静かで平和な田舎の小さな村。
その古びた教会に、シスターチチは住んでいる。
大きな町と町の間に挟まれたこの村は、間に広い森もあって、何も無い場所にも拘らず、 旅人が道を間違って時々流れ着く。


悟空も、そんな旅人の一人であった。


「おーい、チチ」
言いつけられた薪、全部割っておいたぞ。
「ああ、助かっただ」
武道家と自称する彼は、途中で路銀を落としたらしく、 空腹で行き倒れていた所を、チチに助けられたのだ。以来こうして、 修行の合間に手伝いをしながら、ちゃっかりこの教会に住み着いている。
村人達は二人の中の良い様子を、新婚夫婦を見ように、 微笑ましく見守っていた。
「なあなあ、チチ…」
割った薪を纏め終えて立ち上がると、 じいっと悟空はこちらを覗き込んできた。なんだ?と見上げる人懐っこい目。 その奥にうっすらと翡翠の色が透けて見え、チチは一瞬ぎょっとする。
どうやら、そろそろ…らしい。
骨の太い指が、細いチチの肩に乗せられると、 チチは慌てて身を引いた。飢えたような悟空の視線に、ぶるぶると首を振る。
「こ、ここでは駄目だっ」
「嫌なのか?」
「そ、そうじゃねえけんど…っ」
だって屋外だし、誰が見ているかわからないし。それに何と言ってもここは、 罷りなりにも神の家の敷地内なのだ。
「でも、おら…」
「よ…夜なら…」
気恥ずかしげに俯いて。
「その…今夜、 おめえの寝室に行くから…」
それまで、待って欲しい。
その言葉に、 悟空はにぱっと笑った。
「よし。待ってっからな」
絶対だぞ。 念を押され、チチはこくりと頷いた。





その夜。
星の瞬く闇の空に、赤い月が昇った頃。静かな彼の寝室に二人、 チチと悟空は向かい合わせに立った。
期待に満ちた眼差しを向けられると、 どうにも気恥ずかしく、チチは何となく視線を足下に落とす。
「次の日がつれえから…その、程ほどにしてけろよ」
「判ってるって」
本当に、何処まで判っているのやら。何度も耳にした言葉だが、 今まで守られたためしがない。にこにこと人の良い笑顔を見ながら、 チチは小さく溜息をついた。
背中のジッパーを少しだけ下ろし、 締まった修道服の襟元を寛げると、深呼吸を一つ。
「…これで、充分だろ」
「ああ…」
こくりと頷き、悟空はひゅうと息を吸うと目を閉じ、 小さく気合を入れる。
その瞬間、青年は魔物の姿へと変化した。
黒髪は金の光を放ちながら逆立ち、瞳は翡翠の輝きを湛える。その冷ややかな視線は、 獲物を狙う獣のように、チチを射すくめた。
「…チチ」
かすれた声。 筋肉質な腕が伸ばされ、ゆっくりとした動作で細い肩を抱き寄せる。 そのしっかりとした感触に、チチはもう諦めたように体の力を抜き、 彼に全てを委ねた。
月明かりにも白い首筋に、荒々しい吐息が掛かり、 伏せた睫が小刻みに震える。存外に柔らかい唇がひたりと重ねられると、 あっと溜息にも似た甘い声が零れてしまった。
そして剥き出される、尖った犬歯。
それが喉元へと当てられた瞬間、チチは身を竦ませて、縋るように悟空にしがみ付いた。





悟空は吸血鬼であった。
伝説とは違って、太陽の下でも歩けるし、 十字架や教会を恐れる事も無く、血を啜られた人間が吸血鬼になる訳でもなかった。
生命の糧として、人の生き血は必要ではあるが、それ以外は殆ど人間と同じ。 後は、血を求める時、黄金の魔性の姿へ変化する位のものだ。
空腹の悟空に血を与えたのは、腹を空かせる彼の様子が、あまりに気の毒に見えたから。
まあ、命が取られる訳でもなく、痛みが担うものでもない。 それに、彼が生きる糧としてどうしても必要ならば、仕方ないではないか。
でも。





ここで最も問題なのは、彼が大食漢だという事であった。





「〜〜〜っ吸い過ぎだ、この大食らいがっ」
遠慮の無い力のアッパーカットに、 悟空は避ける間も無く、派手に床に転がった。
いってー、と顎を擦る姿は、 既にいつものものに戻っている。貧血でふらふらになった体をテーブルで支え、 チチは首筋を隠すように、素早く乱れた襟元を正した。
「お、おめえ、 限度っつーもんを覚えてけろよ」
毎回毎回、どれだけ吸えば気が済むだよ、全く。
「チチの血って、すんげえうめえんだよなあ」
だからついつい吸いすぎちまうんだよなあ。
「なーんか、チチの血を吸ってからさあ、他の奴の吸いたく無くなっちまうもん」
殴られた顎を擦りながら、悪びれずに、頭を掻いてへらりと笑う。 彼なりの褒め言葉なのかもしれないが、この状況では素直に喜べない。
冷や汗を掻きながら、目一杯の献血量にぐらぐらする視界を、振り払うように首を振る。
「顔色悪ぃな」
大丈夫か?と覗き込む視線は、本気で心配する色が読み取れ、 最早突っ込む気にもなれない。
「ほら、つかまれ」
ベットまで連れて行ってやるよ。
へたり込むチチの体を、重力を感じさせない力で、軽々と横抱きした。
「明日は、おらが朝飯作ってやっから」
血の気が良くなるもん、作ってやるよ。
調子の良い声。当然だ、この調子じゃ絶対、低血圧でまともに起きれないだろう。





「何でおら…おめえを追い出さねえかなあ」
「何か言ったか?」
いんや、とチチは首を振る。
そして、神から与えられた過酷なこの試練に、 ひっそりと溜息をついた。





end.




超サイヤ人の金色狼男も考えておりました
2003.10.31







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