わしの名前は、太公望。つやつやとした毛並みが自慢の野うさぎだ。
わしのご主人は、もう半ば棺桶に片足を突っ込みかけた、ヨボヨボのじじいである。 今でこそすっかり隠居して、日がな一日昼寝と光合成に精を出しているが、 これでも昔はなかなか腕の立つ獣医であったらしい。
わしは元々山に住んでいた。しかし、ちとヘマをして、人間の罠に引っ掛かってしまった事がある。 その時、たまたま散策に来ていた、ここのじじいに助けられたのだ。
それまでは気楽な山暮らしをしていたのだが、助けてもらった恩もあるし、 このクソ広い家での一人暮らしは寂しそうだし、まあこれも何かの縁、 結局居座るようにここに住むようになった。
別に、毎日ちゃんと飯を出してくれるとか、 この家の庭に植えられた桃の実が美味いとか、決してそれだけが理由ではないのだぞ。
じじいも、怪我が治ったからと追い出したりすることもしない。 時々膝の上に乗せて、日当たりの良い窓辺のリラックスチェアに、 一緒にうたた寝だりするくらいだから、それなりにわしをかわゆく―――まあ、 わしのかわゆいルックスからしてみれば、それも当然だろう―――思っているのであろう。
そんな生活も結構心地良く思っていた頃、わしの「城」に、新しい新参者がやって来た。
「おぬし、しっかり面倒を見てやれい」
そう言いながら主人が引き合わせたのは、 冬毛が初々しい、小さな子羊であった。






ぴょんと一歩跳ねれば、とことこ、と着いてくる。ぴょんぴょんと跳ねれば、 とことことことこと着いてくる。
そんな子供の羊を、太公望は背中越しに、 むうとしかめっ面で振り返った。
どうも自分は、 この羊に懐かれてしまったらしい。甚だ、迷惑な話である。
羊の名前は、ようぜんと言った。
ようぜんは近くの牧場で生まれたが、 母親が出産と同時に他界してしまい、人間の手で乳を与えられて育てられたようだ。 その所為か、他の羊に群に中々溶け込もうとせず、いつも仲間外れになってしまうらしい。
今回も、放牧の際に群から離れてふらふらと遠くまで行ってしまい、その際躓いて怪我をした。 だから、治療も兼ねて、元獣医のじじいが一旦預かる事となったそうだ。
―――で。
何故そのお守りを、わしに任せるのだ、くそじじいめ。
子供のお守りなど、やっておれんわ。早々にそう判断すると、 影法師のように一定の距離を測りつつ着いてくる子羊に背中を向けて、 全速力でその場から離れた。
ようぜんは慌てて後を追いかけるが、 怪我で引きずった足では、流石にうさぎの素早さに付いてくることなど出来ない。
あっという間に引き離し、太公望うさぎは姿を晦ましてしまった。





まったく。
あのじじい、暇人扱いしおって。わしだって、 昼寝をしたり散歩をしたり、見かけほど暇ではないのだ。
ぷりぷり怒りながら、 太公望は裏庭までやって来た。ここにある大きな桃の木の下は、 日当たりも良くて柔らかい草も沢山生えていて、お気に入りの場所の一つである。
うっとおしい奴もいないし、今日は外で眠るにはちと冷えるけど、 ここで一休みするか。いつもの場所に落ち着いて、生え揃った冬毛を膨らませて、 うとうととしだした頃。
近付いてくる気配に自慢の長い耳をぴくりと立てた。
この気配、どうやらあの子供羊らしい。
あー、もう見つかったか。 でもまあ、こちらが寝たふりでもして相手にしなければ、どうせ子供の事だ、 直ぐに飽きて何処かへ行ってしまうだろう。
気配だけは張り巡らせ、太公望は、 そのままそ知らぬふりを決め込む事にした。
とっとこ走り寄ってきたようぜんは、 膝をついて、じいっと覗き込んでくる。視線がくすぐったいが、そのまま反応を返さず、 太公望は目を閉じたままじっとしていた。
そうして、 いつまで経っても目を覚まそうとしないうさぎに、 ようぜんはもそもそと頭を擦り寄せてきた。
ここで目覚めてなるものか。 太公望はますますぎゅっと目を閉じて、あくまでそのまま、 ようぜんの興味が反れるのを待つ。
しかし、ぴゅうと吹いた冷たい風に、 つい太公望は、小さな体をぶるりと震わせてしまった。
しまった。 起きていると感付かれてしまったか。
たらりと内心冷や汗を流し、 それでも頑なに目を閉じたまま。太公望はようぜんの気配が離れて行くのをひたすら待った。
しかし、ようぜんは離れない。
そして、そのまま隣に体を落ち着けると、 まるで寄り添うように身を寄せて来た。
流石は天然羊毛、触れ合った部分がほんわりと暖かい。 そう言えば、羊は群れる習性があるとかないとか。
そうっと薄目を開いて隣を伺うと、 子供羊は気持ち良さそうに目を閉じて、すやすやと眠りに入っている。
無防備な寝顔。今日初めて会ったというのに、家畜と言う奴は、どうも警戒心に欠けるのう。
でもこやつの毛皮は暖かい。全く仕方ないのう。でも今日みたいに寒い日だったら、こうして、 たまには一緒に眠ってやってもいいかもしれないな。
そんな事を考えながら、 太公望うさぎはようぜんの毛皮に、鼻先を埋めた。





end.




うさぎなら羊、猫なら犬…と思っています
2003.11.22







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