よっこいせ、と太公望は背中の籠を背負い直した。雪のしんしん降り注ぐ山道、 白い息をほう、と晦日の夜空に吐き出す。
正月の準備をすると言っても、 所詮は山での一人所帯、そんな必要もないとは思う。しかし。それでもせめて、 酒ぐらいは買っておこうかと、雪笠を編んで町へと売りに向かった。
急場凌ぎのそれは、 我ながら、見事なまでに不細工なものである。自分でもあまり買おうと思える出来ではなかった。 しかし、そこは狡い頭の使い様。この山でしか採取できない珍しい、且つ、 有難い草で編んだ縁起物の雪笠と尤もらしく売り出せば、年の瀬の慌しさも手伝って、 何とか僅かながらの酒に変化させる事が出来た。
その帰り道。
山に入る麓に立てられた、 小さな地蔵の前で、太公望は足を止めた。
こじんまりとしたそれは、その昔、 偉いお坊様が立てた、曰くつきの物であるらしい。幼い顔の地蔵の両耳の上辺りには、 何故か、獣のようなくるりと小さな巻き角がついている。
太公望は手を合わせ、 小さな頭に積もった雪を、軽く払ってやった。
庵も無く、吹き曝しな地蔵は随分寒々しい。 その様が妙に不憫に思えて、首に巻きつけていた手拭を外すと、地蔵の首に巻きつけてた。 ついでに、自分の被っていた雪笠を乗せてやり、その上からぽんぽんと頭を撫でる。
「おぬしも、良い歳を越すのだぞ」
そう言って、もう一度手を合わせて軽く頭を下げると、 そのまま闇に道が隠される前に、家路を急いだ。





そうして、その夜。
何をするでもなく早々に布団に入った太公望は、 扉の外のささやかな気配に目が覚めた。
何だろう。もそりと身じろぎをし、 息を顰めてじいっとそちらを伺う。
これは…泣き声か?
こんな外れた季節に、 一体何の物の怪か。恐々布団から出ると、足音を忍ばせ、戸口の前に立った。
「…何か、そこにおるのか?」
囁くように問い掛けると、泣き声が一瞬、ぴたりと止まる。 しかし、またすぐに再開された。
どうやらこれは、幼い子供の泣き声であるらしい。 あまり害が感じられないと悟ると、太公望は驚かせないように、ゆっくりと扉を開いた。
「おぬしは、何者だ?」
暗い影に、明かりをかざす。小さなそれは、俯かせていた顔を、 そっと上げた。
「…物の怪か?」
一拍置いて、ふるふると頭が横に振られる。 ざんぎりした蒼い髪が、さらさらと揺れた。大きな紫の瞳は、大粒の涙を溜めている。
その両の耳の上辺りには、くるりと小さな巻き角が覗いていた。





ぐしぐしと涙を擦るその子供を、とりあえず、太公望は家の中へと招き入れてやった。
暖かい白湯を飲ませてやると、少し落ち着いてきたらしく、漸く涙を止め、 ぽつぽつと口を開いた。
「ぼく、おじぞうさんなんです」
山の麓の、 今日貴方に傘と手拭を貰った、ようぜんと言う名のお地蔵なんです。
信じられない告白ではあるが、既に太公望の目には、彼の耳の上にあるくるりとした巻き角と、 首に巻かれた見覚えのある手拭、それに背中に背負われた雪笠が目に入っている。
「…で、そのお地蔵が、こんな夜更けにどうしたのだ」
伺うように覗き込むと、 大きな紫色の瞳が、再びうるうると涙を盛り上げた。そのまま、又めそめそと泣いてしまう子供を、 所載無く、太公望は膝の上に乗せて宥めてやる。小さな背中を擦ってやると、 きゅっとしがみ付いてきた。
「ぼく…ぼく、ごおんがえし、したかったんです」
だから、神界の教主であり神様でもある父上にお願いして、餅やら野菜やら酒やら米俵やらを、 沢山貰ったのだ。
でも。
「すごくおもくて、すごくいっぱいあって、 ここまでもってこれなかったんです」
ごめんなさい。僕、力が無いから。
そう言って、ようぜんはしくしくと泣き出してしまった。





二人で麓の地蔵庵へと向かうと、そこにはようぜんの言う通り、米俵や野菜や酒樽や餅が、 小山のように積み上げられていた。確かにこれは、小さな子供一人には無理があると納得する。
それらを持ってきた雪ぞりに乗せ、小雪の舞い散る大晦日の夜、二人で幾度か往復して、 やっと全てを家に持ち運ぶ事が出来た。
搬入を全て終えると、 ようぜんは疲れ切ってしまったらしい。火の付いた囲炉裏の前で、白湯で体を温めていると、 小さな体が、こっくりこっくりと船を漕ぎ出した。
蕩けそうな目が、 やがて閉じている時間の方が長くなる。そして、そのままぐらりと倒れそうな体を、 慌てて抱きとめた。
さて。ま、仕方ないのう。
一つしかない布団に、小さな体を丁寧に横たわらせると、その隣に太公望も潜り込む。
誰かが傍に居るという感覚が久しくて、居心地悪く身じろいだ。だけど、 すぐ傍で聞こえる子供の寝息は、何故か酷く懐かしい。規則的な呼吸音は、 何だかとても平和なものだった。
遠くに響く除夜の鐘を聞きながら、 いつもよりも小さな子供の体一つ分温かい年明けに、太公望はそっと目を閉じた。





end.




そうして年明けて、目が覚めると
小さな子供は大人になっておりました
2004.01.03







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