薄暗く、ムーディーな証明の部屋の中。グラスに注いだボトルの最後の一滴。
新しいボトルを、と誰かに頼もうとするが、来客の多い今夜、手隙のホストは見当たらない。
指名客に笑顔を残して席を立ち、カウンターを覗くが新しいボトルは出払ったようだ。 しょうがねえなあと奥へと向かい、通用口を通って倉庫に入ろうとした所で。
「あ、悟空さけ?」
丁度良かっただ。
元気な声に振り返る。裏口の扉、 大きな花束を抱えて入ってきた彼女の姿に、自然悟空の顔が綻んだ。
「チチ」
「はい、バレンタインのプレゼント」
差し出される花束に目を丸くし、 やがて悟空は嬉しそうに自分を指差した。
「おらにか?」
返される答えは。
「本日指定の注文。おめえと、あとは別の従業員宛に」
はい、伝票にサイン。
ぺしっと伝票を突き出された。





壁を下敷きに、サインを記入しながら。
「別に店の入り口からで、全然構わねえのに」
花屋の配達なのだし。幾度となく言っているのだが、チチはいつも裏口から配達に来ていた。
「店の誰かに、裏口からしろって言われたのか?」
そうじゃねえけど。笑ってチチは首を振る。
「綺麗な人とかばっかりいるのに、恥ずかしいだよ」
何だかこんな格好じゃ、 みっともねえだろ。花屋の店の名前のロゴの入ったエプロンのポケットに手を入れて、 チチは気恥ずかしそうに肩を竦めた。
「そんなことねえよ」
眉をしかめて、悟空は断言する。 みっともないとか、他の誰かと見劣りするなんて、そんな事はない。絶対だ。
力強い否定に、ちょっと驚いたように目を見開くが、チチは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、悟空さ」
可愛い笑顔で。
「もう一声あった方が、ホストとしては良いんじゃねえか?」
結構厳しい事を言うのだ、 この花屋の従業員は。
そのくせ、どうも男心を察するのは鈍いらしい。 無邪気な天然の返答に、悟空は切なく溜息をついた。
「ほら」
「ん、すまねえな」
サインを済ませた伝票とペンを受け取る手は、花屋の水仕事で随分とあかぎれている。
わあっと盛り上がる声が、むこうの店内からこちらまで届いた。
「随分盛り上がってるみてえだなあ」
「バレンタインだしな」
ホストクラブが、 こんなお祭りイベントに便乗しない手はなかろう。
「…なあ、おめえも寄ってかねえか?」
あはは、とチチは快活な笑い声を上げる。
「ホストクラブで遊べるような金なんて、おら持ってねえだよ」
お金なんて貰わねえよ。 そう誘っても、仕事中だからと素気無く却下される。
「そんなことより、おめえこそこんな所で油か売っててもええのか?」
今日の稼ぎ時は、何もチョコレート業界だけではなかろうに。
「お得意さんから、 チョコを貰い損ねるだよ」
のんびり構えてると、ライバルに出し抜かれっぞ。 バレンタインのチョコレートの数なんて、ホストの人気投票みたいなものだから。
「…じゃあさ、チチもおらに投票してくれよ」
「ん?」
「だからー…」
視線をさ迷わせ、 ごにょごにょと口の中で言葉を紡ぐが、どうにも何を言っているのやら。不思議そうに こちらを覗きこむチチに、 きりっと決意を固め。
「だからな、おらは―――」
和音重なる華やかな電子音
二人の間から、高らかに鳴り出した。
「っと…」
すまねえな。断りを入れてから、エプロンのポケットを探り、携帯電話を取り出した。
「はい…あ、おっとう?」
うんうんと何やら話し込み、解った、すぐ帰るだと言って電話を切る。 どうやら店に、配達の注文が新たに入ったらしい。
携帯電話を仕舞い込みながら、 悪かったな、と謝る彼女に罪はないのだが。
「…で、何の話だっただか?」
続く笑顔での言葉に、胸が切ない悟空であった。





「…おら、やっぱこの仕事向かねえのかな」
がっくりと肩を落とす様子に。
「なーに言ってるだよ」
チチは肩を叩いて笑い飛ばす。
「おめえ、すんごく頑張ってるでねえか」
最初は、飲み物やアルコールの種類も知らなくて、 接客に慣れていなかったし、こんなので本当にホストなんてできるのかと心配するほどだったのに。
でも今は、スーツ姿や常連客のあしらいも、随分様になってきた。
「でもなあ…」
いつまで経っても、たった一人を気づかせる事ができないんだよなあ。
恨めしく送る視線にさえ、目の前の天然に、全く効果を発揮しないのだ。
「ったく、しょうがねえなあ…ほら、これやるから」
落ち込んでないで、元気出すだよ。
落ち込みの主原因が、ぽんと手渡したのは、金のリボンのついた透明の小袋。
「おめえの人気に、投票してやるだよ」
中にはカラフルな銀紙で包まれた、 小さなハート型チョコレートが、入っていた。
「いいのか?」
「お店のサービスの残りだけどな」
笑顔の台詞は、やはり残酷だった。





「ホワイトデー、覚悟しておけよ」
宣戦布告の一言に、前途多難の駄目押しは。
「おらにまでそんなこと考えてっと、キリねえぞ」





道は、まだまだ遠いようである。





end.




ホスト悟空さ、SSも書いてみたいなあ
2003.02.02







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