サクラクラフト
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 総務はお母さん、とは誰が言った?


「会議室の予約をお願いしたいのですが」
「社内報用の原稿を持って来ました」
「最近、二階の給湯器、なんか調子が悪くてさ」
「短期派遣さんへの、ロッカーの貸し出しの件ですが」
「説明会用のパンフレットって、まだできないの」
「社内アンケートのデータ化、お願いします」
「IDカードのホルダー、ここでも売っているって聞いたけど」
「交通安全週間のポスターって、何処に貼ったらいいですか」


 企業としての業界に直接携わることもなく、開発のように専門の知識が必要な訳でも無く、 営業のように前線に赴くでなく、企画のように会社の中心を担う実感も希薄。 社内に置ける運営雑務を引き受け、 各自がそれぞれの業務に集中できるように務める――それが総務の仕事である。
 そんな部署の出入り口の手前、アーサーは一度立ち止まり、姿勢を正した。
 別に緊張している訳じゃない。ちょっとこの部署に慣れないだけだ。 軽くネクタイを整えると、小さく呼吸をひとつ、よし大丈夫、開けっ放しになっている扉を潜る。
 正面には、御用聞きの場として、棚で作った簡易カウンター。その向こうに並ぶのは、社員用デスク。 何やら束ねた書類をチェックしている小さな横顔を見つけると、ぎこちなく唇が引きつる。 落ち着け、落ち着くんだ、俺。
 胸の内で、スリーカウント。
「本田」
 声が届いたのだろう、書類の束から顔が上がる。 そしてこちらに気付くと、柔らかな笑顔でぺこりと頭を下げた。 手にあるものを机に置いて立ち上がると、やや小走りにカウンターの前までやって来る。
「お疲れ様です、カークランドさん」
 お、おう。穏やかな笑顔に思わず口ごもるのは、だから別に緊張しているからではないんだよ。断じて。
「その、週明けの説明会の件だけど」
 ああ、はい。 頷くと、ちょっとお待ちくださいと断りを入れて一旦自分の机に引き返し、戻ってきた。
「こちらに修正しておきました」
 不都合な点があればすぐにやり直ししますから、確認だけお願いしますね。 それから、中に別のファイルが入っていますが、 この前見難いって仰っていたリスト表を、エクセルで作りなおしておきました。 これで、追加も楽になったと思います。
 差し出されたのは、プラスチックケースに入ったスティックメモリーだ。すまないな、と受け取って。
「あと、当日の人数が変更になったんだが」
「解りました、当日の受付担当者に伝えておきます」
 何人ですか。五人。大丈夫ですよ、配布する冊子は予備分があるので、それで充分足ります。 追加人数分の椅子と机は、会議室に予備のものが予め置かれているので、 朝からでも、今からでも、直ぐに準備できます。
「会議室の方は?」
「ご用意出来ていますよ」
 備品も持ち込んで、全てコードを繋げました。使い方が判らなければ、仰ってください。 来客リストだけは個人情報になるので、当日にお渡しします。 その時に、飲み物のペットボトル、追加分も含めた数をお持ちしますね。
 隙のない、てきぱきと、しかし当たりの柔らかな受け答え。 普段はおっとりとした空気を纏う彼女であるが、仕事に関しては違うらしい。
「本田は今、大丈夫か?」
 良かったらこのデータ、会議室のスクリーンに映して確認したいんだが。 ついでに、機材の使い方も確認したいし。
「はい、解りました」
 ちょっと行ってきますね。 傍にいた女子社員に声を掛けると、会議室の鍵を手に、桜はカウンターから出てきた。





 いつも悪いな。いいえ、お仕事ですから。企画部の皆さん、いつも大変ですよね。 ややおぼこい彼女の横顔を、悟られないようにそっと伺う。
 彼女は前に、案件が重なって人手不足になった企画部に、助っ人として総務部から一時的に派遣された事があった。 下手な中堅よりも余程使え、頼りになり、以来何かあれば、つい彼女に頼むようになってしまっている。 別に俺だけじゃない、企画部の内容に触れていたし、部署の皆も頼りにしているからな。
「お前も、総務なんかより、こっちの部署の方が良いんじゃないか」
 今の、なんでも屋みたいな部署よりも、企画の方がやりがいもあるぞ。 部署の連中だって、お前なら歓迎するだろうし、なんだったら、俺が特別に人事に掛け合っても良い。 別にお前の為じゃないぞ、俺の為なんだからな。
 到着したエレベーターの前、困ったように苦笑しながら、彼女は上昇ボタンを押した。 頭上のフロアライトの点滅を見上げながら。
「……お仕事は、どの部署も同じぐらい大切なものだと思いますよ」
 今の部署の仕事も、結構楽しいですし。 それに、私みたいなのんびり屋が企画部に行ったら、皆さんのペースについて行くので精一杯になりそうです。 カークランドさんも、企画部の皆さんも、すごいなっていつも思っています。
 いや、お前なら大丈夫だろう。そう言って頂けると嬉しいです。 人当たりの良い笑顔を向けられ、ひとつ小さく咳払う。
「まあ……一度本田には、きちんとお礼をしたいと思っているんだ」
 前回の助っ人の件もそうだが、今回だって企画部の仕事なのに、何だかんだとお前に手伝わせてしまったしな。 ぶっきらぼうに口をもごもごさせるアーサーに、桜は首を横に振る。 そんな、お気になさらずに。お力になれたなら良かったです。
「その、あれだ……実は美味い店を見つけた、んだが」
 お前が空いているって言うなら、だな。明日の土曜日とか、だったら、俺もだな、その。 どんどん尻すぼみになる声は、どうやら自分が思った以上に小さかったらしい。はい?  不思議そうに彼女がリピートを求めると同時に、ちん、とエレベーターの到着する軽やかな音が鳴った。
 よし、良いタイミングだ。エレベーターの中は二人きり。 ここだ、この中で、と心の中で拳を握り締めると、無機質な扉が左右に開いた。


「あ、」
「おっ」


 お互いの姿を真正面に、それぞれぱちくりと目を瞠る。
「よお」
「お疲れ様です」
 彼女が軽く頭を傾けると、エレベーターの内側にいた彼は身を引き、「ん」と中に入る様に促した。 何階? あ、すいません、六階をお願いします。了解。 ボタンを押すと、エレベーターは三人を乗せて上昇する。
「何処行くんだ」
「六階の会議室ですよ」
 週明けに、取引先様との会議と説明会があるんですよ。 その準備と、その時に使うプロモーションの確認です。あと、機材の使い方もお伝えしておこうと思って。
「ふうん、総務ってそんな事もするんだな」
「基本、なんでもしますよ」
 お客様へのお茶出しから、社内ポスター、各部署へのお手伝いまで。 何かございましたら、総務部にお申し出ください。おどけた口ぶりの彼女に、彼はぷっと小さく吹き出す。
「なんか、お前らしいな」
「便利屋みたいなもんですよね」
 ばあか。こん、と骨ばった拳が、ノックをするように彼女の頭を叩く。
「すげえ助かるって事だよ」
 そうやって動いてくれる部署があるから、他の皆がスムーズに仕事できんだろ。 あんま、自分を卑下するような言い方すんな。事実、俺はすげえお前に助かってんだから。
 話ぶりから、親しげな雰囲気が伝わる。 彼女を挟んで向こう側の男をちらりと伺うと、あちらの視線とぶつかった。 特徴のある色彩の目が、胡散臭そうに細まる。なんだ、こいつ。
 エレベーターが止まった。扉が開くと、そこはもう目的のフロアである。ちっ、心の中でアーサーは舌打つ。 まあいい、会議室でも充分二人きりになるのだからと、エレベーターから降りるのだが。
「……てか、なんでお前が俺達について来てんだよ」
 並んで歩くこちらの後ろ、スラックスのポケットに手を突っ込んだ彼が、さも当たり前のように付いてくる。 それを振り返り、睨みつけると。
「だって、こいつに会いに来たからな」
 隣に並んでいた彼女を、軽く顎で示す。 総務に行くつもりだったけど、さっきのフロアで降りても、お前いないじゃん。
「えっ、そうだったんですか」
 驚いて、桜も振り返る。 すいません、あれですよね、お預かりした冊子のコピーはもう済んでいるんですよ。どうしましょう、えっと。 いや、お前の仕事の邪魔したくなかったから。 そんな急がねえし、この後で良いよ。どうやら、二人の事情があるらしい。
「ま、ついでだし、今度は俺様が手伝ってやるよ」
 針や糸は使えねえけど、会社の仕事なら出来るからな。 ケセセと笑う彼に、ちょっと待てとアーサーは目を剥く。
 冗談じゃない。 ここで二人きりになる為に、部署の奴らに仕事を任せて、一人で彼女の所に顔を出したというのに。 いや、二人で充分だから。そう告げるべく、口を開きかけるが。
「良いんですか」
「おう、思う存分、俺様を使いやがれ」
「じゃあ……お言葉に甘えて、ちょっとお願いしてもいいですか」
 人手のある週明けの朝でもいいかなと思ったんですけど、 バイルシュミットさんがいらっしゃるなら、今のうちに机と椅子、追加人数分を並べます。
 いらねえよ。邪魔すんな。てめえは消えろ。穏便かつ慇懃な言葉で、それを伝えようとするのだが。
「良かった。ねえ、カークランドさん」
 嬉しそうにこちらを振り仰ぐのは、同意を求める桜の黒目がちの瞳。くそ、きらきらしてるぞ。
「……まあ、そ、う……だなっ」
「助かります、バイルシュミットさん」
 で、どこの会議室だ。あそこです、第二会議室。よし、任せやがれ。 彼は機嫌良さそうに立ち尽くすアーサーを追い越すと、彼女の隣に並んで会議室へと足を進めた。
「そうそう、明日だけどさ」
 お前、買い物、行くんだろ。 言ってたよな、生地が安く買える問屋街があるから、そこにいつも買いに行くって。 はい、と彼女は頷く。部署も違うみたいなのに、いつそんな話してんだよ、こいつ。
「それ、俺も一緒に行くわ」
 思わずはあ? と口を開くアーサーを尻目に、会議室の扉を開けながら、桜はきょとんと彼を見上げる。
「やっぱ、お金の事もあるしさ」
 なにもできねえけど、買い物に付き合ったり、荷物持ちぐらいは出来るだろ。 なにもかもお前に投げっぱなしってのも気になるし、昼飯ぐらいは奢らせてくれよ。それに、と付け加え。
「ちゃんとお前の事、弟に紹介しておきてえなって思ってさ」
 あいつのことでもあるだろ。そういうのも、ちゃんと伝えておきてえからな。 その言葉に桜は目を瞠り、そしてアーサーは絶句した。
 なんだよ、一緒に買い物って。弟って、どういう事だよ。てか、兄弟に紹介するような仲なのかよ。 そんな関係の男がいたなんて、ちっとも知らなかったぞ。 驚きに固まるアーサーに気付くことなく、桜はふんわりと、そして嬉しそうに笑った。
「じゃあ、折角なので、そちらのお手伝いもお願いしましょうか」
 よろしくお願いしますね。弟さんにお会いできるの、とっても楽しみです。 それにギルベルトは満足したように、おうと大きく頷いた。


「バイルシュミットさんって、本当に良いお兄さんですね」









勿論、二人に悪気は全くありません
2013.10.23







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