彼と見つける七つの伝えたいこと
<1>





「ってことで、最初はやっぱ、オレとだよな」
 へへーん。他の悟空達を尻目に、自信満々で名乗りを上げたのは、不良で名高い、金髪を逆立てた悟空であった。
 しかし露骨に眉を顰めるチチに、彼はむうっと唇を尖らせる。なんだよ、その顔は。
「オレとなら二人でいた時期もあったし、やりやすいだろ」
「まあ、そう、だけんど」
 その頃を思い出し、視線が遥か彼方へと向けられる。確かにこの悟空には馴染みがある。そうあれは、地球の存亡をかけたセルゲームの前の事でした……。
「この姿のおめえと一緒に過ごしたその後、帰ってこなくなったからな」
 あんなに約束したのにな。任せとけって言ったのにな。おめえのその姿を最後に、おら未亡人になったんだよな。
 振り返りたくない思い出に、どよどよと空気が暗い重みを増す。そんなチチに、悟空は顔を引きつらせた。言い訳が出来ない。

「おめえ、嫌われてんじゃねえか」
「チチを泣かすなよ」
「チチ不良は嫌いだぞ」
「おう、代わってやろうか」
「やっぱオラと一緒の方が良いよな」
「なあチチ、オレと行こうぜ」

 それぞれの言い分に背を向けてチチの手を引くと、慌てて筋斗雲を呼んだ。










「とりあえず、ここに行くか」
 ブルマから借りてきたドラゴンレーダーを操作し、画面に映る点滅のひとつを示す。
 意外に近い。あまり遠いようなら彼の舞空術の方が早いだろうが、この距離なら筋斗雲でも充分日帰りできるだろう。
 二人で筋斗雲に乗った時の定位置、前に悟空、後ろのチチがその背に手を添える。見慣れた背中にちりちりとした感傷を思い起こすのは、あの時と同じ服を着ていたからかもしれない。ブルゾンとチノパンツ、修行ではない、完全にオフの日の服装だ。
 だからこそチチは、この彼に一度聞いておきたいことがあった。
「あの、な。悟空さ」
 うん? ドラゴンレーダーから目を離さず、返事をする。
「あの時な……おめえがいなくなっちまう前」
 小さく先細る声音。肩越しにこちらを振り仰ぐ翡翠色の瞳を間近に、チチは少し眉根を寄せて。
「自分がいなくなるその代わりに悟天ちゃんを残すつもりで、おらを抱いただか?」

「いや。全然」

 そんなの、考えもしなかったな。
 こちらの深刻さとは裏腹に、返答は軽い。寧ろその意外に驚いたような悟空に、チチはぱちくりと瞬く。
 そこで悟空の手の中にあるレーダーが、強い反応を示した。ぴこんぴこんと響くレーダー音に、悟空は手元に視線を戻し、眼下を伺う。
「この辺りだな」
 ぐうん、と筋斗雲が弧を描きながら角度を下げた。





 小さな歓声と共に、チチは目をきらきらさせた。
 二人が降り立ったのは、広々と見渡しの良い丘陵だった。爽やかな風も心地良い晴天の下、見渡す限りに広がるのは、鮮やかな彩が綺麗に列をなして埋め尽くす、見事な花畑である。
「綺麗な所だなや」
 どうやら観光目的の公園等ではなく、農家としての花畑であるらしい。見れば、畦道に専用の農具やトラクターが置かれてあり、それがまた朴訥とした風景のひとつとして溶け込んでいた。
 瞬きを繰り返しながら、チチは胸の前で両手を組んで感動する。こんな素敵な所があるんだなあ。ずっと向こうまで続いているだよ。絵の具で線を描いているみてえだなや。これ、花の香りだべ。ほら、なあなあ悟空さ、見てけろ。
 空の青さと緑と花のコントラストをうっとりと眺めるチチと二人、お伽噺に出てきそうな景観を楽しみながら、のんびりと畦道沿いに散策する。すれ違う蝶さえ、長閑に戯れて来た。
 堪能した頃合いを見計らい、悟空がカチカチとドラゴンレーダーを操作する。
「こっちだ、チチ」
 どうやらドラゴンボールは、この花畑のどこかに潜んでいるらしい。
 位置を確認しながら足を進める悟空の後ろを、チチはついて歩く。それでも知らず視線が風景へと引き寄せられる様に、悟空は笑ってその手を取った。
 花畑の中、二人手を繋いで歩く。

 周りを見てても良いけどさ、足元、気を付けろよ。
 うん、分かっただ。
 へえ。向こうは、別の花が咲いてんだな。
 悟天ちゃんと悟飯ちゃんにも見せたかっただな。
 今度は皆で来るか。弁当持ってさ。
 勝手に人様の畑さでピクニックしたら迷惑だべ。
 あ、そっか。ははっ。


「ほら、あったぞ」


 ドラゴンボールは畑の間を通る畦道、用水路との狭間にころりと転がっていた。
 丁度ふわふわと茂った草に隠れており、成程、これは案外見え難い場所かもしれない。よっと手を伸ばし、悟空はそれを手に取った。
「星が三つあるだ」
「三星球だな」
 不思議な光を放つそれを、太陽に透かせる。
「あっという間に見つかっちまっただな」
「おー、結構簡単だろ」
 昔は随分と手間取ったものだ。あの頃は世界が途方もなく広かった。勿論、今も世界は広い。しかし今、広さの感覚の質が、がらりと変わってしまった。
 ぽんとその手に乗せてやったドラゴンボールを、チチは楽しそうに手の平に転がして見つめる。その横顔を眺めながら。
「あのさ、さっきの話だけどさ」
 さっきの話? 不思議そうに見上げてくるチチに、へらりと悟空は笑う。おう、さっきの。筋斗雲に乗ってた時の話。
 オラ、上手く言えねえけどな。そう前置きして。
「あん時はオラ、チチを感じたかっただけなんだけどな」
 ただ、単純に。深く考えず。手で。唇で。肌で。体で。全てで。お前には怒られるかもしれねえけどさ。
 だから、あの天下一武道会で再開した日、悟天の存在には大いに驚かされた。勿論、それを担う行為はしていたので可能性こそは否定しないが、それでも悟空としてはその予想外に心底驚愕したのである。
 残される家族のことを想っていたんだな。ちゃっかりしているぜ。孫君にしては考えていたのね。後に仲間内で生暖かく肩や背中を叩かれたが、いやいや、寧ろそこまで考えていれば、もう少し配慮していただろう。いろいろと。
 だって、さ。


「おめえ、大変だったんじゃねえか。悟天を産んだ時」


 悟飯を授かった際の特に妊娠初期、チチは悪阻が酷かった。殆ど食べ物を受け付けられず、常に青い顔をして日々痩せ細る様を、悟空は間近で見ていた。お腹の赤ちゃんにエネルギーを全部吸い取られて、代わりにこいつが死んじまうんじゃねえか。本気でそんな心配さえしていた。
 しかも、母体への負担はそれだけでは留まらない。
 出産の時は難産で、文字通り死んでもおかしくない程の陣痛が、ひたすら長く続いた。そして漸く子供が生まれたかと安堵するも、今度は産後の体調不良が後を引き、しょっちゅう床に臥せる生活となる。当時はこのままチチは半寝たきりになるんじゃないかと、半ば覚悟を決めていた程であった。
 だが生まれた子供は、そんな母体の不調など知る由もない。朝晩関係なくひたすら泣き、母乳を強請る乳児期に、チチは勿論悟空も随分消耗した。後になにかで聞いた話では、それでもまだ悟飯は大人しく聞き分けが良い方だったらしい。それを聞いた時は嘘だろう? と絶句したものだ。
 なので、悟飯の育児が落ち着いた頃、義父の牛魔王に二人目は作らねえのかと聞かれても、悟空は曖昧な答えしかできなかった。
 子供は可愛いし、家族が増えるのは間違いなく喜ばしい。しかしその代償として、多大なる肉体的苦痛を、チチが一手に引き受けなくてはいけないのだ。
 おらは大丈夫だべ。女は痛みに耐えられるようにできているだよ。からりと笑うチチは非常に頼もしいが、しかし痛みに歯を食いしばり、血の気の引いた青い顔で冷や汗をかき、必死の面持ちで声を殺して悶絶する様子を思い出すと、悟空はどうしても素直に頷くことが出来なかった。
 こんな事なら、痛みに慣れている自分が背負った方が、余程良い。あんなチチを見るくらいなら、自分が痛い方が百倍も、千倍も気が楽だった。


「ごめんな。おめえにまた、しんどい思いをさせちまって」
 見るからに申し訳なさそうに眉尻を下げる悟空に、くすりとチチは小さく笑う。
「そうでもねえだよ」
 確かに悟飯の時は大変だった。しかし、悪阻の酷さは似たようなものであったものの、実は悟天の出産は驚くほど短く、産後の体調も良好で回復が早かった。
 それに、悟飯の時と違い、今度はブルマや、クリリンや、ピッコロ等々……心配した彼らが、入れ替わるようにこちらの様子を見に来てくれていた。悟空が居なくなったことで、彼らに甘え、頼ることを知り、随分いろんな面で助けられたのだ。
 何より、悟天の存在は、間違いなくあの時のチチと悟飯の支えとなっていた。
「一番しんどかったのは……悟空さがいなかったことだべ」
「……うん」
「二度も未亡人にさせるなんて、悟空さは悪い旦那だべ」
「そうだな」
「おらな、ずっと悟空さに言いたいことがあっただ」
「おう」
 神妙な顔をじいっと見上げ、そしてふわりと笑う。


「おらに悟天ちゃんを残してくれて、ありがとう」


 翡翠の瞳をきょとりとさせ、悟空は痛みを堪えるように眉根を寄せる。
 やっぱり敵わねえよなあ。何処か肩の力を抜いた様にははっと笑うと、改めたように向き合う。
 そして、ドラゴンボールを乗せた両の手を、丁寧に両手ですくい取って。
「オラも、ずっとチチに言いたかった」


「悟天と、そして悟飯を産んでくれて、ありがとう」


 きらり。二人の間で、ドラゴンボールが太陽の光を反射した。




















 筋斗雲に乗っての帰り道、ドラゴンボールを手の平に眺めながら、ほうとチチは息をつく。
「ドラゴンボール探しというよりは、なんだか遊びに来たみたいだべ」
 筋斗雲で飛んできて、綺麗な花畑を眺めて、散歩をしたり、休憩をしたり、昔の思い出話をしたり。
 途中、畑の持ち主の気の良い老夫婦にも出会った。花の話をいろいろ聞いて、もし良かったら一緒にと、昼御飯をご馳走になった。大食らいのお詫びとお礼に、老夫婦では大変であろう、力仕事を少しだけ手伝った。そのお礼返しに畑の花で採れたはちみつと、これからの季節に適した花の苗をお土産にもらった。今度、こちらの畑で採れた野菜を持ってくると、再開の約束も交わした。
 これじゃ冒険というよりも、ドラゴンボール探しとは名ばかりのデートのようじゃないか。
「チチ、楽しかったか」
「んだな」
 背後に座るチチを、ひょいと肩越しに伺いながら。
「じゃあ、これでちっとはマシになったか?」
「なんのことだ?」
「オレには良い思い出がねえんだろ」
 これで、少しは挽回出来たかなって思ってさ。へへっと笑う。
 人懐っこいいつもの笑顔に、チチは瞠った。そんな事を考えていたのか。くるりとした目を柔らかく和ませると、チチはとん、とその広い背中に額を当てた。
「……悪い思い出だけじゃなかっただよ」
 確かに、あの時最後に見たのはこの姿であり、自分の中では今でも心に残る傷跡を疼かせる。
 だけど、それだけではなかった。二人きりで過ごしたあの期間は、それでも確かに存分に共にいることが出来た時期であった。
 結婚した当初から、あれだけ修行に没頭していたこの夫が、あの時だけはそれを制限し、ドラゴンボール探しに費やす以外の時間は、ずっと一緒にいてくれた。地球の未来を背負う戦士ではなく、ただ一人の夫として傍にいてくれた。
 優しくしてくれた。抱き締めてくれた。愛してくれた。形にならない不安はどこまでも消えなかったが、それでもささやかな日常の幸せに、互いに笑顔を交し合った。
 この姿は、そんな甘い時間をも思い出させてくれるから。
 少し照れたようにはにかみ、ほんのりと頬を染めて。
「この悟空さは、おらにとって、すごく特別な時間を一緒にした姿だもん」
 そんな大切な思い出を共有したのが、この姿なのだから。
「嫌な訳、ねえべ」
「チチ……」
 厚みのある手が、そっとチチの頭を撫でる。そのままするりと頬に滑り、包み込むようにして、強引でない力でそっとこちらへと促される。
 悟空さ。チチ。唇だけでお互いの名前を呼び合い、うっとりとその瞳を見つめ、沈む夕日にシルエットが重なる――その直前。





「「「「「「ちょっとまったーっ」」」」」」





 六人分の声が重なる鋭い静止に、流石の悟空とチチもびくりと体を震わせる。
 顔を上げると、筋斗雲の周りをぐるりと囲むのは、分裂した馴染みの自分の姿が六人分。どうやら気配を察知し、瞬間移動をしてきたらしい。
 ちぇーっと悟空は眉根を寄せて、唇を尖らせる。



「なんだよー、おめえらは。もう」

「それはこっちのセリフだ」
「なにするつもりだったんだ、あ?」
「迎えに来たぞ、チチ」
「抜け駆けしてんじゃねえよ」
「てめえ、チチから離れろ」
「チチ、そいつ危ねえから、こっち来いよ」



 なんだよ、今日はオレが独占しても良いんだろ。それとこれとはちげぇぞ。どさくさにまぎれてんじゃねえよ。どさくさもなにも、今のはチチだって。ぶっ倒されてえのかおめえ。まて、オレにやらせろ。チチ、ちっと離れとけ。
 宙に浮きながら距離を取らされ、ぎゃあぎゃあと取っ組み合いが始まる彼らに、ぽつんと取り残されたチチは溜息一つ。
 何をやっているんだか。埒が明かない不毛なやりとりに、付き合ってなんかいられない。
「頼むだよ、筋斗雲」
 悪いけど急いでけろ。飯の支度さ、せねばなんねえからな。自分が乗っている黄色い雲を、ぽんと軽く叩く。
 こちらの意思を組んでくれる優秀な乗り物は、チチ一人を乗せたまま、パオズ山の家へ向かってぎゅんとスピードを上げた。





next?




北海道の花畑っぽい場所をイメージ
超サイヤ人は、普段よりちょい要領が良さそう
2020.06.05







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