てのひらにラブソング





 あ、嫁がいます。

 日本は足を止め、右手のビジネスバッグ、左手のずしりと重量のある紙袋を、よいしょと抱え直す。
 ネオンが瞬く日本最大の電気街の一角、ビルの壁面に上下に列を成してずらりと並んでいるのは、種類豊富なカプセルトイマシンだ。その中から、一瞬で妻を見つけた愛妻家の自分を褒めてやりたい。
 カプセルトイと言えば昔は子供のおもちゃの代表格であったが、最近では大人向けと思われるジョーク商品も多様に取り扱われている。値段の割には凝った作りや高性能なものもあって、ヒット商品なども誕生していた。
 こうしてみると、確かにすごい種類ですね。壁面一帯を埋め尽くす数々のカプセルマシンに、日本は感心する。
 そんな中でも目敏く目を止めたのは、マイ二次元嫁のカプセルトイであった。マシンの前面から、見慣れたヘアカラーの可愛らしいフィギュアが、こちらに手を伸ばしてウインクしている。
 音楽内蔵ミニボーカロイド。貴方の手の平で音楽を奏でます。シークレットはさらに高性能な機能の付いた、スペシャルボーカロイド!
 前面に書かれたキャッチコピーから察するに、どうやらこのミニフィギュア、曲を流す機能が付いているらしい。随分と凝ったものですね。こんなものもありますか。他のものよりはちょっとお値段高めですけど、でも機能を考えればそうなりますね。
 雪バージョンに、葱バージョン、着物を着たバージョンに、えっ、水着バージョンもあるんですか、けしからん。一番狙いはピンクの桜バージョンでしょうか。でも、どの子も可愛いですね。
 折角なので一回だけ、ご縁試しをしてみましょうか。日本は足元に紙袋を置き、バッグの奥から財布を取り出す。もし気に入ったら、また買いに来たらいいだろう。とりあえず、どんなものかの試し買いですね。
 取り出したコインを差し込み口に投入し、わくわくと日本はハンドルを回した。

     ○

 自宅の玄関を開けたのは、既に夜半過ぎであった。
 ただいま帰りました。ぐったりとした身体を引き摺りながら声を上げるが、しかし今夜は気配を察して出迎えに来てくれる愛犬はいない。会議が開催されるアメリカに明日から出張に行く為、今朝早くに大阪に預けたのだ。嗚呼ぽち君……愛しきモフモフをこの腕に抱けない寂しさに、大きなため息が零れた。
 さっさと風呂に入ろう。両手に抱えた荷物を纏めて寝室に置くと、その足でスーツを脱ぎながら風呂場へと向かった。
 頼むよ、君に頼るしかないんだ。俺達、友達だよね。
 電話を受け取ったのは、昨夜の話。アメリカでのアメリカからのプライベートなナンバーからだ。
 泣きそうな声で依頼されたのは、先日日本で販売が開始されたばかりの、某メーカーの新しいゲーム機。それと、そのゲームソフトが数種だ。
 どうやらこの新製品は非常に人気が高く、販売開始と共に売り切れ状態が続き、なかなか手に入れるのが難しいらしい。そんな中、日本の市場では漸く生産が追い付き、本日各店舗で再入荷が開始されたようだ。とは言え矢張り人気機種、仕事終わりに立ち寄った電気街では何処も軒並み販売終了の札が貼られており、複数店舗を梯子して、なんとか入手に漕ぎつくことが出来たのである。
 せめてもう少し、早めに言って下されば良かったのですが。明日は朝から空港に行かなくてはならないのに、帰宅するのに予定外の手間が掛かってしまった。速やかに荷造りを済ませ、とっとと眠って体を休ませておかないと。
 入浴を終えた日本は、先に布団を敷くと、出張の準備に取り掛かった。
 着替えはそんなに必要ないでしょう。必要書類とメモリーデータに、パソコンのバッテリーは多めに。常備薬も念の為、持って行った方が良さそうですね。そうそう、アメリカさんに頼まれた品は、スーツケースに入るでしょうか。
 よいしょとゲーム機が入った紙袋を引き寄せ、紙袋を中から出したと同時、ころりと丸いカプセルが零れた。ころころと転がり、布団の端で漸く留まる。
 ああ、忘れていた。日本は身を乗り出してそれを手に、小さく笑う。カプセルを開けようとしたタイミングで、大阪から電話が来たのだ。咄嗟にオープンせずに紙袋に入れたが、そのままでしたね。
 ちょっと開けてみましょうか。両手でぐっと握り、力を込めながら継ぎ目に爪をひっかける。かぽ、と小さな音と共にカプセルが開いた。ころり、中のものが手のひらに乗る。
 それに、日本は目をぱちくりさせた。
 嫁……じゃない?
 こちらに小さなお尻を向けて転がっているのは、どう見ても愛しき二次元嫁の衣装ではない。指先で起こしてみると、やはり違っていた。え、誰ですか、この子。見覚えのない姿に疑問符が浮かぶ。
 こんなキャラクターのボーカロイドっていましたっけ。カプセルの中から説明書を取り出して開くが、見本画像の中にこの姿は見当たらなかった。んん? と首を捻る。
 ひょっとすると、このシルエットで記載されたシークレットがこの子なのでしょうか。
 上から、横から、斜めから、説明書と見比べる。どんなお顔でしょうか。こちらを向かせようと人差し指と親指で小さな胴を挟むと、かちりと何かボタンを押したような感触があった。なにか触りましたか? 途端、ぱちりとその目が開く。
 目が赤い。どうやらライトか。それが真正面から日本を照らすと、ぴっと小さな起動音が鳴った。なにを認識したのか、ちかちかと瞳の奥が光っている。
 ぴーっと長めの機械音の後、小さな瞼がぱちぱちと瞬きした。その滑らかな動きに驚く。えっ、動きましたよね。覗き込むと、手のひらの上のそれは自らの意思で体を動かし、ひょこんと立ち上がった。なんと。
 そして日本を見上げると、にんまりと唇を吊り上げると、片膝をついて胸に手を当てる。
 まるで中世の騎士のような仕草は、どうやら彼からの挨拶らしい。驚きのままに思わず顔を近づけると、小さな彼はケセセと笑っていた。
 えっ、ええっ、なんですかこの子。説明書と並べて確認する。すると横から伸びた小さな指が、つんつんと記載されていた文字を示した。
 「えーっと……ギルロイド君、ですか?」
 読み上げると、こくりと頷き、小さな胸を反らせる。初めて聞く名前だ。新しい子でしょうか、こんなボーカロイドがいたのですね。
 というか、これ。確かに更に高性能なシークレット、と説明書には記されているが、それにしても高性能すぎるでしょう。なんというか、まるで妖怪時計。しかしこの子は妖怪の所為ではなさそうだ。
 勤勉で凝り性で日々改良に勤しむ自国の民の気質は承知している。しかし、ここまでの進化を果たしているとは、流石我が国民。やりおる。
「にしても、どんな構造になっているのでしょうか」
 ここまで違和感なく動くなんて、かなり高度な技術ですよ。動力は? 仕組みは? 中身はどうなっていますか? 好奇心のままに、纏っていた白いマントをぺろりとめくる。本体を見る為に腰のベルトを外そうとすると、突然ギルロイドがめちゃくちゃに暴れた。
 じたばたしながら日本の手から逃れると、畳の上に倒れ込む。まるで暴漢に会った乙女のように、口元を抑えて足を揃えた横倒れ、ぷるぷると小刻みに震えながらこちらをねめつけた。それが涙目のようにも見えて、日本は慌てた。え、そこまで?
「違いますよ、誤解です」
 別に乱暴するつもりはありません。ただちょっと、どんな仕組みになっているのか知りたくて。弁明する日本にギルロイドは、一緒に落とした説明書を手に取ると、ぴしっと開いて突き付けた。
「えっと……分解、改造はしないで下さい?」
 乱暴なご使用はおやめください。無理に引っ張ったり、曲げたりしないで下さい。本来の用途以外の使用はしないで下さい、思わぬ破損は事故の原因となります……等々。おもちゃの購入の際に同封される、ありがちな使用の注意書きがつらつらと記載されている。ちらりとギルロイドを見遣ると、ぽこぽこと怒ったように頬を膨らませていた。
「わかりました……とりあえず、すみません」
 そんなつもりはなかったのですが、でもびっくりさせてしまったようですね。
 驚かせない動きでギルロイドに手を伸ばし、指先でその小さな頭を撫でてやる。柔らかい髪は撫で心地が良い。どうやらギルロイドもその感触が気に入ったらしく、嬉しそうに目を細めて、こちらの指に頭を摺り寄せて来た。まるで猫の子が懐くようなそれに、こちらもつられて笑み零れる。
 思っていた嫁とはちょっと違っていたが、これもまたカプセルトイの神さまからの御縁だろう。すくい取るように両手に乗せて顔を寄せ、こつんと額と額を合わせると、ギルロイドはきゃっきゃと笑った。
 しかし、のんびり和んでいる時間はあまりない。
 何気なく視線を向けた壁掛け時計、針の示す時間に日本は驚いた。
「あー、もうこんな時間ですか」
 君がとっても気になりますが、すいません、ちょっと急ぎますので。そう言うと、日本はギルロイドに背を向け、荷造りを再開した。
 首を傾げたギルロイドは、ひょこひょこと近付き、後ろから一緒にスーツケースの中を覗き込む。なにをしているのか、気になるらしい。
「出張の準備ですよ」
 明日出発なのでその荷造りをしているのです。トラベルポーチに荷物を纏める日本に、ギルロイドは張り切った顔でぴこぴこと腕を上下させた。
「お手伝い、ですか?」
 ふんすふんすと鼻息荒く頷くが、日本は困ったように苦笑した。
「嬉しいのですが、ギルロイド君がいると、一緒に荷物の中に紛れちゃいそうですね」
 今回は初めてですし、ちょっと急ぎますので、見守って下さるだけで結構ですよ。また次の機会にお願いします。
 日本はギルロイドを邪魔にならないようにと、少し離れた場所へと移動させる。そして作業に戻った。
 さっさとこれを済ませないと、このままでは寝る時間がない。ただでさえ出張や会議前は緊張して寝つきが悪くなるのに、これではまた徹夜で飛行機に乗る羽目になってしまう。
 大急ぎで荷物を詰め込む忙しそうな背中を眺めながら、ギルロイドは一人ぽつんと良い子にして待っている。時折足をぶらぶらさせ、退屈を持て余していたが、そこでぴこんとひらめいた。
 突然背中から聞こえる細い音に、日本は顔を上げた。音楽? クラシック? 咄嗟に充電中の携帯電話へと視線を送るが、しかしランプは点いていない。ラジオのタイマーでもうっかり押しちゃっていたのでしょうか。
 音源に視線を遣ると、先程移動させたその場所で姿勢正しく立つギルロイドが、何処から取り出したのであろう、銀のフルートを吹いている。おや、まあ。
「ギルロイド君、楽器が演奏できるのですか」
 目を丸くした日本に、ギルロイドは一度フルートから口を外した。そしてぶんぶんと腕を振って見せる。どうやら、応援してくれているらしい。音楽で。
 夜中に大きくないBGMは、気晴らしに音楽を流しているのと同じであろう。アップテンポなリズムが動きを促し、いつの間にやらリズムに合わせて動いている自分に気が付く。
 一曲演奏を終えると、日本はぱちぱちと拍手した。
「とても素敵な演奏でした」
 流石は多機能で特別なシークレットボーカロイド。その名の通り、歌う為に作られたアンドロイドですね。でも、歌うアンドロイドなのに楽器? そう言えば、あのカプセルマシンには、ランダムに一曲だけ歌が内蔵されていると書かれていたような気がするが。
「ギルロイド君って、歌は歌えるようになっているのでしょうかね」
 その質問に、ギルロイドはにんまり口を吊り上げた。そして、何処からともなく颯爽とマイクを取り出すと、気取ったポーズで嵌めていたヘッドホンに手を当てる。
 いち、に、さん、はい。

(歌詞省略)

「この歌……」
 ああ、思わず大きく頷く日本の前で、ギルロイドはマイクを翻しながら、足を前後ろにぴょんぴょんと飛び回りつつ、ロックなそれを熱唱する。
 時代を風靡したロックバンドグループのそれは、ノリのいいリズムと熱い歌詞から、おそらく誰もが一度は耳にしたことがあるのではなかろうか。小さな体に見合わずやや掠れたギルロイドの声は、この歌に合っているようにも思えた。
 コンサートのノリそのままにジャンプを繰り返しながら歌うギルロイドに、日本も懐かしいフレーズを一緒に口ずさんだ。

     ○

 よいしょ、と鞄を持ち上げ、端に寄せる。
 さて、出来た。ふうと息をついて時計を見る。思ったよりも早く、荷造りが終了したようだ。拍手するギルロイドを振り返る。
「応援、ありがとうございました」
 おかげで早く済ませることが出来ました。小さな頭を撫でてやると、ギルロイドは嬉しそうにどや顔で胸を張った。
「さて、では寝ましょうか」
 明日は早いですからね。布団を捲ると、ギルロイドが待ってましたと体を滑り込ませる。どうやら一緒に眠るつもりらしい。ボーカロイドって睡眠を必要とするのでしょうか。そんな素朴な疑問も、片肘をついて寝そべった姿でぺしぺしと自分の隣を叩いて呼ぶギルロイドの姿に、まあいいかとかき消えた。
 ただ、ひとつ注意すべきことがある。
「念の為、少しだけ離れていてくださいね」
 出張の前、どうも寝入りが悪くなる時が多かった。小さい子供が旅行前に興奮するのと似たようなものか、忘れていることはないか、しなきゃいけないことはなかったか、どうにも気になって寝付き難くなりがちだ。今日は電気街を歩き回って疲れているから大丈夫かとは思うが、それでも疲れているからこそ逆に目が冴える時もある。
「寝返りした時、ギルロイド君を潰してしまわないか、ちょっと心配ですから」
 よいしょと布団に横になりながら、布団の横に置いていた室内電気のリモコンを取る。照明を落とそうとするが、すくっとギルロイドは立ち上がった。
 どうかしましたか? 視線を向ける日本の横、何やら持っていたフルートを調整している。そして、ひらひらと手を動かし、日本に部屋の照明を落とすように示した。首を捻りながら、リモコンを操作し、部屋の電気を真闇にならないギリギリまで落とす。
 ほんのりと視界が利く電灯の下、ギルロイドはフルートを奏で始めた。
 極細い音量は、耳の端に僅かに引っかかるもので、直ぐ近くでの演奏にも拘らず耳に煩わしさが無い。この曲は、G線上のアリア、か。そう言えば、安眠効果が高い曲として有名だったように思う。どうやら彼は、子守歌代わりにフルートを演奏してくれているらしい。
 優しいですね。ふふっと笑い、日本は目を閉じた。
 静かで穏やかな旋律は、普段より気持ちゆったりと聞こえる。フルートの軽やかな音色に意識を任せ、そして気が付けばそのまま、ゆうるりと眠りの世界へと意識を手放していた。










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