帰還計画遂行前





麗らかな日和。
現在の仙人界である蓬莱島、その教主楊ぜんは、デスクの周りに 浮かび上がったホログラフィーに向けていた視線を、はたと窓の外へと向けた。
窓から覗く空は、地球と同じく澄んだ青をしている。ふと、よぎった懐かしい思い出に、 切れ長の瞳を細めてくすりと笑みを洩らせた。
あの人は、今どうしているだろう。
残念ながらまだ忙しいこの現状では、四六時中思いを馳せる事は出来なくて。
でも、こんな風に。
ふと窓の外を見た時とか、香りの良いお茶を口にした時とか、眠りに入る数秒の隙間とか。 そんな何気の無い一瞬、いつも胸に思い描くのは、懐かしくも恋しいあの人の姿。
毎日、思い出さない日は無かった。 時折締め付けられるように胸が痛むときもあれば、ただ切なくて呆然とする事もある。
あの人を思い出すとき、真っ先に浮かぶのは笑顔。
時に優しく、時には悪戯っぽく、そして時に切ないくらいに悲しい。そんな 笑顔ばかりが鮮烈に思い出される。
あの、全てを賭けた封神計画から、 もうどれくらい経ったであろう。
周の武王へ会いに行った武吉とスープーシャンが、 慌てふためき(少々くたびれて)太公望師叔の生存を伝えてくれた時、 驚いたと同時に、「やっぱり」と妙に納得してしまった。
根拠は無い。 でも、心の奥では確信に近い物を感じていた。
あえて言うなら、こうして自分が正気のままに 生きているから、だろうか。
だって、これだけは確信している。あの人を失えば、 自分は間違いなく正気でなんていられず、生きていく事なんて出来ないのだから。
でも、そろそろ。
「…僕も限界ですよ」
仙人界も、まだまだ不充分ながら、 それでも着実に落ち着きを見せている。
「もう…いいですよね」
誰に問い掛けるわけでなく、楊ぜんは小さく呟いた。





「久しぶりだね、望ちゃん」
蓬莱島から幾分も離れていない神界の一角。 小さな庵を住まいとする普賢は、珍客にとっておきのお茶を振舞う。
「そうだったかのう」
黒いマントを無造作に放り投げて、片膝を立てた あまり行儀のよろしくない格好で、伏羲こと太公望は、出された桃まんをまくまくと 頬張っていた。
そんな変わらない様子に、普賢はにこにこと笑顔する。
「ねえ、まだみんなの前に顔を出していないの?」
封神計画が終結してから幾年月、 太公望は未だ行方知れずのままだった。誰もが心配する中で、比較的のんびり構えていたのが 教主楊ぜんと、この普賢真人である。
だけどこの二人の落ち着きの質は、全く異なる物であった。
実は太公望、姿を消してから、普賢の元へはひょっこり 姿を現していたのだ。そしてその後も時折、気紛れにこの庵にやってきては 旧友と時を過ごし、又何処ぞへ姿を消してしまう。
「楊ぜん君にも、まだ会っていないんでしょ」
ちらりと見てやるが、太公望は表情一つ変えず、 二つ目の桃まんに手を伸ばしていた。
「僕の予想じゃ、 そろそろ望ちゃん探しに乗り切るんじゃないかなあ」
もっと早いかなと思っていたが、 案外彼は忍耐強かったようだ。
否、それとも「必ず会える」という、根拠の無い核心の所為か?
何にせよ、彼は太公望と再開できる事に、何の疑問も疑いも持っていないらしい。 信じていると言おうか、愛されていると言おうか、はたまたおめでたいと言おうか。
まあ、それはこちら様も同じだから、お互い様か。普賢はこっそり笑みを洩らした。
「望ちゃんもさ、そろそろ会いたいんじゃないの?」
答えは無い。全く意地っ張りなんだから。
「そんなに、自分から会いに行くのが嫌なの?」
そこで初めて、むう、と太公望は 怒ったような視線を向けた。
判りやすい反応に、普賢はくすくす笑う。
「意地っ張りだなあ」
「別に意地を張ってる訳ではないわ」
どうだか。結局何だかんだと言いながら、心の中では迎えに来るのを待っているくせに。
「…何が可笑しい」
「別にー」
意味を含めた言い方に、太公望はかちんと眉を顰め、どんっとテーブルを叩いた。
「おぬし、何か勘違いしておらぬか」
「そうかなあ」
言外に、全て解っているよと言いた気な普賢の様子に、太公望はびしっと指を突き立てた。
「これはな、わしの壮大な計画の一端なのだ」
「…計画?」





融合した王天君がそうであったように、現在の太公望も、空間を操る能力がある。
で、その能力を応用して作り出したのは大きなスクリーン。黒い画面が一瞬間ぶれて、 ぱっと画像を映し出す。
そこには、酷く切羽詰った顔の楊ぜんと、 きりっと正面から見つめ返す太公望が映し出されていた。
「へえ、こんな事も出来るんだ」
すごいね、始祖の力って。
「軽いもんよ」
得意げににょほほと笑う隣の姿と、同一人物であるとはどうにも 考えにくいのだが。(どうやら若干、修正が入っているらしい)









「お久しぶりですね」
静かな声。しかしその抑えられた声の奥底には、押し込められた 感情が見え隠れする。
一見クールな印象を受けるが、案外激情家な彼だ。 その内に秘めた感情が窺い知れる、そんな風情だ。
しかし、対する太公望は。
「久しぶりだのう」
のんびりとした、普段と全く変わらぬ口調。
それは逆に、彼の心を逆撫でするようにさえ思えるものだった。



(望ちゃん、久しぶりに再会して、こんなに冷静でいられる?)
(ちょろいわ)
(…ふーん)


「生きていらした事は知っていましたよ」
「二人から、聞いておったからのう」
スープーシャンと武吉に報告を知られたのは、随分と早い段階だ。
「いえ」
困ったように楊ぜんは首を振る。勿論、二人からの報告は受けましたが。
「最初から、確信していましたよ」
「何故じゃ」
自嘲したように、笑う。
「僕が…貴方を失って、正気でいられる訳、ないじゃないですか」



(楊ぜん君って、こんな事言うの?)
(あやつはこんなさぶい台詞を、平気で言える奴なのだ)
(やだな、何照れてるの?)


「…随分な自信だのう」
「貴方に関しては、誰よりも自信があります」
ほお、と技とらしく太公望は肩を竦めて見せた。そしていつもの意地の悪い、 人を食ったような目で、楊ぜんを見やる。
「で、お主はわしに会って、どうするつもりだったのだ」
紫色の瞳が、やや剣呑に細められる。
「父親と、師匠を殺した仇でも打つか? お主はあの時、わしに言っておったからのう」
全てを終えた後、決着をつけると。
「…そうですね」
ぎゅっと楊ぜんは目を閉じ、俯いた。
握り締める拳が、かすかに震えている。それを落ち着かせるように、深く息を吐いた。
「…一つ聞かせてください」
「なんじゃ」
「貴方は…どうして今になって、 姿を現したのですか」



(会いたかったからに決まってるよねー)
(黙ってみておれ)
(はいはい)


「おぬしとは、決着をつけねばならぬからのう」
これだけは。
太公望にとっても、決着になるのだから。
「では…そのつもり、なんですね」
どんな形であれ、僕の「決着」を、きちんと受け止めるつもりなんですね。
「それが、約束だからのう」
きり、と見つめる視線に、迷いはない。 それを見定め、楊ぜんはこくりと頷いた。
「僕の決着は…」
言葉と同時に、腕が伸ばされる。
相変わらず華奢な細い腕。それを引き寄せると、 そのまましっかりと胸の中へと閉じ込めた。もう二度と、ここから逃れられないように、 優しくも強引な力強さで。抵抗のない体は、すっぽりと収まる。
そして添えるように、頬に手を当てられ、促されるままに顔を上げると。



(王子様のキスだー)
(あやつの行動パターンだ、間違いない)
(ふう〜ん)


息が止まるほどに甘い唇が、やがてゆっくりと離れた。
二人の視線が絡み合う。
「…決着なんて…最初からついているんです」
切なげに眉根を寄せて、紫の瞳の中いっぱいに映し出されるその姿。それは今も昔も、 そしてこれからも決して変わらない。
「貴方に…僕が適う訳無いじゃないですか」
判っているくせに人が悪い。そんなところまで昔から変わらずに。
「こだわりが無いと言えば嘘になるかも知れませんが…でもそれよりも、 そんなことよりも…」
一瞬、紫の瞳が涙を含んだように揺らめく。
そして耐え切れないように、しっかりと抱きしめ直した。
「僕は…貴方に会いたかった」



(うわー、熱烈告白だね、望ちゃん)
(…うむ)
(照れない照れない)


ぐいっと太公望は、楊ぜんの胸元を掴んだ。
そしてそのまま、力任せに楊ぜんの体を押し倒す。
「わ…」
どさりと横たわる体の上に、馬乗りになって見下ろした。
見詰め合う藍と紫の瞳。
「聞け、楊ぜん」
「はい」
「わしは怒っておるのだぞ」
「はい」
「理由は…言わずとも判っておるな」
「…はい」
敵意を向けたあの一瞬。楊ぜん自身、忘れる事など出来はしない。
真っ直ぐに見つめる紺碧の瞳。 それがゆらりと儚げに影を落とす。
「…あの時…わしは、ちょっとだけ痛かったのだ」
ここが。
ひた、と太公望は楊ぜんの胸を抑え、そして自分の胸元を抑える。



(良いか、普賢。ここ、ここがポイントなのだ)
(そうなの?)
(あやつは、わしのこんなかわゆいところに弱いのだ)


「師叔…」
ぎゅっと太公望を抱きしめた。
「すいません、師叔」
いとおしむ様に、頬を摺り寄せて。 何度も何度も、全身に染み込ませるように、優しく優しく 楊ぜんは囁く。
「ほんとに、判っておるのか」
「はい…すいませんでした」
もう、決してそんな想いはさせないから。
「本当だな」
「ええ」
ぎゅっと太公望は楊ぜんに胸元にしがみつく。
「わしを大切にするか」
「勿論です」
「酷い事はせぬか」
「約束します」
「絶対だぞ」
「絶対です」
僕の全身全霊を掛けて。
再び二人は重なる。同時に周囲の照明が、ゆっくりとフェードアウト。 シルエットのみになった二人の姿が、それなりに妖しく絡まりあった。










「ここから先は、わしと楊ぜんだけのないしょの部分なので、おぬしにも見せられぬが」
画面の上、ロールアップでテロップが流れている。 流れる妙に感動的なこのBGMも、やはり太公望の演出なのだろう。偉大なる始祖の能力も、 こんな形で使われるのかと思うと、彼らしいと言うか、なんと言おうか。
「…とまあ、こうしてまあるく収まる訳だ」
太公望曰く。ポイントは、焦らす、強気でいる、 そしてちらりと寂しさを見せる、この三点であるらしい。とにかく、 今後決してつけ上がらせないように、強気な姿勢は崩してはならない。
「やはり念の為、契約書か何か準備しておくべきかのう」
折角ここで、大切にする、酷い事はしない、と言わしめたのだし。 あの男の事だ、特に「酷い事をしない」辺りは、広い意味において、口約束だけでは 少々不安である。
ううむ、と小難しい顔で、太公望は頭を捻った。
「えーと…でもさ、望ちゃん」
「なんじゃ」
「そんなに上手くいくかなあ」
普賢は、困ったように笑って尋ねた。
「まかせよ、普賢」
妙に自信満々にガッツポーズで頷く。
「わしにはこの太極図もある、 始祖の力もある、こすい頭脳もある」
楊ぜんごときに負けはせぬわ。
高笑いを上げて確信に満ちる様子に、普賢は溜息をついて、傍に転がる 己の宝貝を見た。
しっかりと捕らえている微弱な反応。 それに苦笑いしながら、ちらりと戸口の方へと視線を送った。





普賢が視線を向けた先。扉一枚隔てたこちら側。
とりあえず旧知の仲であった普賢真人に、 太公望の居そうな場所の話でも聞こうかと思って訪問したまでは良かったが。
いくら読んでも返事の無い玄関先。人の気配があることに不信を感じ、 失礼ながらここまで勝手に入り込んだ。そして、 扉越しに聞こえるあまりに懐かしい声に耳をすます。
そのまま見事にタイミングを逃して、出るに出られぬこの状況下、太公望の言うところの 「壮大な計画」とやらの全貌を、すっかりしっかり拝聴してしまった。
どうしよう。
こっそり楊ぜんは溜息をついた。
ここはやはり、太公望の望み通りに コトを進めていくべきなのだろうか。それとも姿を見せて、全部聞いていたことを 告げるべきだろうか。





しかしまあ、何と言おうか。





融合しようが、始祖だろうが、伏羲であろうが、王天君であろうが。
つまり結局、彼は彼であるらしい。
妙な確信に安心しながら。
とりあえず現状況をどうしようか。
蓬莱島教主はひっそりと頭を悩ませるのであった。




end.




実はコピ本企画用のものでしたが、
諸事情により却下、そしてリサイクル
2002.07.26







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