空にまあるい月の出る、宵も更けたそんな時刻。 突然邸にやって来た来訪者の名前を聞いて、 かぐや姫とその隠居は、顔を見合わせた。 楊ぜんと言えば確か、先日目通りした、 姫への求婚希望者の一人である。それを伝えに来た取次ぎに聞くと、どうやら矢張りと言おうか、 先日の求婚について話がしたいらしい。 「…宝を持って来たにしては、些か早すぎるのう」 はて、と首を傾げる隠居に、姫はふふんと鼻でせせ笑った。 「宝物など、 持って来れる訳無かろうが」 婚姻の条件として持参するように提示した宝は、 どれもこれも、実在しない伝説上の宝なのだぞ。 二人が都にやって来たのは、およそ半年前。 元はごく慎ましやかな生活を営む、 竹取を生業としたじじいと孫であった。しかし里に紛れ込んだ盗賊を狡い頭脳でまんまと騙し、 その盗んだお宝をかっぱらい、如何にも訳有りの没落貴族を装い、 上手い具合にちゃっかり都に邸を構えた。 まあ、余り声を大にして言えない元手である。 かぐや「姫」と性別を偽ったのは、身元がばれない様にとの判断だ。 しかし暇な都内では、 突如現れたこの二人の噂が瞬く間に広がった。 最初に殿方から受け取った文に、 適当な返歌を送ったのがきっかけだったのか。たまたま作ったそれが男心にヒットして、 尾ひれをつけた噂が広まり、今や複数の求婚者が出る始末。しかもどの殿方も、 高い身分の貴族揃いとくれば、下手にこちらも断れない。 で、先日。 求婚者達を邸に呼んで、 こちらが望んだ宝物を持参して来た人と婚姻を結ぶ…と、各々に条件を提示したのだ。 それらはどれも、物語にしか出てこないような品であり、当然この世に実在しない。これで、 婚姻騒動も治まるだろう…そう安心していた矢先の、こんな時間の訪問である。 不思議に思ったものの、とりあえず適当にあしらおうかと、じじいが対応に向かった。 えらく時間が掛かるのう。 来訪者が帰った気配が無い。どうも話が長引いているらしい。 確か楊ぜんとやらは、派手な髪を持つ、やたらと綺麗な顔をした色男だったと記憶している。 じじいの奴め、情け無い。あんな優男の一人や二人、言いくるめる事ぐらい出来ぬのか。 いっそ自分が顔を出したいが、こんな時刻に「良家の息女」が出る訳にもいかない。 私室で苛々していると。 「こんばんは」 背後から掛けられた声に、ぎょっと振り返った。 御簾を捲り上げ、こちらを伺う侵入者の姿に、かぐや姫は硬直する。何でここに人が来るのだ、 警備や女房は居なかったのか?慌てて傍にあった扇で顔を隠すが、 やんわりとした手がそれを遮ってくる。 まじまじと見つめながら。 ああ、 やっぱりとても可愛らしい方だ。御簾越しに拝見した時から、 一目で心を奪われましたが、僕に眼に狂いはなかった。 「覚えていらっしゃいますか? 先日お目通りした楊ぜんです」 涼やかな美貌には、確かに覚えがある。 「先程話がつきました。ご隠居様は、僕と貴方の婚姻を認めて下さいましたよ」 「なぬっ?」 馬鹿な。誰かと婚姻なぞ結べば、男である事がばれてしまうではないか。 「な、 何かの間違いではないのか?」 「いいえ。僕はご隠居様に、ここまで案内して頂きました」 ちゃんと了承は得ていますよ。 にじり寄る楊ぜんに、かぐや姫は慌てて後退る。冗談じゃない。 伸ばされる手を押し退けながら。 「ま、待てっ。わしは実は、 この世界の人間ではないのだっ」 苦し紛れの言い訳に、小首を傾ける楊ぜんの背後、 空に昇った望月が垣間見えた。 「じじいにも黙っておったのだが、わ、 わしは実は月に住む住人なのだっ」 本当の名前はかぐや姫で無く、ふっきと言って、 次の満月には月に帰らなければいけない。 「だから、じじいが何と言ったかは知らぬが、 わしとおぬしは夫婦になれぬのだっ」 逃げ切りながら必至で訴える。勿論口からの出任せだが、 一旦楊ぜんの攻撃は止まった。 藤色の瞳が僅かに笑みを含み、悪戯っぽく姫を覗き込む。 「実は半年程前、僕の邸が盗賊に荒らされた事がありました」 とある地方に逃げ落ちていたのを、 先月やっと一団諸共捕らえた訳ですが。 「盗賊達の話では、 里で宝を奪われたと言っていました」 白い髭の老人と、 大きな瞳の男の子に出し抜かれたと言っていましたが…ちょっと信じがたい話ですよね。 温和に見える笑顔の奥に、何やら不吉な影が垣間見える。 「貴方の今着ているその衣。 僕の邸にあった特注のものに、とっても良く似ているんです」 かぐや姫は引きつった顔で、 目の前に迫る美貌を見上げた。 「ご隠居様にその話をしたのですが、僕と貴方の婚姻を、 快く認めて下さいましたよ」 「なっ、なにいっ?」 「じじいっ、裏切りおったなーっ」 「大丈夫、僕は貴方を裏切ったりはしませんよー」 一生貴方だけを妻とします。だから、はいはい。安心して、全てを任せてくださいね。 にこにこと笑顔を絶やさず事を進める楊ぜんに、太公望の最期の絶叫が、邸内に響き渡った。 end. 最初は楊氏をかぐや姫にするつもりでした 2004.09.28 |