pulululu...





要塞建設責任者の話が持ち出された時、楊ぜんは最後の最後までごねまくっていた。
何と言っても、戦の要ともなる重要な任務である。出来る事なら軍師である太公望が自らで向いて、 指揮をしたかったのだが、如何せん現状がそれを許さない。内政、外交を始め、 国内の軍事強化、国内整備、国力備蓄、果ては国王教育まで、あれやこれやと、 周国内にて果たさなくてはいけない軍師の仕事は山積みだ。
だからそんな最中、 彼の意を最も忠実に理解し、代行でき、且つ敵の攻撃から守るだけの戦闘能力を兼ね持つ者となれば、 自然その標準は限られてしまう。
軍師の右腕たる楊ぜんに、白羽の矢が当たる事は、 避けられない必至でもあった。
「だから…何度も言っておるであろう」
げんなりした声で、太公望は今日も楊ぜんを説き伏せる。
「おぬしの能力を見込んで、 こうして頼んでおるのだ」
こうして、何度も何度も根気良く。
しかし楊ぜんは、 腕を組んだままそっぽを向いて、決して諾とはしない。数日に及ぶこの攻防に、 太公望は流石に疲れていた。
「…貴方の言い分は判ります」
確かに、 それだけの任務を全面的に任せられるのは、現在周にいる面々を見て、自分以外にありえない。 軍師の判断に、間違いは無いのだ。
「でもね、僕の気持ちはどうなるんですか?」
結局そこへと行き着く彼に、太公望は溜息をつく。何度繰り返しても、 ぐるぐる回る議論の先はそこなのだ。
つまり、 楊ぜんの言い分…軍師の選択や言い分は飲み込むことが出来るのだが、自分はどうしても、 軍師である太公望の傍を離れたく無い訳である。
「だあほ。そんな事言っとる場合か」
戦況は日々進み、切迫している。先立っての戦いからの教訓もあるし、 不安要素は少しでも早く摘み取らねばならない。
「ならば、わしが要塞建築へ行く間、 おぬしが此処で指揮を取るのか?」
「だったら、貴方と共に、僕も要塞建築へ行きます」
子供だ。理屈が通っていない事を判っていながら、我を押し通そうとする癇癪持ちの子供。
何でこんな不毛な会話を、延々と繰り返さなくてはいけないのか。 終わりの見えない堂々巡りのループに、頭が痛くなってきた。
「大体。どうして貴方は、僕の気持ちを判っていながら、そんな意地悪を言うのですか?」
「意地悪って…あのなあ」
「意地悪ですよ」
「楊ぜん…」
「知りません」
つーん、とそっぽを向く楊ぜんに、溜まった苛々が、ぶちりと音を立てて切れた。
「だーっ、いい加減にせんか、ダアホがっ」
ばんっと力一杯机を叩き、立ち上がる。 その勢いに本気の怒りを感じ、楊ぜんはぴくりと体を震わせる。
「一体おぬしは、 何をしに仙界から降りてきたのだっ」
軍師たる自分の命に従い、右腕となって周軍を導き、 封神計画を補佐する為ではなかったのか。
「わしの命も聞けず、従う事も出来ぬなら、 此処におっても意味が無い」
とっとと仙人界へ帰れ。
含ませた気迫と、 睨み上げる怒りを含んだ瞳。それに怯んだ紫の瞳が、一瞬の間を置いて悲しく揺れる。
「…だって…折角、貴方の傍に来たんですよ」
貴方の為に此処にいるのに、 貴方は僕を遠ざけようとする。
「そんなに僕がお嫌いですか?」
縋るような眼差しに、 切なさを精一杯の愛しさを込めて、切々と訴えかける。
「僕は嫌です…あんな遠い所」
貴方と離れたくはありません。涙さえ予感させる声音。それに油断した隙に、 しなやかな腕が伸ばされ、気が付いた時には、まるで縋りつくように抱きしめられていた。
今度は泣き落としかい。とほほと項垂れる太公望を、どう取ったのか。
「…なっ、お、おい。 こら、楊ぜんっ」
「師叔…」
熱の篭った声を耳元に注がれ、気が付いた時には、 不埒な手が体を弄り始めている。
これだ。この呆れた手腕に騙されて、一番最初のあの時も、 あれよあれよと好き放題されてしまったのだ。
「止めんか、この馬鹿者っ」
散々暴れて、何とか拘束から逃れる。それでも伸ばされてくる腕を、強い力で払い退け、 睨みつけた。楊ぜんは寂しい瞳で、それでもそれ以上の無理強いは諦めた。 だけど、熱さえ篭った恨みがましい瞳は、言葉に出来ない胸の内を、目一杯訴えてくる。
悪いのはわしなのか?そうなのか?
もう、泣き出したいのはこっちだ。


「…よし、判った」


わざとらしい溜息をついて立ち上がると、太公望は執務机の引き出しを開けた。
「まだ試供品らしいが、これをおぬしにやろう」
そう言いながら、ぽいと手渡したそれに、 楊ぜんはぱちくりと瞬きする。
「…何ですか、これは」
「太乙の発明した新しい宝貝、 携帯型通話機器だ」
まだ開発途中のプロトタイプだが、かなり多機能で、 それなりに使えるシロモノになっているぞ。
言いながら、同じ形のそれをもう一つ、 引き出しから取り出した。どうやら同じ物が、二つあるらしい。
「毎日一回、 おぬしにコールとメールをしてやる」
これでどうだ、文句は無かろう。胸を反らす太公望に、 楊ぜんは目を細めた。
「要塞建築の間…僕は、貴方の声しか聞けないんですね」
メールと言っても、どうせ業務的な内容にしかならないだろう。そんな虚しい手紙なんて、 逆にこの想いの一方通行を、強調させるだけじゃないか。
未だ不服な声音に、 太公望は鼻の上に皺を寄せた。そして挑むように、きりっと楊ぜんを睨みつける。
「ならば、スペシャルボーナスをつけてやる」
これで文句はあるまい。
「スペシャルボーナス?」
「わしの満足ゆく仕事を果たしたなら、その、何だ…わしが、 おぬしの、だな…ええっと…」
顔を赤らめて、もごもごと口ごもる先細りの声。 視線をさ迷わせて言葉に詰まり、必至で言葉を捜す照れ臭そうな太公望の様子。それに、 こんな時だけ察しの良い楊ぜんは、がしっと太公望の肩に手を乗せた。
「それって、 僕の都合の良い解釈をしてよろしいんですか?」
迫力を担って意気込む楊ぜんのアップに、 太公望は俯いて指先をもじもじさせた。
「し、知らぬっ」
「師叔、嬉しいですっ」
ぎゅっと力一杯抱きしめられ、ぐえっと色気の無い悲鳴を上げる。
「まさか、 貴方からそんな言葉を聞けるとは、思ってもみませんでした」
だって、 一番最初の時だってああでしたし。それからもいつだって僕からでしたし。師叔からなんて、 一度も無かったし。僕の気持ちは判って下さってるとは思っていましたが、 でも貴方は自分から何も言ってくれないし。だから本当は、すごくすごく不安だったんですよ。
「任せてください、貴方の満足以上の成果を、お目にかけて見せますよ」
だから今の言葉、 絶対に絶対に忘れないで下さいね。





こうして、次の日。
楊ぜんは周を離れ、要塞の建築現場へと向かったのであった。



















「天才の癖に、つくづく詰めが甘い奴よのう…」
あんな初心な演技に騙されおって。 まあ、あいつはどう解釈したのかは知らんが、わしは何も言っておらぬし、 何の約束も交しておらぬのだからな。
まだまだわしの方が一枚上手だ、だあほめ。 にょほほと人の悪い笑いを浮かべ、一人肩を揺らす策士。
とは言っても、 最初に交した約束は守らねばな。
本日の執務を終えた太公望は、私室に入ると、 置きっぱなしにしていた宝貝を手繰り寄せた。ちなみに宝貝に取り付けられた蒼い飾り紐は、 ストラップ代わりに楊ぜんが、自分の髪紐を勝手に括りつけたのである。
それを目にして、 軽く溜息をつきつつも。さて、と二つ折りになったそれを開いた所で。
「…むう?」
待ち受け画面にある、メール着信マークが点滅している。どうやら既に、 楊ぜんからのメールが到着していたらしい。軽い電子音を立てて、 到着メールの確認操作をすると。
「はあ?」
メール受信数、なんと十数件。
これだけのメールを寄越すなんて、要塞建築に何か不都合でも生じたのか? 慌てて受信したメールを開いてみると。
「………何なのだ、これは」
どれもこれも、 まあ見事なぐらいに雑談ばかり。
今要塞建築地に到着した、とか。今日はとてもいい天気だ、 とか。綺麗な花が咲いていて、貴方に見せてあげたい、とか。(しかも、写真添付) 一刻も早く終わらせますね、とか。いちいち開いて読むのが、馬鹿馬鹿しくなってくるくらい、 どうでもいい内容ばかりが、つらつらと送られていた。
読み進む内に、 疲れと脱力感が背中に覆い被さってくる。あやつ、本当に何を考えておるのだ。
それでも、 約束は約束だ。
とりあえず、当り障りの無い文章でも送ってやるか。 件名を「がんばるのだぞ」として、おぬしの成果を待っている…という短い文を、 楊ぜんの宝貝へ送信させた。
間も無く届く、返信タイトルそのままのメール。
それを開くと、短い文。





あいたい
だきしめたい
キスしたい





暫しの間、それを見つめ。
溜息を一つ、太公望は宝貝を操作する。耳の向こうで 呼び出し音が数回、それがぷつりと途切れた。
「…師叔?」
囁くような懐かしい声に、 目を細める。
「…今は、声だけで我慢せい」
「…物足りません」
耳元で囁かれる距離。 でも現実はなんて遠いのだろう。
「天才道士ともあろう者が、情け無い事言う出ないよ」
そっちへ行ってから、まだたった一日しか経ってないではないか。
「だって…」
貴方のいない生活は、予想以上に味気無いんです。ずっと仙界と人間界に分かれていたはずなのに、 それが信じられないくらいに切ないんです。
たった一日離れてただけなのに。 これから逢えない年月が、途方も無く長く感じる。
「寂しいです…貴方に逢いたいです」
逢いたい。抱きしめたい。キスしたい。
宝貝越しに、直接耳に吹き込まれる言葉。 呪文のようなそれに、太公望は知らず胸が鳴った。
「なーにを甘えた事を言っておる」
「だって。このままじゃきっと、要塞建築が完成する前に、僕は寂しくて死んでしまいます」
「アホかい」
「アホでも馬鹿でも良いです」
貴方に逢えるなら、 もうなんだって良いんです。
半ば投げやりのような声に、吹き出した。
「死んでしまったら、 二度と逢えなくなるぞ?」
「…それも嫌です」
幼子と交すようなその会話に、 お互いの唇から小さな笑い声が漏れた。少しの沈黙の後。
「…すいません」
「楊ぜん?」
「判っているんです、本当は」
全部、自分の単なる我が侭だって。 子供みたいに、駄々を捏ねてしまって。でも、そうせずには、いられなかったんです。
「困らせてしまってごめんなさい、師叔」
でも、僕の本心です。
「…うむ」





そうだ。
「ねえ師叔、一つだけお願いを聞いて頂けますか?」
「…無茶なものでなければな」
用心深い返答に、苦笑しつつ。
「合図をしたら、 僕の名前を呼んで欲しいんです」
はあ?意味のよく掴み取れない催促に、電話のこちら側、 太公望は片眉を吊り上げた。
「何なのだ、それは」
「掛け声とかでも良いですし、 一言添えて下さると嬉しいなあ」
おーい、楊ぜん…とか。楊ぜん、こっちだ…とか。 しっかり頑張るのだぞ、楊ぜん…とか。遠くから呼びかけるような、呼び寄せるような、 そんなニュアンスでお願いします。
「ね、お願いします」
別に難しい事じゃないでしょう? 一、二、三…で、お願いしますね。
半ば強引に捲し上げて。
「行きますよ。せえの、 一、二、三…」





「          」





「師叔…」
感極まったような声に、うう、と太公望は身を竦ませる。
「こっ、 これで良いのであろうっ」
「すごく、すごく嬉しいです…」
ありがとうございます。 穏やかな笑顔が目の前に浮かぶような声に、思わず太公望は目を瞑った。
「頑張って、 素晴らしい要塞を完成させますから」
楽しみに待っていて下さいね。
「当然だ」
だあほめ。はいはい。憎まれ口にくすくすと笑う。それが宝貝越しにくすぐったい。
「でっ、ではなっ」
もう切るぞ。
「はい、お休みなさい。師叔」
愛していますよ。
最後の言葉を告げた直後、ぷつりと宝貝の通信が切断された。











通信宝貝を名残惜しく見つめ、楊ぜんも通信終了のボタンを押す。
そしてそのまま、 慣れた手付きで、並べられたボタンを操作し始めた。
成る程、最初に聞いていた通り、 この宝貝は随分多機能に作られているらしい。始めは戸惑ったが、いろいろ触っている内に、 機能と操作の殆どを把握できた。
「…これで良いかな?」
確認の為に、 再生ボタンを押す。
聞こえるのは、先程おねだりした幸せな言葉。
大好きな大好きな想い人の声が再生され、我知らず笑み崩れる。
まさかこんな台詞を録音できるなんて、思っても見なかった。きっと彼に知られると、 怒ってしまうかも知れないけれど。でも。
「要塞建築の期間だけだから、良いですよね」


呼び出しの電子音を、貴方の声に取り替えたって。


こんな特別な言葉、絶対に誰にも聞かせるつもりはありませんから。
でもこれで、 日に一度の貴方からの呼び出しが、ますます待ち遠しくなってしまったかな。肩を竦めて小さく笑い、 宝貝につけたにょほほ人形ストラップを、指先で突付く。
早く、明日にならないかな。
窓から覗く空を見上げ、満天の星空に楊ぜんは目を細めた。




end.




所謂、着声ですな
空白は、お好きな言葉をどうぞ
2004.10.09







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