しとしとと降り注ぐ気配に、目を閉じたまま、楊ぜんは意識を浮上させる。
どうやら今日は雨らしい。






もそり、と腕の中に収まっていた小さな体が身じろぎした。どうやら彼も、 雨の音に目を覚ましたらしい。
こちらがまだ、眠っていると思っているのだろう。 出来るだけそおっと身を捻ると、窓の外へと目を配り、そして改めて腕の中へと収まる。
本当にたまになんだけど。いつもは時間ぎりぎりまで眠っている彼が、 こうして何かの間違いのように、早く目を覚ます時がある。
気配には敏感な楊ぜんは、彼が起きるとすぐそれに気付くのだが、 大抵こうして寝たふりを決め込む事が多かった。
普段は恥かしがり屋で素っ気無くて、 ちっとも素直じゃない彼だが、こちらが目を閉じている時は違うらしい。 じいっと観察するように間近から見つめてきたり、慈しむように頬に触れてくれたり、 そして時々唇にキスをくれたりするときもある。
だから、本当ならばすぐに目を開いて、 大好きな人を見つめていたいところを我慢して、ささやかな彼の悪戯をこうして黙って甘んじる。 太公望はそれに気付いていないけれど、楊ぜんはそんなひと時がとても好きだった。
今日も。先に目を覚まして寂しいのか、彼は狸寝入りに気付かぬまま、 じいっとこちらを覗きこんでいるようだった。
真っ直ぐな視線がくすぐったい。 髪をひと房すくい取られる。くるくると毛先を遊ばれ、放される。そしてぴと、と身を寄せられた。 顎の下辺りで、軽く頬を寄せる動作は、子犬か子猫を連想させた。嬉しくなって、 寝惚けたふりをしてそっと抱きしめ直すと、彼はきゅっとしがみつくように抱きついてきた。
それがあまりにも可愛らしくって、そのまま今起きたふりでもしようかと思ったところ。
くすん、と小さく鼻を啜る音に、楊ぜんはぎょっと目を開いた。





いきなり至近距離で視線を鉢合わせ、太公望はびっくりと目を見開いたまま固まる。 しかし、楊ぜんも驚いた。すぐ近くにある想い人は、目を真っ赤にして涙を浮かべているのだ。
気まずそうな顔で、太公望は唇を尖らせて顔を背ける。
「…何じゃ、 起きておったのか」
寝た振りしているなんて、人が悪い奴だのう。 もそもそとシーツの中に身を潜り込ませようとする彼を、 楊ぜんは無理矢理こちらを向かせる事で留めた。
「どうしたんですか」
「別に」
「師叔…」
優しい力でこちらを向かせて顔を覗き込むと、決まり悪げに視線をずらす。 「僕は、貴方を悲しませましたか?」
そう言うと、驚いたように彼は顔を上げ、 ぶんぶんと首を振った。
「違う」


夢を見ただけだ、と彼は言った。


どんな夢かは、もう思い出せない。ただ、何もかもが全て終わってしまったと言う安堵感と、 振り返れば誰もいなかったという孤独感だけを覚えている。
「…もしかすると、 封神計画を終えた夢かも知れぬ」
ぽつりと呟いたそれが、 余りにも寂しい響きを含んでいたので、楊ぜんはぎゅっと太公望を抱きしめた。
「僕は、何があっても、貴方を一人にはしませんよ」
真摯な声に、太公望はにやりと笑う。
「判らんぞ」
世の中、何が起こっても不思議は無い。絶対なんて存在しないのだから。
宝貝を向けられるかもしれないし、もしかすると敵になるかもしれない。 自分が自分で無くなるような事態だって、起こるかもしれないのだから。
「いつかわしは…おぬしに憎まれるのかもしれぬ」
寂しげな声。それは単なる絵空事ではなく、 そんな自体だって起こりえるのだと、自分に言い聞かせているようにも思えた。
「…すいません」
切なそうに謝罪する楊ぜんに、太公望はきょとんと目を丸くした。
「何故、おぬしが謝る」
可笑しそうに笑う太公望を、楊ぜんはぎゅっと抱きしめる。
「僕の腕の中で、貴方にそんな寂しい夢を見せてしまったなんて」
その言葉に、 ぷっと太公望は吹き出した。
「あほだのう、おぬしは」
何を言っておるのやら。 ぺち、と額を叩く。
「悲しくて泣いた訳ではないぞ、わしは」
えっと瞬きする楊ぜんに。
「嬉しかったのだ、おぬしがいて」
目が覚めた時、 おぬしがすぐ傍にいた事が嬉しかったから。良かった、とすごく安心したから。
言って、 自分の発した言葉の意味に気が付いたのだろう、太公望は顔を真っ赤にした。 そのまますぐに背を向けて、もそもそとシーツに包まる。
その言葉をゆっくりと頭に染み込ませ、 楊ぜんは隣に寝転んだ。ほんの少しいつもよりも上気した体を、 シーツごと背中からしっかりと抱きしめる。





end.




しっとりと静かな感じで
2003.06.25







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