サクラクラフト
<8>





 高校生の時、好きな人が出来た。
 一生分の勇気を振り絞ることが出来たのは、ひとえにあの年代特有の若さと勢いを、世間を賑わせる件のチョコレートイベント特有のお祭り気分に煽られた故だろう。
 用意したのは、赤いリボンのラッピングを施した手作りのチョコレートクッキー。 そして、手編みのシンプルなニットのカーディガンだった。
 高校生だった自分に、男の子の好みなんて判らなかった。本屋や手芸売り場の男性用セーターの編み物の本を、片っ端から立ち読みした。 学校帰りに、ファッションビルのメンズフロアを覗いた。同世代の男子が読んで良そうな、メンズファッション誌を買った。 でもやっぱりどんなものが良いのか判らなくて、結局制服の下にも着て貰えそうな、シンプルで無難なものを作った。
 自分の不器用さには自覚がある。 人と話をするのも得意な方ではないし、口下手だし、男子が求める砂糖菓子のような可愛らしさや、 目を惹き付けるような華やかさも、憧れるような大人っぽさも持っていない。 だからせめて、自分に出来ることで、自分なりに頑張ろうとしたつもりだった。
 テスト時期と重なっていたから、徹夜もした。 あからさまに手編みには見えないように、デザインも熟考した。 手間と時間が掛かるけれど、細い毛糸と編み棒を使った。 何度も失敗もしたけど、その度にほどいて、一から編み直して、ちゃんと自分でも満足出来るものを作ろうとした。 ちょっとでも喜んで貰えたらと願いながら、カレンダーとにらめっこしながら、なんとか当日に間に合わせることが出来た。
 その結果――残ったのは苦い思い出だった。





 うっわー。こんなに天気ええのに、なんで俺、こんなビルん中にいんねんやろ。
 恨めしい心地で窓の外、アントーニョは澄み渡った青空を見上げる。こんな日は、のんびりシエスタしたいわあ。 休み明けって、どうもやる気が起きへんねん。
 ふわああと咽喉の奥まで開けて、大あくびを一つ。 ぱしぱし瞬きしながら長い廊下の角を折れると、その先、部署の入り口手前、見覚えのある後ろ姿に視線が定まった。
 考えるより先に、声が上がる。
「桜ちゃんやんっ」
 振り返る丸みのある輪郭に、ぶんぶんと手を振った。 途端、もう片手に持っていた紙コップのコーヒーが零れる。あつっ。肩を揺らすと、慌てたように彼女が小走りにこちらにやって来た。
「大丈夫ですか?」
 手に掛かりましたよね、今。コーヒー。火傷していませんか。 ポケットからハンカチを取り出し、拭おうとするのを軽く抑える。ええて、ええて。可愛いハンカチ、汚れてまうやん。
「珍しいなあ、こっちのフロアに来んのって」
 手に零れたコーヒーを舐めながら、久しぶりに見る可愛い姿に目を細める。 業務柄、逆は兎も角、庶務の人間がこちらに足を運ぶことは少ない。 備品係をしていた頃はお互いに行き来することもあったが、担当が外れた今となっては、それもすっかり無くなった。
「なんや、ウチに用事?」
 もしかして、新しい備品係が、ちゃんと庶務にリスト持っていかへんかったとか? 桜ちゃんの手を煩わせるなんて、悪いやっちゃ。 親分がびしっと懲らしめたんで。
 己の過去を棚に上げてしかめっ面で断言すると、少し困ったように首を傾げて笑われる。いえ、違いますよ。 備品担当は私じゃなくて、今は別の人に変わりましたから。ではなくて……手に持つ紙袋を見下ろし、少しだけ躊躇うような素振りを見せて。
「その……バイルシュミットさんに、ちょっと」
 彼女の口から出たその名前に、瞬きを一つ、直ぐにああと納得する。そういや少し前、この二人の話をしていたなあ。
「あー。残念やけど、あいつおらんわ」
「今日は外出ですか?」
 確か今週は、外出の予定はないと聞いていたのですが。首を傾ける桜に、ちゃうちゃうと手を振って。
「なんや、弟君が急に熱出したーって、さっき連絡が来てん」
 親分が電話取ったから、間違いないで。そう言うと、黒目がちの瞳が、くるりと驚きに丸くなった。
「え、ルート君が?」
「一時間ぐらいかな? 遅れて出社するって言っとったで」
 基本的に子供が熱を出すと、保育園に預けることが出来ない。 しかし、それに合わせて仕事を持つ保護者が会社を休める訳にもいかず。 なのでそんなときには、病院が経営していたり、ドクターが駐在する、地域の病児病後児保育へ預けるのが一般的だ。
「大丈夫だと良いのですが……」
 元気そうに見えたのですが。気遣わしげに眉尻を下げる桜に、からからとアントーニョは笑う。
「まあ、子供は直ぐに熱出すからなあ」
 幼い子供は、まだ体に免疫が出来ていない。 親戚か兄弟が多い家に育った故、ついさっきまで飛び跳ねていた子供が急に具合を悪くしたり、直ぐに熱を出す様は、昔から良く目にしていた。
「ま、ギルもおるし、ちゃんとやっとるやろ」
 あいつ、結構しっかりしとるもん。そう言うと、そうですねと頷き、少し表情を緩める。 うん、やっぱり可愛い女の子は、笑っとった方がずっとええよな。
「桜ちゃん、ギルの弟に会ったん?」
「この間、お買い物のお手伝いをして頂いたんですよ」
 保育園の。準備に必要なグッズ用の。布とか、糸とかの。 小さいのにしっかりしてて、とても優しくて、すごく良い子だったんです。流石はバイルシュミットさんの自慢の弟さんですよね。
「あ、それ。もしかして、例の保育園のん?」
 ぱちりと瞬く桜に、やっぱりそうかと確信する。
「聞いたでー、それ、桜ちゃんが引き受けてんやろ」
 ギルベルトが困っていたのは知っている。出来る事であれば手助けもするが、流石に保育園グッズ云々ともなれば、フランシス共々手に負えるものではなさそうだ。 フランシスの(やたら多い)女友達はどうや? との提案がもあったが、彼曰く、どうも裁縫が出来そうな女性が思い当たらないらしい。 自分の親戚に頼むという手もあるのだが、如何せん母国スペインに在中の為、空輸を使ってもかなりの時間が掛かりそうだ。
 まあ、俺様の弟の事だし、何とか自分でやってみるぜ。俺様器用だし、天才だからなー……とは嘯いていたが、その笑いが乾いている事実に、フランシスと目を合わせたものである。
「やっぱ優しいなあ。桜ちゃんが手伝ってくれるんなら、あいつも安心や」
 備品係で彼女と接していた時も、それを実感する機会は多かった。 この子があいつを助けてくれるなら――ちょっと癪な気もするけれど――ちょっとばかり勿体ない気もするけど――ちょっとムカつくけれど――でも、絶対大丈夫。 なんとかしてくれる。そんな安心感が、彼女にはあるのだ。
「いえ、あの……そんな大層な事ではありませんから」
 それに、そんな期待に答えられる程のことは出来ませんし。小首を傾けて困ったように笑う健気さに、ふうんと軽く頷く。 そして、悪戯を見つけた少年のように、にかりと歯を見せた。
「でも、クマ、できてんで、ここ」
 己の目の下を指先で突いて見せると、慌てたように彼女は目元を手の平で抑えた。気恥ずかしそうに俯きつつ、ちらりと視線だけをこちらに向ける。
「……目立ちますか?」
「大丈夫、桜ちゃんの可愛さを邪魔する程じゃあらへんから」
 へらりと人好きする笑顔で、ちらと彼女の手元を見下ろす。やや重量のありそうな紙袋。 恐らくは、彼女の作ったものが収められているのであろう。 もしそれが完成品であるならば、ギルベルトから聞いていた話から考えても随分と早い。 きっとこの週末、ルートヴィッヒとギルベルトの為に、少しでも早くした方が良かろうと、寝る間も惜しんで急いで作ったのだろう。
 そう、彼女はそんな人だ。
 備品担当をしていた時も同じだ。 何かと取りこぼしやうっかりミスが多い自分に、彼女は常に気を配ってくれていた。 ミスが出ないように、嫌な思いをしないように、忘れ物が無いように。 それがたとえ業務外の事であっても、こちらが困っていると自然に手助けしてくれる事も多く、そんな彼女に随分甘え、頼ってしまっていたものだ。 (そしてそんな甲斐甲斐しさと一生懸命さに、ちょっとだけ勘違いしそうになったことだってある) (だからこそ、あの眉毛の勘違いには、傍から見ていてムカつくねんけどな)
「あ、あの、バイルシュミットさんには言わないでいて下さい」
 隈の事。寝不足していたってこと。すいません。お願いします。
「大丈夫、そんな変やないで?」
 そんなん気にせんでも、桜ちゃんはいつも通りに可愛ええから。 いえ、そうじゃなくて。慌てたように、彼女は首を横に振る。
「私、その。昔から、ちょっとお節介なところがあって」
 親切とか、優しいとか、気遣いとか、そうではない。本人としては、思わず、ついでだし、どうせだから……寧ろそんな感覚に近いのだ。
 相手の事を考えるよりも、自分のそんな条件反射的な行動で先走る故、相手の「有難迷惑」や「余計なお世話」に気が付かないことだってままある。 後で振り返った時に、酷い自己嫌悪に陥ることだって多い。
「駄目なんですよね……自分の気持ちだけ突っ走るところがあるから」
 本当に、大層なつもりは全然ないんです。でも、何かをやり出すと夢中になってしまって、周りが見えなくなっちゃうところもあって。 だから逆に、気を使わせてしまうというか、変に重くなってしまうというか、引かれてしまうというか、押しつけがましいというか。 もう少し、スマートに、さらっと気配りできたら良いんですけどね。
 自嘲するように、誤魔化すように、自虐するように。えへへと笑う桜に、アントーニョは唇をへの字に曲げた。
「……それはつまり、桜ちゃんが真面目で、凄くええ子ってことやろ?」
 な? と首を傾けると、桜はいやいやと更に首を横に振る。 あ、いえ、だから違うんですよ。言い募る言葉を、太陽のような笑顔で受け流す。
「要するに、桜ちゃんはそんだけ一生懸命に考えてくれてる訳やん」
 そんな彼女の気持ちが、重いなんて、有難迷惑だなんて。
「それを悪く取るような奴がおったら、親分が全力で叱ったるわ」
 片手で腕を組み、わざとらしくめっと怖い顔を作って見せる。それにくすくす笑うと、ほんまやで、親分本気やねんからな、念押しされる。
 だから、ええか。ちゃんと覚えときや。


「いくら桜ちゃんでも、自分をそんな風に言ったらあかんねんからな」








所謂、おかん気質
2015.02.27







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