きっといつか、その時が来ると。





チチは笑顔で別れを告げるのだろう。




















百年の孤独














「おめえさ、亀仙人のじっちゃんみたいだな」
その例えに、チチははあ?と目を見開いた。
「なあに言ってるだよ」
失礼な奴だなあ。一体何処が似てるって言うんだべ。 けらけらとした明るい笑い声は、初めて出会った頃から、何一つ変わらない。
変わっていくのは、その姿だけ。
小柄な体がひと回り縮んだと感じたのは、 一体いつ頃からだっただろう。
元々チチは華奢で細身で、最初の頃は、 直ぐに壊れてしまいそうな印象があった。
でも実際には、その体は見かけ以上に強くて、 思った以上に頑丈だった。何処までものめり込んでしまいそうなしなやかな柔らかさは、 こちらの乱暴な所作にもいつも耐えてくれた。そして、肉体的な苦痛を堪え切って、 二人も子供まで産んでくれた。





「おらのことは、もうええんだぞ」
チチは、時々そう言った。
「だって、おらが欲しかったものは、悟空さがもう全部くれたからな」
憧れていた結婚、 可愛い子供達とその孫、そして優しい旦那様。
幼い頃の夢は、勿論完璧とは言わないが、 それでも全て叶える事が出来た。もう、今のチチに、叶えたい何かを思い当たる節はない。
「だから、もうおめえは、自分の好きにしていいだぞ?」
好きなだけ修行に行っても、 働かなくても、今更怒るつもりは無い。おめえを縛り付けるつもりはねえからな。
「チチは、おらがいねえ方がいいのか?」
「まさか」
そりゃあ、 一緒にいるに超した事は無い。
「でも、おらの事は心配無用だべ」
悟飯ちゃんもいるし、 ビーデルさんもいるし、悟天ちゃんもいる。
「もう、おらは寂しくねえだよ」
こんな時になって、こんな事を晴れ晴れとした笑顔で言うチチが、悟空には恨めしかった。





「随分、皺が増えたよな」
小さな手を取り、覗き込みながらぽつりとした悟空の呟き。
「当然だべ」
目尻の皺を誇らしげに寄せて笑う。
「毎日毎日、 おめえ達の飯を作ってきたからな」
水仕事の多い主婦の手は、荒れやすいもんだべ。
そこには、今まで生きてきた歴史が、間違える事無く刻み付けられていた。











小さな手に皺が寄る。
しなやかで滑らかだった腕が、皺を寄せ、脆くなり、痩せ細っていく。 見えない力に削がれる様に、少しづつ、確実に。
それを目の当たりにすると、 不意に居ても立ってもいられないような、焦燥感にかき立てられる。
今までどんな強い敵を目の前にしても、胸がわくわくしていた筈なのに。
これほどまでに、 「怖い敵」に遭遇した事は無かった。











「なあ、チチ」
「なんだべ?」
「ドラゴンボール、あつめっか?」
久しぶりに聞くその名前に、くるりとチチは目を丸くした。
「何かあっただか?」
驚きの中に垣間見える、僅かに強張った感情。
今まで、ドラゴンボールを集める時は、 大抵何か大きな事件が起こった時だった。だから、チチは不安を覚えたのだろう。
否、と悟空は首を横に振る。
「おめえさ…その、もっと昔みたいに、戻らねえか?」
悟空の言っている意味が判らず、チチはおっとりと小首を傾げた。
「昔?」
「あのさ、 例えば天下一武道会の時とか、悟飯が生まれた時とか」
それぐらいまでに、 体を若返らせたほうが良くないか?
「おめえは、若い時のおらの方が良いだか?」
疑問詞の中、少しだけ滲ませた悲しそうな顔に、悟空は生真面目に首を横に振る。
「そんなんじゃねえよ」
子供の時でも、大人になっても、チチはチチである。昔の方が良いだの、 今は好きになれないだの、そんな問題じゃなかった。
ただ、不安になるのである。





チチは変わっていく。
自分は変わらない。
それが地球人とサイヤ人の違いだとは、 ベジータから聞いた事があった。
でも時々、自分が置いて行かれるような、疎外感を覚える。





「怖いんだ」
「怖い?」
宇宙で一番強い癖に、おめえは一体何が怖いんだ。
「だって。チチ、消えちまいそうだもん」
その表現に一瞬目を丸くして、 チチは堪え切れぬように噴出す。肩を揺すって笑い声を上げる様子に、 悟空は眩しげに目を細めた。
「その昔。何処かの誰かさんは、可愛い奥さんを放って、 とっとと死んじまったけんどな」
自分は平気でどこかに行くくせに。そのくせ、 人が何処かに行きそうになるのは、どうやら我慢できないらしい。
にやりと笑って覗き込まれると、参ったなあと悟空は頭を掻くしかない。
「おめえはホント、 我が侭だなあ」
「おめえだって、そうじゃねえか」
ドラゴンボールで若返る筈なのに、 それを拒否している。あの時のおらと同じじゃねえか。
「おらのは、違うだよ」
おらは歳をとって、寿命が終わるんだ。誰かに殺されて死ぬんじゃねえ。
「それに、ドラゴンボールだって、寿命を延ばすことなんかできねえだろ?」
昔、ナメック星での時がそうだった。確かに、「生き返る」という願いを叶える事は出来た。 しかしそれは、人に殺された場合でのものであり、本来の寿命を変える事は出来なかったのだ。
「なあ、悟空さ」
煙るように細めた瞳は、満ち足りたような光を宿している。
「これは、 どうしようもねえ事なんだべ」
どんな良い人にも、悪い人にも。
時間だけは平等なんだから。





でもそれは、あくまで地球人に当てはまる言葉だろう。
サイヤ人には、地球人と同じ時間の平等さは与えられているのだろうか?











「大丈夫。おらはまだ死なねえだよ」
おめえは、何をそんなに不安になっているんだ?











人は死を恐れる。未知の世界を恐れるのは、当然の心理だろう。
でも、悟空にとっては、 そこは既に未知の世界ではない。過去二度に渡り死を体験した悟空は、 皆が不安に思う「あの世」がどんな場所か、良く知る場所でもあるのだろう。
「大丈夫、おらがあの世でおめえをちゃんと待っているだよ」
只、ほんの少し、 行くべき場所へと先に行っているだけ。きっとまた、そこで出会う事が出来るから。
それが可能な事ぐらい、おめえも解っているだろ?
「ああ…でも。きっとおめえは、 死んじまっても修行に行っちまうんだろうな」
おらがずっと待っていても、 きっとおめえは違う所へ行ってしまうんだろう。ああ、全く、しょうがねえなあ。
怒ったように眉を寄せながら、それでも何もかもを許容した寛大な瞳で、チチは笑う。











「行かねえよ」
「ん?」
「おら、チチのいない所に、修行になんか行かねえ」











曖昧に笑うチチの笑顔の意味が、悟空には解らなかった。


































いつか。
どんな力を使っても、決して手の届かない所へ行ってしまうだろう。 それが仮初の別れだとしても。再び必ず出会えるとしても。
その時きっと自分は、 何も出来ないもどかしさと無力さにむせび泣くだろう。
そしてチチは、 きっと何もかもを満足した顔で、別れを告げるのだろう。
もっと先になるのか、目の前に迫っているのか、それは判らない。
けれど、 どうしようもない絶望感の中で、今度は自分こそが耐えるべきなのだ。





















でも。





再会できる「終わりの日」まで。
自分はどれだけの刻を、 独りで消費しなくてはならないのだろうか。










end.




いつの日か歳を取って、皆にさよなら言う時が来て
本当の「ありがとう」を言える気持ちはどんなだろう
(EPO女史、同タイトルの歌詞より)

2004.05.16







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