![]() 「ほら、きれいだろ」 連れて来られた一室には、大きな七段飾りの雛人形が飾られてあった。 チチ曰く、今日は「ひなまつり」という節句の日であるらしい。この日女の子は、綺麗な服を着て、 人形を飾って、美味しい物を食べるんだそうな。 「すげえだろ」 綺麗な春色の着物のチチは、飾り付けされた人形の前で、自慢げに胸を逸らせて見せる。 とは言え、悟空に雛人形の価値など解らない。反応に困り、とりあえずは、 ふうんと声を上げておいた。 綺麗な人形よりも、寧ろ、悟空の視線が引かれたのは。 「なあ。あれ、くってもいいのか?」 指を差すのは、丁寧に盛り立てられた雛あられ。 そんな悟空に、チチはむうっとほっぺたを膨らませた。 「あれは、にんぎょうといっしょに、 かざっておくもんだべ」 「そっかー」 そうなんか。 その声が、 よっぽど残念そうに聞こえてしまったのか。しょうがねえなあ、とチチは、 雛壇の隣に置かれてあった菓子籠の中から、飾り余った雛あられの袋を取り出した。 「こっちなら、くってもええだぞ」 「さんきゅー」 「このにんぎょうな、おっとうとおらと、ふたりでかざっただ」 雛あられを摘まみながら。 「きょねんは、おっかあとかざっただなあ」 じいっとチチは、雛人形を見上げた。 「…おっかあ、はやくかえってこねえかな」 チチの母親は去年の夏、「天国」へ行ってしまった。 どうしてチチを置いて行ってしまったのかは解らないけれど、父親が言うには、 ちゃんと良い子にしていれば、きっと母は会いに来てくれるらしい。 「おっかあ、 おらのことわすれねえでいてくれてっかなあ」 天国に行ってしまったと教えてもらった日から。 ちゃんと出した本は片付けるようにしたし、嫌いなセロリも我慢して口にするようにした。 おっとうの言う事も聞いて、ずっと良い子にしているつもりなのに。 このままいつまでも天国から帰って来なかったら、いつか、大好きなおっかあの事、 忘れてしまうんじゃないかと不安になってしまう。 なあ、ごくうさ。 ひょいと顔を覗かせて。 「おめえ、おらのおっかあ、おぼえているだか?」 悟空は少しだけ小首を傾げ、 うーんと考え込んでしまう。 ずっと前は、チチの家に遊びに来たら、いつもいた。 しかし「びょういん」に「にゅういん」してからは、随分と間が空いてしまい、 正直なところ、ぼんやりとしか記憶に残っていなかった。 その反応が気に入らなかったのか、 チチは目を吊り上げた。 「ごくうさ、ごくうさのおっとうとおっかあのかおは、 おぼえてるだろ?」 チチは、それとおなじような感じだと思っていたのだ。 しかし予想と違い、きょとんとした目で、悟空はふるふると首を振った。 「おら、 しらねえもん」 気がついた時から、祖父と一緒にいたのだ。記憶に両親の面影は皆無であり、 寧ろ、自分にチチみたいな父と母がいることのほうが、想像つかない。 「…そっかあ」 そうだったのか、しょうがねえなあ。心底呆れたように、チチは溜息をついた。 「ごくうさに、 おらのおっかあを、ちょこっとだけわけてあげるだよ」 言葉の意味が掴めず、 悟空はきょとんと目を丸くする。 「そんなの、できんのか?」 「わかんねえけど…でも、だめなのか?」 質問に質問で返され、悟空はさあ、 と首を捻った。 「おらのおっかあなら、きっといいっていってくれるだよ」 そうに決まっている。だって、いつもいつも、すごく優しかったから。 「てんごくからけえってきたら、おらもいっしょにおねがいしてやるだよ」 悟空は、チチの母親の事はよく覚えていない。でも。もしも、チチの言うとおり、チチの母親が 悟空の母親になってくれるというのなら、その顔を忘れてしまった事が、酷く勿体無いと思った。 玄関が開く、がらりと大きな音がした。 「おっとうだ」 ぱっとチチは顔を上げた。 どうやら、買い物から帰って来たらしい。 「いこう、ごくうさ」 おいしいひなまつりのケーキ、かってくるっていってただ。 うん、と立ち上がる悟空に、 チチはにっこり笑って手招いた。 耳元に口を寄せて。 「おっとうにも、おしえるだ」 ごくうさに、おらのおっとうとおっかあを、ちょっとだけわけてやることを。 そしておっかあがてんごくからかえってきたら、さんにんでおねがいするべ。 「おっちゃん、いいっていってくれるかな?」 「きっと、だいじょうぶだ」 くすくすと、互いの顔を見てほくそえみ。 二人は手を繋いで、玄関先まで迎えに行った。 end. 原作の出会いの頃より、もっとちっさい二人です 2003.02.25 |