雪の降り積もる夜の街。
クリスマスイブである今日は、行き交う人の足取りも、 何処かステップを踏むように軽やかに見えた。新作マッチを営業中の悟空は、 それを見送りながら、溜息の混じった白い息を吐き出す。
「…腹減ったなあ」
ぐう、と腹の虫がひと鳴きする。今日は朝から何も食べていなかった。
きさまのような下等な野郎は、これを全て売り切るまで、食わせるものなど何も無い。 この、役立たずめ。そう吐き捨て、ふんっと鼻を鳴らせる上司の顔を思い出し、 へくしゅん、とひとつくしゃみをした。
そりゃまあ、要領悪いし、 ちっとも仕事の役に立たないかも知れないとは思っている。大食らいの自覚もあるから、尚更だ。 住み込みの貧乏雇われ者としては、どうも強く出る事は出来なかった。
「うー、さみい」
肩を抱いて、ぶるりと身を振るわせる。雪は小振りになったものの、 闇の帳はもうすぐそこまで来ていた。このまま益々冷え込みは強くなるだろう。
今時マッチなんて、どんな新作を開発しようが、絶対売れないってあれほど言ったのに。 でもこのまま帰っても、またきっと散々どやされるんだろうな。とは言っても、 このままじゃ、絶対凍死しちまうぞ。
「…ま、ちっとぐれえ、構わねえよな」
背を腹には変えられぬ。少し体を温めるだけだから。心の中でそう言い分けし、 悟空は売り物のマッチを籠の中から一つ取り、火をつけようと擦ろうとした。
その途端。





「何やってんだ、おめえ」
背後から掛けられる声に、悟空はぎょっと振り返った。
そこには、小柄で華奢な彼女が険を含んだ瞳で、訝しげにじいっとこちらを見詰めて立っていた。 クリスマスパーティーの準備か何かであろう、何やら大きなプレゼントを胸に抱きかかえ、 右と左の腕にはそれぞれ膨らんだ紙袋、肩にはトートバッグといった随分と大荷物である。
「こんな所で、何やろうとしてるだ」
思い切り不信感を隠さない声に、 やっと悟空は、彼女の視線が手元にあったマッチへと注がれている事に気が付いた。
「おめえ、もしかして…」
最近この近辺に、放火犯が出没しているって聞いていたけれど、 もしかして。
「ち、違うぞ。これは」
慌てて首を振って否定するが、彼女は益々目を細めて、 胡散臭そうに睨みつけた。
「あんまり寒かったから、ちっと暖まろうと思って…」
おらはほら、こう見えてもマッチを売っている販売員兼営業なんだって。
「だったら、何で、商売道具のマッチを使おうとするだよ」
益々怪しいじゃないか。
「警察、呼ぶだ」
大人しくしているだよ。そういって、警官を呼びに行こうと踵を返す。
「わっ、ちょっと待てって」
細い腕を掴んで、引き止めたその時。
二人の間で、 妙に趣のある、地鳴りのような低い音が鳴り響いた。
ぱちぱちと彼女は瞬きをする。 そしてもう一度、同じ音が今度は先程よりも余韻を持って鳴った所で、 漸くそれが悟空の腹の虫の音である事に気がついた。
「…おめえ、腹減ってんのか」
じいっと見上げる大きな瞳に、悟空は照れたように鼻の頭を掻く。
「おら、朝から、なんも食ってねえんだ」
上司に怒られちまってさ。照れ臭そうにへへ、 と笑う様子に、彼女はぷっと吹き出した。
肩を揺らしながらくすくすと笑うと。
「だったら、飯。食わしてやるだよ」
「へっ?」
「うめえもん、食いたくねえか?」





この少し先にな、おらのアパートがあるだよ。
「クリスマスパーティーでもやんのか?」
随分沢山の荷物を抱えているし、もし人数を集めたものなら、一人ぐらい増えても大丈夫とか。
「その予定だったんだ」
予定?
「おら、さっき振られちまったんだよ」
今夜は折角のクリスマスだから、恋人と一緒に過ごそうと、ずっと前から予定を立てていた。 手作りディナーを作ろうと、メニューも一生懸命考えていたし、プレゼントも買ったし、 限定ワインを予約取り取置きまでしていたのだ。
だけど、 びっくりさせようと黙っていたのが幸か不幸か。
ついさっき、内緒で恋人の家に押しかけたら、 なんとまあ、中にいるのは、程よく衣服の乱れた見た事も無い綺麗な女の人と二人きりの部屋。
そのまま、元恋人の横っ面を一発張り倒し、料理の材料やらプレゼントやらを抱えてまま、 飛び出してきたのだ。
「…いいのか?」
「ま、どうせ一人じゃ食べられねえしな」
折角下ごしらえしたチキンやらを、このまま駄目にするのは忍びない。それに。
「一人で食べるのは寂しいだろ」
ささやかな意地ではあるのだが、せめて折角準備をしたのだ、 誰かに食べてもらいたい。
「…それに。おら今、結構すっきりしてるんだ」
恋人だと思っていた相手に、裏切られたのは腹が立つけれど。でも考えてみれば、 それを予感させるものは、彼の節々から感じていた。半ば意地になって、 自分が認めたくなかっただけだったような気がする。
現にほら。腹は立っているけれど、 薄情ではあるけれど、悲しいとは思っていない自分をはっきりと自覚していた。





そっかあ。
「ま、出会いなんて、これから一杯あるしな」
元気付けるような悟空を意外そうに見上げ、彼女はにこりと笑った。あ、笑うと可愛いんだな、 と思った。
「そっだな」
考えてみれば、こんな小さなきっかけも、 新しい恋の出会いになるかも知れないし。
「そういや、名前、聞いてなかったな」
おら、 悟空。孫悟空って言うんだ。
ふうん、と彼女は軽く頷く。
「おらは、チチ」
よろしくな、悟空さ。
チチはにっこり笑うと、悟空を見上げた。





end.




強引ですが、マッチ売りの悟空さです
2003.12.25







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