サクラクラフト <7> 無機質な喧噪に満ち、ひしめく人々に溢れる朝の駅。たゆたうようにその波に乗り、押しやられるように流され。 それでもなんとか泳ぐようにして改札口を抜けたところで、はああと肺の底から息を吐いた。 もー、なんなのヨ。今日は、一体なんなのヨ。 吊革に手は届かなかったし。変な姿勢で踏ん張っていたから体が痛いし。 後ろのオッサンの鞄が当たるし。前のオネーサンの香水に気分が悪くなったし。隣のオニーサンのイヤホンの音漏れが酷かったし。 これから仕事が始まるのに、気力も体力も時の運も、全部使い果たしてしまった気分ダヨー。 げんなりと肩を落とす。ひょっこりと飛び出たくせ毛も力なく揺れる。 今日は連休直後の出勤だから、尚更強くそう感じるのかもしれない。 こきこきと左右に首を振り、疲れた体を引きずるように足を進める。 つま先が踏み込んだのは、駅前にあるコンビニエンスストアの自動ドアだ。 開いたドアを潜り抜け、まずは飲み物の棚の前に立つ。お気に入りの缶コーヒーを手に取り、そして次に向かったのはスイーツのコーナーだ。 このコンビニの何が良いかと聞かれ、真っ先に出るのはスイーツの充実加減だろう。 シュークリーム、ロールケーキ、プリン、どら焼き、ババロア、クレープ、大福、ティラミス、あんみつ……あ、こんなの、昨日まで置いてなかったヨ。 パッケージのユルキャラ、すごくcawaiiヨ。とりあえずマッチャ味は、試してみなくちゃダヨネ。こっちの期間限定、いつまでだったかナ。 棚に並んだラインナップに、小花を飛ばして物色する。ダッテ、ヤッパリ、疲れたら甘いものが必要だモンネ。 気になる逸品を選び抜き、ほくほくと清算を済ませ、財布をバッグに入れつつ、入り口へと踵を返した所で、あっと思わず声が上げた。 「本田サーン」 入り口横に設置されている、小さなイートインコーナー。 そのバーテーブルの一つの見知った姿に、ぶんぶんと手を振る。俯いた小さな後頭部が、こちらを振り返り、ぺこりと頭を下げた。 「おはようございます」 「オッハヨーございまース」 お買い物されていたんですね。ウン、ほら見テ見テ、マッチャ味のデザート買ったヨ。 手にした買い物袋を開いて見せると、あ、なんか美味しそうですね、部署内スイーツ仲間は嬉しそうに目を細めた。 入社したての時期、何かとお世話になったのが、同じ部署の先輩であるこの本田サンだ。 優しくて、穏やかで、でもしっかりしてて、きっちりしてて、なんでも知っていて。 とっても頼りになる、とっても尊敬すべき、大好きな先輩なのである。 「本田サンも、お買い物?」 「はい、ちょっと」 手に持っていたのは、小振りの瓶のドリンク剤だ。 勇ましさが満ち溢れたパッケージのそれに、そっと先輩の顔色を窺う。 「アレ、もしかして体調悪いノ?」 この手の滋養強壮剤を常飲している人も多いが、しかし彼女が飲むのはあまり記憶になかったと思うのだが。 「いえ、ちょっと寝不足かなって思って」 一応、仕事中に眠くならないように、念の為ですよ。言いながら手首を捻り、きゅ、と蓋を開ける。 暫しじっと瓶口を見下ろし、覗く謎めいた液体に少し眉根を寄せ、小さく呼吸を整えて、そして決意したようにぎゅっと目を閉じると、勢いつけるように一気に飲み干した。 こくんこくんと咽喉を動かし、ううっと唇を引き締め、ぎゅうっと目を閉じ、口元を抑える。 まるで小さい子が苦い薬を飲むようなその仕草。 本田サン、年上なのに、いつも落ち着いているのに、頼れる先輩なのに、こんなところがナンだかcawaiiのヨ。 「あっ、グミ食べる?」 口直しに、マンゴーパイン味。ありがとうございます、いただきます。 しかめっ面のまま差し出す手の平にころりと乗せると、慌てて口の中に放り込み、ほっと体の力を抜いた。 ドリンク、そんなに不味かったノ? いえ、不味いというか、なんでしょう、えっと、良く解らないです。良く解らないノかっ。 空になった瓶を分別ごみ箱に入れ、一緒にコンビニを出た。 今朝は少し肌寒いですね。ウン、風が強いのヨ。気まぐれな向かい風に煽られ、ひらりと靡いたスカーフを片手で抑えると。 「それ、使って下さっているんですね」 示す視線に、えへへと笑う。 襟元に巻いているのは、薄手のコットン生地の裾に細やかなビーズと刺繍があしらわれたストールだ。 トルコのオヤという伝統手芸のレースを模擬したものらしく、実は本田サンのお手製である。 実は以前、彼女が使っていたものを見て、ちょっと変わってて、でも凄くカワイくて。 たまたま一緒に居た秘書課のヘーデルヴァーリ姐さんと何処で買ったのかと聞いた所、新たに作ってプレゼントしてくれたのだ。 「ちょっと、お二人をイメージしたデザインで作ってみました」 勝手なイメージなので、外していたらすいません。でも、いろいろ考えながら作るの、とっても楽しかったですよ。 そう言って、ストールと同デザインのヘアアクセサリーもセットで手渡された時は、二人して感動したものである。 「これ、スッゴクお気に入りなんだヨ」 彼女のお見立てが見事なのか、自分の持っている服に合わせやすい色味で、思った以上に使いまわしが出来る。 恐らくヘーデルヴァーリ姉さんも同じように思っているのだろう、この前の金曜日も使っていたのを目撃していた。 「本田サンが作ったノ、売れるネ」 前も友人に褒められたし、何処で買ったのかって聞かれたんだヨ。本田サン、お店開けるヨ。 そう力説するも、褒めすぎですよ、と手を振って謙遜する。 「でも、嬉しいです」 押し付けたようなものなのに、こうして使って頂いて。 こっちの勝手なお節介だったし、余計な気を使わせたんじゃじゃないかって、申し訳ないことしちゃったかなって、あの後実はちょっと考えちゃいました。 「そんな訳ないデショ」 最初に欲しいって言ったのはこっちだヨ。嬉しくなくちゃ、受け取った時、あんなに喜んでいないヨ。そんな嘘、つかないヨ。 本田サン、ケンキョなのは良いけど、もっと私達を信じてヨ。 「もー、考え過ぎなんだヨ、本田サンは」 むうっ眉根を寄せると、くすくすと笑われた。そうですね、すいません。肩を竦めて、そしてふうと小さく息をつく。 「同性相手になら良いんですけどね、手作りのものって」 手作り品をプレゼントするのも、されるのも。軽いノリで、お互いに気楽に受け渡しできますから。 女同士ならどんなのが欲しいかって分かりますし、仲が良い相手なら好みも知っていますし、遠慮なく指摘だってしてくれますし。 「異性相手では、そうはいかないですから」 軽く目を伏せての小さな呟きに、くるりと飛び出たくせ毛がぴくりと反応した。え、ナニ? それってつまり。 「本田サン。ひょっとして、男の人にナニかプレゼントするノ?」 手作りのモノを? 男の人に? 本田サンが? めくるめく恋バナの予感に乙女思考が暴走し、喜色満面に思わず身を乗り出す。勢いにくるりと丸くした目が瞬き、一拍置いてぷすっと吹き出した。 「男の人ではなく、男の子、ですよ」 保育園に通う、しっかり者で健気な、可愛い男の子です。 最近ちょっとお知り合いになった人がいまして、その歳の離れた弟さんの、保育園の準備のお手伝いでなんですけどね。 「ただ、喜んで下さるかなあって思って」 小さな男の子とあんまり接点が無いから、好みとかがあまりよく掴めなくて。あとそれに……。 首を傾げながら持ち直したのは、通勤用の革バッグとは別に手にしていた、やや大ぶりの紙袋。 もしかすると、ソノ中に入っているのかな。 「そんなノ、心配するコトないヨー」 だって、本田サンはお手伝いをしたんでショ? それに文句を言うなんテ、絶対有り得ないヨ。 「そうだと良いのですが」 眉尻を下げる彼女に、ダイジョーブダイジョーブ、自信満々にぐっと親指を立てる。にかりと笑って、ウインクひとつ。 「本田サンの作ったモノなら絶対間違いないネ。ワタシが保証するヨ」 ネガティブ思考とポジティブ思考 2014.06.09 |