「で、どんな症状なの?」 「むー、咳が出てて、咽喉が痛そうで、熱も高いし。とにかく ものすごく辛そうなのだ」 …まあ、元が健康体の人が、たまに風邪をひいたりなんかすると、 得てしてそんなものなのだろうが。 「ふーん、インフルエンザかもしれないね。だったら これとこれ…薬はこれかこれで効くんじゃないかな」 「全部貰う」 これはまた 太っ腹な。ごそごそと財布を出す様子に、にやりと笑う。 「…ところでさあ、 これは私が調合した薬なんだけど…」 「却下」 きっぱりと言い切られ、 薬局付きの薬剤師は、あからさまに残念そうな顔をして見せた。 とんとんと控えめに扉をノックすると、「はい」と掠れた声が返ってきた。 「大丈夫か?楊ぜん」 そっと顔を覗かせる太公望に、発熱でとろんとした目で笑ってみせる。 「はい」 ずっと寝てましたからね、大分楽にはなりましたよ。 口ではそう言っているが、 顔色はあまり変わっていない。試しに体温計で熱を測るが、逆に少し熱が上がっているようだ。 「ほれ、薬買ってきたぞ」 あと発熱用の冷却シートに、咽喉飴。 熱で失せた食欲を慮って、ヨーグルトにシャーベットに果物まで。 「りんご、擦ってやろうか」 などと言われた時には、感動のあまり、布団を押しのけて 抱きついてしまった。 直後、遠慮のない蹴りがお見舞いされたのは、 とりあえず蛇足として。 「今おかゆを作っておるからな」 「師叔がですか?」 心底驚いたような様子に、むっと 太公望は唇を尖らせる。 「なんじゃ。おかゆぐらい、わしだって作れるわい」 そうじゃなくって。楊ぜんは首を振る。 「嬉しいな」 これだけ優しくしてくれるのなら、たまには風邪も悪くない。 熱で火照った顔でにこにこされて、太公望はむうと頬を膨らませる。 「いつもわしが、優しくないみたいではないか」 そうではないが。 「おおっぴらに 甘えさせてくれるでしょう?」 じろっと太公望は、楊ぜんを睨みつけた。 「アホなこと 考えとらんで、さっさと風邪を治せ」 誰のせいで、今日ここにおるのだ。 びしっと 指を突きつけられれば、しゅんと楊ぜんは肩を落とした。 「僕のせいですね… すいません」 本来ならば。 今日は前からスキーに行く約束をしていたのだ。 最近は随分暖かくなってきたし、新聞には花粉情報が載る時期になってきた。 そろそろ雪山シーズンも終わりなので、今の内にシーズンラストのスキーに 行こうと言い出したのは、楊ぜんの方だったのだ。 寒いのを嫌がる太公望も、今年最後の 雪を見るのだと、随分張り切っていたのだが。 結果はこれ。 前日になって、楊ぜんが体調を崩してしまい、 今年のラストスキーは、結局お流れになってしまったのである。 あんまりしょげた顔をする楊ぜんに、溜息を一つついて。 「…スキーはもうよいから。 おぬしは早く風邪を治すのだ」 なでなでと熱っぽい頭を、慰めるように撫でてやる。 「師叔の手、冷たくって気持ちいいです」 ついさっきまで、台所に立っていたのだ。 火照った肌に、その小さな手は、更に冷たく感じる。 ぴと、と頬を摺り寄せる楊ぜんに。 「懐くな」 言いながらも、太公望は拒絶する様子を見せない。 あれ?と楊ぜんは顔を上げた。 「みかんの匂いがします」 何ですか?そう問うと、思い出したように、ああ、と頷いた。 「金柑を触っておったからな」 「キンカン?」 「子供の頃、じじいがわしに、よく食わせてくれたのだ」 小さい時、 風邪をひきやすく、そのくせ苦い薬を飲もうとしない太公望に彼の祖父は、 金柑をはちみつで煮付けたものをよく作ってくれた。 甘くて美味しくて、おまけに咽喉にも良い。 ビタミンもたくさん取れるので、風邪の防止にもなる。 スーパーに買い物に行ったとき、 並んでいたそれを見て思い出したのだ。 煮るときには、味が沁み込むように、十字の 切り目をつけるのだが。手に残った香りは、その時に移ったのであろう。 「出来たら呼ぶから」 おぬしはもう少し寝ておれ。 丁寧に身体を横にさせ、 布団をあごが隠れるまで引き上げてやる。 ぽんぽんとその上から宥めるように叩かれれば、 何だかとっても幸せな気持ちになった。 「あ…のうのう楊ぜん」 「はい?」 見てみよ。窓の方を示す。 「雪が降っておる」 太公望の視線にならって、少し顔をずらせ、窓の外へと目を向ける。 どんよりと重い色の 空から、羽毛のような雪がはらはらと舞っていた。 「ほんとだ…」 この辺りにしては、随分季節外れの雪である。 「なごり雪ですね」 「うむ」 もしかして、スキー場から飛んできたかな。 「今年最後の雪は、ここでも見る事が出来たのう」 「はい」 くすくすと二人、顔を見合わせて笑った。 end. 金柑の蜂蜜煮、我が家がそうでした。 未だに粉薬は苦くて飲まない、お子様野郎です。 2002.02.15 |