その森に住む、天才美形蒼色狼は、赤頭巾ちゃんに一目惚れをしてしまったのです。





「待っていましたよ、師叔」
扉を開けるなり、見たことも無い美丈夫に笑顔で出迎えられ、 赤頭巾ちゃんはぱちくりと目を丸くしました。
はて、自分は入る家を間違えたのだろうか。 しかしこの森には、長老原始天尊しか住んでいなかったと思うのだが。 道に間違えたとも思えないし、記憶にあるこの家の造りは、 紛れも無くじじいの住処かと思っていたのだが。
はて。
「ご飯にしますか、 それともお風呂?」
エプロン姿に三角巾をつけた彼の言葉に、 くるりと背中を向けます。
「…やっぱり、どうやら、間違えてしまったようだな」
最近どうも物忘れが…。
ぶつぶつと呟きながら出て行こうとする赤頭巾ちゃんに、 彼はひしとしがみ付きました。
「間違えてませんよ、僕は貴方を待っていたんですって。 太公望師叔」
名前を呼ばれ、へっと赤頭巾ちゃんが振り返ると、思った以上に近い場所から、 綺麗な紫色の瞳が覗き込んできます。
「おぬし、一体何者なのだ」
「あ、 まだ自己紹介してなかったですよね」
警戒心たっぷりのじっとりした視線を、 笑顔で受け取り。
「僕の名前は、楊ぜんと言います」
これから一生、 末永くよろしくお願いしますね。
そう言うと楊ぜんは、赤頭巾ちゃんの手を取って、 まあるい頬にちゅっとキスをしました。





「…で。順を追って、きちんと説明してもらおうか」
かつかつと指先でテーブルを叩きながら、 赤頭巾ちゃんは足を組んで、目の前の椅子に座る楊ぜんを睨みつけます。
「…はあ」
殴られて、真っ赤になった頬を抑えながら、楊ぜんは愁傷に項垂れて頷きました。
話を聞くと。彼、一匹狼の楊ぜんは、赤頭巾ちゃんがくる前に、この家にやって来たようです。 最近はめっきり足腰が弱って床につきっぱなしになっていた森の長老、原始天尊に話をつけ、 承諾証にサインをしてもらったと言うのです。
「承諾証?」
「はい」
ぺらりと取り出した一枚の紙。そこには書いてる「婚姻届」の文字に、 赤頭巾ちゃんはぎょっとします。保護者承諾の欄には、既に原始天尊のサインがされていました。
「なんじゃい、これはっ」
「婚姻届です」
最初は勝手に出してしまおうと思ったのですが、 でも貴方は未成年みたいだし。それに、やっぱり二人の大切なこれからの問題だから、 それなりの順序も必要でしょう。
拗ねたようにそう説明する彼に、 赤頭巾は言葉も出ません。痛むこめかみに指を当て、とりあえず頭の中を整理します。
「だからって、なんでわしとおぬしが、結婚せねばならんのだ」





話を聞けばこの狼、たまたま森で見かけた赤頭巾ちゃんに、一目惚れをしたそうです。
でも相手は、森の長老が目に入れても痛くないと公言して憚らない、たった一人の愛孫。 正攻法で攻めた所で、そう簡単にモノに出来るとは思えません。
なので、 楊ぜんの取った手段がこれ。
「判を押さなきゃ、協定を破棄しますよって」
狼は、実は隣にある大きな森の主の一人息子でした。隣の森には、凶暴な動物が沢山住んでいます。 その森の住民が、こちらの森に入ってこないように、互いの森の主が協定を結んでいるのです。 その協定の印として、楊ぜんはこの森に住んでいるのでした。
じじいめ。 可愛い孫を売りおって。ふつふつと怒りを滾らせる赤頭巾ちゃんに、 天才狼はにこにこと溢れんばかりの笑顔を向けます。そのムカツクほどに綺麗な顔を睨みつけ。
「馬鹿馬鹿しい、そんな戯言に付き合ってられるかい」
乱暴に椅子から立ち上がり、 鼻息荒く家を出ようとした所。
「待って下さいっ」
ひし、 と背後から狼に抱き留められました。
「僕が嫌いですか?」
「そーゆー問題ではなかろうが」
もがく赤頭巾ちゃんをしっかりと抱きしめ、 頬を摺り寄せて。
「ねえ、師叔。僕、絶対貴方を幸せにして見せますよ」
天才だし、 美形だし、家事だってお手の物ですよ。それに、何よりも世界中で一番、 誰よりも貴方の事を想っています。
「絶対、貴方を後悔させませんから」
だから、 せめて。
「お友達からでも構わないので、前向きに考えてください」





真摯に覗き込む狼の瞳をじいっと見遣り、赤頭巾ちゃんはふうと息をつきます。唇を尖らせて、 ふいと視線を逸らせ。
「ひとまず、茶でも貰おうか」
先ずは落ち着いて、 今の状況をちゃんと考えたい。
「はいっ」
嬉しそうに尻尾を振り、 いそいそと準備をするその健気な後姿。
天才なのか、馬鹿なのか。 テーブルに頬杖をついて深い溜息を一つ。
「…なんで最初から、そこから始めんのだ…」
呟きに含まれる、照れたようなその響き。うきうきと手作りケーキを切り分ける狼には、 残念ながら届きませんでした。





end.




とりあえず、脈はアリと言う事で
2007.02.10







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