引越しが決まったのは、急な話であった。
何でも、悟空の住んでいたアパートが、 台風で一部を破損してしまったらしい。随分老朽化も進んだ年代物の建築だったので、 この機会に思い切って、建て替えすることになったのだ。
まあ、丁度悟空自身も、もう少し広い部屋へ引っ越そうと思っていたところだったらしい。
そうして一緒に見つけた部屋は、駅から程よい距離があり、近くに商店街もパン屋もあり、 一階がドラッグストアになっていて、しかも二人の通勤にはやたらと便利な、 感じの良いマンション。
前よりも高めの家賃さえ除けば、 かなり掘り出し物の物件であった。





「あ、悟空さ。そっちのダンボール、持っていってけろ」
「おう」
「それ、食器が入っているからおもてえぞ」
「任しとけって」
「あと、荷物はこれとこれだけだな」
「んじゃ、そろそろ行くか」
土日を利用しての引越し。
業者に頼もうかとも思ったが、もともと悟空の荷物は少ないし、 友人が軽トラックを貸してくれるとの言葉に甘え、結局二人で作業することにした。
悟空が荷物を運ぶ。チチが荷物を片付ける。悟空がダンボールを整理する。 チチが部屋を掃除する。
力持ちとしっかり者の共同作業は、思った以上にスムーズだった。





とっぷり陽が暮れてから、もう随分時間が経ってしまった。
まだ解かれていない荷物の山に埋もれながら。
「とりあえず、今日はここまでだな」
引越し作業の第一日目。一区切りがついたところで、 チチが声を上げる。
流石に一日で全てを終えることは出来なかったが、 それでも今日の寝床が確保できるまでには、どうにか片付けることが出来た。
「随分遅くなっちまったけど、何か食いに行くだか?」
「おら、もうはらぺこだぞ」
お腹を撫でる悟空の様子に、笑ってエプロンを外しながら、 ふと。
「でも、何か意外だなあ」
「何が?」
「おらさ、悟空さはまた、アパートを借りると思ってただ」
こんな所に大雑把、無頓着な悟空の事だ。今まで住んでいたアパートだって、 駅から近いのが唯一の取柄のような、オンボロアパートだった。
今回の引越しも、チチは最初、急場しのぎの場所を探しているのかと思っていた。 でも、休日毎に一緒に不動産を見て回っている様子を見ていると、 チチの意見も聞きながら、案外悟空は真面目に慎重に検討していたのだ。
「ま、あの不動産屋、すんげえここを進めてくれてたけんどなー」
そう呟いて、 チチは思い出し笑う。
二人で住居を探していたからだろう。 担当者は最初、二人を新婚だと思い、一人暮らしにしては広めの物件ばかりを案内していた。 そして、途中でそうではない事に気が付くと、慌てて申し訳無さそうに、 手頃な一人暮らし向きの部屋を探してくれたのだ。
でも、悟空の選んだこの部屋。
勿論、間取りもいいし条件にも合っているし、掘り出し物の物件ではあるのだが、 初期の頃に薦めてくれていた部屋で、一人暮らしにしては少しばかり余裕がある。
そう言えば荷物の運搬の最中、隣の空き室を二人連れが見に来ていた。 彼らもやっぱり、全く同じ間取りを二人で借りるようである。
「チチも、ここが一番気に入ってたじゃねえか」
「まあ、二人で住むなら、 一番条件が良かっただろ」
もしも、二人で住む場所、だったなら。
「だから選んだんじゃねえか」
「…え?」





心底不思議そうなきょとん顔に、悟空は少し不満そうな表情を見せた。
でも。ま、いっか。
「先に、渡しておくか」
悟空は、ズボンの後ろポケットを探る。
そして。
「チチ」
すいっとチチの手首を取ると、その手の平にこの部屋の鍵を乗せた。 いつの間にやら、ちゃんと合鍵を作ってくれていたらしい。
まあ、別に。今まで住んでいたアパートだって、幾度と無く行き来しているし、 悟空の部屋の鍵だって貰っていたけれど。
「あのさ、別に今すぐに、とかじゃねえから」
ゆっくり考えておいてくれよな。
白い手に、部屋の鍵を握らせる。





顔を寄せて。
耳元で囁くささやかで不器用な言葉。
それは二人だけの内緒話。




end.




結婚前の同棲、私は賛成派なんです
2002.11.26







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