フェザータッチ・オペレーション
<1>





今日は客が来る…ルートヴィッヒは、朝から兄のギルベルトにそう聞かされていた。 だから自室で本を読んでいる時、窓の外から感じたその気配に、 ああ漸く着たのか…と顔を上げた。
重い本を一旦置くと、 少々大きめの椅子から足をばたつかせながらよいしょと降りて、窓辺に近づいてそっと見下ろす。 二階にあるこの部屋は、屋敷の玄関先がよく見える位置にあった。案の定、 目下には停まった馬車。そこから降りる来客の様子が窺えた。
見覚えのある服装だ。 指先が隠れるまでに長い袖、詰まった襟首に、ワンピースにも似た裾の長い上着。 特徴のある民族衣装を身に纏い、黒く長い髪を後ろに束ねた男は、 何度となくこの屋敷に足を運んでいた。確か、東洋の大国に住む大商人だと、 兄から聞いた事がある。
小柄で中性的な容姿をした彼は、そのしなやかな風貌を裏切り、 やたらと話し声が大きくて、正直ルートヴィッヒは彼が苦手であった。 だから来客が彼だと悟ると、今日は一日部屋から出ないと決意し、 読みかけの本の続きに戻る為に窓から離れようとした。

だが、足が止まる。

開いた馬車の扉から、黒いつむじがひょいと覗いた。
それに向かって先に馬車を降りたあの男が、 大きな声で何かを話しかける。恐らくは遠い東洋の国のものであろうその言葉に、 二度、三度、まあるい頭が頷くような動きをする。それに彼は嬉しそうに笑み零れ、両手を延ばし、 小さな体をひょいと抱き上げる。そして、そっと宝物のような丁寧さで、 馬車から降ろして隣に置いた。
彼が来る時はいつも、大人の従者か、 さもなくば一人で訪問するのが常だった。明らかに、仕事とは関係が無かろう小さな付き添いに、 ルートヴィッヒは身を乗り出し、髪の色と同じ金の睫毛を瞬かせる。
この位置からは、角度の加減でどうにも良く見えない。男の子?女の子? 見た事のない民族衣装からは、それさえ判断付きかねた。
もう少しこっちを見てくれたら良いのに…窓枠に小さな掌を当て、 おぼこいほっぺたを硝子に張り付かせると、かたりと小さな音が鳴った。 ささやかなその音が、まさかあそこまで届く筈はない。
しかし、小さな黒髪が不意にこちらを振り仰いだ。
―――視線、が…。
目が合う…そう思った瞬間、ルートヴィッヒは弾かれた様に窓から離れていた。
直ぐ後ろにあった椅子に足が当たり、絡まる足元にこてんと尻餅をつく。 絨毯の弾力で痛みは無い。
だけど、これは何なんだろう。
どきどきと煩い心臓に手を当てて、 半ズボンの足を前に放り出したまま、ルートヴィッヒは呆然と窓の外の空を見つめた。





この屋敷に住むルートヴィッヒとギルベルトは、正確には兄弟では無い。
ルートヴィッヒが事故で両親を亡くしたのは、数年前。幼いままに父の爵位を引き継いだのだが、 成人するまでの親代わり兼後見人を、親戚に当たる彼が引き受け、勤めてくれている。
親代わりとしてなら「父」と呼んでも良いのであろうが、 流石にそこまで歳の差のないギルベルトにとって、その呼称は甚だ不本意らしい。
「今まで通り、兄さんって呼べや。第一、こんなにカッコ良い俺様が子持ちになっちまって、 全世界の女共を絶望させる訳にゃいかねえだろ」
高笑いと共にそう嘯いて、 わしゃわしゃと頭を撫でくりまわすので、結局幼い頃と同じ、 兄と弟のような関係が延長されていた。
両親は(今はギルベルトが引き継いでいるが)、 貿易業を営んでいた。
そんな仕事柄、この屋敷には昔から、外国からの訪問者が多い。 奇妙な服を着た人、肌の色が違う人、不思議な瞳の色をした人…ルートヴィッヒも、 いろんな人を見ていた。
でも、今日来たあの子は、今まで来た人とは違う気がする。
でも待って。髪も、肌の色も、一緒に来ていたあの人にそっくりだったし、黒髪も黄色い肌も、 特に珍しいものでは無い。じゃあ自分は、何が違うと思ったのだろう。ルートヴィッヒは、 ううんと眉間に皺を寄せた。
そう言えば、瞳の色は何色だっただろう…そこまで考え、 あの時目の色を確認する前に、まるで逃げるように窓から離れてしまった自分を思い出した。
何で、あんなことしちゃったんだろう。自分の咄嗟の行動に、気恥かしく頬を染め、 それを誤魔化す様に唇を引き締める。
開いていた本から顔を上げ、 重厚な作りの飾棚に乗せられた、セピア色の地球儀に視線を向ける。
あの子は、あの中の何処から来たのだろう。東には、まだまだ未開の地が沢山あると兄は教えてくれた。 そんな自分の知らない遠い地から、あの子は何故、ここまでやって来たのだろうか。
ぐるぐると先程見下ろしていたシーンを頭の中で繰り返し、もう一度あの子の顔を思い出そうとする。 しかし、一瞬しか垣間見れなかったそれは、当然ながらあやふやなシルエットでしか頭に浮かばない。
気になりだすと、もうどうしようもなくなってしまう。そわそわと窓の外、それから部屋の戸口を見遣り、 やがて落ち着き無く足を動かすと、ルートヴィッヒは椅子から立ち上がった。





「この子あるよ」
先日話していた、我の弟は。どっしりとしたソファの上、 東洋の大陸からやって来た大商人、王耀はやや自慢げに胸を反らせた。
その隣に腰掛けるちんまりとした幼子を、ギルベルトはふうんと血のように赤い瞳で眺める。 艶やかな漆黒の直毛が、窓からの光を受けて、綺麗なエンジェルリングを作っていた。
成程、弟と言うだけあって良く似ている。目鼻立ちや、髪、肌の色等はそっくりだ。
但し、随分と雰囲気が違うな。膝の上に手を置いて、きちんと姿勢を正す姿は、 何処か賑やかさを感じる兄と比べ、しんと落ち着いた水面を連想させる。
身に纏う衣装も、共通点が薄い。色彩豊かな王耀とはむしろ反対に、 濃紺に涼やかな白の上着を羽織った色の組み合わせは、 シンプルながらも酷く清潔な印象を与えた。袖と袂がゆるりと広く、重ねたような前襟と、 それを包むようなふわりと布を合わせたような上着。独特のデザインの民族衣装は、 外国の見聞の広いギルベルトにしても酷く珍しい。そう言えば、弟と呼んではいるものの、 産まれ育った場所は異なるとは聞いていた。
「この子はすごく賢いね。頭も良くって、 とっても礼儀正しいあるよ」
ふふんと腕を組む王耀に、賢いねえ…胡散臭そうに軽く頷く。
大人しそうな子供だ。初めて対面した時も、丁寧な動きでこちらにぺこりと首を垂れていた。 奇妙なそれは、かの国における挨拶であるらしい。しかしギルベルトから言わせれば、 むしろ妙に聞分けが良すぎて、どうにも小生意気さが癪に障る。
子供はもっと子供らしくしてりゃ良いのによ。まあ、初めて訪問する他人の家だ、 単に緊張して猫を被っているだけか?ローデリヒんトコまではいかねえとしても、 もちっと可愛げがあってもいいのにな…そこまで考え、 まあウチのチビも似たようなもんかと思い直した。
「俺ん所は別に良いけどよ」
その子は、本当に大丈夫なのかよ。改めて念を押すと王耀は頷いた。
「この子は聞分けが良いね」
事情を説明すると、兄の事情を理解し、 ちゃんと判ってくれたよ。流石は兄思いの我の弟ある。鼻息高く自信満々に言いきる様子に、 はいはい…胸に内で呆れた息をつく。
「ま、俺ん所にも同じ年頃の弟がいるしな」
こちらとしては、今さらちまっこいのが一人増えようが、別に大したことじゃねえからな。 ケセセと笑いながら腕を組む様子を、幼い漆黒の瞳が、酷く冷めた温度で見つめていた。
その視線が、ふと、動く。
じいっと一方へと向けられる視線に、 最初に気が付いたのは王耀である。
「…どうしたある?」
習って、二人の保護者はそちらへと視線を向けた。その先には、扉。 うっすらと開いた隙間から垣間見える影に、ギルベルトは片眉を吊り上げて鼻を鳴らせた。
「…ルッツか?」
扉の向こう側、びくりと身を震わせる気配が伝わる。
ったく、 しょうがねえな。にやりと笑うと、軽く身を起こし、こちらに来るように手招きをした。
「そんな所にいねえで、入って来いよ」
見えない位置からの暫しの戸惑いの後、 そっと扉が開かれる。
登場したのは、見事な金の髪の少年。集中する視線を受けて、 繊細な印象を与える雪のように白い頬が、ほんのりと薔薇色に染まった。 透き通ったコーンフラワーブルーの瞳が、何処か遠慮がちに訪問客達へと向けられる。
「俺様の弟の、ルートヴィッヒだ」
ギルベルトは立ち上がり、 その小さな背中に手を回して彼の前まで促す。
近づく視線。引き込まれるような夜空色をした瞳を、 ルートヴィッヒは言葉無く見詰める。それは以前兄から見せて貰った、 東洋から取り寄せたという、珍しい黒真珠に似ていた。
「ルッツ、こいつは本田菊って言うんだ」
ホンダ、キク。口の中で、 音を発する事無く何度も復唱する。ホンダキク、ホンダキク、ホンダキク…。
「暫くこの家で預かる事になった」
よろしくな。
にっと笑うギルベルトに、 菊はのたのたと大きなソファから身を起こして立ち上がる。 そしてルートヴィッヒの前に立つと、ぺこりと丁寧に頭を下げた。








タイトルは某コミックよりそのまんま
とあるサイト様を拝見してスイッチが入りました
2010.05.25







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