乱暴に私室の扉が開かれ、王天君は読んでいた本から顔を上げた。
入り口、肩で息を切らす彼に、軽く片目を細めてにやりと笑う。
「…で、 どうだったんだ」
それに、太公望はぎろりと座った目で睨みつけた。
深呼吸をして、吐き出すように出された答えは。
「さ、い、あ、く、だ」





「やってられっか、こんな事っ」
ばさりとドレスを脱ぎ捨てると、 太公望はとっとと軽装に着替える。それを拾って広げ、あーあ、と王天君は息をついた。
華やかな淡い桃色のドレスは、強引に引っ張られでもしたのか、所々が伸びたり、 解れたりして、何やら激しい格闘でもしでかしたような有様だ。しかも片足のヒールは、 何処かで脱げ落ちたのか、裸足になっている。
参ったよなあ。これ、 借り物のドレスだったのに、これじゃあ返せないじゃないか。
「てめえも、結構乗り気だったじゃねえか」
軽い遊び心も加担していたのは否めないが。 それでも、そのあまりに違和感が感じられない女装振りに、何人の男が勘違いして声をかけてくるか、 賭けまでしていたのに。
「で、結局、何人だったんだ?」
にやりと笑って尋ねると、 太公望は至極不機嫌に、指を一本立てて見せる。
「それだけかよ」
何だよ、 絶対もっと寄ってくると思ったのに。不審そうに片目を細める王天君に、 ふんっと鼻息を荒げると、どっかりと椅子に腰を下ろした。
「王子が、 最初から最期まで、べったり付きまとっておったのでな」
流石にそんな状況で、 声をかけて来るようなつわものも居らぬわい。
王天君は、口笛を鳴らす。そいつは凄い。
「願ったり、叶ったりじゃねえか」
元々、そいつがどんな奴か知りたくて、 わざわざスパイに行ったんだろ。くっくっと笑う彼に、太公望は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「おぬしなあ…」
襲われかけたのだぞ、人気の無い部屋に連れ込まれそうになったのだぞ。 しかもドレスが半脱げになって男だとバレた時にも、にっこり笑って「貴方が男性でも構いません。 僕は本気で、貴方が好きになりました」なんて蒸し暑く耳元でほざかれて、 キスまでされたのだぞ。
笑い事じゃない。必死で逃げ出した、此方の身にもなってみろ。
喉元まで出掛かったその言葉を、太公望は理性で何とか押し留める。
「とにかく。あの王子は、 最低の変態だ」
穏やかな国王の評判は聞いていたが、その一人息子の王子の事は、 あまり知られていなかった。
今後の行く末の事もあるし、きちんと信用できる相手なのか、 確認しておきたかったのだ。だからわざわざ女装までして、 身分を隠してパーティーに潜り込んだのだが―――。
「わしは絶対、あんな所に行くのは御免だっ」





「一体、あの人は、何者だったんだろう…」
残されたガラスの靴を眺めながら、 崑崙国の楊ぜん王子は、ひっそりと溜息をつく。
深い藍色の瞳と合った瞬間、 恋に落ちてしまった。名を聞いても答えはくれず、話し掛けてもつれなかったあの人…。
結局何も判らず終い。残されたのは二人で過ごした夢見るような時間と、 思いのほか強い力で殴られて残った、頬の微かな痣。そして、(逃げ)去り際に落としていった、 このガラスの片方の靴だけ。
「…恥ずかしがりな方だったからなあ」
少女のように零れる笑みは、紛れもなく素のものである。
「どうしたんだい、 楊ぜん」
執務机、ちっとも書類に筆を進ませず、傍らに置かれたガラスの靴を見やる王子に、 金霞国の国王、玉鼎は、穏やかな声をかける。
「何か、気に掛かる事でもあるのかい」
「いえ…すいません」
その声も、何処か上の空。そんな様子に、国王は苦笑した。
「そう言えば、今度の玉虚国との、会合の件だが」
ああ、と軽く楊ぜんは頷いた。
双国の同盟と条約の一環として、近い内に、血縁関係を結ぶ話が出ている。
「楊ぜんは、彼らに会うのは、これが初めてになるのかな」
「そうですね」
もしも、どちらかの国に姫君がいれば、婚姻関係を結ぶ話になっていただろうが、 生憎両国共に、王子しかいない。しかも崑崙国は、楊ぜんが嫡子の一人息子でもある為に、 玉虚国の双子の王子の一人を、養子に迎える事となったのである。
「これからの事もある、 お前とも仲良くやっていけると良いのだがな」
そう言えば、養子に来る王子の名は、 太公望、と言うのだが。
おっとりとした国王の会話を右から左へ流し、 楊ぜんは気の無い、何処か呆けたような生返事をする。
今の彼は、彼の君の事で頭が一杯で、 新しく出来る養子の兄弟なぞ、興味の範疇ではないらしい。





「もう一度、再会することが出来なら、これはもう運命ですよね」


さて。
運命の再会まで、あともう少し。





end.




やっぱり、婚姻関係になりそうです
2004.06.24







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