サクラクラフト <4> 会社を出て、駅へと向かうその先。 目の前を歩く見慣れた姿に、やあとフランシスは声をかけた。 振り返る美貌に、慣れた手つきで軽く投げキッスを送る。 「お疲れさん、エリザちゃん」 「あら、お疲れ様」 なあに、これからデート? ふふ、判る? 判るよー、お洒落にも気合入っているもんね。愛の国出身のお兄さんには、お見通しなんだから。 普段はきりっとしたスーツを着こなすキャリアウーマンな彼女が、今は長い髪を下ろし、 凝ったビーズレースのついたスカーフを襟元に巻き、優しくも女性らしいファッションに身を包んでいる。 恋をする女性は美しい。美しい女性を見るのは嬉しい。やっぱり、恋愛は世界を幸せにするよね。 「あんたも今日は帰りが早いのね」 今夜は飲みに行かないの? いつもは三馬鹿とか、何処ぞで知り合った可愛い女の子とかと、アフターライフを楽しんでいるじゃない。 「今日は特別。待ちに待った、俺の嫁との約束の日なの」 呼び出しをお願いしたら、漸く到着の連絡が来てね。今日は本屋で待ち合わせ、そのまま我が家にお持ち帰り。 この週末は誰にも邪魔されず、ゆっくりプライベートタイムを楽しむ予定。 うっとりとした顔で告げるフランシスに、成程とエリザベータは察した。それはそれは、お楽しみですこと。 良い嫁だったら、私にも貸してね。勿論、一緒に楽しもうよ。 駅へと向かう彼女に手を振って見送ると、フランシスはそのまま向かい側にあるビルへと足を伸ばした。 エレベーターで目指すは、書店フロア。 到着すると、フランシスは真っ直ぐにレジカウンターへと向かった。 そして、内ポケットに収めていた予約票を取り出すと、気取った仕草で華麗に書店スタッフへと差し出す。 「約束のもの、お願い出来るかな」 既に顔見知りになっていた店員は、笑いを堪えながらそれを受け取ると、 少々お待ちください、一旦下がり、奥の棚から積み重なった本をカウンターにどさりと乗せた。 積まれた文庫本と単行本のタワーに、フランシスはぐっと親指を立てる。 随分古い漫画ですよね、フランシスさんの守備範囲ってホント広いですね。 良い作品に時代は関係ないんだよ。熟成された素晴らしさを理解できないのは、君がまだぼうやだからさ。 ちょっと、その台詞が言いたかっただけでしょう。で、カバーはどうします? いつもの通り、全部につけてちょうだいね。 軽口を叩きながら、ブックカバーを付ける店員の手つきを機嫌良く眺める。 これだけあるから自宅配送でも良かったが、帰宅時間は不確定だし、 一刻も早く読みたいし、書店注文だとこうして汚れないようにカバーも付けてもらえる。 嗚呼、素晴らしき、ジャパンカルチャー。 そうそう、先に会計を済ませておこうか。 うきうき顔で何気なく顔を上げたところで、レジに並ぶその列に見覚えのある姿を見つけた。 「あっれえ、本田ちゃんじゃない」 思わず上げた声に、小さな頭がぴくりと揺れる。 こっちこっち。ひらひらと手を振るフランシスに、きょとんと不思議そうな顔で、彼女はぺこりと頭を下げた。 ああ、そうでしたか。書籍フロアからエレベーターで下り、駅まで続く最短ルート。 並んで隣を歩く小さな頭が、納得したように頷いた。 「バイルシュミットさんと、同じ部署の方なんですね」 「うん。ちなみに、トーニョとも仲が良いんだよ」 トーニョ……少し考え、それが物品係をしていたアントーニョの事だと判ると、笑みが零れる。 面白い人ですよね、あの人。うん、三人で良く馬鹿やったり、飲みに行ったり、しょっちゅうつるんでいるよ。 良かったら今度、本田ちゃんも一緒にどう? あ、でも、最近はギルが家の方で忙しいからなあ。 「小さい弟さんもいらっしゃるみたいで、本当に大変そうですね」 「でも、本田ちゃんが引き受けてくれたんだって? 例の、ほら、保育園の」 いろいろあるみたいでさ、あれもしなきゃこれもしなきゃって、毎日頭抱えてたんだよね。 それだけに本田ちゃんの申し出、あいつ本当に喜んでたよ。良かったーっ、助かった―って。 「いえ、でも、まだお引き受けしただけですから」 口約束をしただけで、グッズを仕上げて渡した訳でもないし、 彼の気に入るようなものを作ることが出来るかも判らない。 それに、本当に手の込んだものじゃないし、喜んで貰うのは嬉しいですけど、ちょっと大袈裟過ぎですよ。 戸惑ったような、困ったような顔が、彼女の正直な気持ちなのだろう。 ふうん、フランシスは持っていた二枚重ねの紙袋をがさがさと持ち替える。 「漫画、お好きなんですね」 すごく重そうです。沢山買ってらっしゃいましたよね。 「うん、最近は古い少女漫画に嵌っててね」 ベルばら読んだら、猛烈に他のも読みたくなっちゃってさ。 もー我慢できなくて、一気に取り寄せお願いしちゃった。 耽美な絵柄といい、ドラマ性といい、いやあ、日本の少女漫画、最高だね。 あ、実は私も、ガラかめ全巻持ってますよ。今でも新刊が出たら発売日当日に買ってます。 ホント? 本田ちゃんとは良い酒が飲めそうだな。 「本田ちゃんは、今日は何を買ったの?」 なんとはなしに会話の流れでの言葉のつもりであったが、 しかし彼女は一瞬固まり、少々気まずそうに視線を落とす。 あれ? マズイ事聞いちゃった? お兄さん、薄い本でも引かないけど? 「あの……バイルシュミットさんには、内緒にしてて下さいませんか」 今日、この本屋さんで、ボヌフォアさんと会ったことを。 首を傾げるこちらに、慌てるように彼女は手を横に振る。いえ、別に疚しいことではないんですけど。 でも、バイルシュミットさんってすごくきっちりしているみたいで、 これ以上余計な気を遣わせてしまったら、寧ろこっちの方が申し訳無くて。 それに、最初は買うつもりは無かったんですよ。ちょっと参考程度に立ち読みだけするつもりだったけど、 すごく可愛いのが沢山載ってて、友達のプレゼントにも応用できそうだったし、 だからこれは彼の為にだけじゃないし、単に自分が楽しむ為に、 そう、写真集みたいなノリでつい欲しくなってしまって、それだけなんです。 言い訳のようなやや早口でのそれに、成程と納得する。なんだ、そっちね。 もしやお仲間かと思って、お兄さんちょっぴり期待しちゃった。 てか、あの本屋にはあっち系の取り扱いはしてないもんね。 「了解。俺と本田ちゃん、二人の秘密だね」 大丈夫、あいつには内緒にしておくよ。ウインク付きでの約束に、彼女はほっとしたように笑う。 その可愛らしい笑顔に、つい好奇心がむくむくとわいてきた。 ねえねえ、身を乗り出して。 「率直に聞くけどさ、ギルの事どう思ってるの?」 不思議そうに首を傾げ、少し考えて。 「弟さん思いの、良いお兄さんですよね」 恐らく、彼女の中にある印象、そのままの言葉なのであろう。 でも、違う、違うんだよ。お兄さんが聞きたいのは。 「うん、でもそういう意味じゃなくってさ」 ほらあいつ、ちょっと口が悪くてうっとおしいけどさ、基本的に悪い奴じゃあないんだよ。 仕事でもそうだけど、頭も悪くないし、意外に頼りになったりするしね。 ただ、変な所で生真面目過ぎて、女性相手に気の利いた言い回しも出来ないし、 ちょっと無粋と言うか、面白味に欠けるトコがあってさ。 お兄さん的に言わせれば、なんて言うか、勿体無いっていうか、 あいつの良い点をちゃんと理解してくれるような相手がいるのか、心配だったりもしてさ。 「バイルシュミットさん、意外に誤解されやすいかもしれませんね」 実際私も、お話するまで全然違った印象を持っていましたし。 もどかしくも天然な言葉に、うんうんと頷きながら。 「で、本田ちゃんからみてさ、そういう男って、どう?」 お兄さんに聞かせて欲しいなあ。 そうですねえ。 暫し熟考の為の微妙な間が空き、ぱちぱちと瞬き、そして何かを悟ったように「ん?」と彼女は顔を顰めた。 ゆるりとこちらを振り仰ぎ、上目使いで控え目に伺う。 「あの……もしかして、なにか勘違いされていらっしゃいますか?」 「いやいや、勘違いって訳じゃないけどね」 たださ、一応どうなのかなーって、愛の国出身のお兄さんとしては非常に気になる訳なのよ。 漸く伝わったらしい彼女の反応に、ねね、聞かせてよと詰め寄る。いえいえいえ、桜は慌てて首を横に振って。 「勿論、素敵な方とは思っていますけど」 でも、違いますよ。多分ボヌフォアさんが思って言うようなのとは、また違いますから。 そんな、お話したのだって、ここ数日の話なんですよ。 「えー、時間なんて関係ないでしょ」 そんな事言ったら、世の合コンで知り合ったカップルはどうなの。 逢って数時間の会話だよ。そこで愛が生まれるんだよ。 いえ、ですから、それとこれとは違います。まず前提として、挑むその心構えからして、あれは別物ですから。 「第一、バイルシュミットさんに失礼ですよ」 「え、なんで?」 あいつ、今恋人いないし、遠慮する相手もいないよ。 可愛い女の子との浮いた話なんて、男としては光栄な、寧ろ名誉な話だと思うけどな。 「だったら余計、尚更です」 バイルシュミットさんみたいに真面目で、しっかりされてて、優しくて、カッコ良い方でしたら、 きっと彼の事を気にかけている人がいらっしゃいますよ。 それこそ、並んでも見劣りしない、美人で、お似合いで、素敵な女性が。 「いや、でもさあ」 それが見当たらないから、あいつもいつまで経っても一人楽し過ぎちゃってる訳でさ。 てか、それ誰よ。俺の知っている、ウザくて、不憫で、俺様なあいつの事だよね、今話題に上がっているのは。 「駄目ですよ、ボヌフォアさん。バイルシュミットさんに変な事言っちゃ」 只でさえ、いろいろと大変なのに、これ以上ご負担をかけちゃ。 めっと顔を顰めると、彼はちょっと驚いたように目を瞠り、そしてぷっと小さく吹き出した。 いや、失礼。でもねえ。 成程、タイプこそ違えど、共通点はある訳だ。 真面目なところとか、しっかりしているところとか、結構面倒見のいいところとか、妙に気を回そうとするところとか。 もー、今の台詞、どっかで聞き覚えあるよ。てか、めってなによ、お兄さんときめくじゃない。 「でも、まあ。ほら、きっかけなんて、いろいろあるじゃない」 あんまり堅苦しく考えないでさ。 例えば、こうして本屋で出会って、一緒に駅まで歩く俺とだってそうだよ。 こんなに美しくて魅力溢れる素敵なお兄さんも、本田ちゃんにとっては対象外? 軽くウインクすると、彼女はきょとんと目を丸くして、そしてくすくすと楽しそうに笑う。 うん、やっぱり可愛い女の子の笑顔は、世界を幸せにするよね。 「それに、あいつと本田ちゃん、きっと気が合うと思うんだけどな」 古い少女漫画に嵌った時期がありました 2013.10.31 |