ちょっと驚いただけなのだ




WELL !





むうっと、拗ねたように尖った小さな唇。ほっぺたは真っ赤になっているし、 視線は落ち着きが無く、決してこちらを向こうとはしない。
緊張が伝染するようなどぎまぎした空気の中、自然、楊ぜんもその雰囲気に飲まれてしまう。
「…えっと、あの…」
いつまでも止まったままの時間を促そうと、とりあえず声をかけてみた。 それでも反応を示さない様子に、これは本気で怒ったのだろうかと、流石に不安になってくる。
「…師叔?」
視線を捕らえようと、少しだけ身を寄せた。
途端、小さな体は、びっくんと過剰に跳ね上がった。
大きな碧い瞳が、ちらりとこちらに向けられ、すぐにまた逸らされる。
「…びっくりしただけなのだ」
「…はい?」
何を言っているのか判らず、楊ぜんは間の抜けた声を上げた。
それに答える事は無く、太公望は視線を落として頬をぷくっと膨らませたまま、 再び唇を固く結んでしまう。
「え、と…怒ってしまわれましたか?」
「…別に、これぐらい…どうってことないわ」





驚いた。





太公望師叔と、いわゆる恋人同士となってから、日はまだ浅い。
最初は全く本気にしていなかった彼を、 宥め、すかせ、情と熱意に訴え、果ては泣き落としまで行使して。 見栄も外聞もかなぐり捨てて、辛抱強く口説いて口説いて。
やっとそれらしい関係に収まったのは、 ひとえに情熱と押しの強さと、涙ぐましい努力の賜物とも言えよう。
太公望師叔にしても、好意云々より、むしろ情に絆された感があったようだ。
でも、同情でも哀れみでも、もう何でも構わない。そこから始まる関係だって、 あるかもしれない。
自分でも信じられないくらい、こんな想いは本当に初めてで。 とにかく、どうしても彼を手に入れたかった。この人だけは、何が何でも譲れなかった。
…で。
望みが叶えば、更に次の欲求が生まれるのも、まあ当然といえば当然の話。
不器用ながらに、こちらの想いを受け入れてくれて。ゆっくりながら、 それとなくいい雰囲気になってきて。
ようやく苦労も報われてきたかな、そう思っていた、丁度矢先。
軍師とその右腕ともなれば、仕事で一緒にいるのは別に不思議な事じゃない。
たまたま、その二人で書庫で調べ物をしていて。
たまたま、その書庫には人気が無くて。
たまたま、必要な巻物が高い場所に乗せられていて。
たまたま、それを取った時、顔に埃がついてしまって。
笑いながら、その頬に触れられたのが、きっかけを作ってしまったのだ。
「楊ぜ…?」
身を屈めて、軽く、ほんの少し「当てる」だけのように重なったやわらかい唇。一度離し、 そして今度はその感触を確かめるように、ゆっくりと重ねた。
重なった唇から、直接伝わるぎこちなさ。
色恋沙汰には疎い人なのだろうとは、それとなく気が付いていた。
もしかすると、その鈍感さゆえ、こんな関係を勝ち取ったのは、僕が初めてかもしれない。 そんな優越感さえ感じていた最中の、小さな唇から洩れたその台詞。





だから驚いた。





仙界にいた頃から、彼にまつわる華ある噂は聞いていた。
確かに整った容姿をしているし、仕事をさせれば そつなくこなす。物腰は柔らかで、話題は豊富、頭もよくて機転も利く。
成る程、と噂話に納得し始めた頃。
「貴方が好きです」
大真面目に告白された。
天才は性別を問わないのかと、妙に感心したのが一番初め。
色男と違い、こちらは幼い頃に仙界入りをして、なんだかんだと修行三昧の内に、 現在まで至ってしまったのだ。 色っぽい話題は、書物に上だけの知識しかないし、それらしい経験など当然持ち合わせていなかった。
その上で、初めて言い寄られるのが同性だったなんて。
彼の意を了承した時も、正直、まあ話のネタぐらいにはなるか、等と、 当人が聞けば、脱力しかねない考えしか頭に無かった。
どうせ、今までと毛色の違う存在に、いらぬ好奇心を抱いただけであろう。それとも、 生まれて初めて手をついた相手をからかって、意趣返しでもする気かもしれない。 はたまた、今まで断られた経験が無かったので、単に意地になっているだけなのか。
ならば、適当に欲求が満たされれば、その内飽きて、熱も冷めるに違いない。
でも。
離れてゆく顔。すぐ傍で感じる、切ない視線と熱い吐息。
生まれて初めて重ねられた唇は、自分が思っていた以上に嫌悪はなかった。むしろ。
むしろ…?
それを自覚すると、自分でも信じられないくらいに、 心臓がばくばく暴走して、頭に血が上ってしまった。





驚いただけなのだ。





「急だったから、びっくりしただけで…その、こんなのわしだって、すぐに…慣れるわ」
見当外れなその台詞に、楊ぜんは目をぱちくりさせた。
「…はい?」
つまり、その、慣れていない、という事は、やっぱり。
俯く顔を覗き込む。真っ赤になってしまった顔が、やたらと初々しい。
「嫌じゃ…なかったですか」
太公望はますます俯いて、顔を背けてしまう。
でも、垣間見える耳朶は、裏腹な想いを示すように真っ赤に染まっている。 それを見ていると、どうしようもないくらい、愛しさが込み上げてきた。
「あの…もう一度…いいですか?」
「…だあほ」
消え入りそうな小さな憎まれ口。
それをどう解釈してよいか判らず戸惑う楊ぜんに、太公望は肩から流れ落ちていた 蒼い髪をくい、と引っ張った。


そして、先程とおんなじ。
この世で最も優しい感触。





驚いてしまった。




end.




某憧れサイト様のイラストを拝見して。
いつか書いてみたかったシチュエーションです。
うひゃー、恥ずかしかったーっ。///
2002.05.09







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