登校日と言っても、精々する事と言えば、卒業式の予行ぐらいなもの。
講堂で簡単にそれを済ませると、高校最後のホームルームをして、後は仲の良い クラスメイト達と高校最後の寄り道を算段する。
じゃあ、駅前のバーガーショップで 腹ごしらえしてから、いつものカラオケショップに雪崩れ込むか。 そう決まって、教室を出たところで。
「師叔」
呼び止められて振り返り、 一瞬太公望は顔を引きつらせた。
「…楊ぜん」
にっこり笑う彼に、視線をさ迷わせる。
「お、おぬし。二年生は、まだ授業があるのではないか?」
「ああ、構いませんよ」
そんなもの。それよりも、もっと大事な事があるでしょう?
「今日、ホワイトデーですよ」
バレンタインのお返しの日。
空恐ろしいほどの笑顔を一つ。
「バレンタインのお返し、 僕に下さいよ」
その、不必要に大きな声に、慌てて太公望は楊ぜんの口を小さな手で塞いだ。





取り敢えず後で追いかけるからと、級友たちには先に行くように告げて。太公望は人目の避けれる 階段の裏まで楊ぜんを引っ張ってきた。
「おぬし皆の前で、何を大きな声で言うのだ」
怒っているのはこちらなのに、楊ぜんはそれ以上に不機嫌そうだ。
「だって師叔、 あのまま皆と行っちゃうんでしょう」
拗ねたように目を細め、じっとりと太公望を睨みつける。 どうせ皆と一緒に行ってしまったら、そのまま夜遅くまで騒いで、一日を潰してしまうのは 目に見えている。
折角のこんなイベントの日なのに、全く何で登校日なんかと重なるんだか。
「仕方なかろう、今日は卒業前の、最後の登校日なのだ」
皆、進路が違うのだ。 大学に行く者もいれば、就職する者も、遠くに行ってしまう者だっている。 このクラスのメンバーとも、これでもう最後になってしまうだろう。その残り少ない時間を、 最後の想い出作りに当てたいと思うのは当然の事だ。
「でも…」
でも、 遠く離れてしまうのは、クラスメイトだけではない。太公望だって、受かった大学が少し遠い為、 この春から家を離れて一人暮らしをするのだ。当然、楊ぜんとの距離も、離れてしまう。
「大体…制服デートだって、今日を除けば後一回きりなんですよ」
どうやら楊ぜんの中では、 卒業式後のデートは、もう絶対外せない決定事項であるらしい。
「ねえ、師叔」
そっと手を取り、綺麗な紫色の瞳が覗き込んでくる。
「僕、不安なんですよ」





二人の関係は、一ヶ月前のバレンタインから始まった。
たまたま委員会で一緒になって以来、学年こそ違えど妙に気が合う仲だった。
バレンタインの日も、「チョコレートがあるんですが、ちょっとうちに寄って行きませんか」 と誘われたのが運のつき。校内でも美形で名高い名物男だし、どうせ女生徒に貰ったチョコレートが 食べきれないのだろうと、甘いものに釣られてついていったまでは良かったが。
自分で食べきれないのにチョコを受け取ったのか、渡した女の子が気の毒だのう。いいえ、 僕は誰からも受け取っていませんよ、それは貴方の為に買ってきたものです。そう告げられたのは、 やたら高価そうなチョコレートを全て平らげた後の事。
はあ?と声を上げる太公望に、 妖しげな笑顔を一つ。
僕の気持ち、残らず召し上がってくれたんですね、嬉しいなあ、 もう返品なんて出来ませんよね、ああ安心して下さい、責任はきっちり取らせて頂きますから。
そのままあれよあれよと流されて、高校生最後のバレンタインデーは、いろんな意味で 忘れられない想い出の一ページとなってしまった。
最初こそ驚いていたものの、 太公望に拒絶は見られない。
だけど、何の言葉も貰っていないかった。





「…たく、おぬしなあ…」
やる事は散々強引なくせに、何でこんな所でこうも弱気になるのだか。 溜息をつきながら、太公望は制服のポケットをごそごそと探った。
「ほれ」
ぽん、と放り投げたそれを受け取って、楊ぜんは瞬きをした。
掌のそれは、小さな鍵。 キーホルダー代わりに、不器用な形のリボンが結ばれている。
「…これ」
「なくすなよ」
ま、泥棒に入られたとて、盗まれるようなものは何もない部屋だけどな。
深呼吸を一つついて。
「のう、楊ぜん…」





照れ隠しなのであろう、何処か怒ったような拗ねたような表情で。
声には出さずに唇で紡いだ言葉は、紛れもなく一番欲しかった言葉であった。





end.




学園モノって苦手だなあ
2003.03.06







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