Be My Preciocs Baby
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「菊ちゃん、起きてる?」
襖の向こうからの声に、携帯ゲーム機から顔を上げ、はいと返事をした。 開いた襖の向かう側から、エプロン姿のフランシスがにこりと笑って顔を見せる。
「お兄さん特製のリゾットが出来たけど、食べれるかな」





「凄い。とっても美味しいですっ」
レストランで出されるみたいな、本格的なお味です。 フランシスさんは料理が得意だってお伺いしてましたけど、本当にすごく美味しいです。
暖かいスープリゾットをほくほく頬張る菊に、でしょ?と得意げに笑う。
「菊ちゃんに褒めてもらえると、嬉しいなあ」
おかわりもいっぱいあるから、遠慮しないで食べてね。はい。 良い返事に、フランシスは満足そうにうんうんと頷く。
「顔色も悪くないし、食欲もあるみたいだね。ほっとしたよ」
「ギル兄さん、ちょっと大袈裟すぎるんですよ」
最初から、別に体調を崩していた訳じゃない。 熱もないのに学校を休まされて、無理矢理寝かされていたので、退屈していたぐらいだ。
「うるせえ。青い顔して貧血起こしたのは、何処のどいつだよ」
横で同じくフランシスのリゾットを食べていたギルベルトが、じろりと睨みつける。
「あ、あれは、だって…」
「ああ、もう。今は食事中でしょ」
嫌な事思い出させないの。 それより今は、お兄さんの手料理を堪能してよ。ね?
菊はこくりと頷いて座り直し、ギルベルトはちっと舌打ちをして食事を再開した。
暖かいリゾットはほっとする。誰かの手料理は、心にもとても優しい。 出されたものを綺麗に平らげると、御馳走様でした、と菊は両手を合わせて頭を下げた。
「ありがとうございました、フランシスさん」
とってもとっても美味しかったです。 今度、レシピを教えて下さい。
「うん、全部食べてくれたね」
客間の炬燵の上、空になった皿を下げていると、玄関チャイムが鳴った。 ギルベルトがモニターを確認する。アントーニョだ。
客間に入って来たアントーニョは、パジャマにカーディガン姿で炬燵にちょこんと座る菊に、 ぱあ、と太陽のような笑顔を向ける。
「菊ちゃん、大丈夫やったー?」
もう、親分、ほんまに心配してんで。
膝をつくと、心底心配そうに顔を覗き込んでくる。近い近い。思わず仰け反る菊に。
「こら、てめえ」
ぐい、とギルベルトに首根っこを掴まれ、引き離され、尻餅をつく。 もー、邪魔すんなや。むすっとしかめっ面をするアントーニョに、ギルベルトはむっつりとした顔で。
「で、どうだった」
「ん?ああ、頼んできたで」
成り行きを話したら、気ぃ良く引き受けてくれたわ。
「で、あとこれな」
ぱさりとテーブルに置いたのは、大きな茶封筒。中には、プリントアウトした画像が入っている。
菊の家に設置されている玄関モニターは、インターホンを押すと、屋内のモニターに来訪者の映像が映し出される。 不在の際にはその動画を記録するのだが、防犯用として、 一定の距離以上家に近づく不審者の動画を、自動的に記録させる機能も備わっていた。 普段はオフにしていたそれを、ギルベルトがセットしておいたらしい。
モニターの記録には、家の前を通る人の姿が何名かと、郵便配達人が記録されていた。 そしてその中に、気になる人物も残っていた。
「俺んトコの研究室のパソコンな、かなり綺麗に画像修復できんねん」
ほら、海洋生物学部だけに、水中写真の撮影が多いやろ。 水中ではどうしても画像が乱れるから、それをクリアに画像処理せなあかんねん。
アントーニョが持って来たのは、そのモニターに記録されていた画像を、研究室のパソコンで修正したものである。
「菊、こいつに見覚えあるか」
「見たないやろけど、ちょっとだけ見たってくれへん?」
ギルベルトに差し出され、その写真を受け取った。 成程、モニター越しではやや乱雑だったそれが、かなり見やすくなっている。
印刷されたのは、玄関先、丁度郵便受けの置いてある辺りへと手の伸ばす姿。 恐らく男性であろう。中肉中背の、特徴の薄い、ブルゾン姿の上半身。 しかし、俯いた姿勢と目深に被った帽子が邪魔をして、肝心の顔立ちまではきちんと確認できない。
「…多分、クラスの男子では無いと思います」
教室で物が無くなる事が多かったので、考えたくはなかったが、同じクラスの誰かの可能も念頭にあった。 だが写真を見ると、少なくともクラスメート、それから同級生でも無さそうである。
「違う学年とか?」
「かも知れません…何処かで見た事がある気もするんですが…」
でも、自信ないです。うーん、と眉を潜めて考える。
しかめっ面のままでこめかみを押さえる様子に。
「菊ちゃん、無理せんでええで」
こんな胸糞悪い奴の顔なんか、無理して見る必要ないわ。 ひょい、と菊の手からそれを取り、怒ったような顔でアントーニョが言う。
「怖かったやろ、嫌な思いしたもんな」
ぎゅっと両手で手を握り、真剣な瞳が正面から覗いて来る。 いつもは明るい緑色の瞳が、酷く辛そうに歪められていた。
「俺、菊ちゃんみたいな子がそんな顔してんの、みたないわ」
可愛い子は、いっつもにこにこ笑ってなあかんねん。それが皆の為、そんで世の中の為にもなるんやで。
「トーニョの言うとおりだよ」
お兄さんだって、菊ちゃんが辛い顔しているのって見たくないよ。 台所でコーヒーの用意をしていたフランシスが、頷きながらカップを並べる。
「菊ちゃんがそんな顔するくらいやったら、親分なんだってしたるからな」
だから菊ちゃんは、俺に何でも言ってくれたらええねんで。 可愛い女の子を守るのは、男として当然の義務やからな。
「そうそう。俺達を頼ったら良いんだよ、菊ちゃん」
男ってね、女性に頼りにされて嬉しくない奴なんかいないんだ。それが大好きな人なら、尚更。 遠慮なんかされちゃ、自分がそんなに頼りない男だったのかって、逆にショック受けちゃうな。
二人の優しい笑顔と言葉が、ストレートに胸に沁み込む。思わずうるっと視界が歪んだ。
「…ありがとうございます」
堪らず強く唇を噛締めると、ああもう、とギルベルトが声を上げる。
「ぶっさいくな顔して泣くな、馬鹿」
こつんと後ろから後頭部を突かれ、俯く。 振り返ると、呆れたような、小馬鹿にしたような、それでも労わるように見下ろしてくる兄がいる。 ぐっと菊は、零れそうになった涙を抑え込む事が出来た。
「泣いてないです」
もう、ギルベルト兄さんのいじめっ子。なにすんねん、馬鹿はお前やろ。 だからなんでお前は、女性に対してそんな言い方するの、もー。菊ちゃんはどんな顔でも可愛いねん、なあ? あー、うっせーうっせー。菊ちゃん、馬鹿を相手にしちゃ駄目だよ。 そや、親分がおまじないしてあげよっか。
和やかとも言えるやりとりは、ピンポン、と軽やかな玄関チャイムに中断された。
顔を上げる誰よりも早く、ギルベルトが立ち上がると、玄関モニターのボタンを押して応対する。
「郵便だとよ」
一言だけ言い残すと、判子を片手に、さっさと玄関へと向かう。
間もなく戻って来たギルベルトは、片手で掴める程度の、小さな小包を手に持っていた。 やや硬い顔で、炬燵に入る菊を見遣り。
「お前、何か荷物が来る予定ってあったか」
その問いかけに、しん、と一瞬室内が静かになる。
緊張した顔のまま、菊はふるふると首を振った。 郵便の予定があったのは、昨日到着した同人誌ぐらいだ。懸賞にだって申し込んでいない。
ふん、とギルベルトは軽く頷く。分かった。
「お前は見るな。俺が処理しておく」
ぎくりと強張った菊の表情に、フランシスはそうそう、とわざと明るい声を上げた。
「ねえ、菊ちゃん。デザートもあるんだよ」
一緒に作っておいたんだ、クレームブリュレ。 食べてくれる?お兄さんが愛情たっぷり込めて作ったから、すっごく美味しいよ。
俯く小さな頭を優しく撫でて、フランシスは軽くウインクをした。











自室のベットの上で仰向けに寝転がりながら、菊は携帯ゲーム機器を器用に操作する。 ゲームの一面をクリアしたところで、ちらりと横へと視線を向けた。
その先には、銀の髪の後頭部。 持ち込んだノートパソコンを座卓の上に乗せ、ベットを背凭れ代わりにして、そこに兄が座っている。
こちらの視線に気が付き、眼鏡越しに向けられる赤い瞳。 普段は裸眼だが、勉強や研究に携わる時にだけ、兄はこうして眼鏡をかけていた。
「もう寝るか?」
ゲームを止めたので、眠たくなったと思ったようだ。 枕元に置いている目覚まし時計を見ると、もう良い時間である。 特別眠たい訳ではないが、明日は学校へ行く。確かにそろそろ、寝た方が良いのかもしれない。
頷くと、ギルベルトはノートパソコンの電源を落とし、ぱくんと閉じた。 いつもは自室にいるのに、今日はこうして菊の部屋に入り込んでいる。 黙って傍にいてくれる兄なりの配慮が、素直に嬉しかった。
「明日は、フランシスさんとアントーニョさんに会いますか?」
「多分な」
「お礼、言っておいて下さい。ありがとうございましたって」
今日は本当に嬉しかったです、お二人のお陰で菊は頑張れますって。
しみじみとした声で託す菊に、ギルベルトは小さく息をつく。
「…お前はさ、子供の頃から、ずっと一人で頑張って来たんだろ」
母親が亡くなり、父親は出張が多くて殆ど不在で。 仕事で大変な父親の邪魔をしたくないからって、寂しくても、甘えたくても、我慢していたんだろ。
「お前を守りたい奴がいるんだ、こんな時ぐらい素直に甘えておけ」
それは、決して悪い事じゃない。 寄りかかったなら、寄りかかった分だけ、必要とされた時に今度は自分が支えれば良いのだから。
「皆、お前を大切に思っているんだ」
だからこそ、こうしてフランシスも様子を見に来るし、アントーニョも協力してくれる。 言っとくがな、これは俺が言ったんじゃねえぞ。あいつらが自分からやるって言ったんだぞ。
「だからお前は、皆が大切にしている自分を大切にしろ」
あいつらに応えたいというのなら、何よりもそれが一番なのだ。
菊はこくりと頷いた。
「…私、お兄さんができて、すごく良かったなって思います」
寝転んだ菊と、見下ろすギルベルトの視線が合う。
もしも父の再婚話が無くて、自分に兄妹が出来なくて、ギルベルトがこうしてこちらの大学に来なければ。 きっと自分はこの家でたった一人、どうしていいか判らず震える事しか出来なかっただろう。 そんな状況を想像して、ぞっとする。
「ギルベルト兄さんが一緒にいてくれて、本当に良かったです」
すぐ傍に、こうして頼れて、甘えることが許されて、それらをそのまま受け止めてくれる存在がいる。 それは、なんと心強いのだろう。
にかりとギルベルトは笑うと、菊の頭をくしゃりと撫でる。 そして肩まで掛け布団を引きあげると、ぽんぽんとその上から、宥めるように軽く叩いた。
ノートパソコンを小脇に立ち上がると、扉の前で振り返る。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
良い夢を。
ぱちんと、電気が消える。襖が閉まる音を聞いて、菊は目を閉じた。








眼鏡設定は割と初期から考えておりました
フランスではリゾットってピラフを指すのかな
2010.11.12







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