しんしんと雪の舞い散る夜の街。 ぴゅう、と吹き付ける風に身震いを一つ。 太公望は悴んで真っ赤になった手に、はあっと白い息を吹きかけた。 「寒いのう」 今夜はクリスマスイブ。マッチの沢山入った籠を手に、華やかなキャンドルが灯る町の中を、 太公望はひたすらさ迷い続けた。 「ううう、何でこんな事をせねばならんのだ」 昨今、マッチなんて売れる筈が無いではないか。何度もそう言った筈なのに、 研究オタクの兄曰く、これは今までに無い画期的なマッチだから、 と妙に自信たっぷりに太鼓判を押され、こうしてマッチ売りに借り出されてしまったのである。 そんな研究しているぐらいなら、金が儲かって、もっと実のある研究をして欲しい。 だから、我が家はいつまで経っても貧乏なのだ。能天気にへらへら笑う兄の顔を思い出すと、 無性に腹が立ってきた。 「…っ、こんなのやってられっかいっ」 手にあったマッチの入った籠を、ぺしっと足下に叩きつける。 大体こーゆーのは、 わしの性には会わんのだ。もっと手堅くやるか、一攫千金を狙うか、 でなきゃもっと怠けながら生活費を稼ぐ方法を、狡い頭で考えて見せるわ。 「こうなったらいっそ、このマッチを有効利用してやるわいっ」 きょろきょろと周りを見回し、 ふと枯れた街路樹が目に入る。これなら焚き火の足しにはなるだろう。そうすりゃ、 ちっとは暖も取れるかもしれない。かわゆい弟にこんな事をさせて、文句なんぞ言わせるものか。 雪の重みで折れかけたまま引っ掛かっている枯れ枝を、手折ろうと背伸びした所で。 「…あの」 背後から掛けられる声に、太公望は振り返った。 立派な身なりをした、やたらと綺麗な顔の青年紳士が、何故か酷く切羽詰ったような、 困ったような、でも優しい瞳でこちらを覗きこんでいる。 「なんじゃ、おぬし」 言いかけ、そして自分の手にあるマッチに気が付き、慌てて首を横に振った。 「違うぞっ。 わしは別に、放火するつもりはないのだっ」 只少し、暖を取ろうと思っただけで、 やましい事はこれぽっちも考えてはいないぞ。ぶんぶんと首を振る太公望に、 彼は小さく笑って首を振った。 「いえ、そうじゃありませんよ」 言いながら、 形の良い指を伸ばし、丁寧な手つきでそっと太公望の手を取る。 その感触が全く感じられないほど冷え切った細い指先に、彼は辛そうに眉根を寄せた。 「こんなに冷えてしまって…」 寒かったんですね。そう言うと、彼は自分の手袋を外し、 太公望の手に嵌めてやる。如何にも高級そうなその皮手袋は、彼の体温を含んでいて、 冷え切った太公望の手に、じんわりと温もりを伝えてきた。そしてその上から、 大きな手が包み込むように添えられる。 寄り添うようなそれに戸惑い、 見上げると、綺麗な紫色の瞳が優しくこちらを見下ろしていた。 「その…、 これはおぬしの手袋であろう」 「差し上げますよ」 これぐらい、 大した物じゃありませんから。ああ、そんな事よりも。 「昨日も、 ここにいらっしゃっていましたね」白い吐息が掛かるほどの距離で、囁くように尋ねられる。 「あ、ああ…まあ、うむ」 確かにここ数日は、ずっとこの辺りでマッチを売っていたが。 「その…もしよろしければ、一緒にお食事でも如何ですか?」 突然の申し出に、 太公望は驚いて目を真ん丸くさせる。そんな表情に、彼は照れたように顔を赤らめた。 「…あ、あの」 変な事を言っただろうか。やっぱり、こんな事突然言ったら、 可笑しいと思われるんだろうな。そんな彼の心の動揺と動きが、ひしひしと太公望に伝わってくる。 「僕、貴方とゆっくりお話したかったんです」 声に出して、如何にも妙なその台詞に、 しまったと口を抑えた。不思議そうな目が居たたまれず、視線が泳ぐ。 「その、…ずっと貴方を見ていたんです」 この近くに僕の仕事場があって、 毎日遅い時間までこんな所でマッチを売っている貴方の姿が、 何故か心に引っ掛かってしまっていた。 「すいません、何だか気味の悪いですね」 変ですよね、僕。自分の説明に自分で気恥ずかしくなったのか、照れ臭そうにはにかんで、 赤くなった顔を俯けた。 そんな彼の仕草が妙に可愛らしくて、太公望は吹き出してしまった。 「気味が悪いっつーか、おぬし、変わった奴だのう」 くっくっと笑いを堪える太公望に、 唇を尖らせる。 「すいません」 でもそんなに可笑しいですか? 拗ねたような物言いは、 大人びた外見と違って、随分と子供っぽい。それが更に太公望の笑いを誘った。 「その…如何ですか?」 ちらりと、縋るような視線を向けられる。何だか子犬みたいだのう、 この男は。むう、と少し考える素振りを見せて。 「飯は美味いのか?」 「はい」 「酒はあるのか?」 「貴方のお好きなだけ」 にこにこしたその笑顔に、 溢れんばかりの期待が込められている。 「…しかし」 まだ名も知らぬ相手に、 果たしてあっさりついていっても良いのだろうか。勿体ぶって考え込む太公望に。 「僕の名前は、楊ぜんと言います」 これで、僕の名前は知っている事になりますよね。 綺麗な笑顔を浮かべ、彼は駄目押しのように、取っていた太公望の手の甲にキスを一つ落とす。 折りしもその瞬間、太公望の背後向こうにあった教会が、時の鐘を高らかに鳴らした。 end. 王子、怪しい人一歩手前です 2003.12.25 |