サクラクラフト
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 賑やかな社員食堂、解放された入り口に現れた姿を見つけ、窓際の席から声を上げた。
「本田っ」
 ひくりと反応した小さな頭が、きょときょとと小動物よろしく周りを見回す。 ここ、ここ。こっちだ。ぶんぶんと手を振ると、漸く気が付き、ほわりと笑って軽く頭を下げる。
 小走りにやって来ると、お邪魔しますとのひと声の後、彼女はテーブル席の向かい側に腰を落とした。 持っているのは、社食のプラスチックトレイではなく、ストライプ柄のランチトートと小振りの水筒。 どうやら、弁当を持参しているらしい。
「お待たせしてすいません」
「いや、全然」
 俺も今着た所だから。 そう言うと、控えめに微笑み、トートの中から小さいなりに見合った、小さいランチボックスを取り出した。 そんな量で足りんのかよ。意外に沢山入るんですよ、このお弁当箱。 手を合わせて頂きますと口にする彼女に倣い、こちらも手を合わせて、本日の日替わりランチにありついた。
「あ、先にこれ。忘れねえうちに渡しとくわ」
 もっもっと口を動かしながら差し出したのは、入園説明会で渡された入園案内の冊子だ。 彼女は一旦箸を置いて受け取ると、見ても良いですか、勿論、ぱらりとそれを開いた。
「それの、こっち……のページだけどよ」
 向かい側から手を伸ばし、指先で捲って問題の個所を示す。 入園準備として、通園に必要な物のリストのページだ。 布団カバー、枕カバー、巾着袋に、手提げ鞄、タオルはフックに掛けられるように紐を付けて、 サイズはそれぞれの規定で、どれも決まった位置に名前をつけて……。
 並んだリストをひと通り眺め、彼女は眉尻を下げて苦笑した。 それが困っているようにも見えて、こちらも眉根を寄せて唇を歪ませる。
「無理そうなら、断っても良いぜ」
 見たらわかるだろうけど、結構面倒臭い規定もあるし、種類もあるし、数もあるし、すげえ大変だろ。 昨日は細かい事まで言って無かったし、やっぱり出来そうにないってんなら仕方ねえもんな。
 一瞬彼女はきょとんとし、しかし慌てて手を振る。 いえ、違う、違いますよ。そうじゃありません。ではなくて。
「確かにこれは、お裁縫をしたことの無い男性には大変かなって」
 思ったよりも数があったのはその通りですが、でもお引き受けしますよ。大丈夫です。 既製品みたいに綺麗なのとか、凝ったものとかは無理かもしれませんが、作ること自体は全然出来ます。 バイルシュミットさんこそ、ホントにそれでも良いですか。
「引き受けてくれんのか」
「はい」
 気持ち良く頷く彼女に、思わず腰を上げて彼女の手を握り締める。
「ダンケっ。よかったーっ」
 良かった。マジ、助かった。本気でどうしようかと思ってたんだ。 これの事を考えるだけで頭痛くって、気が重くって、ここんとこ毎日憂鬱でさあ。
 泣き出しそうな心地で、感情のままにぶんぶんと握った手を上下に振ると、細い体もがくがくと揺れた。 あ、あの、ちょっと痛いです、恥ずかしいです、皆さん見ていますよ。 窘めるようにささやかな声で訴えられ、ああわりい、 すっぽりと隠れるような小さな手を離して、改めて腰を落とす。
 へへっと笑うと、彼女も笑う。久しぶりに飯が美味い。マジ美味い。 今日の日替わりランチ作った奴に、俺様栄誉賞を与えるぜ。
「悪いな。面倒事頼んじまって」
 でも、本っ当にありがとう。感謝する。一生の恩人だ。 思いつく言葉を口にすると、大袈裟ですねところころ笑い声を上がった。 しかしこちらとしては、大袈裟でもなんでもない。彼女の背後に、聖母のオーラさえ見える。
「多分、バイルシュミットさんが考えている程、負担には思っていませんよ」
 数はありますが、どれも直線に縫えば良いだけのものですし。 細かい規定はあれど、凝ったものはありませんから。
「そうなのか?」
「友達の出産お祝い品よりは、全然簡単です」
 こっちなんかよりも、もっと凄いリクエスト受けたんですよ。それに比べたら全然です。 もうね、あの友達、ホント容赦ないんですから。
 曰く、丁度友人の出産祝いを作る予定だったらしい。 そのついでに作るからと快く引き受けてくれたのだが、その頼もしい言葉が胸にじんと沁みる。 昨日まで心の底から途方に暮れていただけに、尚更だ。 小さな口でぱくぱくと弁当を食べる様さえ、小鳥のようにカッコ良く見えてしまう。
 伏せ目がちの瞳の大きな目が、くるりと向けられた。底の見えない深い色の視線に、意味なくどきりとする。 そんなこちらを見つめながら、口の中に咀嚼したものを飲み込むと。
「そうだ、好きなものってありますか」
「え……好、きな、もの?」
 はいと頷くと、癖のないさらさらな髪が揺れた。触ってみてえ。
「ルートヴィッヒくんの好きなもの。生地を買う時の参考にします」
 色とか、動物とか、車とか、キャラクターとか。この週末に、生地の買い物に行くつもりなので。 好みにぴったりって訳にはいかないかもしれませんが、でも出来るだけ希望に添いますよ。
 付け足された言葉に、ああと納得する。なんだ、そっちの話か。 ていうか、そう、そうだよ、思わず身を乗り出す。
「それ。材料費。払うから」
 作ることばかりにかまけていて、そちらをすっかり忘れていた。 それって大体どれぐらいかかるものなんだ?  見当もつかず、とりあえず財布を取り出すと、慌てて彼女は首を横に振る。
「いえ、それは後で良いですよ」
 先にお金を頂くと、返金とか、おつりとか、ややこしくなりそうです。 後でちゃんとレシートお見せしますから。
「ちゃんと必要経費は請求してくれよ」
 布とか、糸とか、後、買い物に行った時の交通費もな。ちゃんと払うから。頼むぞ。絶対だぞ。 人差し指を突き付けて念押しすると、彼女は寄り目になりながらも、笑ってはいと頷く。
「あと、この冊子のページ、コピーさせて貰って良いですか」
「お、いいぜ。てかそれ、持ってていいぞ」
「駄目ですよ。後でそちらの部署に持って行きますから」
 大切な保育園の案内書です。無くしたら大変なものです。今日中にお返ししますね。 四時頃までに、そちらの部署にお持ちしますから。あ、今日は外出予定とはありますか。 そっか、そちらに伺う前に、内線入れた方が良いですね。
 軽く首を傾げながら話す彼女に、何となく頬が緩む。 だがしかし、そのちんまりとした頭の向こう側に気が付くと、ギルベルトはさっと口元を引き締めた。
「……いや、いい。俺が総務に取りに行くから」
 俺様が頼んだ事だし。これ以上、お前に手間掛けさせたくねえし。
「え、でも」
「いいから」
 わざわざこっちまで来なくて良いから。 いっそ頑なに言い切ると、戸惑いながらも、じゃあすいませんが、と黒髪が揺れる。
 その艶の輪を湛えたつむじの延長線上にあるのは、嫌になる程見慣れた二つの顔。 によによと、やけに楽しそうにこちらを伺ってくる二人分の視線に、ちっと胸の内で舌を打つ。
 牽制するようにじろりと睨み付けると、ギルベルトは皿の上のコロッケを、大口でばくりと頬張った。





 戻った部署で待ち受けていたのは、同僚二人の笑顔であった。
 食堂でこちらを見ていた時同様、実に、実にうっとおしいによによ顔。 それを完全無視してデスクの椅子に腰を落とすが、挟み込むようにして、馬鹿二人が左右に立つ。
「なによ、ギル。楽しそうだったじゃない」
 俺達の誘いを断って一人で食堂に向かうから、何かあるとは思ったけれど。 まさかあんな場面を目撃するとは思わなかったなあ。
「なあなあ、いつの間にそんな仲になったん?」
 全然気ぃ付かへんかってんけど。てかお前、家の事でそんな暇あらへんって言ってた癖に。 もー、なんや、やる事はやってんねんな。
「確か、総務部の子だよね」
「そそ、総務部の本田桜ちゃん」
 桜、ちゃん、だと。思わず顔を上げると、待ってましたとばかりに、にんまりとした嫌な笑顔が見下ろしてくる。 不機嫌顔のまま、左右を見上げ。
「知ってんのかよ」
「お兄さん、可愛い女の子は全て把握済みだよ」
 自慢げに肩を竦めるフランシスに、相変わらずやなとアントーニョは笑う。
「俺はな、前に備品管理の担当してたやろ」
 部署内で使うコピー用紙やファイル、セロテープなどの消耗品の補充は、アントーニョの仕事の一つでもあった。 成程、その申請は総務部に申し込まなくてはいけない。
「えっらい気の利く、ええ子でなあ」
 いっつもにこにこしてるし、いろいろ融通してくれるし、嫌な顔せえへんし、 でもお願いした事はきっちりやってくれるし、親分ホンマ助かっててん。 能天気なアントーニョの口ぶりに、なんとなく彼女の苦労が偲ばれる。
「そうそう。お嫁さんにしたい女子社員ナンバーワンなんだよね、あの子」
 はあ? 思わず尻上がりな声を上げ、眉を潜める。
「なんだ、そりゃ」
「いやさ、前に野郎連中が集まった時にね、そんな話をしたのよ」
 花の無い場での話題は、花が無い場でしかできないものになりがちでしょ。 一緒に遊びたいタイプとか、二人で飲みに行きたいタイプとか、夜のお相手をお願いしたいタイプとか、 なかなか下世話な話題で盛り上がった機会があった訳。 その中で、お嫁さんにしたいタイプナンバーワンは、断トツで彼女、「総務部の本田さん」だったんだよね。
「あー、それ、むっちゃ解るわ」
 ぴし、と人差し指を立てて、うんうんと頷く。 目立つタイプじゃないけれど、しっかりしてて、人当たりも良くて、家庭的っぽくて。 なんか一緒に居ててもほっとするっていうか、安心するっていうか、包み込んでくれそうっていうか、なあ。
「そうそう、なんか、支えてくれそうなタイプなんだよね」
 そんなアントーニョの指に、同じ様に立てた指先を当てて、こくこくと頷く。 可愛いし、優しいし、でもってさり気なく気を利かして、こっちを立ててくれそうな感じがするもんね。 日本で言う所の、リョウサイケンボ? そんな雰囲気なんだよ。
「ちょっと、ギル。やるじゃん。どうしたのよ」
 もー、巨乳にしか興味ないと思っていたから、 いつかおっぱいに騙されるんじゃないかって、これでもお兄さん心配してたんだよ。
 余計なお世話に、ほっとけ、ギルベルトは唇を突き出す。 そう言えば、あいつの胸ってどんなんだったっけ。憶えてねえ。それどころじゃなかったからな。
「ちげえよ。弟の保育園グッズを作ってもらうだけだっての」
 お前らが考えているようなんじゃねえよ、変な勘違いすんな。 呆れたようにそう言ってやると、二人はきょとんと目を丸くした。
「もしかして、この間ボヤいていた奴?」
「裁縫道具なんか持ってねえって、アレやろ」
「おう」
 ああそっかあ、納得したように大きく首を揺らし。
「なに、で、それを本田ちゃんが作ってくれる事になったの?」
 そうだよと不機嫌に頷く。 昨日本屋でたまたまあいつに会って、ちょっと相談したら、引き受けてくれたんだよ。 で、その打ち合わせで、作成するもののリストを見せるのに、社食で待ち合わせただけ。 てか、てめえ、いつの間に本田「ちゃん」?
「やっぱ、優しいやんなあ、桜ちゃん」
 あの子の事やから、なんかのついでやしーとか、大丈夫ですよーとか、 こっちに気ぃ使わせへんようにして、にこにこ引き受けてくれたんちゃうん。 なんや、ギルとのやりとりが目に浮かぶわ。なんや、そうやったんか、それだけなんか。
「ほんなら一応言っとくけどな、桜ちゃん、誰に対してもそうやで」
 たまに、それを自分への好意と勘違いする奴いんねんな。元ヤン眉毛、お前の事や。
「だから、そんなんじゃねえって言ってんだろ」
 大体、まともに喋ったのさえ、昨日が初めてだぜ。 確かに良い奴だとは思うけど、お前らが考えるようなあれこれ以前に、 日々を乗り越えるので俺様今は手が一杯だっての。
 だからこの話はここまで、はい、解散。 ひらひらと手を振ると、フランシスは盛大に、わざとらしい溜息をついた。
「お前さあ、それじゃあ駄目だよ」
 まあ、今は大変だってのは判るし、そんな暇がないってのも事実だろうけどさ。 でもね、だからこそ、そこに愛が必要になる訳だよ。
「忙しいのを乗り越えた後、どうなるかなんて誰も判んないんだよ」
 折角出来たご縁を、そうやって蔑ろにするのは、お兄さん感心しないなあ。 変に考え過ぎてうかうかしているうちに、誰かに取られちゃうよ。
「てか、俺かて変な奴に桜ちゃん取られるん、いらんわ」
 あんなええ子、そうおらんもん。 中途半端なアホとか、ムカつく馬鹿が近付くくらいやったら、俺が桜ちゃんを幸せにしたるよ。 親分、本気と書いてマジやで。
「だーかーらーっ」
 いい加減にしろっての。 そんなんじゃなくて、こっちが大変なのを気遣ってくれて、 親切で弟の保育園グッズを作ってくれるって、ただそれだけの関係だ。 只でさえ、こっちは面倒事を頼んでいるんだ。変に勘繰って、妙な真似するんじゃねえぞ。


「良いか。お前ら、絶対に、あいつに迷惑かけんなよ」








オフ本にしようとも考えていたネタでした
2013.10.16







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