが良い。
 今もほら、何かを囁くイタリアに、ドイツが溜息ひとつ。 肩に担いだ体がずり下がったと思いきや、そのままひょいと背中の丁度良い場所に背負われる形になった。 何もかもを承知し経っているようなツーカーな雰囲気に、薄く日本は目を細める。
「ちょっと……羨ましいですね」
 意識失く零れた言葉は、極々小さなものであった筈。 しかしプロイセンには届いたらしい、眉を潜めてこちらを見下ろす反応は早かった。
「なんだよ、それ」
 どういう意味だ。どういう事だ。つかそれ、どっちに対してなんだよ。
 時に攻撃的にさえ見える強い視線が、響きの良い低い声が、何やら妙に迫力を持って日本に迫る。 えっ? いえ、あの、えっと、ほら、彼が何の答えを求めているのか掴めないまま、言葉を探し。
「私には、あんな風にお付き合いできる友人がいないもので」
 恥ずかしながら、鎖国期間が長くて、他国とのお付き合い方というものに、いまだ試行錯誤しております。 諸国の皆さんのご関係についても、よく理解できていない節も多くて。 というか、イタリアさんに対しても、ドイツさんに対しても、きちんと接しているのか自身が無くて。
 先細りになる声に、プロイセンはきょとりと目を丸くして、そしてちぇっと小さく舌打ちをした。 なんだ、そういう意味かよ。
「ばーか。考え過ぎなんだよ、お前は」
 国同士の関係なんて、それこそその数だけ千差万別、それぞれに様々な形があるのだ。 お前にはお前の歴史がある以上、自分を捻じ曲げてまで周囲に合わせる必要はねえ。
「つーか、イタリアちゃんとヴェストがいるじゃねえか」
 付き合い方が解らないも何も、もう友達になったんだろ。あいつらはお前と同盟が組めて、マジ喜んでいるんだぜ。 あの二人はお前と仲良くなりたいんだし、お前はあの二人と仲良くなりたいんだろ。 なんも問題ねえじゃねえか。背筋を伸ばして、もちっと自分に自信を持て。
 喝を入れるように、細い背中をどんと叩いてやると、日本はうわっと声を出して、姿勢を正した。 そうそう、その調子だ。プロイセンは腕を組み、ケセセと笑い声を上げる。
 もう、簡単に言って下さいますね。ちょっと唇を尖らせるが、それでも日本の空気は柔らかい。 だがその視線が、ふと何かを探るように彷徨い、そおっと覗き込むように向けられる。
「あの……不躾ながら、プロイセン君にお伺いしてもよろしい、のでしょうか」
 なんだ? 促すプロイセンに、重ねるように念を押す。 気を悪くなさらないで下さいね。 プロイセン君はドイツさんのご兄弟でもありますし、イタリア君とも古くから馴染みが深いと聞いておりますし。 それに私はこちらの文化や習慣に疎くて、恥ずかしい勘違いの可能性は重々に承知しておりますし、ただそれでも少々……。
「前振りなげえよ、一言に纏めろっ」
 言葉は明確にしろと教えた筈だ。誤解と偏見を生む能書きは不要。質疑内容のみ口述を許可する。
 ぴしりとした声には、軍国の片鱗が垣間見える。彼は無駄を良しとしない。 はいっ。反射的に歯切れの良い声を上げて。
「イタリア君とドイツさんは、っその……所謂、恋人同士なのでしょうかっ」
 慎重に向けられたその言葉に、きょとんとプロイセンは目を瞠った。
 いえ、あの、もごもごと口籠りながら言葉を探す。 少し前の事ですけれど、たまたまそんな場面に遭遇しただけなのかも知れませんけど。
「お二人がシャワー室にて抱き合っているのを、目撃したことがありまして」
 我が国では、親しい者同士が入浴を共にすることは勿論、男女の混浴も珍しくはありません。 でも欧州では、特別な関係でもない限りあり得ないと、過去にイギリスさんから伺いました。 それに、イタリア君が裸のままでドイツさんの寝室から出てくるのも、幾度か目にしたことがあったので。
 あー……プロイセンは明後日に視線を投げる。
 思い当たる節はある。シャワーの件に関しても、相談のような愚痴のような話を、弟から聞いたことがあった。 まあ、誤解といえば、完全に誤解であるのだが。
「まあ……確かにあいつら、そう見えなくもねえよな」
 イタリアちゃんはあんなだし、ヴェストだってこんなだし。 そんなシーンを目の当たりにすりゃなあ、まあ、うん。
 気まずげなプロイセンに、慌てて日本は首を横に振る。 あ、違うんです。それならそれで、別に構わないんです。 元より我が国は、同性間恋愛は異端ではなく、それに対する偏見はありません。 何より、若い二人の睦まじい様子は、爺としては心の癒しですから。
「ただ……そんなお二人のお邪魔をしていないかと、心配になりまして」
 老婆心ながら、恋仲の空間に、無理矢理割り込んでいないかとか。空気も解せずに、しゃしゃり出ていないかとか。 もしそうだと言うのなら、自分の無粋っぷりが居た堪れません。
「どうなんでしょうか、プロイセン君」
「いや、どうですかって言われても……」
 二人が恋人同士なんて話、プロイセンだって聞いたことがない。 そんな訳はないとは言いたいが、しかしこちらを置いてきぼりにしてまで、やたらと親しいあの二人だ。 お兄ちゃんの知らない内に……な可能性も否定できない自分がいる。
「そりゃあ、ヴェストとイタリアちゃんなら、お似合いだけどよ」
 その言葉に、思わず日本は瞬きした。あからさまに表情の変わる日本に。
「なんだよ」
「意外です」
 まさか、貴方がそうおっしゃるなんて。心底驚いたように見上げる日本に、プロイセンもまた不思議そうに見下ろす。
「だって、あれだけイタリア君を気に入ってらしたじゃないですか」
 だから正直、お二人が恋仲という話題を出せば、ショックを受けるのではないかと危惧しておりました。 でなければ、大切な弟さんに恋人ができて、一人楽しすぎると寂しがるのではないか、とか。 はたまた、そちらの宗教観とは違った異性間恋愛に、悲愴の嘆き声を上げるとか。
「お前の中の俺様は、どんな奴だよ」
 全く。ふうと息をつき、面倒くさそうにプロイセンは自分の首筋を撫でる。
 確かに宗教上の問題はあるが、昔から同性間恋愛が皆無であった訳ではない。 ついでに、イタリアは可愛いが、その感情が恋愛にイコールであるとは思っていない。 それから、可愛い弟が愛する人を見つけたならば、それを祝福するのが兄の役目であり、それを間違えたりはない。
「ただ……ちょっとぐらいは、居心地悪くなるかもしれねえけどよ」
 だって考えてみろよ、俺様の立ち位置を。プロイセンは眉間に皺を寄せる。
 現在プロイセンは、ドイツと共に生活をしている。 そしてその屋敷には、我が家のように寛ぐオーストリア、そんな彼に甲斐甲斐しく身を寄せるハンガリーも、大ドイツの半同居人として暮らしていた。
 もとより夫婦のようなオーストリアとハンガリーに、ドイツとイタリアのカップルが加わるのだ。 二組の仲睦まじいカップルに囲まれた居住空間の中、一人楽し過ぎる独り身の日常生活って、お前から見てもどうよ。
 シチュエーションを脳裏に、日本の笑顔が固まる。 これは辛い。確かに辛い。誰が悪い訳でもないだけに、辛い。その上でこちらに気を使われたら、更に辛い。 いっそ惚気られた方が救われる。
「まあ、別に俺様は、一人でも充分楽しいけどな」
 別に泣いてねえよ。慰めなんていらねえぞ。でも、ビール、ちょっとしょっぺえかもな。 ぐすりと鼻を啜るプロイセン越しに、孤独な一番星がきらりと光る。その瞬きが目に染みて、日本はそっと目尻を拭った。
 そんな小さな黒い旋毛に、プロイセンはちらちらと視線を動かす。 そわそわとタイミングを図りつつ、そっと呼吸を整えて、小さく咳払いをして。
「な、なあ、日本」
 はい、顔を上げると、思った以上に近い距離から視線が絡む。
「俺とおまえが恋人同士になりゃ、万事解決じゃね?」
 恋人同士? 万事解決? その言葉を理解するまでにやや間を要し、はあ? と日本は素っ頓狂な声を上げた。
「そうだよ、そうすりゃ丸く収まるよな」
 うんうんと満足そうに頷くプロイセンに、いやいやいや……日本は高速で首を横に振った。 ありえない。こんな心臓に悪い戯言はやめてほしい。からかうネタにしては、あまりにも質が悪すぎる。
「爺相手に、なんのご冗談ですか」
「冗談じゃねえよ」
 ずい、と身を乗り出す。俺様は本気だ。すっげえマジだぜ。 きっぱり言い切り、そして器用に片方の眉だけを怪訝そうに潜めてじいっとこちらを覗き込んだ。 グラデーションの瞳の奥に陰りが過る。
「もしかして、もう付き合ってる奴がいる、とか?」
 低くなった声音に滲むのは、焦りのような、苛立ちのような色。 それに気付く余裕も無く、日本は慌てて軽く上げた両手をひらひらさせた。
「ま、まさか。そんなお相手、居ませんよ」
 ご存知でしょう、私、もうお爺ちゃんです。そんな話、あるわけないじゃないですか。
「なら問題ねえだろ」
「大アリですよっ」
 強い語調の日本に、ほんのりと上気させた頬をぷうと膨らませる。
「なんで。丁度良いだろ」
 余り者同士がくっ付けば、一人寂しい奴はいなくなるし、他の奴らだって気を遣わずに済むじゃねえか。 しかも、同盟関係はより強固になり、連合の奴らも悔しがるし。 なんだよ、それ。良いこと尽くめじゃねえか。流石俺様、すっげえ冴えてるぜ。
 歯を見せて自慢げに笑うが、否違う、もっと深い、根本的な部分が間違っている。
「だ、だったら、ロマーノ君がいるじゃないですかっ」
 同じ枢軸で、貴方もお気に召してらした、イタリア君のお兄様の。
「あいつにゃ、スペインがいるだろ」
 イタリアちゃんとヴェストがデキてるってんなら、俺はまずあいつらを疑うぜ。 その的確なのかそうでないのか良く解らない指摘に、ああと納得させられて。
「第一、私は、これでも男ですよ」
「んなこと知ってるっつーの」
 今さっきイタリアちゃんとヴェストの関係を聞いた口で、それを言うのか。 てか、ここまでの流れで、まだ其処に拘るか?
「し、しかも、枯れた爺ですし……」
「枯れたかそうでないか、俺様が確認してやるよ」
「私とプロイセン君とって……」
「てめえ、俺様じゃ不満なのかよ」
 世界に二人といねえ、こんなにいい男が言ってやってんだ。四の五の言わず、とっとと腹を括りやがれ。 言っとくが、返事はヤーしか認めねえからな。
 手首を取り、腰に回した手でぐいと身を引き寄せられる。 にんまりと至極ご満悦なプロイセンを目の前に、吐息が掛かるその至近距離。
「日本、俺様と付き合え」
 うっとりとした眼差しで、低い声が耳朶をくすぐる。ぐるぐると回る頭が、血の気と共に瞬間沸騰した。


「この、あんぽんたんっ」


 怒声と共に、包む浮遊感。
 あっと思ったと同時に、プロイセンの体は宙を舞い、気が付けば地面に転がり、強く打ち付けた背中にもんどりを打っていた。 見事な一本背負いである。 気が付けば距離が開いた先を歩いていたドイツとイタリアが、こちらを振り返る。
「ってーっ」
 背中から肺へと伝わった衝撃に咳き込み、涙目のままプロイセンは腕を支えに半身を起す。 油断した。すげえ、マジ痛え。この野郎。
 しかし見上げたそこにある日本の切羽詰まった赤い顔に、プロイセンは言葉を飲み込んだ。 怒っているのか、泣きたいのか、悔しいのか、苦しいのか、ごちゃ混ぜな感情に唇を噛みしめ、きっと睨み据える。
「貴方、それ、分かってて言ってらっしゃるんですか?」
 丁度良いとか、丸く収まるとか、万時解決とか。言われたこちらの気も知らないくせに。 冗談ですまなくなって困るのはそちらのくせに。それを自覚しているから、必死で抑えようとしているのに。 それとも、全部解った上で、そんな風に言うのか? ならば、なんと意地の悪い。
 ええ、でも。それでも心の何処かで貴方の戯言に喜んでしまっている私自身が、何よりも一番の大馬鹿なんですけどね。
 ぐっと握られた拳が震えている。吊り上がる目にゆらりと膜が張る。それに気が付き、プロイセンはぎょっとした。
「お、おい、日本……」


「これ以上、人の純情、弄ばないで下さいっ」


 失礼します。大声で吐き捨て、ぷいっと背中を向ける。 驚きに立ち尽くしたままのドイツとイタリアをずんずんと追い越し、足音荒く日本はその場を立ち去った。
 呆気にとられたまま、プロイセンはぽかんとその後姿を見送る。
「プロイセン、いたんだあ」
「兄さん、日本に何をした」
 怪訝に見遣るドイツとイタリアに反応を返せず、座り込んだままのプロイセンの脳内で、先ほどまでのやりとりがリフレインされる。 なんだよ、何言ってんだよ、どういう事だよ。 腐っても、軍国。鈍くはあっても、頭の回転は速い。日本の口が発した言葉の流れと関連性、確率と憶測が飛び交う。
 そしてその中から導き出すのは、非常に自分にとって都合の良い可能性。
 あれ。ちょっと待てよ。これって。もしかして。 そこまで思い至った途端、プロイセンはぼんっと、爆発したように耳まで赤くなった。ドイツとイタリアは目を瞠る。
 こうしちゃいられねえ。ちっと舌打ちすると、がばりと立ち上がった。
 戦場の実践では、何よりもスピードが要求される。 うかうかしていると、目標を見失い、事態を悪化させ、今後に支障をきたす可能性が高い。 通信の混乱や伝達の不手際は命取りだ。報告は必要であり、意思伝達は最重要事項である。 いやいや、っていうか、だからそうじゃなくてだな、否それもあるけれど。
「日本っ。てめえ、ちょっと待ちやがれっ」
 勢い余ってたたらを踏みつつ、それを持ち堪えながら、ドイツとイタリアの横を駆け抜ける。 目標は一つ、小さくなったあの背中。くっそ、ぜってえ逃がさねえからな。
 教えた筈だ。言葉は明確にしろと。誤解や偏見はいらない。お前がそう思うに至った過程を口述しやがれ。


「ちゃんと聞かせろっ、てめえーっ」


 ドップラー効果で遠ざかる声と共に、遠ざかる二つの背中。 それを見送りながら、ずるりとイタリアはドイツの背中から滑り降りる。
 どうやら、意外な所に意外な形でダークホースがいたらしい。
 新たな伏兵の予感に、ドイツとイタリアはちらと視線を交す。 互いの抱く気持ちの確認に、負けられない戦いへの決意を新たに、しかしその前に排除すべき存在の登場に。
 二人はきりりと表情を引き締め、こくりと頷き合うと、こつんと握り締めた拳を重ねた。




end.




ここから始まる師匠の猛アタック……が読みたいなあと
そして立ちはだかる、鉄壁のドイツさんとイタちゃん
2014.01.28







back