せんせい。たいせつなおはなしがあります。
おしごとがおわったら、 さくらこうえんにきてください。


ぼく、せんせいがくるまで、ずーっとまってますから。







たんぽぽ慕情










くるか、こないか。
本当はとても心配だった。約束を破るような人じゃない事は知っている。 でもこんな時、待ち人がなかなか来ない事は、酷く心を不安にさせる。
だから、 公園の入り口、息を切らせて飛び込んでくるその姿を見た時は、本当に本当に嬉しかった。
「たいこうぼうせんせいっ」
急いで走ってきたらしい彼は、こちらの声に気がつくと、 ほっとしたように笑顔を見せる。堪らず、座っていたブランコから飛び降りると、 ぱたぱたとそちらまで駆け寄った。
「すまぬ、楊ぜん」
待たせたようだのう。 息を荒げながら額の汗を拭い、申し訳なさそうに眉根を寄せた。
こんな時、「大人の男の人」なら、何と言うだろう。多分きっと、余裕を持った笑顔で、 こう言うに違いない。
「いえ、えっと…ぼくもさっき、きたばっかりですから」
心配で不安だった気持ちを精一杯押さえ込み、にっこりと、 「余裕めいた笑顔」で笑って見せる。
そんな背伸びた台詞に、 くすりと太公望は笑う。しかし、直ぐに偽りを見抜いて、 眉根を寄せた。
「…随分、沢山集めたのだな」
小さな両手で束ねても、 余りあるくらいのたんぽぽの花束。その花のくたびれ加減が、摘んでからの時間の経過を、 如実に示している。
しかしそんな太公望の心中に気付かない楊ぜんは、 感心された言葉に、くすぐったく照れ笑う。
「これだけ摘むのも、大変だっただろうに」
春と呼ぶにはまだ早いこの季節。たんぽぽは、日当たりの良い場所に、 やっと見つけられるようになったばかりだ。
「せんせいにあげようとおもって、 いっぱいさがしました」
たんぽぽは、先生の好きな花でしょう? 先生の事を想いながら、一生懸命摘みました。
「わしに摘んでくれたのか?」
嬉しいのう。太公望は膝をついて視線の高さを合わせた。楊ぜんはこくりと頷き、 そして決意に満ちた眼差しで、きりっと太公望を見据える。
そうして、 手に持っていたたんぽぽの花束を差し出し、大きな瞳で真っ直ぐに見上げた。





「ぼく、せんせいがだいすきです」
「せんせい、どうかぼくの、およめさんになってくださいっ」





ずっと、ずっと、好きだった。
年長さんになって、たんぽぽ組に入って、 新しくやって来た新任の保育士である太公望に一目惚れをした。
彼が来てから、幼稚園に行くのが楽しみになった。毎日太公望先生に会えるから、 幼稚園が大好きだった。
でも、三月になれば、楊ぜんはこの幼稚園を卒園して、 小学校に入学する。太公望先生にこうして会える事が出来るのも、 もうあと少ししか無い。
だからこうして、わざわざ公園に呼び出して、 告白しようと思ったのだ。





突然の告白に、太公望は目を見張った。
楊ぜんは、顔を真っ赤にして、 挑むように見上げてくる。そんな健気な表情に、思わず苦笑が漏れてしまう。
差し出された花束を丁寧に受け取ると、太陽に似た花の香りを嗅いだ。
「…ありがとう」
良い匂いだのう。
「せんせい、たんぽぽ、すきでしょう?」
以前、たんぽぽ組の皆で、花壇の花を見に行った事があった。
チューリップ組の花もひまわり組の花もあるのに、 たんぽぽ組の花だけが花壇に無くて。それが悲しくて泣いてしまったたんぽぽ組の皆に、 「花壇で育てられた花も綺麗だけれど、道端で一生懸命花を咲かせる、 たんぽぽの花もとっても綺麗で、わしは大好きだ」と言っていた。 楊ぜんはその言葉を、ずっと覚えていたのだ。
楊ぜん。
小さく名前を呟いて、困ったような笑顔を作る。その唇が紡ぐ答えを、 楊ぜんは期待と不安で胸をどきどきさせながら、じっと待った。
「すまぬが…わしは、おぬしのお嫁さんにはなれぬよ」
ゆっくりと言い聞かせるように返されたその言葉に、楊ぜんは凍りつく。
表情が消えた。
見開いた瞳が、じわっと涙を滲ませる。
それを隠すように、楊ぜんは慌てて視線を足下に落とした。
「おぬしの気持ちは、物凄く嬉しいのだが…わしらは結婚できぬのだよ」
「でもせんせい、こいびとはいないって、いってたじゃないですか」
何かの戯れの質問で、そう答えた事もあったような気はするが。
「否、そうではない」
お嫁さんになれないと言ったのは、 それが理由ではない。
「わしたちは、今の関係のままが、一番良いのだよ」
「ぼくが、せんせいのせいとだからですか?」
「…それもあるのう」
「でも。ぼくもうすぐ、そつぎょうします」
そうなれば、保育士と園児という、 世間的にタブーな間柄には、もう当てはまらない。
「わしは男だから、 おぬしのお嫁さんにはなれぬのだよ」
結婚とは男女間でのものであり、 男同士で成り立たない。
「ぼく、そんなこときにしませんっ」
人間誰しも、 自分の力ではどうしようもできない事があるものだ。楊ぜんにとってはそんな事、 この気持ちの前では、ほんの些細な障害でしかない。
「楊ぜん、おぬしはまだ若い」
きっとこの先、わしよりもおぬしにふさわしい者が、現れるであろう。
その言葉に、 楊ぜんは目一杯、首をぶるぶると横に振った。
「ぼくにとって、 せんせいいじょうにみりょくてきなひとなんて、ぜったいにあらわれません」
しゃがんだ太公望の膝に手をつき、ひし、としがみつくように訴える。 そんな一生懸命な様子に、太公望は小さな頭を、宥めるように優しく撫でた。
―――それとも。
これは一番最初から、最も危惧していた可能性。
「せんせい…ぼくがきらいなんですね…」
「そんな事はない、大好きだよ」
慈しむような眼差しで微笑まれる。
先生の笑顔が好きだった。先生の笑顔を、 独り占めにしたかった。でも今欲しいのは、こんな笑顔なんかじゃない。
「ざんこくなひとですね…」
頭に乗せられていた暖かい手を、 ぺいっと楊ぜんは振り払った。
「そんな、なぐさめだけの、 きやすめのことばなんていりません」
俯いた小さな頭が、声が、微かに震える。
「ぼくが…こどもだから、だめなんですね」
先生は大人で、 子供の僕じゃ頼りないから駄目なんですね。
「せんせいがすきなんです」
好きなだけじゃ駄目なんですか?
困った顔をして言葉に詰まる様子に、 楊ぜんは胸が痛んだ。ああ、先生を困らせている。先生を困らせたい訳じゃ決してないのに。
だけどこれは。
これだけは、どうしてもどうしても譲れないんだ。





「ぼく、りっぱなおとなになってみせます」
真っ赤になった大きな目で見上げながら、 それでも、はっきりとした声で宣告する。
「おおきくなって、いいおとこになって、 そしてもういちど、せんせいにけっこんをもうしこみます」
だからそれまで、 待っていてください。
「うむ…待っておるよ」
こくりと頷き、 太公望はそっと手を伸ばし、涙に濡れる小さな顔を、胸に抱きしめてやった。
「ぜったいにぜったいに、やくそくですよ?」
「うむ、約束するよ」
背中を撫でる、優しい手。本当は、こんな風にして欲しかったんじゃない。 だけど、こうして抱きしめられるのも、気持ち良いのはまた事実。





力いっぱい抱きつきながら。
その日楊ぜんは、ちょっぴり切ない涙を流した。









end.




オンのちび企画「こどもの領分」さまに投稿
10のお題、1.幼稚園児…です
2004.02.29







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