揺るぎなく、その花は咲いている。




しあわせのはな





手のひらに乗せられたそれは、何の変哲も無い種に見えた。
「何だ、これ」
「亀仙人のじっちゃんがくれたんだ」
何でも、はるか昔に絶滅してしまった、 伝説の花の種らしい。
「で、何で、そのはるか昔に絶滅してしまった 花の種を、武天老師さまが持ってるだ」
「…さあ」
あの老人が名高い武道の仙人さまだとは知っているが、 果たして何処までその言葉を信じてよいのか疑わしい。
悪い人じゃ無い事は知っているつもりだが、あの俗っぽさといい、困った性癖といい、 チチにとっては少しばかり気の許せないところがあった。
それに、その「はるか昔」っていつ頃のことだ?仙人さまとは言え、そもそも あの老人の実年齢は一体いくつなのだろう。
「植えよう、チチ」
「でも、そんなに古い種、ちゃんと芽が出るだか?」
さあ、と悟空は小首を傾げた。
「だから、試してみるんじゃねえか」
成る程、その通りか。





「裏に植えねえのか?」
家の裏には家庭菜園が作られていた。 収入の無い大食らいのサイヤ人の胃袋を補充する、少しでも足しになるようにと、 苦肉の策にチチが作ったものである。野菜も植えられているが花壇もあって、 そこの空いたスペースに植えると、悟空は思ったのだが。
チチが取り出したのは、 プラスチックの卵の入っていたパック。
「どうすんだ?」
「先に、こっちに植えるだよ」
いつの種だか判らないし、 一旦こちらに植えて、室内の陽の良く当たる場所に置いておく。そして芽が出てから、 屋外の花壇に植え替えよう。
「なんでそんな面倒臭えことすんだ?」
正確な事は覚えていないのだが、芽吹くまで室内で管理しておいた方が発芽率が高くなると、 何かで聞いた気がする。
それに、こうして個別に区分すると、芽の大きさの辺りが判り、花壇に植える際、 均一に間隔を開けてやれる。そうすれば、根っこの広がりに余裕が出来て、 養分の取り合いで喧嘩をしなくて良いかもしれない。
絶滅した最後の種達だから。 生き残った仲間同士が喧嘩なんてしないで、皆で仲良く、一緒に大きくなって欲しい。





貰った種は、全部で十個。
卵パックに土を盛り、その窪みの一つ一つに、丁寧に植えてやる。 水のやりすぎに注意して、霧吹きで水分を与えてやった。置き場所は随分悩んで、 結局日当たりが良くて目に付きやすい、リビングの窓際に決定した。
「伝説の花って、どんなのだべかなあ」
泥のついた手を石鹸で洗うチチの隣、 悟空は二人分のお茶を入れていた。
「なあ、悟空さは、どんな花が咲くと思うだ?」
うーん、そうだなあ。 腕を組んで考える。
「ものすげえでっかくって、虫とか動物とかも食っちまうような…」
「悟空さの伝説は、なんでそう殺伐としてるだ…」
呆れたように半眼で見つめるチチに、 悟空はぱちぱちと瞬きした。
「じゃあチチは、どんな花が咲くと思うんだ?」
話を振られ、チチもうーんと首を傾げた。
見た事も無いような色の花を咲かせるとか、 不思議な力のある花だとか、見たら何か奇跡が起きるとか、ほんの一瞬しか花開かないとか。
「でも、この花って、十ぽっきりしか仲間がいねえんだな」
亀仙人は、絶滅した花の種だと言っていた。最後の十粒の種は、仲良く並んで植えられている。
「全部、無事に芽が出るかな」
「…出るといいだな」
この世に十人ぼっちの仲間だから。 出来る事なら、仲良く皆で芽を出して欲しい。
ふと、チチは悟空を見上げた。
「この花、悟空さに似ているな」
唐突な言葉。
「何でだ」
「だって」
悟空はもう滅んだと言われるサイヤ人の生き残りだ。 この広い宇宙の中で、生き残ったサイヤ人は、ほんとに限られた人数しかいない。 しかも悟空は、いわゆる「世界を救った伝説のスーパーサイヤ人」の称号が付いてくる。
しかしまあ。世界を救った男と言っても、共に生活を営む分には、人畜無害な(否むしろ、 まともに働きもしない、ほんとにどうしようもないような)男なのだが。
こうして見ている分、一体誰が世界最強の男だなんて思うだろう。長らく一緒に生活をしている チチでさえ、普段それを意識する事は殆ど無い。意識する「特別」は、何も無かった。
何にせよ、最強だの伝説だの、チチにとっては意味の無い枕詞だった。
「どれぐらいで咲くかな」
「どれぐらいかな」
「早く咲かねえかな」
「伝説の花だからな」
案外ものすごく時間がかかるかも知れねえだな。 それとも逆に、ものすごく早いのかもしれない。
「ちゃんと咲くと良いな」
「そうだな」
柔らかい土の中、命を包んだ種子は、芽吹く時を待っている。
命は絶え間なく受け継がれる筈なのに、この種は一体どういった理由で、その継承を 途絶えさせてしまったのだろう。





気が付いたのは、悟空が先だった。
「なあなあ、チチ。見てみろよ」
嬉しそうな声に、 チチは小走りにやってきて、並んで顔を覗かせる。
透明なプラスチックのケースに盛った 土から、頼りないほど小さな芽が、ゆっくりと首を掲げようとしていた。
でも、揺るぎない生命の力強さは、確かなもの。
十個の種は全て、殆どそろって顔を覗かせていた。悟空とチチは、顔を見合わせて くすくす笑う。
「ちゃんと生きてただな」
良かっただ。 はるか昔に絶滅したらしい花の種。どれぐらいの冬眠期間があったのかは知らないが、 健気なまでの真っ直ぐさで、命の継承を果たそうとしていた。
「じゃあ、花壇に植え替えるか」
伝説の花の芽を、世界を救った伝説の男とその妻が、 丁寧に花壇に植えてやる。
綺麗に並んで植え終えた頃、がんばって芽を出した彼らに、 空から祝福の雨が降ってきた。





絶滅した伝説の花は、温かい土の中、その根を広げる。


「おはよう、チチ」
「おはよう、悟空さ」



二人が何事も無い日常を繰り返す最中も、確実な成長を続ける。


「どうしただ?」
「んー、何でもねえ」



変化の見えない毎日でも、その種は確かに花開こうとしている。


「あーあ、全くしょうがねえ悟空さだな」
「へへ、悪ぃ悪ぃ」



命あるもの全てと同じく、確固たる意思を持って。





そうして花が咲いたのは、丁度一ヶ月後だった。



















花壇に咲いたのは、青い花。
伝説というから、どんな花が咲くかと思っていたのだが、 咲き誇るそれは、特別目立ったところも奇妙なところも見当たらない、 ごくごくありふれたものだった。
二人は拍子抜けして顔を見合す。
「…これが、伝説の花だか?」
「…みてえだな」
すんなりした葉っぱ、丸みを帯びた花びら、ふんわりと清々しい香り。
確かに可愛らしくて綺麗な花だけど。でもどう見ても、「伝説」とやらを彷彿とさせる 「特別な何か」は見当たらなかった。
「…あれ」
思い出したように、悟空は声を上げ、 顔を寄せて、まじまじと花を見つめた。
「何か変なとこでもあるだか?」
いや違う。ふるふると悟空は首を横に振った。
「おら、この花、見たことあっぞ」
はあ?チチは目を丸くした。
「ほら、おらがいつも修行する向こうの山」
人や生き物に何かあっては大変だと、悟空はいつも、 人が滅多にやってこないような荒地を探して、修行場にしていた。
「そこで見た事あるぞ」
チチは眉を顰めた。
「ほんとにこの花だか?」
似ているとか、そんなんじゃなくて。
「多分、間違いねえよ」
何なら明日にでも、一緒に見に行くか? 誘われ、ならばとチチは頷いた。
「じゃあ、武天老師さまの言ってた事は、嘘だっただか?」
確かこの種は、 絶滅した伝説の花の種だと言っていたのに。人の滅多に入らない場所とはいえ、 その山に咲いていたのなら、絶滅なんてしていないじゃないか。
これはまた一杯食わされたのかな。むう、とチチは唇を尖らせた。
「全く、武天老師さまの話は、当てにならねえだな」
「亀仙人のじっちゃん、種を間違えたのかなあ」
小首を傾げる悟空と、しょうがねえなあと 呆れるチチ。
「今度、じっちゃんに、聞きに行ってみっか」
「んだな」
嘘をついたんだったら、とっちめてやる。しかめっ面をするチチに、悟空は笑った。
「でも、いい花じゃねえか」
ほら。促され、花を見つめ、チチも笑う。
「そっだな」
伝説じゃなくっても、絶滅して無くても。 生命力あふれる花はとても綺麗で、とても可憐だ。特別な何かは見当たらないけれど、 でも、いい花だと思った。
「いい花だな」
「そうだろ?」
そして二人は笑う。
いい花の前で綺麗に笑い、そして重なるだけのキスをした。
やっぱりいい花だな。
くすくす笑い合いながらそう思った。





「そんな事は無いはずじゃが」
チチに詰め寄られ、亀仙人は、しきりに首をひねっていた。
「だって、現にあの花が山に咲いてるの、おらと悟空さは見ただぞ」
悟空が見たと言う山へ二人で行って、この目で見たのだ。悟空の言った通り、 間違いなく、山に咲いていたのは、花壇に植えたものと全く同じものだったのである。
「なーにが絶滅した花だ」
嘘ばっかり言って。
「嘘じゃないんじゃがのう」
おかしいのう。確かな記憶を辿り、それでもその事実の食い違いに、亀仙人はサングラスの奥の 目を瞬かせた。
「なあ、じっちゃん。あとさ、聞きてえんだけどさ」
この花にまつわる、もう一つの謎。
「伝説って言ってたけどさ、どんな伝説なんだ?」





伝説と謳われるそれは、意外なぐらいに、ありきたりであったり。
絶えてしまった筈の生命の継承も、ひょっこりとそこにあったり。
特別に思える「何か」は、ごく身近に存在を主張していたりする。
目に見えなくても、確実に成長する生命。それは、何も本質を変えていないのだけれども。





花が咲く。
何気無い日々の中、今日も確かに幸せの花は咲いている。




end.




晩年か、はたまた生き返った直後か。
悟空さの家の裏には
家庭菜園があると信じています。
2002.05.11







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