ボディサイン





「刺青ですか」
太公望の口から出たそれに、楊ぜんは露骨に嫌そうな顔をした。
話を聞くと、街で刺青をした女の子を見かけたらしい。 丁度アンクレットのように左の足首だけくるりと刻まれたそれは、 さり気なくて、なかなか感じ良かったらしい。
「ほれ。足首じゃなくて手首とか、耳朶にピアスみたいにちっこいのとか」
毒々しくない、あっさりした模様のものなら、いかにもっぽさが無くて良いであろう?
しかし、楊ぜんはうーんと小難しい顔をしたまま。
「なんじゃ、おぬし。 刺青が嫌いなのか?」
「嫌いって言うか…あまり良い印象がないんですよね」
古臭い考えかもしれないが。わざわざ痛い思いをして、 親から貰った大事な体に傷をつける事に、些かの抵抗がある。
それに。
「ほら、中学の頃とかに、流行りませんでした?」
コンパスの先などの尖ったもので、好きな人の名前を彫って恋愛成就の願掛けをするのが、 女子の間で流行った事があった。
女の子の可愛らしいおまじないゴッゴと言われれば、確かにそうなのかもしれない。 しかし、刻まれる名前が自分、しかも複数の女子に及べば、 正直気持ちの良いものではなかった。
それが、心の通った恋人同士とかなら、 案外喜んでいたかもしれない。しかし、願掛けである以上、殆どがあちら側の一方的な片想い。 しかも流血沙汰のおまじないなんて、妙な怨念が篭っていそうじゃないか。
その刺青は、恐らく成人した今も、きっと彼女たちの体に残っているのだろう。 中学を卒業して顔も見なくなった相手とは言え、 それを考えれば、今でも何だか不気味である。
「色男は大変だのう」
「貴方が僕の名前を彫って下さるなら、大歓迎ですけどね」
落し物、名前を書けば、僕の物。
そうすれば、この人が誰のものであるかはっきり判るし、 しかも不埒な輩を牽制する事もできるだろう。
「でもそうすれば、 師叔の綺麗な肌に傷をつけることになりますよね」
それも、ものすごく辛いなあ。
「あほか、おぬしは」
勝手に話をすすめて、勝手にしょんぼりする頭を、 太公望はぺしりと叩く。
とは言え、楊ぜんの言い分にも一理ある。
刺青を入れたときは良くても、後々になって飽きたり気に入らなくなったりするかもしれないし、 何か不都合が生じても訂正がきかない。何より、痛いのは嫌だ。
「そう言えばおぬし…ボディペインティングのキットを持っていなかったか」
ああ、と楊ぜんは思い巡らせた。そういえば昔、 学園祭か何かの時、遊びでペイントした事があったのだ。
「確か…染料は余っているんですが、デザインシートがもう無いんですよね」
水に塗らして皮膚に乗せると、簡単に輪郭がプリントできる転写シートがあるのだが、 それを全て使い切ってしまったのだ。恐らく別売りされているとは思うが、 凝ったペインティングをするには、それを購入しなくてはいけない。
「それが無くては無理なのか」
「絶対無理、と言う訳ではないですが」
ただ、綺麗な仕上がりはあまり求められない。
「構わん。とりあえずどんな風になるのか、ちっと試してみたいのだ」





引き出しから、久々に取り出したキットを広げながら。
「じゃあ、師叔。ズボンを脱いで、こっちに座って下さい」
「…何で、ズボンを脱がねばならぬのだ」
「ここに入れてみるんですよ、ペイントを」
ぽんぽんと叩くのは、自分の左足、その内側。
どの程度綺麗に仕上がるか判らないし、 もしかすると染料のアレルギーが出る可能性もある。普段晒される場所でもなし、 もの試しでペイントするのに、内股はもってこいの部位だろう。
しかし。
「師叔?」
なかなか行動に移さない太公望に、楊ぜんは小首を傾ける。
「どうしましたか」
「あー、べ、別に…」
はっきりしない返事。 勘の良い男は、直ぐに察してにこりと笑う。
「照れてるんですか?」
可愛いなあ。でもお互いのズボンの中身なんて、もうとっくに知り尽くした仲じゃないですか。 本当に、いつまで経っても照れやな人なんだから。
いっそ爽やかと表現できるほどにあっさり言われ、かあっと太公望は顔を赤くした。
「あほか、おぬしはっ」
付きあっとれんわ。憮然とした顔でベルトを外し、 さっさとズボンを脱ぐと、示された椅子へ腰を下ろす。照れ隠しであろう、 不自然なまでにガサツなその態度に、楊ぜんは更に笑みを深くした。
「ちょっと、じっとしてて下さいね」
椅子に座った太公望の前、 楊ぜんは膝をつくと、視線を太股と同じ高さにする。そして細い膝を開いて、 その間に体を割入らせた。
「わっ、ちっちょっと、待てっ」
ぎょっと声を上げる太公望に、膝の間から見上げる。
「何ですか?」
「なっ、なんつー体勢でやるのだっ」
「何言っているんですか、しょうがないでしょう」
この位置にペイントするなら、 この体勢が一番やりやすいのだから。
「とりあえず、梵字でも描いてみましょうか」
特別複雑な模様でもなく、少しぐらい形が悪くても、何となくそれっぽく見えそうだ。 言いながら、白い太股に手を乗せて顔を寄せた。
「お、おぬし、顔を近づけすぎではないか?」
「だって、そうしなくちゃ描けませんよ」
しかし…と口を尖らせる太公望に、楊ぜんは意地の悪い笑みを浮かべた。
「師叔のえっち」
「なっ」
「今、何を考えたんですか?」
そんなに顔を赤くして。 こっちは真面目に、一生懸命丁寧にしようとしているだけなのに。
くすくす笑いながら、からかうように見上げる視線。そんな楊ぜんに、 更に顔を赤くさせた。
「もっ、もう良いっ」
これぐらい、自分でやるっ。
がばりと立ち上がると、楊ぜんの手からペイントキットを引っつかむ。
「えー、師叔じゃ無理ですよ」
転写シートもデザインの見本も無いのだから。 それに結構、手間のかかる作業でもある。
「良いからっ。おぬしは向こうへ行っておれっ」





とは言え。
楊ぜんを部屋から追い出して、勇んで作業に取り掛かろうとするものの、 これがなかなか上手くいかない。
柔らかい人の肌に筆を走らせるのは、 紙やキャンバスと勝手が違う。しかも、見本にするデザインすら手元に無い状態だ。 早くも挫折の兆しが見え出し、太公望は溜息をついた。
成る程、あやつがやたらと顔を近づけて、作業しようとする訳だ。
ほんの少し後悔を感じながら、それでも、今更改めて頼むのも癪に障る。
「…ま、別に。これは試し塗りなのだしのう」
誰かに見られる訳じゃなし、暫くすれば消えるものだし。
デザインなんて、何だって構わないのだ。









そうして出来た、ボディペインティングは。
「と、とりあえず、試しだから何でも良かったのだぞっ」
目を丸くして驚いた楊ぜんに、太公望は少しばかりの恥じらいを見せながら言い切る。
別に深い意味はないのだ。ただ、とりあえずの単なる試しペイントだったし、 不器用だし、難しい模様とかは出来ないし、人の名前なら簡単で良いかなーと思ったから。
だからなのだからなっ。
そう強調しつつ、まあ、たまにはこんな可愛らしい一面もあるのだと、 アピールぐらいはしてやっても良いのだ…等と、心の中でひっそり自分に言い聞かせるが。


「どうして、ぜん、だけ平仮名なんですか」
「むう…画数が多かったのだ」
筆に慣れておらぬから、上手くいかなくてのう。
「しかも漢字、間違えてます」
楊、の字が、揚、に見えます。
「なにっ」
「ついでに、上下が逆ですよ」
自分でペイントしたのだから、 自然にそうなってしまうのは判るのだが、立ち上がった状態でみると、 文字がひっくり返っているのだ。
「ぬおおっ」









「…愛が、微妙に間違っています」
ひっそりと呟く楊ぜんの声には、切ない哀愁が滲んでいた。














一生消えない刺青じゃなくて、本当に良かった…というお話。







end.




オンライン企画「刺青企画」投稿作品
刺青の持つ妖しく色っぽいイメージを狙い、見事外したブツ
もう、言い訳の言葉もございません
2003.10.01







back