Be My Fruity Baby
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改札口の前。ダウンコートのポケットから取り出したICカードを、慣れた手付きで無人改札機に翳す。
ぴっと無機質な機械音。するりと通り抜けると、出口近くの小さな画面に残金が表示された。 ああそうだな、そろそろチャージしておかなくてはいけないか。 しかし便利なものを貰ったな、イメージキャラクターの印刷されたそれを改めて見つめ、 それを大切に元のポケットへと収める。
機内のアナウンスでは、天気の荒れと積雪の影響で、各交通にかなりの乱れが出ていると告げていた。 少々心配していたが、しかし利用沿線には問題が無かったらしい。 目的の駅には、一分の乱れも無く、時刻表通りに到着した。相変わらず、この国の鉄道は素晴らしい。
駅を出て、目を細める。
随分印象が変わるものだな、と思う。 以前ここに来た時は、うだるように蒸し暑く、湿気が肌に纏わりつき、アスファルトからは陽炎が立ち昇り、 攻撃的な日差しが容赦なく周囲を突き刺し、まるで南国に来たような錯覚さえあった。
しかし季節の変わった今は、まるで様相を変えていた。身を切るように張り詰めた寒気越しに見るこの風景は、 眩しい程の夏の鮮やかさとは違い、グレーを含んだ煙る色彩に見えるから不思議だ。
見上げる空には重い雲が圧し掛かり、雪の気配を感じさせる。 冷えた鼻先をすんと鳴らせ、ダウンの襟元を引き寄せた。
懐かしさと違いを確かめながら道を歩けば、駅からここまでの距離は酷く近い。 駅前の商店街を通り抜け、古びた公園の脇を通り、古い情緒を残した住宅が並びだすと、 懐かしい家はもう直ぐそこである。
ほら、到着した。半年ぶりに到着した門の前に足を止めると、ほう、と白い一つ息をついた。
そこで、はて、と首を傾ける。
目が留まったのは頭上。 年期と趣のあるこの国独特の作りをした門の上には、何やら不思議なオブジェが掛けられてあった。 藁で編んだ縄と蜜柑とひらりと垂れ下がる白い紙を組み合わせたそれは、果たして前に来た時にもあっただろうか。 眉根に皺を寄せ、記憶を手繰ろうとしている所で。
「ルート君っ」
高い位置から掛けられた声に、はっと顔を上げた。二階の窓。 全開になったそこからこちらを見下ろす彼女に、ルートヴィッヒは耳につけていたイヤホンを外す。
そして、眉間の皺を消して口元を綻ばせると、軽く手を振って応えた。





「申し訳ないです、まだ大掃除が終わって無くて…」
もうそんな時間になっていたんですね、うっかりしていました。ああ、こんな恰好でお恥ずかしい。
慌てて二階から降りて来た義姉の菊は、頭につけていた三角巾代りのバンダナを外しながら肩を竦めた。 どうやら、掃除の最中であったらしい。
ルート君にこんな姿を…との呟きに、ルートヴィッヒは首を傾げる。 色落ちをした埃っぽいエプロン、その下はゼッケンの付いた緑色の古びたジャージ、 二つに分けて無造作に束ねた艶のある髪、つまりその姿を気にしているのだろうか。
「いや、その、気にしないでくれ」
元より、年末は大掃除やら元旦に向けた準備やらで、かなり慌ただしいとは聞いていた。 それに、義姉はどんな姿をしていても…そこまで考えて、ルートヴィッヒは慌てるように首を横に振った。 その仕草を不思議そうに見上げてくる菊に、ルートヴィッヒは唇を引き締めて何でもないと告げる。
「とりあえず、どうぞ」
促されたのは、客間ではなく台所だった。
何せ、大掃除の真っ只中、客間は窓が全開の吹きっ晒し状態だ。 とは言え台所も、所狭しとテーブルの上にボールやら鍋やらプラスチックの密閉容器やらが並び、 コンロの上では何やらぐつぐつと調理の最中である。
目を瞠るルートヴィッヒに。
「おせち料理を作っているんですよ」
「オセチ料理?」
「日本のお正月料理です」
成程、キッチン一杯に充満する独特の煮物の匂いは、それであるらしい。 今年は家族が全員集まりますから、張り切って沢山作っているんですよ。 でも、煮豆とかは時間が掛かるので、その間にちょっとでも掃除をしようかなって思って。
「本当は、掃除は昨日中に終わらせるつもりだったのですが…」
しかし冬の祭典で収穫したお宝についのめり込み、昨夜もうっかり深夜まで夜更かししてしまったなんて。 今朝も随分寝坊をして、今になって大慌てしているなんて。ああ、口が裂けても言えません。
俯き、頬に手を当てて菊は恥じ入るが。
「その…俺も何か手伝えないか」
ルートヴィッヒの申し出に、えっと菊は顔を上げた。
「そんな。ルート君、長旅で疲れているでしょう?」
ゆっくり休んでいて下さい…と言いたいところだが。 窓拭き途中の二階、窓を全開にしたままの客間、埃っぽい廊下、 おせち料理の下ごしらえが並ぶ台所…何処を振り返っても、休む場所なんてないじゃないか。
唯一終えたのは自分の部屋だが…否、そこだけは却下だ。 紙袋に詰め込んだままの危険がいっぱいな収穫物だけは、何が何でも隠し通さねばなるまい。
「機内でずっと眠っていたから、疲れてはいない」
寧ろ、長時間狭い場所でじっとしていたから、鈍った身体を動かしたいぐらいだ。 言いながらダウンコートを脱ぎ、腕まくりを始める。
「でも、もう少しだけですから」
買い出しは出張前に父が全て済ませておいてくれたし、台所や水回りの掃除は、同じく義母が終えてくれていた。 だから大掃除と言っても、残るは最後の仕上げ程度である。
「あと、少しだけだろう」
ならば、俺は少しだけ手伝えば良いんだな。
「でも、日本に到着したばっかりのルート君に、申し訳ないですよ」
「その…ここは、俺の家でもあるんだろう?」
夏に来た時に、そう言ってくれたじゃないか。
自分の家の掃除をするのに、悪いも何もない筈だ。 父も母も、この家を掃除していたんだろう。ならば、同じ家族である俺にもやらせて欲しい。
はにかんだ様に視線を僅かに外しながらの言葉に、菊はきょとんと瞬きをした。 そして、ほわりと笑う。
「はい。そうですよね、お願いします、ルート君」











日の暮れかけた道を、菊とルートヴィッヒは二人で並んで歩く。
ルートヴィッヒの手元でかさりと音を立てるエコバッグの中には、 駅前のスーパーで閉店前で特売していた海苔巻と稲荷寿司、そして年越し蕎麦用の天麩羅、 ついでに梯子したコンビニエンスストアで買ったスイーツが入っている。
「本当にすいません、ルート君」
本当は、ちゃんとした夕飯を作ろうと思っていたんですけど。
どうやら、普段よりも張り切って多めに下ごしらえをしたのが仇になったらしい。 未だおせち料理の準備に陣取られた台所では、とても夕食を作れる状況ではなく、 こうして慌てて夕食の買い出しに出て来たのだ。
「いや、俺は全然構わない」
これも美味いしな。ぱくりと頬張るのは、ついでに寄ったコンビニエンスストアで買った、 ほこほこと暖かい肉まんである。菊も手元のピザまんを頬張った。
「それに、後でソバもあるのだろう?」
日本での風習で一年の最後の日には、夜食に蕎麦を食べるらしい。 菊も、夕食には気が回らなかったが、年越し蕎麦の準備だけはきちんと整えているようだ。
「しかし、日本では皆、毎年こうして大掛かりな掃除をするのか?」
「そうですね、多分殆どの家がそうだと思いますよ」
今年の汚れは今年の内に綺麗にするって言いますし。成程、ルートヴィッヒは頷く。 日本人は綺麗好きとは聞いていたが、矢張り真実であるらしい。
「大変だな」
「でも、今年はルート君が助けてくれました」
本当に、すごく助かりました。 私一人じゃ、とても今年中に終わらせる事が出来なかったです。
言いながら、軽く唇を拭う。その指先が真っ赤になっていた。 長らく台所仕事をしていたからだろう、随分と荒れて、少し血が滲んでいる。 その痛々しさに、思わず眉間に皺を寄せた。
確か、手袋を持っていたと思うが。ルートヴィッヒはごそごそとコートのポケットを探る。 出て来るのは、ハンカチ、ICカード、それから…。
「あ、これ」
使ってくれているんですね。手袋を探そうとして取り出したのは、小さな携帯音楽プレイヤー。 くっきりした黄色のボディのそれは、このクリスマス、菊がルートヴィッヒにプレゼントとして贈ったものだ。 裏面には日本のひらがなで「るーとびっひ」の文字が刻まれている。
「ああ、今はこればかり使っている」
丁度、俺も欲しいと思っていたから、本当に嬉しかった。
「今年のクリスマスは、ルート君ドイツで一人ぼっちでしたね」
父も義母も日本に居たし、ギルベルト兄さんはアメリカへ行ってしまっていたから。何だか申し訳ないです。 眉尻を下げる菊に、ルートヴィッヒは軽く首を横に振った。
「否、今年は友人と過ごしたし、それに去年は母も父も兄貴も一緒だった」
毎年一人きりでクリスマスを過ごす事が多かったのは、寧ろ菊の方だろう。
「それに、義姉さんが電話をくれたから…その、嬉しかった」
メリークリスマスって、日本では言うんですよ。あ、プレゼント届いたんですか。 ルート君、似たようなものを持ってるかなって思ったんですが、 でもシャッフルのそれなら、二個目に持つのに良いかなって。 実はね、自分のと、ギルベルト兄さんのと、あと友達も含めて皆で色違いのお揃いなんですよ。 あとね、裏には日本語で名前も刻んで貰ったんです。
あの日の国際電話越しの声が、 ルートヴィッヒにはくすぐったくて、何処か照れくさくて、そして本当に嬉しかった。
「良かったです」
弟にそう言って貰えると、姉冥利に尽きますね。えへへと誇らしげに笑いながら。
「それね、ルート君の髪の色を意識して選んだんですよ」
ほら、ルート君って、すごく綺麗な金髪でしょう。
「そうだったのか…」
意外な言葉に、ルートヴィッヒははにかんだ様に、改めて手元の携帯プレイヤーを見つめる。 そんな風に考えて選んでくれていたなんて、全く気付かなかった。
「ねえねえ、ルート君って、どんな音楽を聞いているんですか?」
そのプレイヤーには、何を入れているんですか?わくわくと好奇心に満ちた瞳に。
「聞いてみるか?」
「はいっ」
くるりと巻いていたイヤホンのコードを伸ばし、その片方を手渡す。 菊はにこにこ笑いながら、それを自分の耳につけた。 ルートヴィッヒはもう片方のイヤホンを、自分の耳へと装備する。
そして、慣れた調子で、音楽再生キーを押した。

















「うおーい、ただいまー」
俺様のお帰りだぞ。玄関の扉を開いて靴を脱ぎながら、ギルベルトは声を上げる。
重いスーツケースを持ち上げながらどかどかと廊下を通り、人の気配のする客間の襖をからりと開くと。
「静かにしろ、兄さん」
押さえた声でのドイツ語の叱咤に、続く言葉が押し留められた。
暖かい暖房の利いた室内、こちらを睨む弟が、唇の前に人差し指を立てている。 久しぶりだな、ルッツ。お帰り、兄さん。声を落とせ、菊が起きる。
しかめっ面に示されて視線を落とすと、ほっこりと暖かい炬燵に、 半身を潜り込ませた小さな体が、ころりと横向きに転がっている。
「…寝てんのか」
「ああ」
疲れたんだろう、今日は正月準備でずっと忙しかったからな。 ふうん、で、お前はいつ頃こっちに着いたんだ。昼過ぎだ。
「兄さん、ちゃんと菊を手伝ったのか」
「ったりめーだろ。俺様はちゃんと手伝ってから行ったんだぜ」
学会の準備の合間に、自分の部屋と倉庫との大掃除をよ。 お前も知ってんだろ、これでも掃除とかは、結構得意なんだっつーの。
ふふん、と胸を張るギルベルトに、はあと溜息を一つ。 だったら、今持って来た荷物とスーツケースも、とっとと片付けてくれ。 折角大掃除したばっかりなのに、また余計な荷物を増やすな。
へえへえ。 全く、半年ぶりの再会早々こんな会話かよ。いつの間にか随分冷たくなっちまって、お兄ちゃん寂し過ぎるぜ。
「てか、適当に起こせよ、そいつ」
怪訝そうに眉を潜める弟に。
「炬燵で寝たら、風邪引くんだよ」
「そうなのか?」
「俺、いっつもそいつに怒られてるんだぜ」
気持ち良くて眠くなるのはすごく良く判りますが、ここで寝るのは絶対禁止です。 俺が横になったらぽこぽこ怒るくせに、そう言う自分がこうして寝ているんだから、全く世話ねえよな。 ケセセとギルベルトは声を上げた。
「それに、年越し蕎麦、食うんだろ」
こいつ、楽しみにしていたんじゃねえのか。
俺が帰ってから皆で一緒に食べるんだって、学会に行く前から随分張り切っていたからな。 あー、俺様も腹が減っちまったぜ。蕎麦だけで足りっかな、甘い物はねえのかよ。
「…言っていた通りだな」
ふう、と溜息をつく。何が?質問に答えは無く。
「冷蔵庫の中に、夕食に食べたノリマキとイナリズシの残りがある」
兄さんが帰ってきたら食べるだろうと思って、菊が残しておいたんだ。 あと、コンビニで一緒に買った苺ダイフクもある。これも、蕎麦の後に一緒に食べようと、菊が買っていた。
「おっ、マジで」
さっすが、俺様の義妹。判っているじゃねえか。
にかりと笑いながら、ギルベルトはくうくうと寝入ったままの菊を見下ろす。全然起きねえな、こいつ。 言っただろう、疲れているんだ。オセチの準備も、ついさっき終わった所だからな。
「…起こすか」
「いや…もうちっと寝かせておくか」
今度の正月は皆が集まるから、美味しいおせち料理を沢山作るって、妙に気合入れていたしな。 まーた、一人で頑張りすぎたんじゃねえの。 それに、どうせこいつの事だ、蕎麦の下準備はもう終えているんだろ。 だったら蕎麦ぐらい、俺様が準備してやるよ。
「ルッツ、お前も手伝え」
「…ああ」
何処か複雑そうなルートヴィッヒの様子に、ん?とギルベルトは首を傾げる。 何だよ。いや。少し視線を彷徨わせて。
「何と言うか…良く判っているな、と思って」
菊はギルベルトの事を。ギルベルトは菊の事を。
ぽつりとした声を聞いて、ギルベルトはによっと笑う。
「なーんだ、ルッツ。お前やきもちかよ」
「ち、違うっ。そうじゃなくて、俺は…」
「俺様は何でもお見通しなんだよ」
お前らの考えている事ぐらい、この俺様にかかりゃ直ぐ判るんだよ。 お兄ちゃんをなめんじゃねえ。
そうだな、たとえば…腕を組んでによによ笑い。
「俺がいない間に、お前が寝ている菊にキスしたとかな」
「なっ」
何を馬鹿な事を言っているんだ、兄さん。
かっと顔を真っ赤にして、慌てて首を振る。必死に否定する初心な様子に、ケセセと笑い声を上げた。 ばーか、冗談だっつーの。マジになんなよ。コートを脱ぎながら肩を竦める。
「ま、ずっと二人で一緒にいるからな」
一緒に生活してりゃ、お互いの考えている事なんて、何となく判るもんなんだよ。お前だってそうだろ。
言いながら、スーツケースを持ち直して襖を開ける。荷物を部屋に置いて来る。 ルッツ、鍋に火を掛けておけ。台所に大きい鍋がある筈だ。ああ、菊がコンロにもう置いていたと思う。
引き戸を閉じて、自室に向かう兄の気配に、ルートヴィッヒはふうと息をつく。 むず痒く唇を引き締めると、火照った頬を手の甲で擦った。そうか、お見通しか―――流石だな、兄さん。
隣で寝転ぶ義姉を見下ろす。
幼く、あどけなく、無防備なそれに小さく笑み零し、ルートヴィッヒは困ったように眉尻を下げる。
そして、密やかに温度を確かめたそのこめかみを、掠めるような柔らかさでそっと撫でた。





いつも傍に居る事だけが、全てじゃない。
そうだろう?義姉さん。








買ったのは、苺大福ではなく山崎さんの雪苺っ娘
更新予定日の目測を、見事に見誤っております
2011.01.05







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