さらさらの樹の下で





さらさらと風が吹く。
その樹は実を結んでいた。







この大きな桃の木は、伏羲のお気に入りであった。
なんと言っても、桃源郷と崑崙の最高品種を、始祖の力でもって改良した、 この世にまたとない珍種だ。類を見ない最高級の桃が、毎年たわわに実を結ぶ。
植えたのは、封神計画を終えて間も無くの事。始めは小さな種だったのが、 今は見事な大ぶりの桃の果実を実らせる巨木へと成長した。
そして毎年この季節。
芳醇な桃を楽しみに伏羲はこの樹にやってくるのだが、 どうやら今年は先客がいたらしい。


「何やっとるのだ、こやつは」


大きくしっかり成長した、桃の樹の根元にある姿。
この上なく懐かしいそれに、伏羲は腕を組んで片眉を吊り上げた。
まあ、いつかは来るだろうと思っていた。
それが怒りの為か、決着の為か、 責務の為かは判らないけれど。 それでも、必ず会いに来ると思っていた。
しかし。


「仙界の教主殿が、昼寝か?」


蒼い麗人は、幹を背もたれに長い睫を伏せ、すやすやと心地よさそうな寝息を立てていた。
伏せられた長い睫は、開く様子を見せない。 規則正しい呼吸に合わせ、微かにたくましい胸が上下している。 さらさらと心地よい風が、さらりと長くつややかな髪を波打たせた。
うーん、と伏羲は首を捻った。
そしてそのままぺたりと しゃがみ込み、じっとその顔を覗き込む。


さらさらと風が吹く。心地の良い初夏の風。


寝顔は何処か穏やかだった。
待ち疲れ、眠ってしまったのか。日々の激務の疲れが出たか。 そんな彼の健やかそうな寝顔を覗き込みながら、ぼんやりと古い記憶が甦る。 その懐かしさに目を細め、伏羲は何となく口元をほころばせた。
だが、それと同時に思い出す。
そういえばこやつ、結構とんでもない奴だったのう。
はたと「とんでもない数々」を思い出し、今度はむすっと不機嫌に唇を突き出した。
何と言ってもこの男の事だ。 寝たふりを決め込んで、こちらが気を許した隙を狙っていてもおかしくない。そんな不意打ちは、 本当に嫌になるほど沢山あったのだから。


「おぬし、本当に眠っておるのか」


聞こえておるのか。だあほ。絶倫妖怪。変態女装癖。 自己中心ナルシスト。万年発情期。
思いつくままに言ってみる。独り言のような声ではあるが、こんな悪口に関しては、 やたらと耳が良かった事も覚えていた。
しかし反応はなし。
たとえ狸寝入りしていても、これだけ悪口を聞いていれば、 結局我慢が出来なくなって、「酷いじゃないですか」 とか何とか言いながら、目を開くに違いないと思ったのに。
その内、何だかいつまでも目を覚まさないこの男に、意味のない苛立ちが出てきた。


「おぬし…わしに会いに来たのではないのか」


探していたのではないのか。
飄々とした中に、ほんの少し、ほんのちょっぴりだけ、寂しさを滲ました声。 この声も、届いていないのだろうか。
「行ってしまうぞ」
もう会えなくなってしまうのかもしれぬぞ。よいのか?
小首を傾げてささやかに訴えてみるが、やはり同じく反応は無くて。
「…別に、わしは良いのだぞ」
このまま去ってしまっても。
小さく息を吐いて、すくっと立ち上がると、腰に手を当てて見下ろした。


…でも。


折角こうして目の前に出てきてやったのだし、久しぶりに姿を見たのだし。
こやつの紫色の瞳は綺麗で、ちょっとだけ気に入っていたから。 まあ、それぐらいは拝んでやってからでも遅くはないと思うし。
少し視線をさ迷わせ。
すとんと伏羲が腰を降ろしたのは、彼の隣。 同じように桃の樹にもたれるように、並んで座り込んだ。
膝を抱いて、隣の眠り姫をすぐ傍で覗き込む。
「…ちょっとだけ。待ってやっても良いだけ、だからな」
勘違いするでないぞ。声の届いていないであろう眠り人に、拗ねたように念を押した。
さらさらと風が吹く。
煽られ、彼の長い髪がひと房、さらりと肩から零れる。
その様子を見つめ、やがてのんびりと伸びを一つ。


「何だか、わしまで眠くなってきたではないか」





封神計画が終って。
小さな種が、巨木になるだけの時が流れた。





さらさらと風が吹く。
二人の間、隔てるものは何も無く。










船を漕ぎ出した小さな頭。
そのまま隣に、ことんともたれかかった。
支えるように、華奢な肩へと自然に回された腕。









それに伏羲が気付くのは、もう少し後の話。









end.




捕獲完了。そして目が覚めたふっきゅんは、
知らないところに拉致監禁されていました
2002.07.10







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