いつも微笑んでいられる二人であるように




さくらのとき





最初に連れてきてもらったのは、結婚して、一番最初の春だった。





冬が終わって、暖かくなってきて。
そして、もう春だな、なんて会話が交されたそんな頃。
「今日は修行は休みだ」
そう言って、いきなり 筋斗雲に乗せてもらって、連れてこられた山奥の川辺。
到着した途端。
「うわー」
満開の川辺の桜並木に、チチは思わず声を上げた。
「すげえな」
「昔、じっちゃんが良く連れてきてくれたんだ」
子供の頃の、取っておきの場所。 毎年、春のこの時期には、弁当を持ってやってきた記憶がある。
ずっと向こうまで延々と連なる桜並木は、今が丁度満開だ。 淡い桜色の花びらが、所々でひらひらと、雪のように舞い散る。
「綺麗だ…」
ぽつりと呟き、チチは咲き乱れる満開の桜に目を奪われた。





初恋だった。
幼い思い出をいつまでも、と我ながら苦笑してしまうが、それでも 確かに恋をした。
だから、子供の頃には憧れだった背中と、今こうして並べて歩いている事実が 信じられなくて。その不安を誤魔化すように、何度もねだって言葉を求めた。
口下手なその人は、自分の感情を上手く表現できなくて、その度に困ったように笑っていた。
それが何だか誤魔化されたように思えて、一人腹を立ててむくれてばかりだった。
でも、そんな毎日が、確かに幸せだった。





花に酔う、というのだろうか。じっと見ていると、何だか頭がぼうっとしてしまう。
何処と無くふらりとしたチチの足取りに、 悟空は背後からとんっと肩を支えた。
「どうした?」
ううん。チチは笑って首を振る。
もしかすると、微熱が出てるかも知れねえかな。体調も不安定だし。 決して「病気」な訳では無いけれど。
「ちょっと、花に酔ったみてえだな」
「花で酔うのか?」
心底驚いたような声に、あははと チチは笑い声を上げた。
「酔っちまいそうな気がしねえか?」
ほら、これだけの桜に包まれていたら。
雪のように、惜しみなく降り注ぐ花びらに手を伸ばす。 指先に触れる花びらは、溶けることはないけれど、雪よりももっともっと儚いもののように 思えた。
不意に、ひょい、と悟空はチチの手を取った。
ん?と振り返るチチに、 取った手ごと、背後からぎゅっと抱きしめる。
「どしただ?」
いきなり。
空いているほうの手で、 幼子を宥めるように、悟空の頭を撫でる。至近距離で目が合うと、どちらとも無く にこりと笑った。
「おめえ、どっか行っちまいそうだな」
そうやって、花びらが降って来る中にいると。
「おらは何処にもいかねえよ」
いつもいつもここにいる。
「どっか行っちまうのは、 悟空さの方じゃねえか」
いっつもおらを置いて、一人でどっかに修行に行っちまって。
睨みつけてやると、困ったように笑いながら、頬を摺り寄せてきた。
その感触に笑いながら。
「おらさ、ずっとこうしていてえな」
チチは悟空の胸に凭れる。
この山で、巡っていく季節の移ろいを、こうして二人でいつまでも見続けていたい。 つまらない人生かもしれないが、些細な事に喜んだり、怒ったり、笑ったり。 そんな毎日を一緒に過ごしていきたい。
それは贅沢な事なのだろうか。
この人を見ていると、何故だろう、当たり前のことでさえ、酷く儚い夢にさえ思えてしまう。





あっちの方へ行ってみっか。
促されて、並んで歩く。先刻取られた右手は繋がれたままで。
「なあ、悟空さ」
繋いだ手を引っ張ると笑顔が振り返った。
「これから、毎年この花が咲いたら、ここに来ような」
「そっだな、二人で来よう」
悟空の言葉に、チチは一瞬表情を崩した。
小首を傾ける悟空に、チチは少し俯き、 視線を彷徨わせる。
「二人でっていうのは、無理かもなー」
何処か迷いを含んだ声。
「何でだ?」
怪訝そうに眉根を寄せる悟空に、チチはくすくす笑った。 ひょいひょいと手招きすると、そのまま悟空は身を寄せる。
その耳に手を寄せて。
別に周りに誰がいるわけでなく、内緒の打ち明け話。
きょとんとした悟空の目が、ぱちぱちと何度も瞬きした。 ゆっくりと身体を離すと、心底驚いたように、チチを見下ろす。
「…ほんとか?」
照れくさそうに、それでもはっきりと頷いて見せた。





来年からは、三人で。





霞のような満開の桜。
あれから、毎年ここへ来る事は変わらない。 桜の花は今年も綺麗だし、めぐる季節の中で、あの時から変わらず咲き綻ぶ。
唯一つ、変わってしまったことがあるのなら。
「おかあさーん」
「どうしたの、おかあさん」
とんっと飛びつくように、左の腕に 悟天が抱きついてきた。右側から、ひょいっと悟飯が顔を覗き込ませる。
「んー、懐かしいなって思ってな」
にこりと笑って、今年も咲いた、見事な満開の桜を仰ぐ。





あの時繋いでくれた大きな手はもう無いけれど。
その代わり、今は小さな手が、右と左の手を握ってくれる。
限りなく大切な人と、巡り巡る季節の中でいつも微笑んでいられた、 あの時が真実であったように。
その証が、今は確かに傍にあるから。





春が終わり、夏が訪れて。
季節が巡って。
桜の花が朽ち果てても。




end.




原作沿い、リハビリSSS
某Aiko嬢の「桜の時」より
マイカラオケソングの一つ
2002.03.25







back