朝。
目が覚めると、独占されていた。




独占したい





「…で、これはどういうことなのですか」
呆れたような、疲れたような、情けないような、 諦めたような。ないまぜ声で、とりあえず尋ねてみる。
そんな楊ぜんを、彼、伏羲は、 腰に手を当てふふんと見下ろした。
封神計画が終了されて、 すでに数百年が過ぎていた。
人間界は、自らの足で歩み続けている。 仙界となった蓬莱島も、教主たる楊ぜんの働きによって、過去に補佐した封神計画の 首謀者の編み出した基盤の上に、着実な成果を積み上げていた。
その首謀であり実行役であった、太公望であり伏羲と言えば。
自ら作った「人間界に不干渉」の 戒めを、これまた自ら破戒し、その始祖たる能力をフル活用させ、あっちやこっち、 神出鬼没にきまぐれに姿を見せ隠し、愉快犯よろしく、それはもう楽しく過ごしていらっしゃった。
そして今回の、犠牲者とも言うべき相手。
「あの…ほどいていただけませんか?」
とりあえず、無駄かなと 判っていても、お願いしてみる。
案の定返事は。
「い、や、じゃ」
ええ、もう。この天下無敵の 天邪鬼の言葉なんて、聞かずとも判っていましたけどね。ほろりと楊ぜんは心で涙を流した。





朝、目を開いて、まず飛び込んできたのは、部屋中に張り巡らせた、これでもかというほどのロープ。
十や二十なんて数じゃない。何百というおびただしい数の太い細いロープが、 そこかしこに結ばれ、弛まれ、絡まれ、編み込まれ、蜘蛛の巣を重ねたような、 複雑怪奇で不思議な空間を作っているのだ。
そしてその中心に いるのは楊ぜん。
ベットに腰をおろし、足を前に放り出し、 両手は左右に広げて吊るされた体制で、 手首足首に関わらず、首や腰や髪、果ては指の一本一本まで、 何本ものロープで絡まれている。
しかも、恐らく始祖の力を使っているのだろう、 変化も出来ず、六魂幡も使えないようだ。そんなところは、本当に抜かりが無い。
ああ、これが逆だったなら、かなり嬉しくもおいしいシチュエーションなんだろうな。 そんな楊ぜんの心の呟きは、誰にも届かない。
「あの、僕、これでも一応教主なんです」
主張してみる。
「そのようだのう」
かわされる。
「それなりに仕事があるんですけど」
足掻いてみる。
「少しぐらい良かろう」
流される。
項垂れる頭をなでなでと 撫でていただけるのは、結構嬉しいんですけど。
「なかなか芸術的に出来たのう」
自分の作品に満足したように、 あごに手を当てて室内を見回す。
「こういう趣味だったんですか…師叔」
新たな貴方を知りましたよ。





「もしかして師叔、前回の事、かなり根に持っているでしょう」
「わしは知らーぬ」
にょほほーとしらを切る様子に、楊ぜんはまた一つ溜息をついた。
時々、ほんとにきまぐれに、 彼は楊ぜんの前に姿を見せる。
そんな勝手な仕打ちに 腹も立ったりするけれど、やっぱり好きなことには変わりがなくて。所詮この人は、 誰かのものになる事はなくて。一つの場所にずっといる事なんで出来なくて。そんな 部分でさえ愛しく思える自分もいるわけで。それでもこうして、時々でも逢いに来てくれたり するわけだから。ああ、もう、やっぱり好きなんだなあ、なんて思えてしまうわけで。
それでも流石にこの間は腹が立ったのだ。
十年。
長い仙人の寿命からすれば 十年なんて、瞬きの刻にしかならない長さではあろう。
しかしそれも、恋人との逢瀬ともなれば、 話は全然違ってくる。
今までは精々数ヶ月に一度、長くても二年に一度、伏羲は楊ぜんに 顔を見せに来てくれていた。
だから十年と言う間が開いたときは、流石に 楊ぜんも心配になった。
きまぐれとは言えこの人は、なんだかんだと 律儀者でもある。そんな人が、こんなにもブランクを開けるなんて。もしかして、あの人の身の上に 何かがあったのか、それとも愛想をつかれたか、はたまた新しい恋人でも出来たのか。
そんな不安を他所に、何事もなくけろりとした顔で、ふらりと姿を見せて。 心配したんですよと問い詰めれば、返ってきた言葉が、
「うるさい奴だのう」
とくれば。
表面上はあくまで温厚と名高い蓬莱島の仙界教主も、ことが恋人絡みとなれば脆くも頼りない神経が、 いともあっさりと切れてしまった。
「じゃあ、何処へも行けなくして差し上げましょうか」
満面の笑顔に伏羲が気がついた時は、既に後の祭り。
教主常時携帯御愛用のロープで 縛り付けられ、そのまま拉致監禁。一ヶ月間ひと時も離れることなく、思うままに されてしまったのは、まだ記憶に新しかった。





むすっと楊ぜんは不機嫌に唇を尖らせ、ぷいと顔をそらせた。
「あれは師叔が悪いんじゃないですか」
「だからって、あんな事までするか?普通っ」
叫ぶように吐き捨てる、真っ赤になった小さな顔を目の端に留めながら。 怒った顔もやっぱり可愛いなあ、 等と思っている頭に、当然、全くもって、反省という文字はない。
「ちゃんと看病もして差し上げたでしょう」
動けなくなった身体を きちんと労わり、身動き取れない重病人よろしく、教主の プライベートルームにて、(至極楽しそうではあったが) 付きっ切りで看病もしたのだ。しかもちゃっかり、有給休暇まで取って。
「なのに、ちょっと目を離した隙に、 何も言わずにいなくなってしまって」
全く冷たい人だ。
「当然だ。ふざけるな。 だあほっ」
人が動けない事をいいことに、看病とは名ばかりの、 監禁延長状態のようなものではないか。
あれ以上大人しくしていたら、次は何をされるか判ったもんじゃない。 伏羲に言わせれば、身の危険を感じて、避難したのだ。
「大体、元はと言えば ―――」
言いかけて、口を噤む。
「元はと言えば?」
僕のせいなんですか?
あさっての方を向く伏羲に。
「教えて下さい。僕、貴方に何かしましたか?」
じっと伺う紫の視線を視界に入れないように、伏羲はくるりと背を向けた。
「ねえ、すうす。 僕が貴方にひどい事したというなら、僕もとても悲しいです」
反省の余地ぐらい、与えてください。
酷い事をし倒した男が、 しおらしく首を項垂れる。
背中越しにちらりと 振り返り、伏羲はふんと息をついた。
「…ではないか」
ぽつりとした声が聞き取れず、はい?と楊ぜんは 聞き返す。
うーっと唇を引き締め、向き直ると、伏羲は楊ぜんを睨みつけた。
「前に来た時、 仕事が忙しいからと、邪険に扱ったではないか」
はあ?と楊ぜんは、間抜けた声を上げた。
前というと、前回逢った、その前の事か?
「…あの時は」
急の仕事が入って しまって、すぐ戻るからと断りを入れて、仕事に行ってしまったのだ。
「仕方ないでしょう。それに、すぐ戻ってきたのに、 貴方はいなかったじゃないですか」
「わしはいつだって、おぬしの所に一番に 来ておるのだぞ」
蓬莱島へ来るとき、伏羲はいつだって一番最初に楊ぜんに顔を見せていた。
そのくせ昔の仲間に顔を見せに行こうとすると、やれ薄情だ、 やれ冷たいだの、何だかんだ言って、結局誰の元へも行かそうとしない。無理に行こうとして、 実力行使で引き止められた時の事など、もう涙ナシでは語れない…。
「だって、ただですら滅多に逢いに来てくださらないのに」
その短い逢瀬だけでも、 誰にも邪魔されたくはない。
「再会の間くらい、師叔を独占させてくださいよ」
「充分独占しておるではないか、だあほっ」
この状態を、独占と言わず何と言おう。 お陰で伏羲は、いつまで経っても行方不明のままなのだ。
泣きたいのはこっちだっつーのに。





「…で、僕を縛って、どうされるつもりですか?」
如何わしいことでもされるんですか? うーん、僕としては不本意ですが、師叔がそうお望みでしたら、仕方ありませんね。 ええ、いいですよ。僕は本当に、貴方を愛していますから。でも、出来るだけ優しくしてくださいね。 ただでさえ、縛り付けられた状態なんですから。痛いのはアレですけど、 貴方が与えてくれるものなら、痛みだって僕には嬉しいです。気持ちいいに越した事は ないですけどね。
「だーっ。ええ加減にせいよ、この恥知らずっ」
放っておけば際限なく流れるであろう楊ぜんの言葉を、大声で押し留める。
「とにかくっ」
びしっと楊ぜんの鼻先に、指を突きつけた。
「おぬしはずるい」
自分ばかりが、好きなように独占している。折角逢いに来たのに、その逢瀬さえ、 何かが起これば仕事に奪われるのだ。 結局、こちらが楊ぜんを独占などしたことなど、ちっともないじゃないか。
だから。
「今度はおぬしがわしに、独占されよ」
突きつけられた指先を見つめ、 寄り目になったまま、楊ぜんは瞬きした。





まあ。どんな形にせよ、こうして間もおかず、逢いに来てくれるのは嬉しいんだけどね。 それを思えば、無体も無駄ではなかったかな(何ですと?)。 そんなとことん不埒な思考回路に、幸か不幸か、伏羲は気が付く術がない。
「わざわざこんな事までしなくても…」
「おぬしは、わしの気が済むまで、ずーっとそうしておるのだ」
せいぜい、気の済むまで独り占めしてやる。
「だったら、もっと手っ取り早い方法があるでしょう」
脱力したような楊ぜんに、 はたと伏羲は顔を上げた。
「たとえば?」
裏のない、素朴な疑問を浮かべた顔に、 楊ぜんはくすっと笑う。
「知りたいですか?」
「うむ」
じゃあ耳を貸してください。言われるままに身を寄せ、耳を傾けた。





キスしてください。





吐息を吹き込むような甘い声。
真ん丸くした目に、秀麗な顔が、極上の笑顔を形作る。
「それだけで、僕は貴方だけのものですよ」
…この男は。
どうやったらこやつを、根こそぎ「ぎゃふん」と言わせることが出来るのだろうか。 はーっと伏羲は、大きく溜息をついた。
「はやくしてくださいよ」
強請るように、がんじがらめにされた身体を揺する。子供か、この男は。
それでも、まあ。
「…本当なのだな」
「勿論」
今は独り占めの願望を叶えるべく、「仕方なし」に その嫌味なまでに整った、白い頬を両手で挟み、きりっとした目で覗き込む。





「おぬしを独占するからな」





end.




痴話喧嘩。わざと伏羲の名前を使いました。
映画「Undo」は、某岩井監督による作品の中で、
一番好きかも知れません。
2002.02.22







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