猫を飼うことになった。 白地に殆ど同化しそうな淡いシルバーの縞の入った、 子供のアメリカンショートヘアー。 名前は、望である。 特に猫が好きというわけでもなかったし、どちらかといえばむしろ犬の方が好きだった。 勝手で気紛れな猫よりも、きちんと躾けたらその分だけ答えてくれる犬の方が、 断然良いに決まっている。「飼っていた猫が産んだ子供を、貰ってくれないか」 と上司に話を持ちかけられた時も、正直「参ったなあ」としか思っていなかった。 上司に連れられてやって来たのは、耳がちょっと長くて大きく青い目が神秘的な子猫。 まだ子供だし、母親や兄弟の猫達と離れ離れになって、体温が恋しいのだろうか。 ちゃんと猫用のベットがあるにもかかわらず、夜眠る時、 望は楊ぜんの布団の中に潜り込んできた。 その朝。低血圧の楊ぜんは、 元々朝には弱かったのだが、昼近くまで寝過ごしてしまった。 朝日を瞼の裏側に感じながら、ああ早く起きて望に餌をやらなくちゃ、なんて思っていた頃。 もそもそと布団の中で、望が動く気配を感じた。何だ、望もまだ眠っていたのか。 そう言えば兄弟猫の中でも、望は年寄り猫みたいにやたらとよく眠ってばかりいるって 言っていたっけ。 うつらうつらとそんな事を考えていると、望は布団から出て、 楊ぜんの枕元に座ったようだ。動かない視線を感じ、こっそりと薄目を開けると、 望がじいっとこちらを不思議そうに覗き込んでいる。 そして小さな前足の肉球を、 むにゅ、むにゅ、と何度も楊ぜんの顔に押し付けた。 何だか可笑しくなって、 つい吹き出して笑ってしまうと、眠っているとばかり思っていた望は、 びっくんと体を震わせて大層驚いた。そしてそんな自分を誤魔化すように毛繕いをすると、 するりとベットから飛び下りた。 そして部屋から出る瞬間、ちらりとこちらを振り返る。 そのこっそりと伺うような動作に、楊ぜんは朝から大笑いした。 「望、ご飯だよ」 小さな体の割りに食いしん坊な望は、器に盛られた猫缶を あっという間にぺろりと平らげた。 ご飯を食べた後、毛繕いをしているのをじっと見ていると、 ちっちゃな足先から爪が出たり引っ込んだりしている。 気になって、ひょい、 とその手を取ってみた。小さな足の先には、小さな肉球がちょんちょんと、お行儀良く並んでいる。 こんな小さい足にも、こんなちゃんと揃っているらしい。肉球を触ると、暖かなそれは、 柔らかかった。 うわあ、何だか作り物みたいだ。調子に乗ってぷにぷにぷにぷに触っていると、 時々にゅっとこれまた小さな爪が出てくる。 あんまり触りすぎるのがお気に召さなかったのか、 顔を近づけた拍子に、顔面猫パンチを食らわされた。 「…あれ?」 クッションに丸くなっている望に、楊ぜんは小首を傾げた。さっきまで、 姿が見えないと思っていたのに。でも、クッションが少し汚れているところを見ると、 外に出ていたのかも知れないな。 「…望?」 小さな体が小刻みに震えている。 体を撫でると、嫌な汗ばみがあった。 様子がおかしい。 瞬時にそう悟った楊ぜんは、 慌ててすぐ傍にある動物病院へと走って連れて行った。 どうしよう、何かの病気なのだろうか。 外に出ていたけど、何かあったのだろうか。それとも、さっき食べさせたキャットフードが原因? そう言えば、部屋に置いてあった観葉植物に齧られた後があったけど、まさかそれなのか? ぐるぐると良からぬ思考が渦を巻く中。 「あー、食べすぎだね。こりゃ」 気の抜けるような獣医の一言。 楊ぜんの頭の中に、盛大なラッパのマークの音楽が流れた。 どうやら。ふらふらと気紛れに家を抜け出していた望は、ご近所の家からも、 こっそりしっかり餌を食べさせてもらっていたらしい。 全く人の気も知らないで。 胃薬が効いてすっきりした様子の望に、楊ぜんは溜息をついた。 「望、貴方の飼い主は僕なんですよ?」 判っていますか? あんまり気安く人から食べ物を貰ったり、懐いて誰かについて行かないで下さい。 首輪はつけているから、飼い猫だとは判るだろう。でも、中には望が気に入って、 勝手に自分の家に連れて帰ってそのまま…なんて事にもなりかねない。 「気をつけてくださいね」 貴方、とっても可愛いんですから。めっとしかめっ面を近づけると、 望は不思議そうに瞬きをした。 そしてにゃあとひと鳴きすると、 楊ぜんの鼻先をぺろりと舐める。 ―――可愛い…。 絶句する楊ぜんを尻目に、 望はするりと手から抜け出すと、テーブルの上に置いてあった苺にかぶりついた。 end. 親バカ楊氏。肉球触りたい… 2003.03.31 |