さむさむさむ





秋も深まるこの季節。
周国はここ数日で、急に冷え込みが強くなった。 あまりに急激な温度変化に、城内の暖房の手配がついていかず、 とりあえずの急場凌ぎに、周の軍師殿の元にも一枚厚手の毛布が支給された。
しかし日頃から極端なまでに寒がりである太公望には、この冷え込みに対して、 それだけではとても追いつかない。とは言え、老け顔の宰相に文句を言った所で、 せいぜいハリセンオプション付きの嫌味返しをされるのがオチ。
ぶつぶつと不平を言いながらも、とりあえず今宵は、 冷えた布団の中で少しでも暖を取ろうと体を丸くして眠りにつく事にした。
ひんやりしていた布団の中も、やがては人肌で何とか暖かくなってくる。 その温もりに誘われ、何とかうつらうつらと眠りの世界に入りかけた頃。
扉が音もなく開かれた事に、部屋の主は全く気がつかなかった。





ぎゃあ、と言う叫び声は、驚きと寒さが込められたもの。





「な、な、な、何なのだ、おぬしっ」
じたばたと暴れ出す体を、 布団の中で抱きしめながら。
「騒ぐと人が来ますよ」
あんまり大きな声を出さないで下さい。
窘めるように囁き、 ぎゅっと小さな体を抱きしめるのは、崑崙の天才道士、楊ぜんであった。
「つ、冷たいのだ、おぬしの体はっ」
絡み付く腕を外そうとするのだが、 背中に回されたそれは、ますます力を込めてしまう。
「哮天犬で寒空を飛んできましたから」
さらりとした返答。
冷え切った体は、ささやかな太公望の体温を、みるみる奪ってしまう。 しかもやっと温まり始めた布団の中まで、 急速に温度を下げてしまった。
「ああ、師叔は暖かいですね」
本当に、あったかい。
くすくすと笑って頬を摺り寄せて、首筋に顔を埋めてくる。 その冷たい鼻先と唇に、悲鳴を上げそうになった。しかも、 氷のように冷え切った手で頬を撫でてくるから、そりゃもうたまったものではない。
ぷつぷつと鳥肌を立てて、太公望は小さな体を竦ませた。
「寒いっ、離れんか、だあほがっ」
腕を突っ張って、 その冷却体を剥がそうとするのだが。
「嫌です」
こんなに暖かくて気持ちが良いのに、離れたくなんかありません。 拘束する腕を、ますます強くする。
「おぬし、冷たいのだーっ」





「冷たいのは師叔ですよ」





顔を首にうずめたまま、はあ、とついたため息は、その唇とは対象に生暖かい。
「僕、要塞建設地からここまで、哮天犬を走らせて来たんですよ」
寒い夜空を冷たい風に吹かれながら。愛する人にひとめ会いたい一念で、 遠い場所からここまでやって来たのだ。
「それなのに、師叔は一人で気持ち良さそうに寝ているし」
そりゃあまあ、確かに今夜来る約束は、取り付けていた訳ではなかったけれど。
でもせめて、待っていただの、会いたかっただの、会えて嬉しいだの。 そんな優しい一言でもあれば、もうそれだけで充分なのだ。
だけど冷たい冷たい恋人は、こちらの気持ちも判ってくれなくて、 ただ寒い冷たい離れろと目一杯拒絶する。これじゃ、虚しくもなるというものだ。
「どうせ師叔は、僕の事なんてどーでもいいって思っているんですよね」
愛する恋人を、あんな遠い僻地へと、平気で押しやったりするんだから。
あーあ、あーあ。
わざとらしく大袈裟に息をついて、肩を落とす。
「貴方の命に従い、貴方の為に要塞を作り、貴方に会いたくてここまでやってきたのに」
そんな切ないこちらの想いは、いつも一方通行に過ぎないのだ。
「どうせ師叔なんて、僕が貴方を愛しているその半分だって、僕の事を愛していないんだ」
不貞腐れた声には、酷く寂しさが滲んでいる。
太公望は、そっと体の力を抜いた。





「…こら」
なんじゃ、この手は。
背中に回されていた冷え切った手の平が、 しなやかな動きで背筋から腰を撫で回す。その意図を確信を持って悟り、 慌てて不埒な手を遮った。
「何って…あんまり寒い寒いとおっしゃるので、 暖めて差し上げようと思って」
任せてください、僕そういうの得意ですから。
「熱くしてどうするっ」
「ひと汗かいたら、寒さも忘れますよ」
だからはいはい、大人しくしてて下さいねー。手際良く帯を解くと、 てきぱきと寝間着を脱がしにかかる―――その手が止まった。
「…痩せましたね」
元々華奢な体だったけれど、でも前よりも一層細くなった体は、痛々しささえ感じられる。
「ちゃんと食べてますか」
さ迷う太公望の視線に、楊ぜんは目を細める。 改めて見下ろす小さな顔は、月明かりの下でさえ、その色の悪さも見て取れた。 睡眠不足なのだろう、目の下にもうっすら隈が出来ている。
「あまり休んでいないでしょう」
返事が無いのが、そのまま答えになっていた。 楊ぜんは呆れたように溜息をつく。
「何で貴方って人は、いつもそうなんですか」
ふらふらサボっているかと思えば、変な所で無理をして。 自分が傍にいれば節制させる事も出来たのだが、こうして離れた状況じゃ、 さすがにそれも出来やしない。
「もっとご自分の体を労わる事をして下さい」
元々体が丈夫な方でもないのだ。しかもここは清らかな仙界ではない、人間界である。 こんな調子じゃ、道士と言えども、体を壊すのは目に見えていよう。
「仕方なかろう…」
拗ねたように唇を尖らせて、太公望はそっぽを向く。
「仕方ない、じゃありません」
険悪な声で吐き捨て、丸い頬に手を当てて、 無理矢理こちらへと視線を向けさせる。
「いい加減、本気で怒りますよ」
真剣な紫の瞳に睨み据えられて、太公望はうう、と唸った。
「だって…そうでもせぬと、おぬしが早く帰って来ないではないか」
はい?きょとんとした楊ぜんを、赤い顔できっと見上げる。
「おぬし一人が、寂しいと思っているなどと思うでないわ」
だあほが。





少し体を離し、丁寧に寝間着の前を重ねる楊ぜんに、太公望は瞬きした。
「なんじゃ、…せんのか?」
「ええ、もう良いです」
急に変わったその態度に、 少しばかり不安そうな視線が向けられる。楊ぜんはにこりと綺麗な笑顔を返した。
「今夜は、ゆっくり体を休めましょう」
布団を引き上げ、ふわりと腕を回してくる。
「さっきの一言で、もう充分暖かくなりました」
それにほら、こうして抱きしめていれば、 もう寒くはありませんしね。只ですら頑張っている貴方を、 これ以上疲れさせたくはないんです。
ぐりぐりと頬を摺り寄せると、細い腕が回されて、 小さな手の平が優しく背中を宥めてくれる。ああ、本当に暖かいや。
「さっきはあれだけ、人の事を冷たいと言っておったのにのう」
全く、現金な奴だ。
「師叔、暖かくなりたいですか?だったら…」
「遠慮する」
言葉を遮っての即答。
ちょっと残念そうに、楊ぜんは唇を尖らせた。思いっきり疲れて、 心も体も満たされて、ぐっすり眠るという手もあるんだけどなあ。
「大体、おぬしのせいで、折角暖まった布団が冷えてしまったのだ」
責任取って、黙ってそのままわしの湯たんぽになっておれ。 おぬしは随分暖かくなったようだが、年寄りにこの寒さは堪えるのだ。
「だったら…」
ちゅっと楊ぜんは太公望の頬にキスをした。
一拍の間を置いて、ほんわりと太公望は顔に血の気を昇らせる。
「ほらね、あったかくなったでしょう?」
そう言えば、 久しぶりに恋人の顔を見たのに、こんなこともまだしていませんでしたよね。
くすくすと極上の笑顔で笑いながら。
「ねえ、師叔。僕も暖かくなりたいです」
こつんと額をくっつけて、間近から覗き込み。


「特にここ、とっても冷たいんです」
形の良い唇を指差して。
「師叔に暖めて貰えたら、きっとぐっすり眠れると思うんだけどな」
僕も、そして貴方も。





調子良さそうににこにこ笑う、綺麗な笑顔に溜息一つ。














まあでも、今夜はすごく寒いから。
暖かくなる為に、少しぐらいはサービスしてやっても良いかも知れない。




end.




または「第二夜」
2003.10.16







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