5周年&100000HIT記念


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楊ぜんは、玉鼎宅に飼われている、由緒正しき血統書付きの犬です。
とっても頭も賢くて、きちんと手入れされた長めの毛並みも綺麗で、ご近所でも大層評判でした。
今日は御主人様と、元始天尊さまの家へと行く予定です。元始様は御主人様の恩師であり、 ご近所に住んでいるので、こうして時々楊ぜんを連れて、お出かけをするのです。
元始様は、昔は動物学の権威でもあった、とっても偉い人でした。動物の扱いもとても心得た人で、 楊ぜんが一緒に来ても嫌な顔をせず、むしろ歓迎してくれます。
でも、二人が話をしている最中、 楊ぜんは何もする事がありません。暫くはご主人の足元に寝そべっていたのですが、 それも飽きてきたので、家の中を散歩する事にしました。勿論、ご主人様も元始様も、 楊ぜんを咎めません。
楊ぜんが暴れたり、悪さをしない事を二人は知っているのです。


ふと。楊ぜんは足を止めました。
あれは何だろう。ぴすぴすと鼻を鳴らし、 縁側にころりと丸まっている、小さい毛玉に歩み寄ります。
どうやら毛玉の正体は、 小さな子猫のようでした。
限りなく白に近いベージュの毛並みには、 うっすらとした縞模様が入っており、ふんわりした毛先が陽だまりにきらきらしています。
小さく上下するおなかを見ながら、楊ぜんは首を傾げました。今までこの家には、 時々色んな動物がきていましたが(神経症の猿だったり、活発なカピバラだったり、 肥満体の狐だったり)、皆ケージに入れられている場合が殆どで、こんな寛いだ様子の子猫は、 見た事がありません。楊ぜんはちょこんと腰を下ろして、ゆうるりと尻尾を動かしながら、 ころりと寝返りを打つ、子猫の無防備なおなかを見下ろしました。
へくちゅ。
子猫が、小さくくしゃみをしました。同時に、瞳がぱちりと開きます。
深みのある紺碧色の瞳がぱちぱちと瞬き、やがてくるりと動いて楊ぜんを映します。


見詰め合うこと、数秒。


目が覚めたら、自分よりもずっと大きな犬が傍にいたのです。驚かせてしまったかな。 楊ぜんがそう思ったのも束の間。
子猫は小さくあくびをすると、何処か爺むさい動きで、 楊ぜんに近寄ります。そうして、ふさふさと触り心地の良い尻尾に身を寄せてもそもそと潜り込むと、 そのまますやすやと眠ってしまいました。


それが、楊ぜんと師叔の最初の出会いでした。










その日も玉鼎御主人様は、楊ぜんを連れて、恩師である元始様の家に行きました。
本当は、特に用事がある訳ではありません。でも、最近元始様の所にやってくる野良の子猫を、 楊ぜんが気に入っている事を知っているのです。
楊ぜんが今まで、 他の誰かに興味を持った事はありません。だから玉鼎御主人は、そんな楊ぜんを、 とても喜ばしく思っているのです。


二人がお話をしている間、楊ぜんは家の南側にある縁側へと向かいます。そこにはやっぱり、 今日も小さな毛玉になって寝転がる、丸まった師叔の姿が有りました。
師叔は、 日当たりの良い元始様の家の縁側が気に入ったらしく、こうしてちょくちょく足を運んでいるのです。 元始天尊様も師叔を可愛く思っていて、顔を出した時は追い出したりせず、 ミルクや餌をくれるので、最近は当たり前の様に此処にいることが多くなりました。


楊ぜんが尻尾を振りながら縁側にやってくると、師叔はぴくりと耳を動かしました。
しかし小さな体はそれ以上動こうとはせず、近寄ってくる気配にも無視を決め込んで、 ぽかぽかした陽だまりにじっと目を閉じています。
でも楊ぜんは、そんな事は気にしません。 小さな体に、嬉しそうに鼻を摺り寄せてきます。それに師叔は素っ気無く寝返りますが、 更に鼻先を擦りつけてきます。
暫くはしかめっ面でされるがままにしていましたが、 流石に何時までも纏わり付いてくる楊ぜんが、煩くなってきたのでしょう。もそりと体を起こすと、 少し離れた場所に移動して、再び身を丸くして寝転がりました。
勿論、楊ぜんも付いて行きます。 そして今度は師叔の隣に身を寄せて、大きな体を添わせる様に寝そべります。
楊ぜんの毛並みはやや長いのですが、いつも玉鼎ご主人様に丁寧に手入れをされているので、 綺麗で、さらさらとして、とっても手触りが良いのです。
だからでしょうか。
漸くお昼寝に入った師叔は、何時の間にか自分から楊ぜんの毛並みに身を寄せて、 気持ち良さそうに眠っているのでした。









元始天尊様の家。今日も楊ぜんは、飼い主の玉鼎さんに連れられて、この家にやって来ました。
暖かいし、風もないし、とってもいい天気です。だからきっと、いつもの場所には、 小さく丸まった師叔がいるに違いありません。
尻尾を振りながら、 楊ぜんはいそいそと縁側へと向かいました。


でも今日は、縁側に師叔の姿は見当たりません。
楊ぜんは鼻を鳴らせて辺りを見回し、 うろうろと探し回ったのですが、やっぱり師叔はいませんでした。
もしかすると、 今日は来るのが遅いだけなのかも知れません。ここで暫く待っていよう。そう思って、 楊ぜんは一人で縁側で寝そべろうとしました。
その時、向こうから、 みゃあと声が上がりました。
びっくりして立ち上がり、楊ぜんは声の方へと目を向けます。 すると、縁側に面した庭にある松の木、大きな枝の上に師叔がいるではありませんか。
慌てて下までやって来て、心配そうに見上げる楊ぜんに、師叔はみゃあみゃあと鳴きます。
どうやら、いつもお昼寝の邪魔をする楊ぜんを避ける為に、木の枝に登ったのは良いけれど。 今度は、そのまま降りることが出来なくなってしまった模様です。


樹の上でか細く鳴き声を上げる師叔に、楊ぜんはどうして良いか解らず、ぐるぐるとその場で回り、 足を止めては樹の上を見上げます。師叔を助けたいのは山々なのですが、 四本足で体の大きな楊ぜんは樹に昇れません。
何とか樹の幹に前足を掛けて伸び上がり、 師叔に近付き、わんと一声鳴きました。
師叔はその意を理解して、暫く逡巡した後、 そろそろと枝の上を移動します。そして、そのまま一気に楊ぜんの背中に駆け下りました。
小さな体は、とんとんと楊ぜんの背中を梯子にすると、何とか地上に降りることが出来ました。
でも、留まらない勢いのままに、地に足がついた途端、 小さな体はころころころと転がってしまったのです。


楊ぜんは慌てて転がった毛玉に走りより、きゅうと目を回して仰向けに転んだ師叔を、 鼻先で起こしてやります。土ぼこりや草が一杯ついたぽやぽやの毛並みを整えてやると、 ぶるんと師叔は頭を振るいました。
そして。心配そうに覗き込む楊ぜんを一度見遣ると、 師叔はそのまま、一目散に逃げ出してしまいました。







今日はとっても朝から冷え込んでいます。楊ぜんは白い息を吐きながら、玉鼎主人と一緒に、 原始様の家にやって来ました。
空は重たく、どんよりと曇っています。 これじゃあ流石の師叔も、縁側で日向ぼっこが出来ないんじゃないかと、楊ぜんは心配します。


ところが、そんな心配は杞憂でした。
今日の師叔は障子のこちら側、 いつもの縁側に隣接していた和室の内側にいたのです。きっと原始様が、 寒がりの師叔に配慮をしてくれたのでしょう。引き戸は猫が通れるだけの隙間が開かれていて、 和室の中央には、電源の入れられた炬燵まで用意されていました。
そのほこほこした炬燵布団の隅っこ。ちょこんと顔だけ出して、師叔は心地良さそうに目を閉じ、 ちゃっかりとぬくぬく暖まっています。
師叔が大好きな楊ぜんは、 尻尾を振りながら近寄ってくると、嬉しそうに鼻先を擦りつけてきます。 師叔はしかめっ面でそれを受けていましたが、やがてもそもそと身じろぎをすると、 炬燵の中にすっぽり入り込んでしまいました。
姿が見えなくなり、 楊ぜんは寂しそうに鼻を鳴らします。そして、さっきまで師叔のいた場所を、 首を傾げて伺っていました。
やがて、布団の奥から小さな声が聞こえてきます。 それに、楊ぜんは鼻先を炬燵布団に潜り込ませました。
オレンジ色のランプが灯った炬燵の中、 師叔は気持ち良さそうに丸まっています。楊ぜんは尻尾を振りながら、頭を潜り込ませました。 でも、如何せん体が大きくて、上手く炬燵の中に入り込めません。一生懸命もがくのですが、 なかなか師叔の傍まで行けないのです。楊ぜんは悲しくなって、くんくんと鼻を鳴らせて、 尻尾を垂らしました。
その寂しそうな様子に、炬燵の一番奥に丸まっていた師叔は、 のそのそと身を起こし、そっと注意深く楊ぜんに近付きます。師叔が近付くと、 それだけで楊ぜんは嬉しくなって、炬燵布団の外に出ている尻尾をぱたぱた目一杯振ります。 師叔から近付いてきてくれたのがとっても嬉しくて、楊ぜんは思わず、わん、 と大きな声を出してしまいました。
猫の師叔は、大きな犬の声がとっても苦手です。 なので楊ぜんのその声に、びっくりして飛び跳ねてしまいました。
そしてぱたぱたと取り乱し、 炬燵から飛び出ると、お尻だけ出した楊ぜんを残して、何処かへと走って逃げてしまいました。










今日は、玉鼎主人に連れられて、楊ぜんは学校に来ていました。
楊ぜんは月に一回、 犬の学校に来て勉強するのが習慣になっています。玉鼎主人はとても真面目な人なので、 月に一度のこの訓練を欠かすことはありません。
ここはとても有名な学校らしく、 とっても優秀な犬とか、コンテストで一等賞を取ったりとか、非常に珍しい犬種とか、 そんな犬達が沢山来ていました。そんな中でも楊ぜんは、他の犬達に全然引けを取りません。 凄く綺麗だし、賢いし、動作も機敏で、運動もできるので、寧ろ皆の注目の的なのです。
楊ぜんは、皆の視線にはもう慣れっこです。
なので、そ知らぬ様子でつんと前を見て、 玉鼎主人と学校の先生の言いつけをきちんと守り、今日もとっても優秀な成績で、 速やかに訓練を終えました。


そんな学校なので、楊ぜんにお見合いのお話を持ってくる人も沢山います。玉鼎ご主人も、 良い話があるのなら…とは思っているのですが、当の楊ぜんがちっとも興味を示しません。
ご主人様と顔馴染の竜吉さんが、立ち話をしている間だってそうです。竜吉さんは、 二匹の双子の女の子の犬を飼っていますが、その内の一匹がそわそわして、 楊ぜんの事をとても気にかけています。
だけど、当の楊ぜんは、全く眼中にありません。 きちんと姿勢を正して座ったまま、あちらの方向をずっと見つめていました。
楊ぜんが見つめているのは、学校の出口の方角。つまり楊ぜんは、早く学校を出て、 原始さまの家に行きたいのです。
そんな楊ぜんの様子に気が付いたご主人様は、 困った顔で苦笑すると、世間話を適当に切り上げて、楊ぜんを連れて早々に学校を出ました。


原始様の家に着くと楊ぜんは、家主様へのご挨拶もそこそこに、 目的の場所へと小走りに向かいます。そのはしゃぎっぷりは、 学校での訓練中のとってもお行儀の良かった様子からは、まるで別の犬のよう。
そして縁側に隣接した、和室の炬燵布団の端。そこにちょこんとはみ出した、 ぽやぽやした毛並みの尻尾を見つけると、一目散に駆け寄ります。
そのまま勢い良く炬燵布団に鼻先を潜り込ませると、楊ぜんは目一杯、師叔にじゃれつくのでした。










朝、玄関を出て。
楊ぜんはご主人様に促されるまま、大人しく車に乗り込みます。 でも本当は、とってもがっかりしていました。
だって、原始様の家はとても近いので、 いつもお散歩がてらに歩いて行きます。だから車に乗るという事はつまり、 今日は原始様の家には行かないという事なのです。
だけど、一旦車が停車して。 後部座席の扉が開いた時、楊ぜんはぴんと耳を立てました。
楊ぜんの隣にケージを置いたのは、 見慣れた原始様です。にゃあと耳に覚えのある声に中を覗くと、ぽやぽやした毛並みの師叔が、 ちょこんと座っていました。
どうやら今日は、師叔と一緒に車でのお出かけのようです。


連れて来られたのは、楊ぜんにも馴染みのある、近所の動物病院でした。
それを師叔が理解したのは、診察台の上に乗せられてから。きらりと光る、 予防接種の注射針を目の当たりにした時です。
それが何であるかを悟ったが早いか、 師叔はぽんぽんに毛を逆立てて、滅茶苦茶に暴れて抵抗し、診察室内を逃げ回りました。
とは言え、これは師叔の為でもあります。大学で動物学の権威であった原始さまの家には、 時々色んな動物が連れて来られます。野良猫とは言え、最近良く出入りする師叔に、 妙な病気が伝染っては大変です。でもそんな気遣いも、当然ながら師叔には伝わりません。
結局。散々逃げ回って疲れきった所、御主人に命ぜられた楊ぜんが、あっさりと捕獲。
必死で抵抗するものの、首根っこを咥えてられては、どうする事もできません。項垂れながらも、 へろへろの猫パンチを繰り出してますが、きちんと訓練された楊ぜんには届きません。
診察台に押さえつけられ、皆に見守られる中、漸く診察は終了しました。


原始さまの家に帰って。
むっつりと不機嫌を顕わにしたまま、師叔は頑なに丸くなり、 部屋の隅っこから動こうとしません。
病院から帰ってからずっとこの調子です。 宥めるように楊ぜんが毛並みを舐めてやるのですが、余程注射が嫌だったのでしょう、 ちっとも楊ぜんの方を向いてくれません。
楊ぜんは悲しそうにぴすぴす鼻を鳴らせ、 健気な仕草でそっと体を寄せます。そして、まるで守るようにぴたりと身を添わせて横になり、 諦めた師叔がこちらを向いてくれるまで、ずっと楊ぜんは傍を離れようとしませんでした。










落ちてきそうにどんよりとした空。朝から雲行きが怪しかったのですが、どうやら先ほどから、 しとしとと雨が降り始めてきた模様です。
お出かけの予定のない楊ぜんは、 暖房の効いたリビングの窓際で寝そべっていました。
そして時折首を掲げ、何処か気忙しげに、 窓の外を眺めるのでした。


元始さまは御用の為、今は家を留守にしています。なので、楊ぜんも原始さまの家には、 ここ数日行っていません。
原始さまはいつも顔を見せる師叔の為に、猫用の小さな扉もつけて、 キャットフードも置いています。玉鼎さんも気にして、楊ぜんの散歩途中に覗いているのですが、 師叔がやって来た様子は見当たりませんでした。
元々、師叔は野良猫です。原始さまが不在でも、 ちゃんと一人で生活しているのかも知れません。だけど、楊ぜんはとても心配していました。
雨はいつの間にか、冷たい霙に変わっています。きっとこの空の下、 師叔は寒い思いをしているに違いありません。
そう思うと、 楊ぜんはとっても切ない気持ちになるのです。


窓の外の気配に、楊ぜんは立ち上がり、わんとひと鳴きしてご主人様に訴えます。
見ると、 窓のすぐ外。霙に濡れて毛並みをびっしょりさせた師叔が、寒さでふるふると小刻みに体を震わせ、 ちょこんと座ってこちらを見ているではありませんか。
気がついた玉鼎さんが、窓を開けて、 師叔を家の中へと招き入れます。そして、すっかり濡れてしまった体をタオルで綺麗に拭いてあげ、 冷え切った体を温める為に、毛布に包んで暖房機の傍に寝かせてやりました。
でも、 師叔は落ち着きが無く、そわそわと周りを見ています。そして、するりと毛布から抜け出て、 心配そうにこちらを見ている楊ぜんへと近付きました。
近付いたり、離れたり、見上げたり、 うろうろしたり。
微妙な間合いを見計らうその様子に、楊ぜんは得たりと、 暖房機の前に寝そべります。そして師叔を振り返ると、 誘うようにぱたりと毛先の長い尻尾を揺らしました。
師叔はそっと楊ぜんに近付くと、 もそもそとその尻尾を掻い潜り、収まり良い場所に入り込みます。 そしてふさふさした毛並みから顔だけひょっこり出して、目を閉じて落ち着きました。
どうやら師叔にとって、暖房の前よりも、毛布の中よりも、ここが一番暖まるようです。
満足そうに目を閉じる師叔の毛並みに、楊ぜんは嬉しそうに愛しそうに、鼻先を擦りつけるのでした。






犬王子と猫師叔は、ある意味基本系かと

2007.01.04



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