Be My Fruity Baby
<12/25>





ターミナルとなっている大きなこの駅には、改札フロアの一角に、 ドラッグストアや書店、カフェやショップが集まったショッピングゾーンが設けられている。 その中、週替わりのイベントが開催されるこの催事スペースでは、クリスマスの重なった今週、 人気スイーツの特設販売がされていた。
菊が立つのはその一角。 硝子のショーケースと小さなワゴンを並べた、とある有名ショップのクリスマスケーキ販売の出張所だ。
エンドレスで流れる店内のクリスマスソング同様、来客は途切れる様子を見せない。 菊はずり落ちそうになるサンタ帽子を時折押さえながら、ショーケースの前で笑顔で対応をする。
いらっしゃいませ。お待たせしました。こちらでよろしいですか。ありがとうございました。
同じセリフの繰り返しに、時々どもりそうになりながら、それでも徐々に要領を飲み込んでくる。 場所だけに寒いのは仕方ないけれど、ある意味クリスマス気分は存分に味わえているし、 大好きなケーキに囲まれているし、これはこれで結構楽しいかも知れない。
足元に置かれた電気ストーブの調子を確認しようと視線を落とした時、前にやってきた気配に、 反射的に菊は笑顔で顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
その営業スマイルが、ほわりと柔らかくなったのは。
「うひゃー、外がむっちゃ冷えてったわー」
ここはまだ、あったかいなあ。今夜は雪が振りそうやで。
「トーニョさん」
台車を押してやって来たアントーニョが、にかりと人懐っこく笑った。











アルバイトの話を持ち掛けられたのは、数日前の事だった。
アントーニョはクリスマス戦線を踏まえたこの時期、 フルーツショップが同時展開しているケーキショップでアルバイトをしていた。 同じ大学の友人と共に働いていたのだが、その友人が突然クリスマスに急用ができてしまったらしい。
「難しい仕事やないねん」
時給も良いし、この日一日だけやし。 どうかなあ、もし良かったらやけど、頼まれてくれへんかなあ。
両手を合わせるアントーニョに、断る理由の無い菊は、二つ返事で笑って頷いた。
菊の通う学校は、特にアルバイトの禁止はされてはいない。 菊自身、長期休暇に合わせて、短期間のアルバイトをした事もある。
丁度その日は終業式で、午前中で学校は終わる。その後でも良ければ…と断りを告げて、了承した。











菊の仕事は、この特設出張所でのケーキ販売だ。
ここで販売するケーキはクリスマスに合わせて種類も極僅かで、あれこれ覚える事も少ない。 基本的に、お金を貰い、お釣りを渡し、ケーキに保冷剤を入れて、紙袋に手渡す…その作業の繰り返しである。 難しい事を聞かれる訳でもなく、最初に説明された通り、特に難しい仕事ではなかった。
アントーニョの仕事は、そんな出張所やその他の発注場所への配達である。 限られたスペースしかない特設場所に、予備のケーキを置けるような余裕は無い。 大型の冷蔵庫がある訳でもなく、故に日に数回に分けて、 こうしてケーキを配達して回らなくてはいけないのだ。
台車で運んで来たケーキの入ったプラスティックの番重を、菊の背後に降ろし、積み上げる。 菊ちゃん、この受け取り票にサインしたって。 差し出されたクリップボードの伝票に、言われるままに菊はボールペンでサインをした。
「次は夕方にまた来るから」
足らへんもんあったら、その時に持ってくんで。何かある? あ、じゃあ、大きい紙袋をお願いします。あと、保冷剤もちょっと心配です。おっしゃ、了解。
頷きながら持っていたクリップボードにメモ書きをしようとするのだが、かじかんだ指先が言う事を利かないらしい。 そんな様子に、菊が手を伸ばし、アントーニョに代わってペンで記載した。
「本当に寒そうですね」
お鼻が真っ赤ですよ。 駅構内の一角だとは言え、足元に電気ストーブは置いてくれているし、僅かながらも暖房が効いている。 外回りのアントーニョに比べると、ここはまだ寒さはマシなのだろう。
「動いているから、体はそうでもないねんけどな」
でも足とか手とか、末端は凍ってるみたいやわ。 日本って、夏はむっちゃあっついのに、冬はえらい寒くなるもんなあ。親分、びっくりやで。
「トーニョさん、これ」
ジーンズの右のポケットの中から、菊はカイロを取り出して、アントーニョの手に乗せる。 かじかんで上手く動かない指先に、ぎゅっと包み込むように、握りしめさせた。
「うわ、あったかー」
こっちの手が冷た過ぎて、何や熱い位や。
「あげますから、持ってて下さい」
「ええの?」
そんなん、菊ちゃんが寒いやろ。 首を傾げるアントーニョに、ジーンズの左のポケットとお尻のポケットにそれぞれあと三つ、 ついでに背中に貼るカイロもつけていますから、と笑う。 アルバイトの説明を聞いた時、これは絶対寒いだろうなと予測して、防寒対策は万端にしておいたのだ。
しっかりしてんな、流石菊ちゃんや。へらりと笑いながら。
「でも、こうして菊ちゃんが握ってくれていた方が、親分はカイロよりもずーっと暖かいねんけどなあ」
さらりとしたそんな台詞に、思わず菊は胸をキュンとさせる。流石はラテン人。 今のときめくメモリアルな台詞、是非とも次の新刊に使わせて頂きます。
そんな決意に心の中で拳を握ると、横から来店客の声が掛かった。 はい、すいません。いらっしゃいませ。手を離すと、慌ててそちらへの対応に向かう。
ショーケース越しに示された商品の代金を受け取り、ケーキ箱を手提げの紙袋に入れる。 感じる視線にちらりと菊が隣を見ると、アントーニョは何やら満足したようにこちらを見下ろしていた。
また後で。
密やかな唇の動きでそう告げると、軽く片手を上げ、アントーニョは台車を押して、次の配達へと向かった。

















「あー、疲れましたーっ」
でも、何だか楽しかったです。
星の瞬く寒空の下、駅から家までの道程を、菊とアントーニョは並んで歩く。
「ほんまにごめんな」
折角のクリスマスやのに。でも、菊ちゃんの御蔭でえらい助かったわ。
「良いんですよ、どうせ一人寂しいクリスマスですから」
今は日本にいる両親は、仕事で何時に帰ってくるか判らない。 ギルベルトは学会で発表する教授に付き添ってアメリカに行っており、日本に帰るのは年末ぎりぎりの予定だ。 しかも一緒に過ごしたい心の恋人達は、哀しいかな、二次元の世界に引き篭もったまま出て来てくれない。
「そう言えば、日本のクリスマスって、恋人と一緒に過ごす日なんやな」
配達してても、何処も彼処もカップルばっかりやったで。俺ん所の国では、家族と過ごす日なんやけどなー。 白い息を履いて空を見上げるアントーニョに。
「いえ、多分それが本来の姿なんですよ」
日本のクリスマスは、ちょっと違うんです。恐縮した様に俯く小さな旋毛を見下ろし、ふうんと軽く頷いて。
「でも、俺と菊ちゃんって、一緒にクリスマスを過ごしたみたいなもんやんなあ」
ずっと一緒ではなかったけれど。それでも同じお店で一緒に働いたし、 配達の度に何度も顔を合わせたし、休憩時間は一緒に過ごしたし。それに今も、こうして一緒にいるやんか。
聞きようによっては含みのある問題発言だが、菊はあははと快活に声を上げた。
「そうなるんでしょうか」
「うん、そうやねん」
へらっと笑うアントーニョに、じゃあきっとそうなんでしょうね、くすくす笑いながら同意する。
菊の家が見えてきた。窓から電気の灯りが零れている。どうやら、父と義母がもう帰宅しているらしい。
古い玄関の前で向かい合って。
「今日はほんまにありがとうな、菊ちゃん」
はい、これな。手に持っていたケーキ箱を手渡す。お店で販売していたケーキだ。本日の特別ボーナスである。
「とんでもないです、トーニョさん」
寧ろ、声を掛けて下さって、嬉しかったです。 それに、わざわざ家まで送っていただいて、ありがとうございました。
深々と頭を下げ菊に、アントーニョは首を傾ける。 ええんよ、俺が菊ちゃんと一緒にいたかたんやから。それに今日は、ほんまに助かってんから。
「ギルベルト兄さんはいませんけど、お茶でも…」
「あー、今日はやめとくわ」
アントーニョは、首を横に振る。ギルもおらへんし、すっごいチャンスやねんけどな。
「俺、明日の朝一で空港に行かなあかんねん」
ちょっと遅いけど、クリスマス休暇でスペインに帰るんよ。 これから家に帰って、急いで帰国の準備せなあかんから。
「そうだったんですか…」
「年明けには帰ってくるから、また会たってな」
見下ろしてくる太陽のような笑顔に、じゃあその前にお逢い出来て良かったです、菊は持っていた鞄を探った。
「これ、トーニョさんにお渡ししたかったんです」
今日は丁度クリスマスだし、クリスマスプレゼントですね。本当はお歳暮というか、お礼なんですけど。
差し出してきたのは、手の平に乗るサイズの小さな箱。白いパッケージに真っ赤なリボンが施してある。
「えっ、何?これ」
開けて良いん?くるりと目を丸くするアントーニョに、にこにこと菊は頷いた。
パッケージを開くと、中から出て来たのは、見覚えのある果物のロゴマークのついたプラスチックケース。 ぱかりとそれを開いて取りだしたのは。
「あれ、これ…」
テレビCMでも良く見かける、人気の携帯音楽プレイヤーであった。 光沢のあるボディは、鮮やかなグリーンである。
「実はね、色違いでお揃いなんです。これ」
「もしかして、菊ちゃんと?」
頷く菊に、ほわあと笑み崩れたが。
「後ね、フランシスさんと、ギル兄さんも」
ついでに、義理の弟にも買っちゃいました。皆で色違いのお揃いなんです。
ちょっと固まる笑顔に気付く事無く、ほらこっち…と、くるりと裏側を示した。
「ネット注文で、メッセージ刻印サービスがあるんですよ」
ボディの裏側に刻まれているのは、「あんとーにょ」という日本のひらがな文字。 外国では漢字が人気だと聞いて、当て字にしようか悩んだのですが、なかなか良いのが考えられず、 結局無難なこちらにしたのだ。でもこうして見ると、まるっこい文字が可愛くて、これはこれでアリだと思う。
照れたように肩を竦め。
「本当はね、自分用を買うつもりで、ネットでいろいろ見ていたんです」
でも、見ている内に、カラフルで色がすごく綺麗で、もしもアントーニョさんならこの色かな、 フランシスさんならこの色かなーって考え出しちゃったら、何だか止まらなくなっちゃって。 今年皆さんに沢山お世話になったし、それに折角だし、 皆さんでお揃いの物を持ちたいなーなんて思ってしまって。
「それはね、トーニョさんの瞳の色に合わせたんです」
ね、綺麗な緑色でしょ。
本当はテレビCMにも出ている最新モデルにしたかったんですが、 流石に学生のお財布事情は厳しくて、小さいシャッフル機能のこちらにしました。すいません。
「もし良かったら、使って…」
下さいね。そう続けようとした言葉は、アントーニョの強い抱擁に遮られてしまった。
「嬉しい。むっちゃ嬉しいわー、菊ちゃん」
すっごく大事にするな、菊ちゃんからのプレゼントやもん。 もーこれ、親分の一番の宝物やで。
ぎゅうぎゅうとした力に、苦しいです、近いです、菊はあわあわと慌てる。 日本人はどうしてもハグの挨拶に慣れない。
続いてアントーニョの唇が綴ったのは、彼の母国であるスペインの言葉。 高揚した感情のままの、無意識なのだろう。流暢なそれを聴き取れないまま、菊は困ったように曖昧に笑った。 多分、この流れからして、感謝の言葉か何かなのだろう。とりあえず、喜んでもらえたようで何よりだ。
「ほんっまにありがとうな、菊ちゃん」
お土産、期待して待っとってな。 ぎゅうぎゅうと抱き絞められた腕に翻弄され、前髪の生え際に当てられた柔らかい感触に、菊は気がつかない。
漸く解放され、赤い顔で見上げると、太陽にも似た笑顔がそこにある。
「メリークリスマス」
日本ではこう言うねんな。 ウインクをするアントーニョに頷き、菊も同じ言葉を告げた。
「メリークリスマス、アントーニョさん」





親分、来年は目一杯頑張るからな。
覚悟しててや、菊ちゃん。








ケーキは駅ナカで販売していたダイワな果物屋さんのもの
ミュージックプレイヤー、テレビCMにでた新しいあれ、欲しいなあ
2010.12.27







back