歓喜の歌。
 または、神の背負いし罪と罰。




















フロイデフロイデ










 育ての祖父は、信心深い人物ではなかった。基本的に現実的で実質的な考えの持ち主で、信仰よりも寧ろ思想を重んじる傾向が強かった。
 それでも、「神」という絶対的な存在を口にすることはあった。

「ひょっとすると、神様のお陰かもしれんのう」
「きっと、神様のもとに行ったのじゃろう」
「まさに、武道の神様みたいな御方での」
「こればっかりは、神様しか分からんことじゃよ」

 当時、神様という存在を強く意識したことはないものの、それが特別な存在であろうことは、何となく理解した。
 そんな祖父亡き後、パオズ山を出て、旅をし、様々な場所を巡り、いろんな人々と出会った。その中で神を奉る建物に立ち寄ったこともあれば、神に人生を捧げる神職者と話す機会もあったし、その存在を掲げた伝説や物語を見聞することもあった。更には実際に神と名乗る存在に対面し、教えを受け、上回る存在を知り、のみならず、今やそんな彼らと日常的に交流することさえ当たり前になった。
 人は、神を畏れ、敬い、祈り、助けを求める。心の拠り所にし、戒めとし、許しを請い、象徴にする。免罪符にし、利用し、力を求め、賛美する。
 しかし実際のところ、己の知る「神様」とは、人々が思っている程崇高な存在ではなかった。個性が強烈で、気紛れで、親しみやすく、何処までも人間臭い生き物ばかりであった。
 確かに、人とはまるで違う存在だ。その力も強大ではあるし、計り知れないなにかを秘めていることは感じる。
 だがそれ以上に、決して万能な存在ではなく、極めて俗っぽく、理不尽であったり、移り気であったり、変な拘りがあったり、呆れるほどの我儘さを如何なく発散させていた。まるでそんな性分こそが、神の条件であるかのように。神の特権であるかのように。神の習性であるかのように。
 こちらが知っている善悪など、彼らの前では全くの無意味であると知ったのは、もう随分と早い段階であった。 


「神とは本来、そんなものですよ」


 先導する彼は、こちらを振り返る事無くそう告げた。
 とぼけているようにも、からかっているようにも、真剣なようにも、あるいは言い聞かせているようにも聞こえる。独特の抑揚のある口調は、その真意がいつも見え難い。
 どうやら心を読まれたらしい。それとも、無意識に声に出していたのだろうか。疑問に首を傾けると、彼は軽く肩を竦める。後ろに目でもあるのかもしれない。尤も、気を探って思考を読み解くことは、接触こそ必要ではあるものの、自分にも出来る程度の能力だ。
 彼は神ではない。神の付き人だ。しかしその能力や、底の知れなさ、とてつもない個性や人を食ったような言動を見ると、ある意味彼の方が余程神様ではないかと思わせる節があった。
 何より彼もまた、神に負けず劣らず、非常に善悪とは程遠い価値観を有している。


「それが神への前提というのであれば、ねえ」


 でもね、孫悟空さん。
 ちらりと視線で振り返り、うっそりと含みを込めて口角を吊り上げる。


「ならば貴方にも、神としての要素は充分に備わっておりますよ」



















「神は、成るものではありません」
「人で、無くなることですからね」















 初めて彼に案内されたそこは、何処となく、地球の神の住まう神殿に似ていた。思えば、今まで訪れた神の聖域とされる場所は、何処かしらその造りや雰囲気が似ているような気がする。
 先の見えない無限回廊を歩きながら。
「我々が指名して、新たな神を誕生させるようなことはあり得ません」
 割と勘違いされがちではあるが、流石にそんな力は持ち合わせていない。寧ろ、保護するのに近いだろう。
 なにせ、神と人は、あらゆる面で差異が生じる。その膨大な力にせよ、特殊な倫理観にせよ、価値観の違いにせよ。混乱を避ける為にも、傷つかない為にも、お互いの為にも、その自覚や適度な線引きは必要なのだ。
「だったら、セルって案外神様に近かったんじゃねえのか?」
 人とは違う倫理観を持ち、とてつもないパワーを有している。彼が言わんとする神らしさを、備えているように思えるのだが。
「彼は、作られた存在でしたのでねえ」
 あくまで人口生命体ですから。最初から「人」でもありませんよ。まあ、「人」の定義は様々ではあるのですが。尤も、人が人工的に神を作るというのも、実に興味深いテーマではありますねえ。
「じゃあさ、ブウは?」
「彼は魔人ですよ」
 まあ、あの特殊さも含め、元より神にはかなり近い生命体でしたけど。でも今は分裂し、その片方は既に転生の渦へと呑まれておりますしね。
「フリーザは?」
「彼の価値観は、実に判りやすいですねえ」
 力で支配し、仲間を携えて、テリトリーを増やす……それは、権力を求める人、そのものでしょう。
「ベジータは?」
 自分にその要素があるというのなら、似たものではなかろうか。彼こそ善悪など意味がない。興味も無い。自分の中にある倫理観が最優先され、そう然るべきだと信じて疑わない。そしてとてつもない天才だ。引き離したと思っても、こちらよりも遥かに短期間で必ず同じ高みへとやって来る。そのずば抜けた戦闘センスと秀でた能力に、空恐ろしさや、計り知れなさを感じることも多かった。
「ベジータさんこそ、人以外にはあり得ませんよ」
 含み笑いを込めた声は、酷く楽しげであった。
「それに彼には、人へと繋ぎ止める存在がおいでですしね」
 この小さな惑星に。命に。そして、人間で在ることに。
「それって……ブルマの事か?」
「配偶者だけではありませんよ」
 彼の息子さんも、娘さんも、家族と呼ばれる方々は先ず当て嵌まるでしょうね。それに、彼らが生きていくには、地球が必要であることも承知しています。その為には我慢しなくてはいけないことも、自分の意思よりも優先する必要があることも、きちんと理解しております。
 何より、それらをとても大切にしております。それこそ、自分の命を差し出しても惜しくないほどにね。
 彼は無頼を気取っておりますが、その実、非常に情が厚く、人間臭く、そして常識人ですよ。
「でもね、悟空さん」










「貴方にも、彼と同じく、人たるものとして繋ぎ止める方がおいででしたが」
「それを、貴方はどう扱いましたか」
「それこそ、神の如き気まぐれでもって、接し続けて来たではありませんか」





 にこりと食えない笑顔付きでの指摘に、反論はなかった。















 誰かを愛し、夫婦となり、子を成し、家族を守る。これこそ、神では決して成し得ない、人だけが持つ営みだ。
 そして人である仮定がそうであるならば、悟空を人たる存在として最も繋ぎ止めていたのは、間違いなくチチであろう。恐らく彼女に出会わなければ、結婚の意味を知ることもなく、子を成すこともなく、家庭を持つこともなかった。
 夫と呼ぶには頼りなく、父親と呼ぶには情けない自分を、怒りながらも、呆れながらも、時に涙を流しながらも、それでも最後までただ一人の伴侶として共にあり続けていた。しょうがねえ、惚れた弱みだ、悟空さだもんな。それだけの理屈で、全てを許し、免罪し、受け入れた。

「だっておら、悟空さのことが好きなんだもん」

 その言葉一つで何もかもを容認される事実が、最初は不思議でしょうがなかった。しかし、直ぐに慣れた。だって彼女は嘘をつかない。その彼女が言うのならば、そうなのだろう。
 悟空には理解できなかった「好き」という感情が持つ免罪符を、彼女は諦念し、受け入れているのだ。ならば、もうそれでいいじゃないか。そう納得した。
 とは言え、矢張り彼女に多大なる我慢を強いていることは伝わった。
 だからせめて、彼女の希望は叶えてやろうと思った。

――ずっと悟空さのお嫁さんになりたかっただ。
――これからもおらの旦那様でいてけれな。
――必ずこの家に帰ってくるだよ。

 勿論、出来ること、出来ないことは多々ある。
 それでもせめて、自分が可能な範囲で、そんな彼女の望みを叶えてやろうとは思った。















 だからこそ、彼女の最期を看取ることもしなかった。














 それはあくまでも彼女が自身で望み、告げたことだ。


「そっだら心配せんでええから」
(余計な心配をさせたくはない)


「おめえは修業がしてえんだろ」
(その邪魔をして、迷惑だと思われたくない)


「わざわざ顔を見せに来なくてもいいべ」
(病に伏した、情けない姿を見られたくはない)


「こっだらやつれた顔、あんま見られたくねえもん」
(若くて綺麗だった頃だけを覚えていて)



 病院のベッドの上、言葉の後ろに透ける心。どちらを優先すべきか考え、果たして自分は、彼女が口にした言葉を至極素直に受け止めることにした。
 弁解になるかも知れないが、気が強いくせに寂しがり屋の彼女の傍にいた方が良いと、思わなかった訳ではない。だが同時に、自分が傍にいても何をして良いか判らなかったし、邪魔になるだけだろうし、付き添うことで容体が変わるとも思えなかった。
 それよりも、彼女が自分の意思で発した言葉を尊重した。だって、彼女は嘘をつかない。たとえ胸の内と差異があったとしても。
 しかし二人の息子をはじめ、息子の家族や旧友や仲間からは、軽蔑と怒りの言葉をぶつけられた。
 信じられない。なに考えているのよ。ちょっと考えれば分かるじゃない。なんで、こんなどうしようもない男なんかと、ずっと夫婦でいられたのかしらね。あんたホントに、人の心を持ってんの? 
「この、人でなしっ」
 姉のような存在でもある古い友人に、そう言われ。
「だってチチがそうしたかったんだろ」
 思った言葉をそのまま口にしたところ、強烈な平手打ちが飛んできた。痛くはない。涙目で睨み付ける彼女の手の方が、余程痛かったのであろう。
 大丈夫か。そう言いかけたが、彼女の背後に立つ射抜くような視線に気づき、言葉を飲み込んだ。
 敵対者を睨み据えるようなものとは違う、心底侮蔑するような、嫌悪さえ込めた眼差し。冷酷で残忍と言われたかつての敵は、いつの間にかこんな顔をするようになったのだ。
 彼は変わった。配偶者を見つけ、子を得て、大切だと思えるものを抱えて。彼は変わることができたのだ。





 妻は、確かに好きだった。それは嘘ではない。
 常に帰る場所を整えてくれた。毎日美味い料理を作ってくれた。いつも清潔な服を用意してくれた。何より、一人ぼっちだった自分に家族を与えてくれた。もしも来世での伴侶を選べるとするならば、矢張り自分は彼女を選択するであろう。
 向けられるひたむきで惜しみない愛情は、時に堪らなくくすぐったかったが、決して悪いものではなかった。乙女心とやらはやけに面倒くさかったが、それでも彼女の笑顔を見るのは好きだった。怒られたり、泣かれたり、不機嫌になったり、理解できないことは多かったが、生活を共にすることに苦痛はなかった。
 彼女には、心から感謝をしている。
 だからこそ自分は、可能な限り彼女の希望に沿った。
 一緒にいたいと言ったのは彼女だ。結婚をしたのも、ずっと夫婦でいて欲しいと願ったのも、血を分けた子供が欲しいと強請ったのも。彼女の望みを叶えてやることが、自分なりの誠意のつもりであった。
 そこに、彼女の望む感情がなくとも。





「人は、互いを認め合い、共感し、お互いを理解し合います」
 それは理解出来る。実際自分は今まで戦いの中で、互いを認め合い、互いを理解し合い、そして友情を育んできた。今まで敵であった相手さえも、そうやって新たな信頼関係を築いてきた。少なからず自分だって、同じものを与えられてきたと思う。亡き祖父に。師匠に。仲間に。そして、家族に。
「しかし、人の心を理解できない者を、人ではない、と表現しますね」
 他者を思いやる優しさこそが人であるなら、それを持ち合わせないあなたは、人ではないということに繋がりませんか。
「人ではないものは、悪者であるとする表現でしょうが……さて」
 ふくり、と意味を込めた笑みを唇に刷いて。


「あなたの知る神は、果たして人の心を理解した、正義でしたか?」


 人の枠に収まる、正しさのみで構築された存在だったでしょうか。
 誰しもに等しく与える、無償の愛に溢れた存在だったでしょうか。
 この世界の全てを許容する、寛容を備えた存在だったでしょうか。
 強大な力を持ってこそすれ、その枠に嵌る対象が、果たしてどれ程の割合でいらっしゃるでしょうかね。


 結局、神の癖に俗っぽい、ではない。その言葉は間違いだ。
 寧ろ、神だからこそ。
 気の遠くなるような長い時間を、只管消費しなくてはならないからこそ。
 美しさも見難さも踏まえた、知りたくもない世界の理を知るからこそ。
 こちらの存在さえ知らぬ、善悪を備えた様々な生き物を統べるからこそ。
 神は身勝手となり、我儘になり、俗っぽくなり、ささやかな楽しみに熱中する。子供っぽさも、横着さも、気紛れさも、それが自然と必然になってしまうのだ。
 幼子の如き、素直で、飾らぬ、剥き出しの心のままに。


「神は、純真なのですよ」


 自分を大切も慮ってくれる誰かの為に、己の欲望を抑えようとはしない。守らなくてはいけない誰かの為に、命に執着することは無い。惜しみない愛を与えてくれる誰かの為に、自分の心を与えようとはしない。
 そんな、良し悪しを踏まえた、人として当たり前の感情は持ち合わせておりません。










 人、で無し、ですから。










 かつり、足を揃えて止めたのは、見たことのない、とてつもなく大きな扉の前。どうやらここが、終着点であるらしい。
 隣に並ぶ彼は、しゃんと伸びた背筋のまま、何処か楽しそうに目を細めてこちらを振り返った。
「ただ、ひたすらに強さを求める、貴方と同じように、ね」










 扉が開く。
 それは、神への扉。
 人で無い者を導く扉。
 響くファンファーレは歓喜の歌か、それとも。















「さあ、新たな神の誕生に祝福を」















end.




ひとでなしのかみさま
2024.09.08







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